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NO245:多賀大社御神杉の近く「杉坂の清水」(仮)

   河内洞窟 616-3f
橋を渡り
   河内洞窟 366-3u
またも当てのない林道を進んで行きます。
   河内洞窟 436-3l
車一台、対向車が来たらどうするべ~と思いながら上って行くと
河内洞窟 450-3l
先日登った霊仙山の山が・・・・この斜面を上って行ったんだな~と感慨ひとしお(*^^)v
さらに上って行くとスギ林に入って行った。
   河内洞窟 459-3l
道も整備されていなく不安が募って来たが・・・・・・
   河内洞窟 462-3z
スギ林を過ぎると視界が広がり人家が数件、もう少し走ると
  河内洞窟 471-3x
出昭山・照西寺 というお寺の鐘楼がどっかりと、しかし、どうも様子が変だ、人の気配がしないのである。でもこちらには桜の苗木が植林してある
   河内洞窟 478-3c
集落のはずれに「地域パトロール(うろ覚えのため違うかも)」と書かれた数台の軽トラが、尋ねてみると、ここは多賀町大字保月(ほうづき)という村らしく現在は廃村になっているとの事、保月を抜けて又もスギ林に入るところに
   河内洞窟 487-3b
「鍋尻山登山道」と書かれた標識が、後程調べてみれば高くはないが「琵琶湖一望、後景の雄大な山々が見渡せる」名山と言われているそうです。
お天道様も大分傾いて来ているので先を急ぐことに、それにしても「クマ出没注意」の看板をいたるところで見たが、どうも加賀町内で襲われた人があったそうだ。まぁ車に乗っておれば大丈夫だと気にもしなかったが(^_^;)
で、そろそろ多賀大社の御神杉に出会えるかもと思いながら走っていると
   河内洞窟 501-3n
大木とその下に在る祠の雰囲気から、これが例の「多賀大社の御神木」か(@_@;)
正面に回ると
   河内洞窟 491-4q
立派なスギの木である。それも三本も!そしてそれに囲まれるように祠が鎮座している。神を信じない者でもこの雰囲気に出逢うと霊気を感じ圧倒される事違いナシ(@_@;)
吾輩はどうも裏口から登って来たようで、文脈的に前後するが、ここから降りて行く事?kmには
   河内洞窟 542-4e
何時たてられたのか知らないが、「多賀神木」石碑、昔はここからが神木の参道になっていたの様で
   河内洞窟 548-4t
スギ林の中に一路の道らしきものが続いていた。その横には
   河内洞窟 545-4r
杉坂の御神木
昔、伊弉諾(いざなぎ)の神様がこの地に降り立ち、この峠を下って芹川の上流、栗栖の里に鎮まられました。
道中、村人に柏の葉に盛られた栗飯をだされ、たいそう喜んで召し上がられたそうです。
その時に地面にさされたお箸がやがて芽を吹き、現在の御神木になったといわれています。

