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NO248ーB:万葉の名水「御井の清水」

北淡路島 180-4q
古事記にも登場するという名水で、仁徳天皇が「朝夕、淡路島の寒水を汲みて大御水奉りき」と詠まれた、天皇の御陵水として運ばれた『あわじの寒泉』との事、国道28号沿いに看板が出ているとの事。それを探して日暮れまでに探し当てなくてはと、必死のパッチで安全運転を心掛け気持ちは時速100kmで北上して行った。
情報元では、国道を走っていると名水の看板が出ていると書いてあった。それを目指して北上して行く事30分程、目的の看板を見つけソコから路地へ入って行った。(交通量の関係で写真は写せず)
北淡路島 175-4s
小高い所にそれは有った。
北淡路島 179-4a
正面は大阪湾、見晴らしの良い処であったが、情報がつかめるハズの喫茶店は休業であった。
北淡路島 176-4f
古事記の仁徳長記によると
『朝夕淡路島の寒泉を汲みて大御水(おおみもい)奉りき』とあります。
 御料の水とされたため、この水が、御井の清水と呼ばれるようになりました。以来茶人が好んで、この寒泉を汲みて茶会を催すこと多しとあります。
 山中の大変不便な所にあり、阪神淡路大震災の後水量も少なくなっていますので、同水系をボーリングして現地まで導水してります。
 ご利用の方は安全のため一度沸かしてお飲みください。
 容器、ペットボトルの入用の方には、当店で販売しています。
            サンスイ
北淡路島 171-4d
ココの水道から出るようにしてあります。お店が開いていたら現地まで行こうと考えていたのですが、お店は休み、仕方なくここのお水を買う事に
北淡路島 177-4h
ご利用の皆様へ
駐車場その他施設利用料として、20リッター当り100円ご協力お願い致します。
北淡路島 178-4f
との事、なにがしかのコインを入れて終了(^_^)v
遠くは茜色に染まる淡路観音像
北淡路島 174-4g
正式には、世界平和大観音像と言うらしいのですが所有者不明で地元の方たちも困惑気味(=_=)時間があれば行ってみたいところ(イイ口実)
で、予定の水汲みは無事終了(^_^)v
予定では、国道28号を北上して岩屋港まで行き明石海峡大橋を渡るつもりであったが、津名町佐野からは遠く途中で日も暮れて断念(~o~)東浦のICから高速へと・・・・・
と、こんなこともあるカモと、朝、道の駅に寄った際足を延ばして行ってきた所を写真に収めてきたので紹介しておきます。
まずは、岩屋港に在ります絵島
北淡路島 027-4j
太古、イザナギ・イザナミの二神が、国造りの時最初に生まれた国が「オノコロ島」であり、淡路島を指すとされていますが、この絵島であるという説もあります。
島の頂上にある石塔は、
北淡路島 029-4k
平清盛が大輪田の泊を修築した際に、人柱にされようとした人たちを助け、自らが人柱になった松王丸を祀ったといわれる石塔が島の頂上に建っています。
和歌を詠む名所として名高く、『平家物語』の「月見」の巻に「平家が福原の新都に移った当時(1180年)栄華の夢に耽った人々は絵島の月を見ようとして須磨から明石海峡を渡り、絵島の月を愛でながら歌会を催した」との記述が残されています(日没から21時まで)。また、西行法師は、「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)という歌を詠みました。(淡路観光ガイドから)
絵島から少し南下した所に「大和島」と言う島があります。
北淡路島 038-4x
こちらは柿本人麻呂(万葉集)が詠んだ歌に出て来ることで有名
北淡路島 036-4c
天離る  夷の長道ゆ  恋ひ来れば  明石の門より  大和島見ゆ
筑紫(九州)から都を恋しく思いながら、船路をやってくると、明石海峡から懐かしい、大和の山々が見える
柿本人麻呂  生没未詳
持統・文武天皇の両朝(690~707)に仕えた万葉の代表的歌人。歌聖としてあがめられた宮廷歌人である。
彼は明石の高地に居を定め、海峡より朝夕この島を眺めることを唯一の楽しみとしていた。
島の頂上にはイブキが群生し、天然記念物に指定されている。
その大和島は陸地とつながっており、正面には岩屋神社がそびえています。
北淡路島 039-4b
参拝して珍しいものを発見(@_@;)
まずは韓国風(独断の感想)に見えた神門を潜り
北淡路島 034-4v
正面の本殿に参拝して
北淡路島 040-4z
振り返ると、石灯籠の寄贈者の名前を見ると
北淡路島 042-4x
石原プロ 渡哲也 の字が彫ってある。オョョ(@_@;)どんな関係があるのか・・・・・調べてみるとこの岩屋付近が渡哲也のふる里の様でした。しかし、出生地は島根県安来市であった。・・・情報をイロイロと検索する中で、岩屋神社と書いていたが実際は石屋(いわや)神社が正式名称である。吾輩は間違えていました。
地域名称としては小学校は石屋小学校となっているのに、中学校は岩屋中学校となっています。港も地域も岩屋となっていますし(?_?)
