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NO226:姫ヶ井の泉

 2017・4・9谷ク汲山 043-2q
菅原道真公が谷汲山へ参拝されたとき、この山の清水を汲み「閼伽の水」として竜宮の乙姫様が差し上げたことから、古来より谷汲山へお参りする巡礼のとき利用したといういわれが残る「姫ヶ井の泉」へ
とりあえずそこへ向けて国道303号を南下、と・・・道の駅「星のふる里・ふじはし」が・・・な!なんと温泉付きの道の駅
 2017・4・9谷ク汲山 014-2w
そこでは小型おーぷんかーのオーナーズミーティング中、
 2017・4・9谷ク汲山 015-2e
オープンカーを写したいがためにソ~と横の方に吾輩の車を止めてハイパチリ
予定が変更されたため、トイレ休憩程度で出発。「姫ヶ井の泉」の場所は住所・志津山の辺りに在る事しか判らなかった。
地図では、谷汲山「華厳寺」への参拝道を過ぎた辺りから山側へ入って行ったところに位置する事ダケ、
ところが、参拝道は国道303号には何本もある事を知らず、そのうちの一本を過ぎた辺りで山側の路地に入って行ったのだが田圃の中広くてわからず、探しながら走っていると「揖斐川歴史民俗資料館」なる建物が目に入ってきた。
こりゃシメタ・・・と尋ねて行き、次の谷汲山へ入る信号を過ぎてしばらく行くと「コメリ」があり、そのすぎた所から入って行けば「姫ヶ井の泉」があると教えてくれた。
言われた通り車一台が通れる道に入って行くと
  2017・4・9谷ク汲山 037-2r
それらしき朽ち果てた遺物が在った。「地域住民による定期的な清掃」と情報元には書いてあったが、どう見ても住民からは忘れられた存在のように見受けられる
  2017・4・9谷ク汲山 039-2y
石の垣根の奥に岩を伝って湧水らしいものが流れている。この水が本来なら
2017・4・9谷ク汲山 038-2i
流れ落ちて来て小石の中に埋めてあるパイプを伝って黒い丸の中の水受けに溜まるようにしてあるのだが、住民による定期的な清掃どころか荒れ放題の現状では、清水もストライキを起こしているのか出ていなかった(+o+)
一度は汲む事を諦めようかと思い車に乗り込んだのだが、諦めきれず、大きな声では言えないですが、石の柵を乗り越えて神聖な所に入り込み、流れて来ている水を根性で汲んできた。二本汲もうかと思ったが、結構手間取り一本でやめにした。まぁ人が通らなかったので良かったが、こんなことはしてはいけないノダ(~_~メ)・・・誘惑に弱い吾輩デスタ(~_~;)
で、華厳寺へ到着
  2017・4・9谷ク汲山 041-2u
駐車場も満車状態であったが、どうにか入れた
  2017・4・9谷ク汲山 040-2o
おそらく谷汲山「華厳寺」では参拝者が一番多いい季節では・・・と思いながら門前町を散策
 2017・4・9谷ク汲山 044-2p
大きなお犬様も御参り
  2017・4・9谷ク汲山 046-2a
地元のテント村も盛況
 2017・4・9谷ク汲山 047-2s
そして仁王門に到着
  2017・4・9谷ク汲山 051-2f
華厳寺の境内図
  2017・4・9谷ク汲山 056-2g
山門をくぐり参道を
  2017・4・9谷ク汲山 055-2h
歩いて行くと、谷汲山「華厳寺」の由来記が
  2017・4・9谷ク汲山 058-2j
  谷汲山根源由来記(チョイト多いいががんばってみます。途中で挫折するかも(^_^)/
 當山は人皇50代桓武天皇御宇延暦17年・・・・という所で挫折・・・例の如くウィキペディアから抜粋
歴史[編集]
永禄3年(1560年)成立の『谷汲山根元由来記』によると、華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって創建されたという。『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが、途中、美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、大口大領は同地に草庵を建立。延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。

延暦20年(801年)、桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、仏具・福田として一万五千石を与えたという。「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来する。

西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」及び「覚忠伝」では、第三十三番の霊場は三室戸寺になっており、園城寺(三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には、華厳寺は満願所ではなかった。また、三種の御詠歌(後出)のうち、「世を照らす」の歌は作者が判明しており、花山法皇ではなく、前出の覚忠の作歌である[1]。

建武元年 1334年足利氏と新田氏の戦乱が起こり、新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、本尊ならびに脇侍等は山中に移し難を逃れた。

