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NO273:大山の「清浄泉」

2018,11大山 154-3q
湧水が出る所だったが「清浄泉」ではないのだ(?_?)

「賽の河原」から上がって、今度は大山寺の境内から
2018,11大山 095-3w
大山寺の右端に、この石仏が安置してある池があり、その横から林の中に入って行けば金門の下流側に降りて行けます。
2018,11大山 098-3e
これが下流側から見た「金門」です。上流側とあまり変わりませんが、水の流れがよく見ますと滝になって追って来ています。
欲を言えば、間から見える景色に大山の北壁が見えれば申し分ないのですが・・・
腹も減って来たので、長居せずに引き揚げ、帰りは林の中を下って行った
2018,11大山 102-3r
原生林の様な林で、広葉樹の色付きが美しく雅であった。そして、賑やかな参道へ出て来たのであった。
そんな中、朝には気づかなかった「モンベル」が土産物売り場を出店していた。
2018,11大山 105-3t
これも、モンベルの新たな商売の挑戦であるのでは、それ以外にも賽の河原に繋る赤い橋のたもとにも、モンベルの正統派である「各種登山アイテムを販売」するお店がありました。
そして、我々の腹を満たすお店は
2018,11大山 111-3u
お食事・御休憩
大山火の神岳温泉「豪円湯院」へと入って行ったのであった。
スキー客と登山客相手のお店の様で、温泉と食道が付いていて、食堂は畳の大広間に机が置いて有り、思い思いに座ってのんびりと食事ができる設定であった。ここに入ろうと思ったのは、大山そばと大山おこわがセットのランチがあり、この「おこわ」が又、食べ放題なのであった。・・・・・・記憶があいまいであった(=_=)・・おこわでは無く、セットに付いていた豆腐が食べ放題である事を思い出した。
2018,11大山 108-3y
蕎麦の左のお椀が豆腐で、好きなだけ入れてくるのである、そして先ほども思い出したお代わり自由なのである。これがまた美味しく、相方さんは2回もお代りに行くほどであった。そして、そこでお代りに来ていた人と美味しい豆腐だと意気投合していたらしい(*^_^*)。
吾輩は、一度だけお代りするも腹がいっぱいでそれ以上食べれなかった。
昼飯も無事食べ終え?、大山寺界隈で半日使ってしまい、大山一週水汲みの当てはモロクモ崩れ去ったのでございました。
とり合えず行ける所まで頑張ろうと、「清浄泉」を探す事にした。
「清浄泉」は、情報元によれば、大山寺駐車場近くの赤い橋を渡り、大きな鳥居が目印であり、近くに「三輪平太の墓」があるという、これだけ目印になるものが有ればすぐ見つかるgだろうと、車に乗り「赤い橋」を渡り、気を付けながら走って行ったがそれらしきものは無く、下界に降りる三叉路まで来てしまい、行き過ぎとる・・・と、再度Uターンして引換し
2018,11大山 124-3i
カーブの所がちょっとした橋になっており、そこが駐車スペース10台ぐらいあったのでとりあえず止めて探そうと車から降りるやいなや、目の前に墓が目に入って来た。此れだと
2018,11大山 115-3o
その横には、墓の云い伝えが書かれた立札が
2018,11大山 116-3p
三輪平太の墓:文化2年(1805)大山寺本殿(現在の大神山神社奥の宮)が再建されたが、この造営のため京都から来た宮大工の棟梁三輪平太は、地元の大工の恨みを受け、本殿の柱を短く切られた。
余儀なく設計の変更をしたが、享和二年(1802)責任を感じ、その完成を見ずにこの地で自害した。
この墓は京都の川藤作兵衛が建てたものである。
という、今の時代では考えられない悲しい出来事の遺跡である。
2018,11大山 118-3a
谷間の伏流水が水盤の筒に出て来て溜まっている水を汲み終えて、霊の大きな鳥居が在るか探して見る事に
2018,11大山 123-3s
こんな道を奥に入って行くと
2018,11大山 120-3d
階段の上の方に鳥居が見えたので上がると