と、思っていたが、この杉は「地蔵杉」と言うものらしく「多賀神木」はこちらが正しいのです(巨樹・巨木巡礼ブログから)
しっつれいしましたm(__)m   
という訳で、その時は「多賀大社の御神木」を見つけたとルンルン気分で後にしたのであった。『多賀大社の御神木は石碑の横にある説明書きの奥の方に在るらしい』
  河内洞窟 509-4t
杉木立の中をのびる道を走って、谷の山肌を縫う道に出て走っていると
  河内洞窟 515-4y
山肌にプチ滝が見えた。そこで、車を止めて観てみると、道路から滝の縁に板が渡してありその上に片手鍋が置いてあり滝の水を汲めるようにと・・・おそらくそうであると解釈した。しかし、その鍋は最近使用したことがないのかミズゴケの様なものがこびりついていた。しかし吾輩は『水評論家?』そんなことはお構いナシ。滝の上部の山肌を眺めてみた。
   河内洞窟 519-4u
これだけの水量が出て来るとなると、結構な谷合になっていなくてはならない、見るからに谷の様なV字形の山肌にはなっておらず、山の斜面がそそり立っている様子、右端に岩の溝みたいのが見えるが、斜面の何処からか水が湧き出して流れて来ているに違いないと、湧き水だと確信(^_^)v汲んで帰る事にした。
   河内洞窟 523-4i
腐ったような板を伝いながら持参した片手鍋にて水を汲んでいると、後ろから先ほどのパトロールと書いた軽トラが迫って来た。車一台道を占領していたもので、あわてて汲み終えて車を移動、くれども追い越してもらう道幅は無く、結局廃村跡の雰囲気漂う所で
    河内洞窟 533-4i
先に行ってもらった。が、距離にしてだいぶ降りて来たのでそのまま下山する事にして車を進めた。その後、多賀神木と書いた石碑の前を通り下って行った。
   河内洞窟 553-4o
急斜面の山肌を縫うように作られた道を日田すら下り部分的には
    河内洞窟 557-4p
斜面の上は今にも落ちそうな岩がはべり付き、谷側は路肩が今にも崩れそうな場所を何ヶ所か
   河内洞窟 560-4a
九十九折れの部屋ピンカーブも何ヶ所か、気分にして30分ほど走って下って来た頃、ようやく
    河内洞窟 563-4s
麓の集落にたどり着いた。ここは人様が住んでいる雰囲気(*^_^*)         
そう、ここは多賀大社の奥宮「調宮神社」が鎮座する栗栖
   河内洞窟 567-4s
調宮神社の由緒
   河内洞窟 572-4d
祭神: 伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)
祭日:春祭三月三日  秋祭九月十五日
由緒:神代の昔 伊邪那岐大神は杉坂山にご降臨なされ 次いでこの栗栖の里にて暫くお休みになられたことが當社の創輝とされる のち多賀の宮にお鎮まりになった大神は毎年四月の多賀大社古例大祭に先ず當神社へ渡御されて神輿鳳輦に境内の富の木を飾り打籠を圣て大社に還幸される これはご鎮座の昔を再現する神事といわれる なお11月15日の大宮祭にも大社より神幸がある
   多賀大社宮司  櫻井勝之進謹誌  
本殿です
   河内洞窟 575-4d
時も遅くなったので、早々と引き揚げ橋を渡り多賀大社へと急いだ。帰りがけの夕日が余りにもきれいだったので
   河内洞窟 590-4g
なお伊邪那岐命(イザナギ) 古事記では日本を作った神と言われている。詳しくはウイキペディアを読んで下さい。  が、多賀大社の由緒には疑問が投げかけられており、古事記では「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」 がある淡路島に降臨されたと言われる説が正しいようです。(吾輩は神話にウトイもので(?_?))
綺麗な夕日を見ながら多賀大社へ、到着したころには辺りが薄暗くなっていました。
   河内洞窟 593-4h
