NO259;不動の泉「金命水」

善水寺から信楽方面に抜ける峠道に湧水が出ているという情報をもとに、車を走らせた。

信楽まで16kと標識
情報元では、峠道は狭く走りにくいと書いてあったと思ったのだが、なんのなんの立派な峠道でした。

また、湧水地も峠に到達するまでに出て来ました。

丁度右の方の土肩に車が置けるところが在り汲むのに便利な所だっが、汲むところは左の道路縁、それも側溝の壁の上にパイプが出ていた

その横には不動尊が目を光らせています

横の看板には
不動の泉 「金命水」
一、交通安全
一、家内安全
一、延命息災
この県道は牧ー甲西線です。将来は第二名神に通じる重要な道路です。
この道を大切に・・・・・・・
ちょっと一服 水を飲んで 心休めて ぽちぽちと
三雲大日大聖不動明王
このパイプの奥を覗いて見ると

純粋な湧水とゆうより、湧き水と沢水が混じり合った伏流水の感じである。道縁から見たので確信は持てないが、ペットボトルの残り4本を入れて帰ろうと思っていたが2本でやめてしまった。実際は飲んでみなくては判らないのだが、今までの経験から沢水で沸かしたコーヒーはイマイチの評価が多いかった事もアリ期待が持てなかったからである。
予定した水を汲む事ができ帰宅の途へ、引き返して名神へ乗るのか、それとも信楽へ行き第二名神へ乗るのか・・・・やはり、まだ通っていない道を選びそのまま直進。

峠の国境、信楽市の道路標識が見えて下りへと車を進めていた。
しかし、『不動の泉「金名水」』だけでは記事にはならない(~o~)下りを走りながら何か記事になるようなトコはないもんか・・・と思っていると

鳥居が目に入った。チョイト下りて調べてみると、由緒ある神社の看板が横に立っていた

飯道山・飯道神社と書いてある。\(^o^)/
取りあえず車で行けるようなので行って見る事にした。

横にゴルフ場を見ながら車一台が通れる山道を上り詰めると

見出しに載せた看板のある広場にたどり着いた。車で本殿まで行けると思い込んでいた吾輩はガックし。
足元を見れば

此れより飯道神社山頂迄7丁目の石柱、・・・と言う事は10丁目まであと3丁、県道から7丁来たものだと思い、3丁なら行ってみようと決断!
その前に飯道神社(はんどう)の歴史を

飯道山と重要文化財飯道神社本殿
飯道山は古くから神の宿る霊山として信仰されてきた山であった。奈良時代にはすでに神殿が建てられ、平安時代に入ると神仏習合(神仏両教がとけ合うこと)飯道解寺として大いに栄えた。山頂には36坊を数える多くの坊舎が立ち並び、この地方屈指の大霊山となったのである。飯道神社はこの山の鎮守として山の頂上に位置し、久安2年(西暦1146年)には甲賀郡の総社ともなっている。明治維新の神仏分離によって寺院関係の物がとりはらわれたので今ではこの社殿だけが残って往時の隆盛をしのばせてくれる。現在の本殿は江戸時代のごく初期、慶安三年(西暦1650年)に再建されたものであるがいわゆる桃山風の建築で、大そう変化に富んだ形に造られ、また建物全体が緊迫・漆あるいは極彩色にいろどられてまことに絢爛豪華な建築であるということができる。昭和50年より3年かけて総解体の大修理がなされ華麗な姿が再現した。
看板にも書いてあるように、忍びの里・甲賀の地元、近くには伊賀もあるところで、修験霊場の山だったことから、何かそれらしき遺跡が残っているかも・・・の思いから鳥居をくぐり登り始めた。

登り始めてすぐに、この春行ってきた白髭神社がここにも

そして、まだ意気軒昂に上って行きます。

そして息遣いが少し荒くなった頃

1丁目と彫った石柱が・・・・・・おや?8丁目の石柱になるのと違うのかいな・・と思いながらさらに奥へ

道もイロイロ、息遣いもだいぶ荒くなってきた頃

標識が、なんでも休憩場所がこの下に在るそうな

整備された階段が下に向けて下りていたが、この時点で心臓ヒートアップ(@_@;)チョイトどんなところか見てみたい気もしたが、降りると上って来なくてはならない・・・のでヤメ