2018,11大山 122-3g
この付近の遺跡の説明看板が
歴史の道百選 歩いて、ふれて、学んで感動できる道
   「歴史の道ー大山道(横手道)」
 大山道の発達は、大山信仰と大きく結びついております。大山は古代山岳仏教の聖地であり、「弥山禅定」と言った修行僧による修験の山として開かれました。
 大山寺を開いた金蓮上人が大智明権現(地蔵菩薩)を祀ったことで、地蔵信仰が生まれ、亡くなった人を供養する寺として多くの人々が訪れました。この横手道沿いにも一丁地蔵があるのはそのためです。
 また、来生の変身を願って日本六十六ヶ国を巡礼する廻国行者があるいた道でもあり、著名な社寺に大乗妙典(法華経)を書写して奉納したのです。この六十六か国のうち、山陰地方の社寺は出雲の「大社」、伯耆の「大山寺」、隠岐の「焼火(たくひ)」、因幡の「一の宮」が指定されていました。
 江戸時代になると、大山博労座で日本有数の馬牛胃市(福島県白河の馬市、広島県久井の牛市の三大牛馬市)が開かれ、各方面から牛馬を連れた多くの参拝者が大山道を通りました。現在でも大山寺境内には、宝牛の像があり牛馬信仰が残っています。
 このように大山に詣るための道として整備されたのが「大山道」です。大山道は五道(尾高道・川床道・坊領道・溝口道・横手道)あり、「横手道」はそのうちの一つです。横手道の名前の由来は「大山の西側の山腹を横切る道」ということから名付けられました。
 当時は大山寺を出発し、横手道を通って岡山県の美作を抜けて山陽方面とを結んだ道でした。
                  文化庁・鳥取教育委員会・大山町教育委員会
下段左・木ノ目山王(地蔵)
大山寺に入る西方の大山道沿いには、それぞれ山王が祀られています。「木ノ目(横手道)」「岩ノ目(尾高道)」「劔ノ目(坊領道)」「動ノ目山王(川床道)」が、大山寺境内の入口を守護したのです。木ノ目山王は「木ノ目地蔵」とも呼ばれ、今も大山寺に訪れる人々を見守っています。
下段中・六地蔵
六地蔵は、人間の死後、生前の善行・悪行の因果のより行かなければならない速界、すなわち六界(天井界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)において、人々の苦患を救うために造って祀ったものといわれています。この六地蔵は各々の種子を刻み、容姿も一体ごとに丹念につくられています。
下段右・石の大鳥居
この石の大鳥居は、嘉永7年(1854年)に建立されたもので、願主に洞明院禅信、施主に日野郡の富豪、近藤平左衛門、梅林喜平治の修理世話人の名が刻まれています。大きさは高さ7,2m、幅9mの明神鳥居です、平成14年6月25日に国の有形文化財として登録されました。
そして次なる湧水は、大山一周道路を「桝水高原」へと移動して行きました。
スキー場のリフトのあるところ一帯ですが
2018,11大山 126-3k
ここから見る大山は、伯耆富士と言われる姿をしています。
2018,11大山 147-3l
「桝水地蔵尊の名水」見出しの公園を通り越して駐車場へ、駐車場から写した大山の姿とスキー場、観光客も多く、特に家族連れが目立っていました。スキー場の芝生にはヤギが数匹思い思いにみなさんえさやりに夢中
2018,11大山 152-3c
吾輩の目的は「桝水地蔵尊の名水」早速現場へ
2018,11大山 155-3c
              桝水
 いつのころからかしる由もないが、
この池に小さな水溜まりが出来た。年中水量が桝で計ったように変わらぬので、村人たちは桝水と呼んでいた。
 元録9年の春、、大山寺に伺候した村人は、この水が涸れているのを知り不吉の兆しとして心を痛めたが、その年から不作が相つぎ、餓死者は73人に及んだ、と伝えられている。
 享保5年、作州の行者宗信は、この水溜まりを桝形にしつらえ、地蔵菩薩を刻んで、四十八隔夜念仏を修行し、村人たちは桝で造った杓で水を献じて、慈悲の祈りをこめた。
 それ以来、この地と村落をつなぐ、薬一理に延びる二百余町歩の原野でも、桝水原と呼ぶようになった。