通りを曲がれば大きな鳥居が目に入った。鳥居をくぐって多賀大社の駐車場(境内)へ・・・それからココの通りまで戻り、正式に正面から参拝
   河内洞窟 601-4j
ここが正式な鳥居カナ(・・? くぐると大きな太鼓橋、なんでも豊臣秀吉が寄進したという「太閤橋」
  河内洞窟 602-4k
結構高い橋で、偶然カップルが渡っていた所をパチリ
   河内洞窟 607-4m
彼女は降りるのが怖くて「おしり」ですべって下りていて、彼氏がやさしく手を差し伸べていました。
でも、鳥居をくぐると正面に架かる橋、見ると圧倒されて「おそれおおくも」渡れなく、大方の人達はその両サイドに在る橋を渡って入って行かれるようで、吾輩も人並みにそちらの橋を渡って行きました。境内に入って行く御神門の手前に
    河内洞窟 605-4k
多賀大社の概略
ご祭神: 伊邪那岐大神(イザナギ)・伊邪那美大神(イザナミ)
 男女二柱の大神は、はじめて夫婦の道をおこされ、わが国土と万物の神々と、その主宰神として天照大神をお生みになられましたので昔から、わが日本国の祖神(おやがみ)さまと仰がれ、奈良時代の初めにできた「古事記」には、すでに淡海の加賀にご鎮座という記事が見えています。
 そこで、早くより朝野の尊崇あつく、延命長寿、縁結び、厄除けの霊神と仰がれ、元生天皇や俊乗坊重源、太閤秀吉の母大政所の延命祈願、武田晴信(森厳)の厄除け祈願など数々のご社伝が伝えられています。
 四月二十二日の多賀まつり(古例大祭)騎馬40頭に及ぶご神幸は天下に名高く、他にも節分祭、お田植祭り、万灯祭、九月古例祭、七五三なども大変なにぎわいを見せます。
 室町時代以来の由緒を持つ全国各地の多賀講はあまりにも有名ですが、更に近年は崇敬会に加入して神縁を結ばれる人々も増加しています。
 ご本社の左奥に在る参集殿では、これらの人々のお食事や、あるいは結婚式の披露宴なども行われています。
 また、春の枝垂れ桜、秋の紅葉、国の名勝である奥書院庭園も見事で、年間を通じ厄百七十万人もの参拝者を数えております。
御神門を入ると境内には、秋にふさわしい
   河内洞窟 611-4z
菊花展、その前には「杓子」がぶら下げてある
   河内洞窟 609-4l
いわれは、元正天皇の病に際し、神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上、天皇はたちまち治癒されたと伝え、そのしでの木が現存する飯盛木で、杓子は「お多賀杓子」として有名
杓子を、絵馬代わりに使われているようです。合格祈願等
そして立派な拝殿、写真ではお伝えする事ができませんので、参拝して確かめて下さいネ(^o^)/
   河内洞窟 612-4x
境内にはおかしなものも
  河内洞窟 613-4c
梵鐘が・・・ここは神社、しかしその昔『室町時代中期の明応3年(1494年)には、神仏習合が進み、当社には神宮寺として不動院(天台宗)が建立された。』この名残が残っているのでは?また築造に関して、室町幕府・佐々木六角氏や浅井氏らの奉賛によるものらしい。
時間も遅く、境内隈無く見て回る事ができず残念でしたが、境内を出ると到着した時と雰囲気ががらりと変わっていた。
   河内洞窟 615-4b
ブログを書きながら、神話のふる里、日本を作ったとされる伊弉諾の大神が祀られている、もう一方の神社淡路島に在るとされる『伊弉諾神宮』へ行ってみたくなったところで終わりにします。
「杉坂の清水」(仮)の独断と偏見の水評価は
今回廻った三ヶ所の中で一番美味しくコーヒーが飲めました。まろやかさと言い、コクと言いちょうどいいコーヒーが飲めました。しかしチョイト残念な事に2週間前後で水の質がおって来たようでした。もしや湧き出してから滝までの道程が長かったのではと考えています。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆
詳しい場所は
 