ともあれ今回の淡路島北淡名水巡りの旅は夜景の明石海峡大橋を渡って幕を閉じた。
北淡路島 181-4h




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NO247:淡路市「大師の水」

北淡路島 088-11
          2018年1月4日
昨年参拝した多賀神社、伊弉諾尊と伊弉冉尊の国造り神話から伊弉諾神宮という名の神社が淡路島にある事を知り、どのような風土の場所にそのような神社が在るのか確かめたくなり、昨年の暮れも押し迫った12月の下旬に行ってきました。
例の如く、遠征するにはそれなりの(特に経費)見返りを考え、今回は、淡路島の湧水4ヶ所を回って来ることにしました。
その日は寒気が襲来!我が地北近畿では
北淡路島 001-1e
雪景色の中出発、先々どうなるか心配しつつも、西高東低の揮発配置の場合、日本海側が時雨れれば瀬戸内海側は晴れるというセオリーを信じ出発。淡路島に着いた時は
北淡路島 003-1w
風は有るものの最高の天気(^_^)v今回淡路島を回るルートを選んだのは、まだ一度も走ってない播磨灘に面した県道31号線を走り、4ヶ所が上手く回れれば、大阪湾に面した国道28号線に出て帰宅するという計画を作っていた。
淡路島に降り立ったのは、「あわじ道の駅」丁度明石海峡大橋の淡路側の根元・橋台にある道の駅です。
北淡路島 017-1e
少し時間を取って橋台の周りを散策してみる事にした。
北淡路島 005-1y
北淡路島 006-1t
潜水艇展示説明:明石海峡大橋2P・3P基礎堀削工事では、深さ60mの海底基礎岩板の底面仕上げ状況を直接手で触れて確認する必要がありました。しかし、自分で空気ボンベを背負って潜るスキューバ潜水では、潜水深度35mで潜水時間30分程度が限度であり、これ以上の水深と改定での作業時間を確保するためには、冬季の水温低下による寒さ、窒素酔い、減圧時の安全性などに関する問題を解決する必要がありました。このため、潜水支援船「竜神」によるPTC(Personal Transfer cCpsule)/DDC(Deck Decompression Chambar)潜水システムを取り入れました。
北淡路島 013-1r
北淡路島 012-1t
ハンガロープ用リール:吊り橋では、道路部分である橋桁の重さをハンガーロープを使ってケーブルに伝達しています。明石海峡大橋のハンガーロープは、直径約7㎜の鉄のワイヤーを平行線状に85束ねた直径が8,5cmのものです。明石海峡大橋を見るとハンガーロープの長さが場所によって異なっているのが分りますが、最短のロープが約2m、最澄が約200mあります
 工場で製作されたハンガーロープは、ここに展示されているリールに巻きつけて舟で架設現場へ運びました。
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橋台の下を通り
北淡路島 009-1o
幾何学的な美しさの橋を見て散策。
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北淡路島 014-1y
灯浮標:明石海峡大橋は、船舶交通が集中する明石海峡に建設されたため、その工事に当っては船舶の安全航行について十分配慮する必要がありました。このため、海上工事においては設定された作業海域を灯浮標により明示するとともに、警戒船により24時間体制で警戒業務を実施していました。
 使用していた灯浮標は今までのものより浮体を大きくして復元力を増加させ、潮流による灯浮標の傾斜を軽減したもので、海上保安庁のブイを基本として開発されたものです。
・・・橋台の周りは芝生が敷き詰められており、その所どころにこのような物が置いてありまっした。
道の駅を後に播磨灘沿いの県道31号を走り出すや否や、大きな客船が見えてきました。早速パチリと
北淡路島 033-1o
さらに
北淡路島 045-1p
