NO227:お姥様の水

「華厳寺」を後にした我々は、丁度、観光バスの後について出発。
おそらく観光バスも「淡墨桜」へ向かうであろうと勝手に思い込み、出発間もなくカーナビが道をそれるように指示を出したが無視して付いて行った。
道の分岐点でも方向が同じであった為安心して付いて行っていると、再度カーナビが道を外れの支持を出したが無視をしていこうとすると、我がかーなび(かーちゃんナビ)が曲がった方が良いのと違うかと連発コール・・・この圧力に「根性の弱い」吾輩は屈伏してしまい引き返す事にしてカーナビの指示する方向へ行く事にした。
進んで行くと、道が段々と狭くなり

こんな所に連れてきてしまった・・・が、元カヌー乗りの吾輩は、このような川を観るのは嫌いな方ではなく、楽しみながら誰も来ない道を走って行った。

こんな瀬を見ると気持がゾクゾク、未だカヤッカーの気分は抜けきらず(^^)/

こんな所をのんびりと漕ぎながら雰囲気を楽しむ、急流を下った後はトロ場が待ち構え、一服の清涼感(*^_^*)
楽しみながら走っていると
「根尾谷断層」と言う看板が、なんでも1891年10月28日に襲った濃尾地震により上下に6m長さ1000mにも及ぶ隆起が起こった現場だそうで、その時はスルーをして通り過ぎたが、今思えば見ておくべきであったと悔やんでおります((+_+))
ソコから10分も走らずして、淡墨公園へ

観光バスも・・・駐車場も一杯、桜の現場へ

チョイト邪魔な人が写って雰囲気が判りませんが、ぞろぞろ皆坂道を登って行く様子は、華厳寺以上の人並みでした。
そして「淡墨桜」

我ながら自慢の一枚(*^^)v

ここで「根尾谷淡墨桜」のシオリから説明
1500年生きてきました!【なぜ?長生きできたのか】
①長寿の種類(エドヒガン桜)
②日当たりが大変良い(陽樹の代表)
③強風が当たりにくい(背後に山)
④地下水が豊富にある(ミネラルウォーター)
⑤一番の理由は、皆さんが関心を持ってくれている
淡墨桜の特徴
原種の一つで、つぼみの時はピンク色満開の時は白色、花の散り始めになると名称の特徴となる淡い墨を引いたような色となる
樹高:16,0m
幹周り:9,91m
枝張り:東西27,6m 南北25.0m
日本の三大桜
○山高神大桜(山梨県北杜市)
○根尾谷淡墨桜(岐阜県本巣市)
○三春滝桜(福島県三春町)
次の二本を加えて五大桜
○石戸蒲桜(埼玉県北本市)
○狩宿の下馬桜(静岡県富士見市)
いずれの桜も、1822年(大正11年)10月12日国の天然記念物指定1号となった。
理由:由緒ある桜の代表的巨樹
1500年前誰が植えたの?
昭和8年頃、愛知県一宮市の真済田神社にゆかりのある、土川家から「真済探當証」なる古記録が出現
その古記録によると・・・
第26代継体天皇(507~532)が幼少時迫害を逃れ根尾谷に住まわれた。
29歳でここを去る時名残を惜しまれ一首添えて記念に植えられたと記されている。
『身の代と遺す櫻は淡墨よ 千代に其名を栄盛へ止むる』
宇野千代さん桜保護の訴え
1959年(昭和34年)9月26日この地方を襲った伊勢湾台風により、枝葉をもぎ取られる被害を受けました。
その後、保護策を施したが樹勢は回復しなかったそのような時、宇野千代さんは昭和42年に訪れ痛々しい姿に心をうたれ、それにより保護運動が持ち上がり枯死を防いだ。
生きよ薄墨桜!
238本の根継ぎ手術
○昭和23年国の調査
判定は「あと3年待たずに枯れる」
○昭和24年3月10日~4月5日(27日間)
前田利行氏(78歳)歯科医師
大工の頭領 中島栄一と弟子2人
植木職人 藤井与一
看護婦 中島五百
村民 73人 小学校児童
昭和26年春 見事な花を付け生き返った
騒ぎなよ花咲く時の山嵐
心して吹け淡墨の側
ちなみに上の写真は5分咲きの様子です。
写す場所が違えば

少々みすぼらしい花の付き具合・・・?
裏の山際にはお堂が

この場所から見るのも良いのかも・・・当日は5分咲きの為か今一の花の付け具合でしたので写真はナシ

淡墨観音の由来
ここにお祀りしてある御本尊は聖観世音菩薩であります。或る年妙心寺派高橋至道老師
花見の折に曰く、「此處に衆生に化縁深き観音菩薩を祀れば天下の名木と成らん」と、此の時宮脇畄之助氏は淡墨桜の護りの本尊として此處に堂宇を建立し観世音菩薩を祀ることを決意した次第です。
本尊は大正元年の暴風雨の際折損した淡墨桜を以て郡内七郷村(現在岐阜市)辻寿山氏に彫刻させたものであり、堂宇は本村大井西の谷の天然木を用い又幾多の御喜拾を仰ぎ大正12年5月18日に盛大な開眼供養が挙行され今日に至ったのであります。
天下の名木淡墨櫻を中心公園化の構想を持ったのも此の頃と同氏の記録に有ります。

名残惜しい「淡墨桜」ともお別れして、「お姥様の水」を探しにR157号を北上、案外早く見つかり

国道沿いに、看板も

名水「お姥様の水」の伝承
今を去る約1500年の昔、大男迹王は皇位継承による迫害に遭い、生後50日の幼少の身で従者に護られ尾張より美濃路に入られ此の神所付近に仮住いされたと伝承されています。
天皇に供奉された「おなみ」と申される姥は心優しく村人を教導され、又お産の手助けもされて村人に慕われ尊敬されました。
大男迹王は第26代継体天皇として御即位の為、姥は天皇と共に都へ上がられた後、此の姥をお祭申し上げたのが姥ヶ神社であると伝えられています。
この神社の下より湧き出る水は昔より涸れる事なく、又お姥様の「安産の水」とも言われて有名な清水であります。
渾々と湧出る霊水は、岐阜県の名水100選(昭和61年)に指定されております。
本巣市
階段を降りて行くと「姥ヶ神社」が

その下へ

降りて行くと「お姥様の水」の湧水池が

車で降りて行こうとするも狭く、道が田圃の方へつながっていたのでそちらから上がって行く事にして、野良仕事をしているオジサンに道を尋ねると、「その水なら、墓地の横までパイプで来ているでぇ」と、そこへ行く道を教えてもらい行く事に

墓地は在ったものの、その横に煙突のたった小屋が・・・・どうも火葬場の雰囲気が・・・田舎では未だにこのような簡易火葬場が有るそうだ。あまり気持のよい場所ではなかったが、ちょうど地元の方が水汲みに来られ

その方曰く、これでご飯やお茶を飲むと美味いとか・・・3日に一度は汲みに来るという事で、期待をそそられながら残りのペットボトルに水を注ぎ、親父さんにお礼と何がしかの小銭を賽銭箱に入れて帰宅の途に着きました。
「お姥様の水」の水評価は、見事に期待を裏切られてしまい、軟水の普通の水に吾輩は思えた。
独断と偏見の水評価は
strong>(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vですた。
詳しい場所は
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