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NO244:河合不動明王の湧水

  河内洞窟 234-2z
河内風穴から戻ってきたが次なる湧水の出る所がこの場所の奥の方に在るという。情報元では、川の中の大岩の根元から湧き出ているというが、その場所は道からすると対岸になるらしい。また、一見(いちげん)さんでは判り辛いとの事であったので、河内風穴の入口に在る食堂「風緑(かざみどり)」で聞いてみる事にして入って行った。
   河内洞窟 011-2x
店内に入ってみると外観の小屋風からは想像できないこじゃれた店内。
   河内洞窟 141-1c
店内から見る癒しの空間
   河内洞窟 149-1b
水のきれいな川だけでも・・・・そして吾輩は、入口に近いカウンターに陣取り、「お姉さ~ン、このお店の一推しの食べ物をお願い~」と、出て来た物は
   河内洞窟 137-1n
みたらし団子ならず、みたらし蕎麦団子であった。
『 そばの香りのする手作りのあつあつだんごに、かつおのだしが良くきいた風緑オリジナルのだししょう油をたっぷりかけたそばだんごです。
 トロトロに煮詰めただししょう油は蕎麦屋ならではの絶品に仕上がっております。
 ぜひこの機会に絶景のロケーションと共に店内でお召し上がりください。』
食べながら、「河合不動明王の湧水の場所を尋ねてみると、ここから少し上がれば川沿いに右に入る道があり、その谷に入って行くと有りますが、よ~く見なければ素通りしてしまう所で、その谷から林道を登れば、多賀神社奥宮に出て来る」との事 、早速行って見る事に
   河内洞窟 162-2q
林道の様な県道を走り、5分も走らない内に分かれ道に到着
   河内洞窟 170-2w
小さな集落を通り
   河内洞窟 175-2e
そして谷合に入って行きました。
   河内洞窟 186-2r
まず一つ目の目標を、ブログの情報元が書かれていた砂防ダムにして走っているとそれらしき砂防ダムが見えてきた。
  河内洞窟 193-2y
ココの砂防ダムの岩からも水が出ているらしいが、対岸で水深もあり汲むには大変との事だった
   河内洞窟 213-2t
水はキレイに透き通っている深そうである
   河内洞窟 215-2y
岩からは噴き出した水が岩に伝って流れているが対岸には行き難そうだ。さらに上流目指して走っていると第二の砂防ダムが、そこの水は
    河内洞窟 224-2u
先程の砂防ダムの下流の水たまりより深いのかコバルトブルーの水の色である。吾輩はこのような水を見ていると、汚い心が一瞬にして美しい心になるのが判るほど癒されて好きである。
しかし、かわらを見ながら走って行くのだが
   河内洞窟 322-2i
渓流もなくなり、大小さまざまな石灰岩の涸沢になって行った。おそらく水の流れは石ころの底を流れているのだろうが、時たま水たまりになって出てきたりする。
   河内洞窟 330-2o
その内こんな所が出て来た
   河内洞窟 334-2a
よく狭い谷合の事を、「物干し竿が渡せるぐらい」と例えるのだが、まさにこの地形はソノたとえがぴったり当てはまる谷である。
  河内洞窟 337-2s
ここを通り過ぎて走っていると河原の中に
   河内洞窟 235-2d
鳥居が立っていた。そこには『河内 元行者窟』と標識が立っていた。