江戸時代には薩摩国鹿児島慈眼寺住職道破拾穀上人によって再興された
 2017・4・9谷ク汲山 059-2k
石段を上り詰めると多いきな提灯が釣られた本堂へ
 2017・4・9谷ク汲山 060-2k
お参りをして、本堂を一周している時の一コマ
 2017・4・9谷ク汲山 063-2l
そして本堂を後に
 2017・4・9谷ク汲山 065-2z
薄墨桜の郷へ行ったのであった。
「姫ヶ井の泉」の水評価は
今回三ヶ所を飲んでみた中、まだいけた方であったが、惜しくも5ランクまでは届かなかった
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v 
詳しい場所は

  
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NO225:喜八河戸

 2017・4・9谷ク汲山 034-1q
昨年夜叉ヶ池に登った際、滋賀県の木之本から国道303号線を走り岐阜県の濃尾平野まで出て行ってみたい思いが湧きあがっていた。
その思いを、谷汲山華厳寺の桜と近くに在る日本三大巨木「薄墨桜」を観に行きがてら、湧き水も手に入れてくる計画で行く事に、コースとしては「木之本→徳山ダム→薄墨桜→華厳寺」の予定で出発
今回は車で移動する事が主な行動の為、時間的には余裕がありAM7:00時ごろ出発。
一路舞鶴若狭道を通り滋賀県の木之本まで約二時間チョイ、そこから国道303号線を進み、前回来たことのある道の駅「夜叉が池の里さかうち」を通り越して国道303号線沿いにある横山ダムに着いたのが10時前
  2017・4・9谷ク汲山 016-1w
この横山ダムの集落旧藤橋村(現揖斐川町)に第一の水汲み場「喜八河戸」が在るらしい。とりあえず横山ダムを見学に降りて行くと、伝説の岩「はたご岩」なるものがダムの放流口近くに在るとの事、
  2017・4・9谷ク汲山 017-1r
この大岩がそうらしく、説明書きには
 2017・4・9谷ク汲山 018-1e
  はたご岩と夜叉竜神
この岩は揖斐川を舞台にくり広げられる有名な伝説「夜叉が池」にまつわる由緒あるものであります。
むかし、美濃国安八郡の長者安八太夫の願いをいれて、旱魃(かんばつ・ひでり)に雨を降らせた夜叉ヶ龍神に望まれ娶られた太夫の三女が、竜神に従い、身を蛇身に変じて揖斐川をさかのぼって、この地まで来ると、この大きな岩に入って一夜を明かしたと云われております。
夜半になって竜神たちはこの岩に登って蜿蜿とのたうちまわったためたくさんの溝跡ができたと伝えられています。
おそらく別離の哀しさに夜叉姫が身もだえして一夜を明かしたためでもありましょうか。
夜が明けると姫は岩の上の大きな窪みに溜まった水を鏡としてくしけづり身づくろいをしました。
その窪みには「びんだらい池(髪洗い池」と伝えられています。
この岩を土地の人々は竜の旅籠(はたご)の岩として「はたご岩」とも「竜宿岩」とも呼んでおります。
あるいは、夜叉姫が機織(はたおり)が上手であったことからここは機(はた)を据えて機織りをしたところとも云われ
「はたご岩」と名付けられたとも伝えられています。
この神社は(祠)夜叉竜神を祭(祀り)り八月十六日には
藤橋村住民一同参詣の上で祭典がいとなまれます。
ちなみに夜叉竜神は、雨乞いの神として特に中部地方に崇敬の多い神であります。
2017・4・9谷ク汲山 022-1u
岩に登ってみた。所どころ窪みに水が溜まり云われてみれば鑑にもなるような水面・・・が、昔は綺麗だったのかも(?_?)
写真には写っていないが、雨も降ってないのに水がわずかに水たまりから流れ出してきていた。
前日の雨の影響カも知れないが、案外岩の中から水が湧き出して一年中水が溜まっているのかも、この珍しい大岩をこのような言い伝えで後世に岩の保存を訴えていたのかも・・・と推測してみた。