ところが行ってみて、水が 出 て い な い。((+_+))
横に水道の蛇口はあるのだが、天然水なのかどうかわからない(・・?
   池には水が溜まっており、花も供えてある。
この件を知るために、道を隔てた地元野菜売り場へ店員?の叔父さんに尋ねてみると、2016年(平成28年)10月21日の鳥取中部地震の日から止まってしまった。と言われていました。それから二年今までに不吉な兆候は無いようである。
大山が噴火すると島根原発が影響受けるとか(?_?)
水を汲む事は断念して次の水汲み場「地蔵滝の泉」を再度探しに

「大山の清浄泉」の水の評価は
軟水系で、今一つ特徴が見えない水でした。独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デス

詳しい場所です


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NO272:大神山神社奥宮の「御神水」

2018,11大山 091-1q
恒例「秋のレクレーション」で、大山ぐるっと一周・紅葉狩りに・・・と言っても日帰りですが行ってきました。
そのついでに「湧水」があれば戴いてくるという、いつものパターンであります。
大山の紅葉が綺麗だといわれる、10月下旬~11月上旬の11月3日文化の日に「天気予報」とにらめっこしながら決行してきました。
お友達から、山陰道で行けば自動車道も無料で2時間半で行ける。と聞いたものだから、大山寺の駐車場が満車にならないであろうAM8:00頃には到着したいとの思いからAM5時ごろ出発。大山寺に着くまでに、「平成の名水百選」に選ばれた「地蔵滝の泉」を汲んで行きたいとの思いから、3時間の余裕を持った出発となった。
山陰道方面は無料自動車道が整備されているが、全線開通ではなく、途切れ途切れの開通のため自動車道に乗ったり下りたりしながらの行程である。
地元から豊岡へ向けて出発R312号からR178号へ入り、香住の佐津ICから自動車道へ最近浜坂ICまで開通そこで下りて鳥取県の岩見ICで自動車道へ。鳥取バイパスを経てR9号へ鳥取市内からひたすら白兎海岸を通り青谷という所から青谷羽合道路に入り「一部忘れ」大山ICで下りた。この時点で聞いていた2時間半の期間は過ぎて3時間になろうとしていた。
2018,11大山 002-1w
あの大山めがけて走り、第一の目的「平成の名水百選(地蔵滝の泉)」を探す為、途中横道に入り探すも見つからず、そうしている合間にも車がどんどん上がって行く(~o~)、駐車場が満杯にならないかと心配になり、探すこともままならず途中で中止(@_@;)
そして大山寺駐車場へ
2018,11大山 007-1e
駐車場もまだ余裕がありホッ(*^。^*)それも総て無料!(^^)!で大山寺へ
2018,11大山 005-1r
米子方面の下界、天気も上々
門前町の通りを歩いて大山寺を目指します
2018,11大山 010-1t
時折お店のない所から大山の山頂を眺め
2018,11大山 011-1y
そして案内板
2018,11大山 013-1u
(左案内板)歴史と神秘の大山寺地域
 春から夏の高山植物の花々や、秋の紅葉、そして冬の冬景色など四季の美しい大山。雄大な自然に抱かれた、ここには、鳥天狗伝説が伝わるなど、神秘さもあり、多くの修行僧と、山岳信仰の地として栄えた歴史を持つ。
 そして大山寺地域参道内には、数多く残る石地蔵や、石碑等を見る。
 更に奥には大山寺本堂、そしてさらに奥には、大神山神社奥宮が続き、時を越え受け継がれてきた神秘的な風景も広がる。
(右案内板)自然と神秘の大山
 参道の突き当り、石階段を上ると大山寺本堂の姿が見える。一方脇には、大神山神社奥宮へ続く古い石畳の道がある。深い木立のトンネルのその道筋に、古い地蔵や、冷たい水の流れる水場、昔から言い伝えを残す史跡などがある。
 そこには大山の、深い緑の神秘的な風景が広がる。
2018,11大山 015-1i
山門が見えて来て
2018,11大山 016-1o
この山門(仁王門)の石段の手前から左に入って行けば、石畳の参道から大神山神社奥の院へ、山門をくぐると