その20m程奥に軽トラが止まっていたので、オジサンに「不動明王の湧水』を尋ねてみると、「それはもっと下流だ」との事、はて?そんなとこは在ったかな(?_?)と言ってみると、教えてやるから付いてこい・・・と、ラッキー
河内洞窟 249-2v
そこは車二台分が置けるぐらいの譲り合いゾーンで、なぜか山ぎわには
  河内洞窟 259-3e
お地蔵さんが祀ってあった。
それも最近花を祀られた様子の生き生きした切り花であった。近くに人家は無く誰かがお供えに来ているのだろう。何のいわれの有る地蔵さんか知らないが手を合して、水を汲みに(案外不動明王の石仏かも知れない?ゆっくり観察はしていなかった)
   河内洞窟 256-2b
上流の道がカーブしている所らしく、ペットボトル2個と水汲み2点セットを持って出発。案内してくれた親父さんは、日が暮れるまでバードウオッチングするので・・・と言う事でどこかへ走り去って行かれた(^_^)/~ 
   河内洞窟 287-2c
なるほど大きな岩がある。その根元?を見れば
   河内洞窟 281-2n
岩の隙間から、湧き水としては結構な水量である。さらに上流の方は
   河内洞窟 288-2m
まさに噴き出していると言う言葉がお似合いの水量である。オヤジさんが言っていたが、何処からともなく水を汲みに人々が来ているという。そのためか
  河内洞窟 288-2m
川原に降り易くしてある(吾輩がそのように思っただけかも)そこを降りて、岩伝いに川面を飛び越え
   河内洞窟 304-3w
汲み易い場所を探して
   河内洞窟 300-3q
無事予定の湧水二ヶ所目をゲット(^_^)v
さてさて、次なるは多賀大社の奥宮に『多賀大社の御神木』が在るという。風緑で聞いた通り行けば、この林道を進んで行けば行けるハズ。それではと、さらに林道を奥に向かって車を走らせた。
  河内洞窟 349-3t
川もなくなり、さらに奥へと
   河内洞窟 358-3y
だんだんと高度を益して行きます。だいぶ奥へ入って来たところで
   河内洞窟 359-3i
立派な石堂が出て来た。なんで~、周りを見渡すと
   河内洞窟 426-3a
スギ林の間から、墓地が見えた。どうも廃村跡地の様だ。と先ほどの墓地の前には
   河内洞窟 366-3u
林道が分れていたがそのまま直進する事にした。10分ほど走ると分かれ道が 
   河内洞窟 416-3o
直進と、左に大きく曲がり上へと続いています
   河内洞窟 418-3p
まずは、左の林道を攻めていく事に
林道を上って行くと
   河内洞窟 396-3o
材木の切り出しをしていた。めったに見ない光景だが、昔はキンマと言うものでしていたと聞いたが、最近は簡易モノレール式の設備でやっている様だ。この設備、ミカン畑だとか、紀伊半島の方の鍾乳洞に行くのに使っていたりと多様な使われ方をしている。当地方でも、大江山連邦の赤石岳でもパラグライダーの人を運ぶのに使っていたが最近は使用していないようだけど・・・(?_?)
更に奥地へ攻めていくと
  河内洞窟 375-3f
林道時山多賀線開通記念 の石碑がぽつんと・・・その先は
   河内洞窟 388-3s
通行止めのクサリ。これまで・・・と、引き下がろうと
   河内洞窟 385-3d
クマ注意の立て立て看板の奥に、イワレの有るような看板が
   河内洞窟 379-3d
五僧峠  保月へ3km 時山3,5km
 五僧は、むかし美嚢の時山から5人の僧が移ってきてここに住みついたのでこの名前が生まれたという。この峠は古くから美嚢と近江を結ぶ交通の要地であった。
 時村を経て牧田に通じるので江戸時代には牧田越えとも言われていた。
慶長五年(1600)関ヶ原の合戦に敗れた島津義弘の一行は小林新太郎の案内でひそかにここを通り高宮の河原で一泊翌朝早く甲賀をを経て堺浦に出て舟で薩摩に帰った。したがって、この峠を島津越えともいう。
 慶長七年(1602)本願寺初代の教如上人がここを通られ五僧に寺がないのを嘆かれ49院の唯念寺の掛所とされ唯念寺道属の門徒とされた。
 元禄12年(1700)五僧に大火あり、全戸焼失した。
 明治二年(1869)桑名騒動の際には彦根藩兵は大砲を分解して八重練からかつぎ上げ、この地で桑名軍の来襲に備えたが、桑名藩が官軍に降伏したので事なくすんだ。
 明治6年(1873)この地に岐阜県と滋賀県の県境がけっていされた。
 昭和30年(1955)町村合併により脇ヶ畑村後僧は多賀町東限の地となった。
  昭和58年9月   多賀町教育委員会
との事、昔は人の往来が多いかった様子が偲ばれます。京都の端から滋賀の端まで・・・何の因果か・・・
これ以上言っても目的地に行かないと判断し引き返し、先程の分かれ道を直進する事にした。
  河内洞窟 400-3a
山を上ってカーブに差し掛かると対向からバイク2台が走ってきた、危うくぶつかりかけたが、相手の兄ちゃんうまく車を交わして土煙をたてて去って行った。さらに上って行くと
   河内洞窟 402-3d
見晴らしの良い処に出たので一枚パチリ。それから間もなく
   河内洞窟 409-3s
峠の頂きらしき所に着いたが、どうもここも岐阜県へ降りて行く気がして引き返す事にした。結局お墓のあった所まで戻り、最後の掛けとばかり橋を渡って行った。
追伸:行者窟の詳しい内容は『林道・ダむ・鉱山の勝手な記録』のブログに乗っています。