で、「喜八河戸」(きはちこうど)はこの集落の旧道の中にあると情報元には書いてあったので、車をゆっくり走らせて進んで行くと旧道と国道の合流に
 2017・4・9谷ク汲山 001-1i
それらしき雰囲気の水溜が見つかった。周りを見てみると古い石碑や地蔵さんが安置してある。
 2017・4・9谷ク汲山 002-1o
東横山開祖之碑と
 2017・4・9谷ク汲山 003-1p-1a
水溜を覗いて見ると
 2017・4・9谷ク汲山 005-1s
湧水の量が少ない様で、流れ出ている水が少ない・・・・・それに、岐阜県の名水に指定されているにしては名前の書いた看板もない
 2017・4・9谷ク汲山 007-1s
丁度道を隔てた所に土建屋さんが、恰幅の良い社長さんらしい人がおられたので尋ねてみると、快く「喜八河戸ならその水と違い旧道をさかのぼった合流点に出ている水ですよ」と、
まぁ、こちらも湧水ですよと教えて下さったので、1本汲んでそちらの方へ移動
 2017・4・9谷ク汲山 008-1d
     岐阜県の名水:喜八河戸
 寛弘2年(平安中期)の頃、当時は庶民の近寄り難い有名な陰陽氏、安倍清明が諸国巡遊の途中、当村の住民喜八の家へ宿した折、湧き出る清水の効力を褒めて以来。如何に長い日照りが続いても涸れることなく、夏冷冬暖で古くから村人たちに最適の生活用水として使われ、水道が引かれた今日でも、日常生活に欠かすことのできない水として、また、コミュニケーションの場として利用されている。
 また、この清水は単に生活用水にとどまらず「薬効のある水」としても知られており、この水を万病に効く不思議な水として、飲用している人も多いいと聞いている。
岐阜県の名水:岐阜県は県下の優れた水環境を50ヶ所選び、地域保全活動の推進を促し快適な生活環境作りに資すことを目的として昭和61年12月12日に認定した。
         藤橋村
 2017・4・9谷ク汲山 009-1f
道より一段下の窪みにあり、車では見つけにくい場所であった。不動明王の石仏の奥から
  2017・4・9谷ク汲山 011-1g
湧水としては結構な量がコンコンと出て来ていた
 2017・4・9谷ク汲山 010-1g
地域の人達に大切にされている様で、霧図為場もきれいに整備されていた。
 2017・4・9谷ク汲山 013-1h
その横には、今は営業しているか疑問を感じる喫茶店もあり、おのずと湧水に期待が膨らむ事となった。
一つ目の湧水は無事汲めて、横山ダム湖沿いに徳山ダムへ向かった。
 2017・4・9谷ク汲山 023-1j
ダム湖の上流徳山ダムの手前で、場違いな建物をハーケン(・・?
 2017・4・9谷ク汲山 024-1k
山には残雪も見えているが、4月9日でも、ここへ来るまでにも路肩に雪が残っていた。
お城は藤橋城と呼ぶ、中には西美濃プラネタリウムが入っているらしい。その横には天文台「西美濃天文台」があり、「日本珍スポット100選」ここのブログに建物が出来た時の裏話も・・・。  
ここから間もなく走るとダムが見えてきました
  2017・4・9谷ク汲山 026-1l
で駐車場に到着
  2017・4・9谷ク汲山 027-1z
車の前の展望台に上り
  2017・4・9谷ク汲山 029-1c
ゲート側は
  2017・4・9谷ク汲山 029-1c
そして、放流川側
 2017・4・9谷ク汲山 028-1x
そして日本一貯水量を誇るダム湖
  2017・4・9谷ク汲山 031-1v
一通り見学して、上流の橋を渡り薄墨桜の「街本巣市根尾地区」へ行く道へ向かっていくと、警備員が立っている。
オジサンへ通行止めの理由を尋ねると、冬季は通行止との事、しかたなく引き返す事になり予定変更で「華厳寺」へ行く事にしました。

