NO9:不涸の清水「てんやの水」
今回は、大江山を越えた雲原の名水を早速お送り致します。
この湧き水は、最近知った湧き水で近場だという事もあり早速行く事にしました。この雲原地区は福知山や京都、大阪に行く時には素通りしていく場所ですが、毎回通るたびに国道から見える水車が気になっていました。
(高速道路が最近与謝野町まで伸びましたが、料金と短縮時間を天秤にかけると普通はこの雲原を越えて福知山へでてから京都・大阪方面に行くようにしています。しかし早朝とは言え京都の岡崎まで1時間半チョイで行ってきました。)
で、水車小屋へは後から行くとして、とりあえず友人から情報を得ていた国道沿いの郵便局の少し入ったトコに在るということでしたのでそちらの方へ行くことに・・郵便局の処を曲がった角に雲原砂防公園というものが作ってありましたので、少しよってから行く事にしました。
そこには雲原砂防施設の説明板があり、「昭和9年に起こった室戸台風の土石流で農地や人家が甚大な被害を受けた。復旧にあたり、当時の村長が再度このような被害を受けない村作りを決意して、府や国にかけあい当時としては全国的にも珍しい大規模な砂防工事の河川改修を昭和9年~27年にわたり工事し実現した。全国に先駆けて作られたこの砂防事業は、平成18年に雲原砂防施設群という長い名の国登禄記念物(遺跡)、平成20年には近代化産業遺産に認定された」と書いてありました(要約)。

ここから旧道を50m行ったところに「てんやの水」の汲み取り場が有ります。ところで「てんやの水」のいわれは何か、疑問を持つものです。ここは親切に説明版が横に立ててありましたので写し書きしておきます・・と思いましたが、写した写真で勘弁してくだされ。

ということらしいですが、水汲み場の道を隔てた前に朽ち果てた「ところてん屋」が今はもう主(あるじ)がいないじょうたいの家屋で残っており、当時の様子が偲ばれます。おそらく、毎日この水を汲んでところてんやソバを作ってお客さんに出しておられたのだったのでしょう。何か寂しい感じがするのは私だけでしょうか・・・。

今回は雲原川の下流にも湧き水の出ているところが在ると聞いているので、持って行ったペットボトルに半数水を汲み込んで水車小屋のある方へ向かった。
水車小屋広場は、ここから200m程旧道を上った雲原公民館の前にあります。とりあえず水車小屋を覗いてみると臼が二つ置いてあり、一つの方にモミらしき物が入っていてホンマニ水車の回転で杵が動いて搗いていたのには驚いた。観光用に実演させているのかも、後から聞いた話しなのだが、搗きあがるのに丸一日かかるという事のようでした。広場を隔てたところの小屋には、地場産の野菜や佃煮その他イロイロな物が置いてあった様子で・・マア地域起こしの朝市みたいなモノで、その小屋の入り口にはうまいもん処「みんなの和楽屋」という看板が掛けてあった。
とりあえず、次の水汲み場の情報もほしかったので入ってみたら、地元のおばちゃんたち4~5人ほどの人が休憩をしている雰囲気で、何か美味しい物を買って帰りたいのだがないかな~と尋ねたところ、1人の叔母ちゃんが外に案内して味見用の干し大根の煮たモノを食べてみと薦められて食べてみると、素朴な感じでうまかったから1パック買うというと、残っていたもう一つもオマケといってくれました。そうする、残っていた高菜も持って帰れとばかりにくれるので、それは何でも悪いと思い干し大根の煮物と高菜の漬物を各1づつ払って持って帰ったのは合計4パックでした。ありがたや、ありがたや こうゆう事を残り福というものかと喜んだしだいでした。肝心のもう一つの水汲み場を尋ねると、雲原地区と天座(あまざ)地区がある天座の方らしく、そちらに行くのだったら乗せて帰ってくれまいかとお願いされたので、先ほどのサービスの件や水汲み場の位置も難しそうでしたので、教えてもらうことを条件に送っていくことで話が成立し片づけを待つこと20分ほどしてようやく出発できたのです。
水車小屋の詳しいことは雲原総合案内書ブログでみてくださいね。


