NO217:脇川・教海寺の「念仏水」

【黒滝】
2017年・初湧水取に三木市の脇川という所に在る「念仏水」を探しに行ってまいりました。
正月三ヶ日も過ぎた4日、吾輩は5日まで正月休みの為暇を持て余しふらりと一人出発。
三木市のHPで「念仏水」の情報を入手、場所の地図もおおまかに記憶して現地山陽道・三木東ICで下りた。
吾輩のカーナビの住所には「脇川」の地名が入ってない(~o~)三木東ICから北へ進んで「教海寺」をカーナビの地図上に出るのを探しながら走っていると、住所には出ていなかった「脇川」の地名が画面上に出てきたので、その周りを走り「教海寺」を探すことにした。この辺りは丘陵地の様な地形で、高い山は見当たらずゴルフ場がそこかしこに有るような雰囲気の中を走っていると

脇川山教海寺の案内石柱が偶然目に入った。ここに至るまで約30分ほど走り回っていたので、これで行ける!と安堵!!
左に曲がり、細い道を勘を便りに進んで行く

道の分かれに差し掛かった所を、コレマタ勘を便りに人家が有る方向左に入って行った。これも「教海寺」は集落の近くにあるカモの思いで行ったのであった。

人家の中をゆっくり走ってもお寺らしきものが無く走り抜けてしまった。で、さらに進んで行くとそこに

どうも「念仏水」の場所のようだ、その脇には

教海寺 念仏水 弘法大師ゆかりの史跡とかいた掲示板が立ててあり、とりあえず教海寺がどんなところかお参りしてから「念仏水」は汲む事にしてそちらの方へ

小ぶりではあるが立派な門構えである。お参りをしようと中を覗いて見ると

お寺の庫裡(家族が生活する場所)の様で賽銭を入れるとこもなかったので迷惑になると思い退散
教海寺:ウィキペディアから『峰相記』にも記述のある古刹。
寺伝では白雉2年(651年)、法道仙人によって開基された。 延暦14年(795年)、当寺で空海が三年間修行したことから、寺号を「教海寺」とした(空海は一時教海とも名乗っていた)。
中世を通して、坊舍四十八坊寺領の50石があったが、天正8年(1580年)三木合戦の時、兵火によって焼かれ、焼失した。伝承では、三木合戦で籠城中の別所長治軍に教海寺の寺僧は城内の兵を助けるために、米を詰めた竹筒を美嚢川支流の脇川に流し、羽柴秀吉軍の目を盗んで三木城に送ったが、竹筒の栓に、同寺周辺にしかないコウヤマキを使ったため送り主が発覚し、寺は焼き打ちに遭ったとされる[1]。
のち、檀家らの熱心な寄進により、徐々に再建が進み元和元年(1615年)、大師堂が建立された。
という由緒あるお寺であった(後で解った)、この場所から離れた所に本堂も在るそうな。
引き返そうとすると

「大師みころもの滝道」石柱が目に付き、どんな滝が有るのか気になって、危険につき階段を下りないでください という注意書きを、自己責任と見なかったことにして下って行った。

以外に階段が伸びていた

怪しげな雰囲気の漂う場所である。そこには不動明王の石像が安置してあった

不動明王は滝とか、池とか水回りの所に祀ってある事が多いい。どうもここが滝の場所らしい。

上からは湧水の雫がポタポタと落ちているだけであった。あと、周囲を探しても本格的な滝らしいものは見当たらず引き返して行った。

「念仏水」のお堂のある境内の全景ですが、そこに「念仏水」のイワレの説明が掛けてあった

念仏水のいわれ
:この水は弘法大師(空海)が教海と名乗り又修行僧の頃、この地を訪れ、旅の疲れに喉を潤したいと、この地のお年寄りに水を所望した、当時、何物にもかえがたい大切に取っておいたカメの水をこころよく差し出したと言われる。
この老婆の親切に大師はこの地に枯れる事のない清水の湧水をお礼にと考え、持っていた錫杖で山裾の凹みを突き刺しました。この地から湧き出た清水が現在においてもこんこんと湧き出ている。
現在に至っても枯れる事のない湧水で、この地の田や畑は潤っている。
脇川山 教海寺
それがこちらの清水であります

奥の穴からこんこんと、その上には

念仏井
念仏を唱えるよ・・・・
水泡立ち上がり・・・
願望成就す・・・
弘法の井戸と伝はる・・・
清水かな・・・
三木市のHPでは、「この井戸に念仏を唱え、井戸底より泡が湧きあがる者には願いが叶うとも言われている。」と書いてあります