30分程度の時間ではこんな大きな船を2隻も見る事は稀です。今回はラッキーな思いで次の訪問地「阪神淡路大震災の震源地に近い北淡 震災記念公園」当時は北淡町でしたが、今は淡路市となっていますが記念公園の頭には北淡が残っている野島断層保存館へ到着。
北淡路島 046-1d
なぜか風力発電機一基が目印
北淡路島 048-1a
保存館へ入って行くと
北淡路島 086-1s
当時もっとも衝撃的な出来事の一つであった、阪神高速道路の600m余に及ぶ倒壊場所の写真と実物による再現現場が目に飛び込んできた。
その奥のロビーに受付が在り、入館料700円を払い入って行くと
北淡路島 051-1d
中近畿の立体模型で断層の説明。そこを通り抜けると体育館の様なドームの中に当時起こった断層の実物が保存説明されていた。
主な現場の状況を順路に従ってみて行くと
北淡路島 059-1d
二段にわたって上下にずれた段層
北淡路島 061-1f
ダイダイの丸と青色の丸が、震災前同じ位置にあり断層により上下左右移動したとの事
こちらの方が判りやすいかも
北淡路島 069-1h
ドームから出ると
北淡路島 077-1h
戦争と震災で残った「神戸の壁」と言われる防火壁
北淡路島 076-1j
神戸の壁跡地、神戸市長田区のガレキとインターロック(歩道ブロック)
 この「神戸の壁」があった被災地、JR新長田駅南・再開発事業の大若地区最後の整地で工事で発生したガレキとインターロックである。
 震災20年(2015年11月24日)に神戸市のご支援で関係者によって収集し、被災地の臨場感を出すため、神戸の壁の周囲に設置しました。
   2016年11月16日
北淡震災記念公園 総支配人 宮本 肇
リメンバー神戸プロジェクト 代表 三原 泰治
収集、設置協力:北淡震災記念公園・野島断層・神戸の壁継承発展実行委員会・「大若」神戸の壁跡1,17の集い実行委員会・新長田まちづくり株式会社
「メモリアルハウス」震災当時の家の保存
北淡路島 079-1j
キッチンルーム
北淡路島 080-1k
家がしっかりしていたのかキッチンルーム以外の部屋はさして変化は感じれませんでした。花壇では
北淡路島 081-1l
断層が動いた事がよく分りましたが、これだけ断層が動いて倒壊せず残ったという事はしっかりした家だったという事でもある、やはり鉄筋コンクリートは地震に強いのかネ(^_^)v
一通り見て、震災当時のビデオや発生のメカニズムなどの説明のビデオも上映していたが、ゆっくりしておられなかったのでパスして先に進んで行った。
県道31号線を走っていると
北淡路島 087-1z
山の上にお城が見えた。ちょうど数日前にテレビでこの城の事が映っていたので、その時に言われていたのは個人のお家だそうで、「淡路城」と名前の付いた美術館になっているとか。
高額な高速代と遠くに赴いたと言うことから、欲をだし四ヶ所の水汲み場を回る計画をたてたため時間的余裕がなく、地元の名所を回り切れなかったと反省(=_=)今後の教訓にしなくては・・・・・
一宮と言う市街地から海岸沿いを離れ県道88号に入り内陸部へ向きを変「伊弉諾神宮」目指して行きました。
淡路島の地図を見ていて分ったのですが、「伊弉諾神宮」のある一帯を多賀町と地名が付いている。ここに来るきっかけになった滋賀県の「多賀大社」の地名も多賀町とついている。この「多賀」と言う名前が歴史的に「イワレ」のある名前なのか・・・・・
「伊弉諾神宮」明治時代「官幣大社」で一宮と言う事、合併前には一の宮町の名が付いていた。
北淡路島 089-1x
誇らしげに「日本遺産:国生みの地・淡路」石柱が入口に立っていた。
北淡路島 090-1c
淡路島:日本遺産文化財ガイド
国生みに始まる すべての神功を 遂げられた
                    伊弉諾神宮(いざなぎ)
国生みの伝承に登場する伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る日本最古の宮です。境内は国生みに始まる総ての神功を遂げた伊弉諾尊の神宅の旧跡と伝えられ、神々しい趣きで参拝者を迎えてくれます平成16年(2004)には、平安から鎌倉期のものと思われる伊弉冉尊を表したご神像9躰が新たに発見されました。