「喜八河戸」の独断と偏見の水評価は、横に喫茶店があり期待は大きかったが現実はそう甘くはなかった・・・軟水で体に良い水の為か渋味が強調される水であったが、薬効があるかどうかは(?_?)
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

詳しい場所は
    
 


NO212:揖斐川町の「清水川」

   夜叉が池 132-2x
二本杉親水公園のお水を頂き、本来の「清水川」湧水を目指して揖斐高原へ出発していきました。
日坂峠を越えると揖斐高原
   夜叉が池 127-2v
伊吹山の裏手になる山麓リゾート
   夜叉が池 126-2c
スキー場の様ですが、今どき雪は無し、キャンプ・パラグライダー等多目的に活用されている様子
   夜叉が池 126-2c
この日は連休でもありキャンプのテントも多数、それにしても最近のテントは大型化しているようです。写真では分かり辛いですが・・・
そしてこの日の最終目的地の久世温泉を通り越して「清水川」へ
   夜叉が池 129-2b
百選の
  泉へ鎮む
     鐘の音
情報元の地図が分かりにくく、地元の人に聞いての到着、思いの外きれいに整備されて地元の人達の思いが伝わってきます。
    夜叉が池 131-3q
この石垣の下から湧き出してきています。水汲みは相方さんに頼み、吾輩は周りを散策
   夜叉が池 133-3w
路地を登って行くとお寺が、この鐘の音が俳句に詠われているのか・・・それにしても人気のないお寺。無住寺なのだろうか~
   夜叉が池 135-3r
真宗大谷派  功徳山 善重寺   農山村では暮らしにくく人口の減少は皆一緒・・・何とかしなくっちゃ・・・と思へど・・・
一周して帰って来ると水は汲み上がっていた(^_^)v・・・ありがたや(^_^)v
   夜叉が池 136-2z
今日最後の訪問地、山登りの疲れを癒しに恒例と(*^。^*)
   夜叉が池 139-3r
辺りは薄暗くなり早速お風呂に、『久瀬温泉・露天風呂 白龍の湯』大人410円オ!安い!と相方さんと・・・お湯に入ってみると男女別々の露天風呂だけ!館内風呂はナシ・・・谷川を見ながら(暗くて見えなかったが)のお風呂・・・揖斐高原にスキー場があったが、雪も良く振るのだろうが・・・それでも露天風呂・・・雪見酒でなく雪見風呂・・・風流きわめつけ
   夜叉が池 140-3t
帰りぎわ見つけた「無料温泉スタンド」どこかの町とは大違い、太っ腹いいねぇ~(^o^)/
夜も遅くなり帰りを急いだ。

独断と偏見の水評価は、二本杉親水公園の湧水の方が美味しく、こちらの清水川は1ランク下がりましたので
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした
詳しい場所



NO211:揖斐川町の二本杉親水広場の「地蔵名水」(仮)