河合不動明王の湧水を水評価は
軟水よりの硬水と言った感じで、出て来た所を見た時の様な期待ほどの事はなった。しかし、三ヶ所の中で一番透明度の良い水であった。それと喉越しも良かった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v   
詳しい場所は 
  
 
   

NO243:河内風穴の湧水群(仮)

   017全国西禪寺第二 (11)-1
霊仙山へ登った数週間後、臨済宗妙心寺派無相教会花園流御詠歌「大67回全国奉詠本山大会に以前紹介した「菩提寺:西禅寺の男性御詠歌集団西禅寺第二支部」で、会場 妙心寺法堂(はっとう・重要文化財)で登壇した時の写真です。
この大会に出席した次の日から喉の銚子がおかしくなり、さらに鼻水、咳と風が重症化し、あげくのはてには寝込まなければならなくなった。それが相方さんにも移り咳が激しく、どうも霊仙山の疲れが原因ではないかとなった。
それから二週間、ようやく体調も戻り、霊仙山へ行った時に通った河内風穴が忘れられず、YouTubeを見てみると鍾乳洞の中に湖面が在るらしいと判り、その水を汲みに行く事にした。
   河内洞窟 014-1q
所でNO142の最後で大事な事を書くのを忘れていたので追伸、帰りに名水汲み場で漏斗を置いてきたその結果は、後から降りて来た3人組が無事見つけてくれて、水を汲んで吾輩に届けてくれたのである。そのためブログを書く事ができたのでございます。感謝!感謝(*^。^*)
で、渋滞に巻き込まれながら前回来た霊仙山へ行く道にそれて走っていると
   河内洞窟 583-1s
立派な橋が見えた。そのたもとには
   河内洞窟 584-1
神の故郷 多賀大社奥宮  調宮神社と書いてある。そして石柱には『多賀大社御旅所』と
今回ここに来るにあたって、多賀町の名前の由来となった多賀大社に寄って地域の紹介をしたいと考えていた。それ以外にも紅葉の神社仏閣が在ると言うので廻れたら足を延ばすことに、それに湧水も数ヶ所出ているところが在ると言うのでそちらの方も行ってみたいと思っていた。
そんな折の多賀大社の奥宮と書かれてある神社を見れば、帰りには寄らずにおられない思いで先に進んで行った。
やがて河内風穴の集落へ
   河内洞窟 010-1w
おやおや吾輩の車がもう止まっているではないか?
  河内洞窟 012-1e
この橋を渡って行きます。右には氏神様であろう八幡神社
   河内洞窟 015-1r
その左手の方へ進んで行くと受付が有ります
  河内洞窟 016-1t
入山料を払い入るわけですが、水を汲んでも良いですかと尋ねると、汲めるかな~の返答、風穴から水は出ているので汲めるのではと、オジサンは、「汲めなかったら事務所内にある水道もその水をろ過した水なので汲んでも良いよ」としんせつな返事、まあ源水が良いので汲んできます」と風穴の方へ、その前に
  河内洞窟 019-1u
風穴の地宮前の御神木の石碑
   河内洞窟 020-1i
     記
芹川の左岸(通称大上)に宮前の守神の木として受け継がれてきたケヤキ、樹齢約800年幹周り約九米樹高約20米の県下稀に見る巨木があったが、よるる年波には勝てず樹齢の限界を見、又県道多賀ー醒ヶ井線道路改築工事に伴い、道路法線上支障となるため伐採された。
このご神木がなくなるにあたり、800年間風雪に耐えてジッと宮前を見守って頂いたご苦労に感謝しつつ、今後も此の碑を宮前の守神として場所をこの地に移し後世に伝える
平成11年11月建之 宮前
奥の祠にはたしか地蔵さんが祀ってあったような~よ~く覚えていないが・・・
で、風穴へ向けて
   河内洞窟 022-1o
道の横に流れる水が風穴から湧き出ている水とか・・・・・すごい量・・期待が膨らみながら
   河内洞窟 024-1p
橋から見た下流側で、上流も
   河内洞窟 023-1p
この谷をエチガ谷と言うらしいが、「エチガ谷湧水群」と呼ばれている水である。橋を渡り進んで行きます
   河内洞窟 025-1a
ここから上り坂
   下を流れる渓流は実に綺麗だ(*^_^*)
    河内洞窟 026-1s
そしてさらに急に
   河内洞窟 029-1d
上がって行くと、さらに足場の悪い階段へ
   河内洞窟 032-1f
そして河内風穴の入口が
   河内洞窟 035-1g
期待を弾ませ風穴内へ
   河内洞窟 036-1h
入口は小さく入りにくいが
   河内洞窟 037-1j
入口から縦に降りて行くようにらせん状の石段が作ってあり、すべらないように恐るおそる降りて行くと
   河内洞窟 038-1k
洞窟内は大小さまざまな岩が転げており、その合間を縫うようにコンクリ~トで通路が伸びている
   河内洞窟 039-1l
さらに下って行くと
   河内洞窟 042-1x
平坦な通路になったかと思うと、足元からゴウゴウと言う水が流れているような響きが聞こえてくる。此の音だと相当な水量だなと洞窟内の水の流れを期待しながらさらに奥へ
   河内洞窟 045-1c
・・・・梯子が見えてきた
    河内洞窟 046-1v
少し長い梯子を上って行くと
   河内洞窟 051-1m
広い空間の洞窟は行き止まり、その横には鉄柵がしてあり、これより奥は立ち入らないでぇ~との事、チョイト、水の溜まった池ハァ~なにこの洞窟・・・・今までの中で、有料で入った洞窟で見栄えのしない穴蔵は最悪である・・・と思いながら近くにたむろしていた人達に
   河内洞窟 053-2q
何をしているのですか・・・と、彼ら曰く「今日は、年に一度の、洞窟の奥まで探索できる日でしたので、鉄柵の中から帰ってきたとこです」との事、通りでスタイルもケイビング的な服装をされている。湧水が洞窟内にたまっていると聞いてきたのだが・・・と聞いてみると、「それは入口近くの渓流の岸の事ですよ」と、しかし、来るときには分からなかったが・・・と、そうすると親切に、「洞窟から出て行くので案内しましょう」と、お言葉に甘えて付いていく事に
   河内洞窟 055-2w
洞窟内探索は申込み制との事、次は来年との事・・・洞窟探検したい方は早めの申し込みを(^o^)/
   河内洞窟 061-2r
川の近くに着いたら、この辺の岸一帯から水が湧いて出て来ているよと説明して下さり、ここでお別れして、吾輩は
   河内洞窟 062-2e
渓流に降りて行きやすい場所を探し
   河内洞窟 062-2e
足元を気を付けながら
   河内洞窟 078-2t
降りて行くと
   河内洞窟 107-2o
湧水が勢いよく出ています。
   河内洞窟 095-2u
この谷川右側のいたるところから出てきた水がまとまって流れているという事でした。
   河内洞窟 119-2d
吾輩の汲んだ場所は
   河内洞窟 105-2i
足場の良い汲み易い場所を選んで、三種の神器(片手鍋・漏斗・ペットボトル)で汲みました。しかし、きれいな水は心を癒しますねェ~
   河内洞窟 133-2s
で、帰りに受付によってオジサンに無事汲めたことを報告して河内風穴を後にした。
河内風穴
 上記ユーチューブの様な神秘な湖が洞窟内に存在するので、早く整備をして開放する事が地域の発展に寄与すると思うのだが、多賀町さんいかがですか~