○『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人との営みが~」が、平成28年度の「日本遺産」に認定されました。
一つ目の鳥居(見出しの写真)をくぐると
北淡路島 092-1v
立派な石灯籠の立派な参道が、ソコの右横にさざれ石の碑なるものが設置されています。
北淡路島 091-1v
「君が代」の歌詞の中に出て来ることで知られる。
さざれ石は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる(ウィキペディア)
その横に「天皇陛下御即位20年記念」と書かれた石柱、天皇家との関わりがある神社が神宮が付いている。
明治以降、天皇、皇室の祖先 神や大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社の一部が、社号を「神社」から「 神宮」に
つまり、それ以前の神宮は
「『日本書紀』では、伊勢神宮・石上神宮・出雲大神宮[1](出雲大社を指す[2][3])のみが「神宮」と記載されていた。その後、平安時代に成立した『延喜式神名帳』では、大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮が「神宮」と表記されている」
二つ目の鳥居を過ぎると、左の方に「陽の道しるべ」なるものが
北淡路島 094-1v
石碑に
北淡路島 096-1n
 伊弉諾神宮を中心に「東(伊勢皇大神宮・内宮)北(但馬国一宮・出石神社)西(對馬国一宮・海神神社)南(諭鶴羽神社)冬至の日の出方向(那智大瀧・熊野那智大社)夏至の日の出方向(信濃国一宮・諏訪大社)冬至の日の入り方向(高千穂神社・天岩戸神社)夏至の日の入り方向(出雲国一宮・出雲大社:日御碕神社)
この事が大きなモニュメントで表わされているのであったが、その中に
北淡路島 095-1m
吾輩が住んでいる近くの『北』真北 但馬一宮・出石神社なるものを見つけ興味をそそったのであります。我が近所には、丹後一宮: 籠神社(この)が有りますが・・・・・ここには日本で一番古いとされる家系図が残っているとか・・・まあこことは関係ないか
次に、本殿の手前
北淡路島 099-2q
石の太鼓橋(神橋)を渡り正門へ
北淡路島 101-2w
入って行く前に伊弉諾神宮のイワレヲ
北淡路島 100-2e
       伊弉諾神宮
御祭神  伊弉諾大神   伊弉冉大神
御社挌  延喜の制名神大社  淡路国一宮  元官幣大社
御由緒  古事記に故其の伊耶那義岐大神は淡路の多賀になも坐すなり
      日本書紀に伊弉諾尊(中略)是を以て幽宮(かくりのみや)を淡路の洲につくり静かに長く隠りましきとあり淡路の島は二      柱の大神が一番初めに御開拓になった地であり此の多賀は伊弉諾大神が国土経営の神業を了(お)えられた後お鎮ま      り遊ばされた御終焉の地で大神の御陵がそのまま神社として祀られるようになった我国最古の神社である
   御神徳
延寿の神:伊弉諾大神が夜見ノ国の境にお出向かれた時「我は一日に千五百の産屋を建てむ」と仰せられたことにより古来命を司どられる大神として寿命乞(こい)の信仰が厚い
縁結びの神:ご祭神に柱の大神が国土御経営のため天降られ淡路の島で御建てになった宮殿のお柱を巡り始めて御夫婦の契を結ばれ多くの御子神をお生みになった故事にあやかる縁結びの神としての崇敬が深い
御採典:例大祭4月22日摂社浜の宮に神輿渡御の神幸弐斎行
粥占斎:一月十五日前夕より古式による徹宵の神事奉仕

正門をくぐり正面に拝殿
北淡路島 102-2e
舞殿を兼ね備える銅葺入母屋造であります。その後ろに本殿
北淡路島 112-2r
立派な造りです。明治15年に御陵(古墳)の上に建てられた三間社流造で、幣殿と屋根で連結されるそうです。(神社形式にウトイもので、ウィキペディアから)
そして本殿の後ろに回れば
北淡路島 111-2r
底をさらに進めば
北淡路島 105-2t
夫婦の大楠が祀ってあり