で天座の湧き水は次回に続きます。
ところで、肝心な水の味は 長年枯れずに続いてきた水ということですが
独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
詳しい場所で~す
この湧き水は、最近知った湧き水で近場だという事もあり早速行く事にしました。この雲原地区は福知山や京都、大阪に行く時には素通りしていく場所ですが、毎回通るたびに国道から見える水車が気になっていました。
(高速道路が最近与謝野町まで伸びましたが、料金と短縮時間を天秤にかけると普通はこの雲原を越えて福知山へでてから京都・大阪方面に行くようにしています。しかし早朝とは言え京都の岡崎まで1時間半チョイで行ってきました。)
で、水車小屋へは後から行くとして、とりあえず友人から情報を得ていた国道沿いの郵便局の少し入ったトコに在るということでしたのでそちらの方へ行くことに・・郵便局の処を曲がった角に雲原砂防公園というものが作ってありましたので、少しよってから行く事にしました。
そこには雲原砂防施設の説明板があり、「昭和9年に起こった室戸台風の土石流で農地や人家が甚大な被害を受けた。復旧にあたり、当時の村長が再度このような被害を受けない村作りを決意して、府や国にかけあい当時としては全国的にも珍しい大規模な砂防工事の河川改修を昭和9年~27年にわたり工事し実現した。全国に先駆けて作られたこの砂防事業は、平成18年に雲原砂防施設群という長い名の国登禄記念物(遺跡)、平成20年には近代化産業遺産に認定された」と書いてありました(要約)。


ここから旧道を50m行ったところに「てんやの水」の汲み取り場が有ります。ところで「てんやの水」のいわれは何か、疑問を持つものです。ここは親切に説明版が横に立ててありましたので写し書きしておきます・・と思いましたが、写した写真で勘弁してくだされ。

ということらしいですが、水汲み場の道を隔てた前に朽ち果てた「ところてん屋」が今はもう主(あるじ)がいないじょうたいの家屋で残っており、当時の様子が偲ばれます。おそらく、毎日この水を汲んでところてんやソバを作ってお客さんに出しておられたのだったのでしょう。何か寂しい感じがするのは私だけでしょうか・・・。


今回は雲原川の下流にも湧き水の出ているところが在ると聞いているので、持って行ったペットボトルに半数水を汲み込んで水車小屋のある方へ向かった。
水車小屋広場は、ここから200m程旧道を上った雲原公民館の前にあります。とりあえず水車小屋を覗いてみると臼が二つ置いてあり、一つの方にモミらしき物が入っていてホンマニ水車の回転で杵が動いて搗いていたのには驚いた。観光用に実演させているのかも、後から聞いた話しなのだが、搗きあがるのに丸一日かかるという事のようでした。広場を隔てたところの小屋には、地場産の野菜や佃煮その他イロイロな物が置いてあった様子で・・マア地域起こしの朝市みたいなモノで、その小屋の入り口にはうまいもん処「みんなの和楽屋」という看板が掛けてあった。
とりあえず、次の水汲み場の情報もほしかったので入ってみたら、地元のおばちゃんたち4~5人ほどの人が休憩をしている雰囲気で、何か美味しい物を買って帰りたいのだがないかな~と尋ねたところ、1人の叔母ちゃんが外に案内して味見用の干し大根の煮たモノを食べてみと薦められて食べてみると、素朴な感じでうまかったから1パック買うというと、残っていたもう一つもオマケといってくれました。そうする、残っていた高菜も持って帰れとばかりにくれるので、それは何でも悪いと思い干し大根の煮物と高菜の漬物を各1づつ払って持って帰ったのは合計4パックでした。ありがたや、ありがたや こうゆう事を残り福というものかと喜んだしだいでした。肝心のもう一つの水汲み場を尋ねると、雲原地区と天座(あまざ)地区がある天座の方らしく、そちらに行くのだったら乗せて帰ってくれまいかとお願いされたので、先ほどのサービスの件や水汲み場の位置も難しそうでしたので、教えてもらうことを条件に送っていくことで話が成立し片づけを待つこと20分ほどしてようやく出発できたのです。
水車小屋の詳しいことは雲原総合案内書ブログでみてくださいね。



で天座の湧き水は次回に続きます。
ところで、肝心な水の味は 長年枯れずに続いてきた水ということですが
独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
詳しい場所で~す
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