そして、いつもの癖で井戸を覗いて見た

年代を感じる石垣作りの井戸であったが、念仏「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華教」のどちらを唱えれば御利益があるのか分からず両方を唱えてみたが、何の音さたもなく「今年も運が付かないものか」と諦めて、先ほどの流れて来ている湧水を汲んで帰宅の途についた。しかし、後で思ったことだが、弘法大師の真言宗に念仏と言うものが有ったのか(?_?)、「南無阿弥陀仏」は浄土系、「南無妙法蓮華教」は法華系と言われているが、どうゆうこっちゃろう?まぁいつもの日本人の宗教観なのだろう。良くも悪くも(~o~)
帰りは中国道の入口吉川ICの近くに黒滝という変わった滝が有るそうなので寄ってから帰る事に、寄って吉川ICへ向けて車を走らせていたら

「竹中半兵衛陣地跡」の標識が目に入った。チョイト寄ってみるかと山道へ

駐車場がないので道の脇に車を置き石段を登って行った

50mほど登ってもさらに続いている。着いたところが

これだけのモノ。見晴らしも悪く期待外れ((+_+))

(伝)竹中半兵衛陣所跡(平井村中村間ノ山付城跡)
所在地:三木市平井・細川町細川中
幹合戦の際、秀吉本陣の北側の守備を担っていました。南西に三木城を望みます。
城主は「播磨鑑」・「別所軍記」によると、秀吉の軍師である竹中半兵衛とされています。
土塁に囲まれた主郭は、東西15m、南北11mの長方形を呈しており、南側には虎口(出入口)を設けています。
主郭の北東面は、土砂崩れによって切り立った崖になっています。北西斜面には帯曲輪状(主要な曲輪の周囲に配置される細長い曲輪)の平坦地が見られます。
平成26年3月 兵庫県三木市教育委員会
次なる目的地「黒滝」に向かっていると乗馬をしている姿が目に入った

・・・が、通り越してしまったので再度引き返して写した写真デ~ス。
ソコの乗馬クラブから

全日本障害馬術2016
2名出場 田中選手6位入賞
全日本ジュニア障害馬術大会2016
3名出場 KTステーブル
そう言えば歌手の華原朋美ちゃん、馬術の国内大会「ジャパン オープン」で優勝したことを思い出した。彼女、苦労の連続の人生を乗り越えての今回の快挙、これをきっかけに人生もいい方向で歯車が回って行くように祈りたい心境です。
帰りがけ、馬小屋からは

二頭の馬が見送ってくれました。

着いた先は「黒滝」
この名所、近くの道を走っていても入口が判らず、グルグル舞をしてたどり着いたところが対岸の農地、よ~く見れば農地対岸には立派な公園らしき設備が、おそらく写真写りもそちら側の方がよかったのではと、

この「黒滝」どこでもある「堰」の風景とさほど変わらない、まあ堰がコンクリートでできているのではなく原石でできている所に値打ちが有るもの由縁だと思う。

【話そうはりま・姫路河川国道事務所HP参考】
くろたき
黒滝
■河川名
美嚢川
■所在地
吉川町 金会 ■参考文献 「ひょうごランドスケープ100景」
神戸新聞総合出版センター
発行/山崎 修
「吉川町勢要覧」吉川町
町提供資料
川、水との関わり(アピールポイント、その他)
民話が残る滝。
神姫バス「二瀬川」下車徒歩5分 概要
「黒滝」は、緑豊かな丘陵地を流れる美嚢川にかかる滝で、町内一の景勝地です。
敷石のように大きな一枚岩に、水がすだれ状に落ちるこの滝は落差4m・幅30mで、川幅いっぱいに広がる横長の珍しい姿をしています。
また、この滝には「万八狸とお万狐」という民話が残っています。キツネとタヌキの化かし合いの話で、タヌキが田植えの時期を利用して、自分の術で辺りを水田に変えたかのように自慢したところ、負けたと思い込んだキツネは、水田を荒らし村人にこらしめられてしまうというものです。万八狸は、その後も滝つぼの岩の上で美しい娘になって糸車をまわしたり、小僧になって丸木橋を渡る人の手を引いたりして、村人から感謝され、今も滝のかたわらに「万福大明神」として祭られています。
また、県道西脇三田線側から滝を望むと、いっそう素晴しい眺望が楽しめます。
近畿地方整備局のリンク・著作権、免責事項を読んだうえで使用させて頂きました。
これにて、今回の湧水探訪のドライブは終了いたしました。
「念仏水」の独断と偏見の水評価は、
日本的硬水の味がする水であった。程よいコク、まろやかさのでる水で、後味もすっきり。惜しまれるのが、我が家ではこの感覚が長持ちしなかった事ぐらい。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (*^^)vデスタ。
詳しい場所は
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