で、独断と偏見の水評価はいかに
鍾乳洞の中を流れて来ているので、硬水が強いのではと思って帰って来たのですが、飲んでみるとそう強くなかったが、これ以上強いと嫌みの出て来るきわどいあじでした。コク、クリーミでしたが飲んだ後口の中にザラツキが残ったように感じたのは気のせいだったのか?
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v   
詳しい場所

 

NO242:霊仙山の「廃村・今畑の名水」

   霊仙山20171015 030-1q
春行けなかった「霊仙山」へ、今回は秋晴れの登山日和で楽しく?行ってきました。 
滋賀県の多賀町と米原市に接する山で標高1094m、花の百名山に選ばれている。山体が石灰岩でカルスト地形もみられるというもの、明治以前には霊山と呼ばれ、祖先の霊が籠る山として呼ばれていた・・・・・という説もある・・・らしい。
現地まで3時間の予定で、朝5時集合となった。今回は、春に行く予定のなかった相方さんも行く事になり、計4名
ところが吾輩は夏の疲れが出て体調不良(^_^;)、車は吾輩が出すことになっていたので、どうしても行かなければならない、そこで、現地での体調を見て行動を考える事で出発
登山コースは複数在るものの、一部通行止めとの事と、名水の場所が在るところから、今畑コースとなりました。
無事多賀町の今畑現地にAM8時30分ごろ到着。
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みんな準備中、吾輩は、体調が無理となった時は潔く引き返す事で吾輩もいっしょに登る事にして出発と相成りました。
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登山口には
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今畑登山口:(右)多賀・彦根方面 (左)落合・霊仙方面 と書いてありますが
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掲示板には、霊仙山登山ルートのご案内、と書いて
今畑ルート→通行可能
落合ルート→通行不可(不可の字が切り抜かれています)
今回霊仙山に登るにあたってルートを検索した時に、できれば今畑ルート→霊仙山→落合ルートで一周してくることも考えましたが、落合ルート一部通行止めで不可能と書いてあったので、霊仙山~今畑を往復することにしていました。
ところが、掲示板を見ると行けそうな感じ・・・途中で登山者に尋ねるという事でルートについては再考しようという事になった。
登山口には他にも
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クマ出没注意(山に入る方は、鈴やラジオなど音の出るものをお持ちください
山岳遭難多発
  登山届は出しましたか
  装備は充分ですか
  通信手段を持っていますか
と、今から登る者たちに注意を喚起してくれる・・・・と言うよりも不安を増幅させられた気持ちだ~とワイワイ言いながら登り始めは言葉も多く楽しく上って行った。
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登山口を入ってスグこんな急坂、小さな標識も
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さらにこんな道をのぼる
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登る事何百メートル、
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突如、今畑の廃村
こちらはお寺の廃寺
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比較的しっかりしている建物、そうそう個々の廃村に名水が在るという・・・・さてさてどこだろ~ ・・・・・と探さずとも道端にそれは有りました。
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立派な小屋が作ってあり、、今畑集落の共同水汲み場であったようなバケツや杓子も完備?されていました。
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漏斗までは完備されてなく、持参したものを使用、リュックに本来なら三本のペットボトルを詰め込む予定だったが、担いで1,5リットルを三本も持って上がるのは「しんどい」と思い二本にしておいたボトルに無事入れて出発をしたのであった。
頂上を往復するのであれば帰りに汲めばよかったのだが、その時点ではコースを一周するかどうかは決めておらずの状況であったが為でありました。
今畑を後に
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本格的な気持ちで登りを再開したのでありました。登山道らしき道を上って行きます。
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写真には撮っていないが、倒木が道を塞ぐ所も数ヶ所あつたり
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湿けた枯れ葉の上は山ヒールに気を付けなはれと言われながら上っていたのだが、廃村から30分ほど登っていたあたりで吾輩の体が悲鳴を上げだした。だ~れか水を持ってくれないかな~~~
ソウソウ今回の参加者、最年長・M氏:吾輩:相方:最年少(最近山登りにはまっている)・I氏 の計四名、M氏とI氏が分けて持ってくれることになり、もう少し頑張れるかなと登りを再開した。
林の隙間から
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デッカイ山頂の様な山体!うぉ~あの山を登っていカナアカンのか、あれが山頂か、いやいや地図で見ると頂上に上ってから尾根をだいぶ歩いて行かな霊仙山頂上は着かないよ・・・・・・とワイワイと話しながら登って行くと
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おーだいぶ上まで登って来たぞ~   と  三休みぐらいかな休憩をした場所の林の間から覗き見えるのは
   霊仙山20171015 016-1z
木々のないゴツゴツした白い岩が点在する山肌、それも急斜面!吾輩はそれを見た途端意欲がそがれ、体調もあって「吾輩は無理をせず、ここで引き返す」と仲間に告げると、最年少のI氏がもう少しの様なので、そう言わんと登りましょうな!と激励。
とりあえず十分休憩をして登ってみるか・・・と、最年長のM氏「おいらが付き添って登ってやる」と、親切に行って下さり、先にI氏と相方さんが休憩を終え出発、十分休憩を取ってM氏と吾輩も出発。足元には紫の林道の様な花がいたるところに
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M氏の説明だと「トリカブト」の花だそうで、これだけあれば何人殺せるだろうか・・・(^_^;)・・・と冗談な会話をしながら
   霊仙山20171015 039-1m