急斜面の階段
2018,11大山 019-1a
この石段を登り切ると、下山観音堂へ
2018,11大山 020-1s
ソコに祀ってあったのは十一面観音菩薩様
2018,11大山 022-1d
撮影禁止の札が無かったので写しましたが、白鳳期の金銅仏で重要文化財だそうです。しかし、ホンマ物は宝物館「霊宝閣」の方で展示、写真の観音菩薩様は『控仏』だそうです。どうりで写真撮影OKもうなずけたのであった。
下山観音堂の向かいには、護摩堂があり
2018,11大山 025-1f
不動明王が祀ってあります。そして本堂へ上がる石段のたもとには地蔵さんがお出迎え
2018,11大山 026-1g
地蔵さんの後ろに説明書きが、てっきりお地蔵さんの事かと思いきや、後ろにある杉の木の説明であった。
灯明杉:その昔、日本海を航行する舟が難航の折、この杉の頂から、一大尖光を発し、方向を変えたために難をのがれたといわれる霊木で、この名がある。
そして石段を上がり本堂へ
2018,11大山 029-1h
昭和三年、四度の火災に見舞われ、昭和36年に再建された建物です。(天台宗別格本山)
その境内右端にどこにでもある撫で牛
2018,11大山 027-1j
宝牛:牛の霊を慰めるために鼻ぐりの銅を持って鋳造し、岡山県吉備津の宗教団体「福田会」より寄進された像で別名「撫牛」ともいい、一つの願いだけを心に念じてこの牛を撫でると願いを叶えてもらえるという縁起の良い牛である。
相方さんも順番を待っている様である。さ~て、何を頼んだんでしょうかな(?_?)
本堂の左の方から人達が出て来られるので廻ってみると
2018,11大山 035-1l
標識があり、こちらからも大神山神社奥の院へ行けると書いてある。その道を行って見る事にした。
すぐ参道の石畳に入って行った。
2018,11大山 038-1z
石畳を上って行くと、右側に誰かの墓地の様な場所に出くわした
2018,11大山 037-1x
その奥に説明書きが立っていたので、何かな~と覗いて見ると
2018,11大山 036-1c
僧兵の力石と:大山寺の僧兵は約500年の昔その数三千人と言われ、勇猛無比その勢いは大山嵐と言われ山陰を風魔したが、平時この地から石で力を競ったと伝えられている。
吾輩も・・・と挑戦したろうと石に手を掛けたのだが、ビクともしなかったのであった^_^;
さらに歩いて行くと、自然石に大きな仏像が彫ってある珍しい地蔵さんである。
2018,11大山 039-1v
吉持地蔵:江戸中期、会見郡の長者吉持甚右衛門が経悟院住職豪堅に仲を持ってもらい寄進したもので、大山寺の数多い地蔵の中で自然石に彫られた数少ない地蔵である。
そして、神社の境内の中へ
2018,11大山 040-1b
そして、目的の手水舎が出てきたが
2018,11大山 045-1m
先客があり、ペットボトルに汲むのに時間が掛かるので帰りに汲む事にして先に進んで行った。
2018,11大山 048-2q
後ろ向き門::元大山寺本坊西楽院の表門(宮家のお成り門)であったが、明治八年寺から神社に引き渡されてこの奥宮の門に移設したが、その時そのまま移転したので後ろ向きになったと伝えられている。
それを過ぎると奥宮本殿が見えてきた。
2018,11大山 048-2q
石段を上がって行くと
2018,11大山 052-2d
大神山神社奥宮:この壮麗な建物は大神山神社奥宮です。大神山とは大山の古名で、大国主命(大黒さま)が祭ってあります。
社殿は文化二年(1805年)の建立といわれ、神仏混淆淆時代の神社の特徴である権現作りという形式で、中国地方でも大きい方の神社である。
参道の途中にある神門は、門の表裏が反対になっているので、「後ろ向き門」と言われていいます。
いずれも国の文化財に指定されており、毎年6月山開き祭はここで行われています。
2018,11大山 053-2e
全体像
2018,11大山 056-2e
神殿奥の院
2018,11大山 067-2f
参拝を終わらせ(写真撮影禁止)左の方へ行くと下山神社が
2018,11大山 065-2t
下山神社由緒略記