北淡路島 107-2o
根廻り12,4メートル 目通り、幹囲8,0メートル
北淡路島 110-2u
幹は地上2,5メートルで枝分かれしており樹高30メートルと書かれていた。
北淡路島 108-2i
「夫婦の大楠」
伊弉諾神宮の御祭神は伊弉諾大神  伊弉冉大神で夫婦の正道の掟を定められた皇祖(すめみおや)の大神様です。
元は二本の「楠」がいつしか根を合せて一株に成長したもので、御神霊が宿り給う御神木と信仰されており、淡路の古地誌にも「連理の楠」と記されています。
岩楠神社には蛭子大神(ひるこ)を祀り、夫婦円満、良縁縁福、子授け、子育ての霊験あらたかと崇敬されています。
北淡路島 109-2a
吾輩もなにがしかのお賽銭と神妙にお頼みいたしてまいりました。・・・何をの突込みはナシで(^o^)/
一通り周り、思っていたより簡素な神社であったと思いながら神宮を後にした。
目的の「大師の水」はさらに山奥へ入って行き「順心淡路病院」の近くに在るという情報をもとにカーナビ便りに車を進めて行った。
今回は、吾輩のバカナビのなかに3ヶ所の名水地点が書き込まれていたので設定を入れれば済むのであった。
県道88号から県道66合へ右に入り「順心淡路病院」が見えたころに、カーナビから「目的地付近に到着しました」のアナウンスが流れてきた。その付近は里山の情景でサッパリ「大師の水」らしき場所が判らない、とりあえず病院の付近まで行って探して見る事に
病院の所から周囲を見渡したところ、直線で300mぐらいの所に水色の看板らしきものが見えた。湧水探検家の吾輩の「第六感」で(案外当たるのでアルヽ(^。^)ノ)ソコへ行って見る事に
北淡路島 158-2s
行っみると
北淡路島 157-2d
大町の郷  大師の水  とはげかけた字が近寄って確認できた(^_^)v
北淡路島 144-2f
今は冬支度の桜並木を進むと5=6代止めれる駐車場があり、そこから歩いて
北淡路島 145-2g
赤い橋をめがけて行くと、
北淡路島 147-2h
「大師の水」の由来が書いた看板が有りました。
   大町の郷大師川の巌窟より湧き出る
この大師の水は淡路島の風土記「味地草」によると伝教大師鍚杖(しゃくじょう)の湧水といわれ往古より年中水温17度不増不滅の涼奇水として知られている。
 伝えによるとこの奇水を石風呂や茶店に利用され村人の憩いの場として楽しまれていた。また万病や五穀豊穣を願う祈祷水など信仰水とされてきたところである。
 近年自然水が親しまれ、そうしたなかでこの大師の水は自然水としておいしい水の目安とされている硬度が高いと言われており名水としての知名度も高く汲みに来る人々が絶えないのである。
           平成五年三月
               師の水保存会
と立派な内容の文が書かれてあり、期待を膨らましての御対面と相成りました。
赤い橋を渡・・・と言いたいところだが、
北淡路島 150-2k
山沿いに通路が伸びていて取水口へ行けたのである、何のための赤い橋(?_?)
北淡路島 148-2z
着くなり、取水パイプの下には「金気(かなげ)が一面にこびりついている((+_+)) しかし立派な取水設備が作ってある。地元の人たちに大切に保護されてきている様子が伺える。しかし、子の下から湧いて来ている感じではなく、どこからか水が引かれている様子。川上を探ってみると
北淡路島 149-2x
不自然な場所に石垣できずかれた砂防ダムの様なものが、おそらくこの奥に水が湧いていてそれを引いているのだと推測(推測が違っている場合も多々)
何はともあれ一ヶ所目の湧水をゲット(^_^)v
次の訪問地へ急いだ。

独断と偏見の水評価は
先入感か、金気・・・鉄分の余韻が残るような珈琲で、軟水か硬水か判断しづらかった。それより一週間経たないうちに薄いキャラメル色に変色、これではダメだ・・・・と言う事で残りは処分する事になりました。で、評価は飲めないことはないので
(^_^)v (^_^)v (^_^)v
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