先程の階段を上から、降りなくてよかったと思い、あと少しと上って行くと

なんと、三丁目の石柱が出て来た。・・・・・・・・・と言う事は残り7丁有るのかも・・・と言う事は出発点の7丁は何だったのか(?_?)
この辺に来ると、一人の山登りと言う事も手伝って心細く、上ってみて期待外れの神社なら・・・・・と登ろうか降りようか悩み始め出した。

道も険しく、登りながら行くべきか帰るべきか、自問自答しながら上って行くと

4丁目が来た~・・・・この辺になるとクマの出没が気になり出し、キーホルダーに付けた鈴を振りながら息を弾ませ一歩一歩スピードも落ちて・・・行くべきか帰るべきか・・・・・と
そのうち

5丁目も過ぎ、・・・やっと半分きたか~・・・・・・このあたりになると、開き直って行けるとこまで行くかァ~

地蔵さんのお出迎え
六道をみちびきたまう 地蔵尊 前にいこうも えにしなるらん
南無六道能化 地蔵菩薩 哀愍護念一礼
意味はよ~わからんが、どうも、ご縁だから前へ進みなさい・・・と言われているよ~です
で、さらに上がって行くと

チョイト参道の雰囲気が変わってきた

前方に電柱も見えてきた・・・どこから電線が張られていたのかな(?_?)と思いながら

どうも頂上に近づいてきたような雰囲気

お堂も見えて、大きな石楠花も満開

立派な石積み、やはり境内に入っている実感ヽ(^。^)ノ 鳥居も見えてきた

しかし5丁目が過ぎ、6丁目を抜かしたとしても10丁目まではきてねぇ~だろう・・・と思いながら
鳥居をくぐって行った。

鳥居を入ったスグ、足元に岩が顔を出していた。横には

・・・・三唱一礼しか読めません(?_?)・・・・・・なんか「神が宿る岩」なのかも(?_?)・・・後に「熊野岩(鳥居護法石)」であるとわかった
ここにきて立派な参道になっています

参道を歩いていると、ここにも

「鏡の大岩」と書いた立札

写真では迫力が伝わってきませんが、大きな岩山です。その中ごろに役行者と思われる石像

を見つけ喜んでいる自分
さらに歩いて行くと、な!なんと

7丁目の石柱・・・・・と言う事は駐車場の7丁目の石柱は、下から上まで7丁あるよというお知らせだったということか(~o~)
そこから少し歩いたところに

修験道・忍の道 歴史が董 の立札

この道を走って、甲賀忍者が修業していた・・・かも
ソコにはこんな立札も

行場口護法『なまさまんだ ほたなん ばく [これより難所の荒行場に入る。神仏の加護を祈りゆく]』
大岩巡りの行場らしいのですが、時間の都合上パス、
こちらは、歴史を感じる行者堂

そして境内広場へと、やっとたどり着いたか・・・・の思いで入って行くと

舞殿と思われる建物は屋根にブルーシートが・・・・・修理中の模様、少々残念、ここに登って来るまでに期待を膨らまして頑張って来たのだが・・・
その後ろへ回り込み本殿へ

お!おおお!! 朱塗りの柱が映えているではないか!屋根も檜皮葺の住吉造りと言うのか、入母屋造りの重層な感じの神殿であり、これを見たら、疲れが吹き飛んだ・・・・そして、参拝するために石段を上り本殿の中に踏み込むと、さらにビックリポン(@_@;)

極彩色に施され、華麗な内装・・・・・山のてっぺんの竜宮城に迷い込んだ思いであった。

しばし見とれていると、後ろの方で人の声が聞こえてきた、振り向くと子供二人を含んだ家族連れが元気に上がって来られた。
挨拶を交わし、聞いてみると下の同じ駐車場からとの事、みんな若い事もあって疲れを感じていない様子であった。
人と会うと、今まで心細かった気持ちが消えていってしまったようで、
辺りの景色も余裕をもって眺める事ができるようになったのか

下界の景色とか

在りし日の飯道寺の僧房跡などを見ながら駐車場まで下りてくると

家族連れの車と思われる一台が止まっていた。
最後に飯道寺・神社の隆盛時の面影

今回の湖南の旅はこれで おわり
独断と偏見の「金命水」の評価は
沢水に近く、コーヒーを淹れて飲んでも渋味が強く感じ、後味感が今一でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ
詳しい場所
は
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