2018,11大山 066-2y
奉神:下山大明神(渡邊源五郎照政尊)
元徳二年(1330年)大神山神社を尊信した、備中郡司渡邊日向守一子照政公は参拝の帰路奇遇に遇い不慮の最後を遂げ人々はこれを憐れみ大山下山の地に子祠を建て下山神社と呼んだが数々の霊験あり、後、夢のお告げにより、此の地に奉遷したもので、多くの武将の神幸があり、現在の社殿は代々の信仰が篤かった石州津和野の領主亀井隠岐守矩賢公が文化二年(1805年)に再建されたもので、重要文化財に指定されています。
   御神徳:勝運・除災・病気平癒
尚、大神山神社奥の院の左からは、大山頂上3,0kmの登山道が在りました
2018,11大山 058-2r
こちらが大山登山道図
2018,11大山 059-2y
奥の院周辺の境内はこのぐらいで、下山する事にした
2018,11大山 068-2u
で、手水舎の御神水を頂きに
2018,11大山 070-2i
竹筒から御神水が出て来ている(奥の院で天然水である事を宮司から確認済み)、汲んでいると自然と止まり、数秒ぐらい経つとボコボコボコとまた出て来るのである、どこかの間欠泉の様であった。参拝者が来られたので2本で切り上げ、下山して行ったのだが、途中「金門」と言う標識があり、どんな門か見に行く事にした。
小道を歩いて行くと急に開けて大山の北壁がどどど~と目の前に、
2018,11大山 073-2z
下には、賽の河原という川原に少々の水が流れている。思っていた金ぴかの門がある雰囲気ではナイ
2018,11大山 093-2x
正面の岩に説明の板が埋め込んである
2018,11大山 092-2c
僧兵荒行の岩:大山寺の僧兵は一騎○千勇猛をもって知られており、常識では想像も出来ない荒業をしたと伝えられているが、その荒業の一つとしてこの岩から飛んだと伝えられ、この名がある。
しかし、岩を見る限り吾輩でも飛べる位の岩であるが、ココの事なのか・・・・と、「賽の河原」に降りて行く事に、下に行くと「金門」が見えたのであった。
2018,11大山 087-2v
な!なんという岩だ!!まさに「門」である。以前大山の写真に出ていた岩がどこに在るのか知りたかったそのものである。
2018,11大山 072-2a
金門と大山二羽鳥
大智明大権現の殿堂を造営するに際し、大盤石が道に屹立して通行の妨げとなったので、僧徒等はこれを取り除こうとしたが、難工事のため途方に暮れて居るとき、二羽の鳥が飛んで来て手伝い、又、この工事中(孝元天皇五十二年)金剛鳥が天から飛んで来て、次のようなを偈説いたので程なく竣工したという。
大山多宝佛、 開輪御金門、 鷹化身垂跡、 釈迦両足尊
大山の名及び金門の名は、これから始まったと伝えられる。
そして「賽の河原」
2018,11大山 077-2b
賽の河原
賽の河原とは、小児が死んでから赴き、苦を受ける所です。冥途の三途の川原で、小児の霊が石を拾って、父母の供養のために塔をつくろうとすると大鬼が来て崩す。小児の霊は泣きながら、また塔をつくるが、また崩される。これを繰り返すうちに地蔵菩薩が現れて救う、と言われています。
 河原には近くはもちろん遠方からも子供を亡くした親が、人知れずここに来て、わが子をしのびながら、一つ一つ河原の石を積み重ねてつくった石の塔が多くあり、また両岸には地蔵菩薩が安置されています。
           自然を大切に
川原には大小さまざまな塔があったが、まさか子どもを亡くした親が作っていたとは、てっきり遊びで石を載せているものだと今の今まで思っていました・・・ガク(=_=)
金門の下流側に行ってみようと相方さんと意見が一致\(^o^)/賽の河原から引き揚げて行ったのであった。

大神山神社奥の院の「御神水」の評価は
軟水か硬水か区別がつきにくいコーヒーの味であった。で、独断と偏見の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v

詳しい場所は(正確な場所ではないかも)



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