  夜叉が池 041-1w
春に行けなかった岐阜県と福井県の県境にある夜叉が池(福井県側)に行ってきました。
  夜叉が池 085-1q
岐阜県側からは、こんな険しい絶壁をよじ登る風光明媚な登山でした。(天候はイマイチでしたが)
夜叉が池に行くには、福井県側からと岐阜県側から行くルートが有りますが、福井県側からは、登ってきた知り合いが「えらい山登りで二度と行きたくない、また、みるとこがないコース」という事で福井県側からは却下(^_^;)で、岐阜県側から計画をたてました。
当然近くに湧水を汲むとこがないか検索、本来なら登山コースに在るのがベストなのですが、ち~と離れた、揖斐川町日坂近辺に在るであろう「清水川」に寄る予定で出発しました。
当日は、前日夜から前線が本州を横切る雨模様(+o+)決行かどうか朝方決める事に、朝5:00起きても雨は降っていた。
しかし、天気予報の雨雲ズームレーダーでは、現地の様子では10時ごろには前線が通り過ぎて雨雲も無くなっている感じであった。
我が家から現地駐車場までは3時間の予定でしたので、AM7時30分ごろに出ればよかろうという事で出発する事になった。
滋賀県の木之本に降りたのが9時過ぎ、そこから国道303号線へ入り坂内川上地区から登山道へ向けて9時半ごろ入って行った。
まぁ、遅く行けば遅いほど天気の回復も良いだろうと、最初の寄り道
 夜叉が池 117-1e
脇道へ入るや、夜叉龍神社なるモノがでてきた。ソコには
   夜叉が池 118-1r
夜叉龍神社  イブ側丁坂内川上 字地蔵平
 夜叉が池に最も近い人里であるここ川上の地に、池の守護 高龗神(こうらいじん)を奉斎する社である。
 正保四年(1647年)に大垣藩主戸田氏鉄公により創建され、その後大垣藩領治水の鎮守として歴代藩主の崇敬篤く、時々の修復建て換えも藩の奉献に依っている。
 明治28年(1896年)ナンノの大崩壊の折神霊を長昌寺に祀り 後八幡社境内に遷して高雷神社と称す。
 昭和9年(1934年)揖斐川電工株式会社(現イビデン株式会社)川上発電所を開設するに際し、この地蔵平の故地に本神社を復興した。
水の恩恵に謝し村と会社の平安隆盛を祈願する意に発する夜叉姫伝説ゆかりの宮であるこの近辺にはいくつかの話題の地点がある。
夜叉が池 120-1y
立派な境内にしては、少し小さめな祠。そして、もう一つの立て看には
   夜叉が池 119-1t
岐阜県十勝遊覧地投票入選(45,348票)  夜叉が池
右者 本社主催岐阜県十勝遊覧地投票に際し、前記の成績を以って入選せらるたるは畢意本県の名勝として誇り得る特色を有し汎く江湖に喧伝せられつつある結果に外ならず 仍て本社は 右土地に十勝中の一勝地たる標柱を建設し之を顕彰すると共に併せて永久に其栄誉を保持するに努められん事を望む
 昭和8年5月14日      岐阜日日新聞
さらに進んで行くと
   夜叉が池 003-1u
夜叉が池 入山記帳所なる公園らしきところが見えてきた。
   夜叉が池 008-1i
トイレの横の方に登山届と下山届の用紙が置いて有り記入、その近くには
  夜叉が池 111-1o
ナンノ谷崩れ100周年・床固工群完成 モニュメント 1995・11・3 坂内村 建設省
裏には
   夜叉が池 113-1o
ナンノ谷崩れとは
1889年(明治18年)川上部落に集中豪雨が襲い、1週間に亘って空からロープを下げたような大豪雨となり、山は崩れ、川は増水し、村からは一歩も出られない状態になったと言われ、この豪雨でナンノ坂の山が大崩壊し(土石流=153万m3)川をせきどめ一時自然ダムと化した。一週間後、このダムが決壊し、ナンノ坂の出作り小屋が一瞬にして流され男女四名の尊い命が奪われました。また、下流の家や、橋、田畑など多数流され大災害となった。
その後、県、建設省で砂防工事が進められ、現在の状況に至っている。
   夜叉が池 114-1p
夜叉姫伝説:その昔、美嚢の国神戸(現在の安八郡神戸町)郡司安八太夫という長者がいて、たくさんの田んぼを持っていました。ある年、大変な日照りが続き安八太夫をはじめ、多くの村人が作物が取れず途方に暮れていました。
信仰の厚い太夫は、毎日お宮へお参りして願いをかけていましたが、ある時、乾き切った田んぼで出会った小さな蛇に太夫は「おまえが雨を降らせてくれたら、どんな願いもかなえよう」と、ひとりごとを言って家へ帰りました。
すると不思議な事に間もなく、雨が降り出すではありませんか、農作物は生き返り、みんな大喜びです。
ところがこの翌日ヘビが山伏の姿になって現れ、太夫の娘の三人のうち一人を嫁にして揖斐川をのぼっていってしまいました。
こうしたことから旱が続くと村人は、龍の池、夜叉が池に祈りを捧げるならわしになったといいます。
入山届二人分を出して、さらに山奥へ車で入って行きました。しばらくして古げなダムに
   夜叉が池 109-1a
さらに山奥へ、すると鳥居が
   夜叉が池 009-1s
ここも「夜叉龍神社」と書いてあります
   夜叉が池 011-1d
どうも御神体は「夜叉が池」ではないかと(?_?)そこを曲がり少し行くと駐車場に着きあたりました。
   夜叉が池 012-1f
見た瞬間、連れ合いの口から「わ!スクナ!」雨上がりと言えども20台ほどは停まっていると思っていたのだが・・・(*_*;
予定が外れて駐車場に着いても小雨、夜叉ヶ池までの距離約3km、高低差350m、所要時間1時間30分前後との事でしたので雨が止むのを期待して、準備をゆ~くりとし始める。駐車場の端にひっそりと