さてここからが・・・・・・しかし、登山道はない(・・?   それらしき足跡を探しながらジグザグに上り始めた。やがて
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白っぽい岩がごつごつと山肌に出て来ており、中には足を掛けると岩のかけらが下にずれたりもする。慎重に上って行くと、I氏が相方さんがどこに行ったかいなくなったと、我らが上がって行くのを待っていた。
どうも斜面の反対の、低い木立が生い茂る方へ行った模様(+o+)、そちらン歩方へ向かって『お~い、かぁちゃ~ん』とは、周りに登山者が上っているので云わなかったが、「お~い、どこにいるのだ~」と10分ほど叫んでいると、やはり反対の斜面の上の方から「ここにいるよ~」と返事が聞こえてきた。これで一安心
出て来た時の写真、本人はI氏について行ってると藪の中に入っていたと、「頂上に登れば出会える」と、いやはや山の恐ろしさを知っていない。道に迷ったと思えば、必ず元来た所に引き返す。特に下山途中に迷子になった時は、そのまま下りず、必ず通ったところだと確信持てる所まで引き返して上って行く事!、通ったところが確認できたらそこでゆっくりと思案して道を探す(ただし、この場合は同じ登山道を往復する時)
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その時の記念撮影、裏には尾根に沿って登る登山者。こんな山登り初めてだ(*_*;と言いながら、ヒイハラ、ヒイハラと尾根の最上部にたどり着いた。えらくてその時の写真はないが、そこから尾根伝いに歩く事ウン十分、「近江展望」という所に到着した。
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振り返れば、登って来た尾根
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見渡す限り、ごろごろした石灰岩の大岩、小岩、無数の砕石・・・・・・こんな山初めてだ~・・・と誰もが叫んでいた。・・・と、「もうエライテ水は担いでおられん」・・・とI氏・・・するとM氏もペットボトルの『名水』をほかし始めた・・・・あちゃ((+_+))
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帰りに汲んだるのでガマン|ガマン! と言う事で  一件落着
  霊仙山20171015 037-2i
尾根伝いに歩いて最高地点(霊仙山の頂上は少し低い)まで行って昼飯にすることで出発。
今度も、I氏と相方さんはスタコラサッサと我々をおいて速いの速いの、30分もしない間に二つ目の頂きに向かって歩いているのが見えるが、こちらはなぜかM氏が遅れ吾輩の方が先になっていた。ところが、このあたりから太ももが釣り出し、小休憩しがてらM氏を待っていると、カメラを拾ってきたとデジカメを持って到着、なんでも石の間に置いて有ったとか、遅れたのは、分厚い靴下をはいてくるのを忘れて、足指が痛くて早く歩けないとの事、カメラを拾った辺りを見ていると、その辺をうろうろしているカップルらしき若者が少しずつ近づいてきたので、カメラを落としてないかと聞いてみると「そんなものは落としていない」との返事、道すがら登山者に聞いてみるしかないな~と話しながら歩いていると、吾輩の足が太ももだけだった足の釣りが、フクラハギもこむら返り仕出し、吾輩は「此処で引き返す」と決断、そうするとM氏も「指先が痛くて歩きにくいからワシも帰ろうかな」と言い出し、それならここで昼飯を食べて引き返そうと、用意をし出した・・・・・と吾輩の昼飯は、相方さんが、M氏の昼飯は、車に忘れてきたと(+o+)
そこでどうするかと相談、この時瑠璃寺でのことを思い出し、相方さんに携帯をしてみる事に、すると繋がるのだが会話が途切れ途切れで電話が切れたりする。
M氏いわく「靴下を貸してくれたら2人に連絡に行けるので、ここで待っていてくれ」と
仕方なく吾輩は二枚靴下をはいていたので、貸すことに、しかし吾輩「昼飯が来るのを待っていても、帰りに迷惑かけるから少しでも下に降りて行っている」と、泣く泣く二人は別れ、吾輩は足が攣れない様にゆっくり歩いて帰って行った。M氏は指先の痛みがなくなったそうで、振り返ってみるとだいぶ離れていた。
吾輩はというと、ゆっくり歩いていたので、何時追い付いてくるのかと期待しながら歩いていたが、結局林を抜けだす所で休憩した場所まで一人で帰って来たのであった。それにしても帰って来るのが遅いな~と思い、再度形態を見ると、メールが入って来ていて「M氏到着、お父さんの昼飯を食べて一緒に降りる」と入っていた。こちとら楽しみにゆっくり帰って来たのだが、期待が外れプンプン(^_^メ)   で、汗がタイヘンでたので、二回目の下着を着替えは車まで帰る事で林の中を歩き出した。
結局、廃村の水汲み場に着いてしまったが、ペットボトルは他の2人が持っているのだった。漏斗は吾輩が持っていたので、気づいてくれるようにと、分かり易いところに置いて帰る事にした。
その後一部道を間違えながら無事今畑登山口までたどり着けてヤレヤレ。
その後30分ほどして、のこり3人はばらばらに降りて来た。
   霊仙山20171015 050-22a
さあ帰って行こうかな~と車で帰宅しだすと、拾ったカメラどうする~・・・・・と
帰り道に警察にでも届けて帰ったら~・・・・・と意見が一致。
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(最高地点でのパノラマそのⅠ)I氏提供
多賀町内で拾ったので、多賀町の交番へ届けようとなり、帰り道交番探すも見当たらず彦根市に入ってしまった。
あまりこの近辺に詳しくないので、とりあえず駅の方へ行ってみようと・・・・・が見当たらず、しまいにはもらっておいたら・・・・・と誰かが言い出すと・・・・・相方さんが「いいのかな~、いいのかな~」と言い出し、その一言で、彦根城の方まで足を延ばしまわっていると、レーダー探知機が「この付近に交番があります」と言いだした。しかし、最近は景観保存で街並みが統一されて降板が判りずらい・・・・と、前方右側にそれらしき建物発見!(^^)!・・・・が、行くと警察官は誰も居らず「イインかいな(+o+)」インターホーンで呼び出すこと10分、待っているとパトカーが帰ってきた。ヤレヤレ
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(その2)
その後30分ほど事情徴収をM氏が受けて、最後所有者が現れない時はどうするかとの質問に「放棄する」と答えて、無事釈放・・・もとい、無事放免となり、時間も遅くなったので温泉にでも入って帰ろうとなり、近くの姉川温泉へ行く事になったのでありました。・・・・・おしまい
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(その3)
追伸:山に登る前の体調不良が、汗をかきすぎたのか翌日以降すっかり良くなり汗の賜物だと喜んでいます。
独断と偏見の水評価は
やはり石灰質の山だけに美味しく飲めた。もっと硬水が強いかと思っていたが、適度の堅さで嫌みのない飲みやすい水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆でした   
詳しい場所は



         
 
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