   夜叉が池 013-1y
飛騨、美濃紅葉33銭の地 夜叉ヶ池(33選て中途半端でわないヶ)余談だが桜33選もあるそうな
でその横に登山案内板があり
   夜叉が池 104-1u
その左の登山道を登るのでなく、
   夜叉が池 015-1i
下って行きます。その底に
   夜叉が池 102-1o
立派な?橋が架けてあり、おー親切なところ・・・と言う思いで渡
   夜叉が池 016-1p
こんな山道を上がったり下がったり・・・して徐々に登って行きます。全体を通して、最後以外歩きやすい行程でした。
時たま
   夜叉が池 018-1s
この様な沢が道を横断、そこにはこんなものも
   夜叉が池 019-1d
チョイト息がはずむころ、本来なら
   夜叉が池 100-1f
途中で、夜叉ヶ壁が山の合間から顔を見せるのだが、今回は
   夜叉が池 017-1a
雨は降っていないものの、雲にかくれてサッパリ(?_?)『上も下の写真も判りずらいが、上は帰りに望遠で写したもの』
   夜叉が池 095-1j
徐々に登って行くと
   夜叉が池 023-1g
幽玄の瀧が現れます
   夜叉が池 024-1h
 夜叉ヶ姫がこの滝の水で身を清め、て聖域に入り沼?底にくだり身をひそめたという。
 滝の水は肌を若返らせ長寿が叶うとも伝わる。
 仙境の地にて所在わからず幻の滝と言われていたが、遊歩道コース新設の折に不思議と出現したものである。
滝を過ぎて見上げてみると
   夜叉が池 031-1x
山の斜面を九十九折れの山道に(*_*;・・・知らぬ間に相方さんがパチリと
   夜叉が池 028-1z
今回から山登り用ストックを使うようになり、チョイト楽に登っていますがダウン寸前
   夜叉が池 033-1c
九十九折れを登り始めて間もなく、視界が開けたかと思いきや目前に岩山、これは信州の山ではないか(@_@;)それに天空の彼方からの滝、最高のシチュエーション!ここでしばし休憩
一息ついて登りながら
   夜叉が池 043-1v
風景を楽しみながら
    夜叉が池 046-1b
快晴なら、さぞ絶景だろうと相方さんとダベリングしながら登っていると、
   夜叉が池 044-1n
絶壁の岩場、これが噂のクサリ場か~((+_+)) その上この看板
   夜叉が池 045-1m
登山ロープは補助的なものであり、過信しないで下さいとの事(^_^;)
   夜叉が池 048-2q
このクサリ場を過ぎると尾根に到着!(^^)!さいわい雨にたたられる事は無かったが、山の上は雲がしぶとく居座っていらしゃる
   夜叉が池 054-2w
尾根から見える夜叉ヶ池も雲の中
   夜叉が池 052-2e
どうも太陽が覗きそうもなく、期待していたコバルトブルーの湖面は見れそうにない、とりあえず昼飯の場所を探しに湖面まで降りて行く事に
   夜叉が池 077-2u
池を守るために木道が整備されていた。そして池の縁に到着
   夜叉が池 062-2a
池の横には
   夜叉が池 056-2s
以前は祠が有ったようですが、現在は石碑に変わっていました。食事を終える頃には視界も良くなり
   夜叉が池 074-2y
ヤシャゲンゴロウという、夜叉ヶ池にだけ生息するという絶滅危惧種
   夜叉が池 058-2i
ゲンゴロウならずイモリのお出迎え
   夜叉が池 067-2o
食事も終え、少し肌寒くなってきたので帰る事に
   夜叉が池 083-2g
クサリ場の写真は帰りがけに写したものです。
   夜叉が池 089-2g
アッシをおいてスタコラサッサと帰りの途につく相方さん。お~い待ってくれ~と言ってもスタコラサッサ(*_*;
所要時間:行き2時間(ふつう1時間30分)帰り1時間でした。参考までに
帰って来ると駐車場には
   夜叉が池 103-2h
下山途中家族連れ4人とすれ違った方の車とマイカーの二台。暗くなるまでに無事下山できたのかな~と心配しながら夜叉ヶ池の山登りは幕を閉じました。おわり・・・と行きたいとこ、登山に付き物の温泉行へ、その途中に湧水を汲む予定で道の駅「夜叉ヶ池の里さかうち」へと向かっていった。
「清水川」という湧水を汲みに行く予定でヤフーの地図をダウンロードして持って行ったのだが、地図が余りにも詳細過ぎてよそ者にはサッパリどこかわからず、道の駅の方なら判るはずと尋ねてみると「久瀬温泉の近くにある」との事、行き方も国道303号からと、近道の県道からと二通り有るが県道の方は少し道が狭いとの事、この辺の人は県道の方から行っていると言うもので我らもその道で行く事にした。ついでに近辺で湧水の出ているところが在ったら教えを乞いたいと尋ねてみると、その「清水川」に行く途中に公園がありそこにも水が出ているとの返事(^_^)v早速そちらへ出発
10分ほど走ったところに
    夜叉が池 123-2h
ありましたよ~\(^o^)/
   夜叉が池 125-2j
パイプから流れ出している。
この地下からか、それとも何処からか引いて来ているのか解らなかったが頂く事に
  夜叉が池 123-2k
後にお地蔵さんが祀ってあったので、(仮)「地蔵名水」と付けておきました。誰か名前を知っておられたら連絡ください。

独断と偏見の水評価は、あっさりとしたコーヒーに仕上がり美味しく頂きました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は



 
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