NO197:上戸口町の「刀那清水」

五月の連休、昨年と同様山登りに行く事に、NO98白竜神社の「堂来清水」の時に記事中に書きました「夜叉が池」へ行く事に決定(*^^)v
ネーミングからくるメルヘン?ロマン?の世界へ・・・以前から行きたくて、今回実現する運びになり喜んでいました。前日には近辺の湧水が出ている処の情報を何ヶ所か選んでおいて準備万端出発に相成りました。(*^_^*)
「夜叉が池」に行くルートは岐阜県側からと福井県側の二か所あるのですが、地元の云った人の話では、福井県側から登ると大変だそうで岐阜県側の方が登りやすいと聞いていたのと、岐阜県側からの登山道の方が変化に富んでいて見ごたえがありそうな感じだったことから、滋賀県の木之本から入って行く事にしました。
駐車場に止めれる車の台数が少ないとの事で、できるだけ早く到着するという事で、朝の6時発で縦貫道から舞鶴道へ車を進めた。
木之本ICを出たのがAM8:00前後、そこから山越えで名古屋方面へ出て行く国道303号線へ入って行った。

天気も良し(*^^)v新緑も良し(*^^)v早く下山できれば、数か所の湧水も採取して、さらに日本で二番目に大きいとされている徳山ダムにも行けたらイイナ~と思いながら走っていた。
軽快に走っていると、夜叉が池の入口に到着

本来なら左折して入って行ったのだが、昼飯を途中で買い出しして行く事にしていたが買わずに来てしまった。もう少し先に「夜叉が池の里さかうち」・道の駅があるのでそこで買い出ししようと直進、道の駅に着いて、とりあえず夜叉が池の情報を聞いてみようと職員さんに尋ねてみると「6月1日の山開きが始まるまでルートは通行止めで行けませんよ」・・・ガァ~ン((+_+))
何でも林道の途中に鎖が張ってあり、夜叉が池の駐車場まで行けないそうである。ショックのあまり道の駅の写真を写すのを忘れてしまった(~_~;)
よし、それなら福井県側に行ってみようと引き返して行った。
朝が早かったことで時間的には余裕があった。とりあえず少しでも早く登山道に着きたい思いで、再度北陸道に乗り今庄ICで下りて広野ダムへ向けて一目散、その間二人の間は険悪ムード、「あんたはいつもそうだ、だいたい肝心なところが抜けている」と、オイラは「パソコンで調べてみたが、6月1日の山開きにならな山には入れんとは書いてなかった」と、アッシもここにパソコンが無いので確実にそうだ・・・とも言い切れない不安さ、こういうう時にスマートフォンがあればイチコロなのだが、毎月1万円近くも出したくなく、未だ我が家はガラケーで我慢しているわけ・・・とまあブツブツ言いながらダムに到着

ダムの上の車道を進んで行くと

やはりこちらも

平成27年11月24日~平成28年6月上旬まで冬季閉鎖の看板・・・((+_+))のせる写真を間違えてたー((+_+))「修正済み」
途方に暮れて、辺りをうろついていると何処ともなく一台の軽トラがクサリの前で止まって我々を監視しだした。おそらくこれ以上入るなという意思表示だと思い、あきらめて退散・・・退散はしたもののこちらは奥方様の機嫌をいかに回復させるかを・・・
福井のそう遠くない所でイイ所がないかいな~と考えていると・・・永平寺が頭にひらめいた・・・奥方にそれとなく「お訊ねしてみると」行った事がない、とのご返事、OKも頂き急遽山のぼりからドライブに変更、再び高速に乗って行くのも遠回りになるので、お馬鹿ナビに目的地永平寺を入れて指示されるルートで行く事にした。
別けのわからないまま走っていると、大きな看板が目に付いた

看板には、歴史が息づく街:刀那(とな)の里 その横に小さい字で
三峯の大いちょう・刀那神社の大杉・三峯城跡・刀那の滝・最後に刀那清水と書いてある。ラッキーな事に刀那清水という水が出ている様である。これは立ち寄って行かねば・・・と・・・というのはウソ(翌日調べて水汲みに行ってきたもの)
というのも、岐阜方面の天然水の出ているトコロは調べていたのだが、福井側の天然水は予定がなかったので調べず来ていたのでありました。
という事で矢印の方向の集落へ入って行く事に

刀那集落の案内図であり、見所が下に写真付きで示してあった。吾輩はとりあえず刀那清水が汲みたいため、近くで草刈りをやっておられた農家のオジサマに尋ねた。石碑の後ろの作業中の方

すると案内図の上に伸びている道を行くとすぐ分かると教えてくれましたので正直に車で進んで行くと、集落を過ぎて山道に入って行った。

と小さな「刀那の滝」の案内板、よし!ここまで来たので行ってみようとさらに登って行くと、滝までの案内図が道の横に立っていた

滝に行く途中に「いぼ落としの岩」というのが書いてある。早速川伝いに

と、「いぼ落しの岩」の説明版が

いぼ落としの岩:刀那の滝付近に大きな岩があり、その真ん中に直径約9センチ、深さ約6センチの穴が一つある。その中には常に水が入っている。その水を疣につけ、付けただけの水の量を、前に流れている川の水で補って置けば、疣が取れると云われている。 鯖江市
その岩がこれであります。

NO192の時も同じような岩が有りましたので、遠く離れた昔の話、案外本当の事なのかも・・・ラドンが岩に含まれているのかも(?_?)

刀那の滝もすぐそこに見えるのだが草に覆われた道になっていて行けない、周りは湿気の多いい山肌、こんな場所は蝮の好む場所、そのうち周りから聞きなれない蛙らしき鳴き声、そこに居るのが気味悪くなってきておっかないので引き返す事に、再度村中に帰り井戸端会議をされていたお婆様方々に清水を尋ねてみるとお寺の入口辺りに在りますよ・・・との事

このお寺善照寺には

鉈(なた)仏様:鉈疵(なたきず)御身代尊影(見真大師)。寺宝として残されている通称「鉈疵の御開山」は「本願寺十二代准如上人」の筆にかかるものらしい。吾輩にはその値打ちがいかほどのモノなのか判らないが、案内板にはそう書かれていた。
で、「刀那清水」は

こんな所に在っては、車で走っていても気付かないわけである。それもポンプで汲み上げている。しかし福井の名水に選定されている。

・・・という事は、ほっぺたが落ちる位美味しい水なのだ(*^^)vと思い、汲んで帰る事に。
先を急ぐために、残りの名勝はパス、引き続きカーナビを頼って車を走らせた。
道の縁に

灯籠が林立していた。ソコには

細川ガラシャ夫人生誕の里 明智神社 御本尊・明智光秀公(あけっつぁま)つまり(あけちさま)と言うのだろうか?
明智光秀、ガラシャ夫人と来ると見に行かないわけがない・・・と・・・勇んで行くと

りっぱな神社の社が有りました((+_+))
そして石碑も

ウィキペディアに載っている 細川ガラシャここにも、上の石碑の写真が載っているので生誕の地であるのでしょう。石碑には、福井市東大味町 明智光秀公三女細川ガラシャゆかりの里 と彫ってある。まぁガラシャ夫人と言えば丹後地方には深い関わりのあるお方ですから、なにかの縁があったのだと納得して次に向かった。
カーナビが示す方向へ進んで行くと車一台が通れる山道に入って行った。そこには

旧朝倉街道と道しるべが立っていた。なんか「朝倉」という文字は、越前に昔住んでいた邸宅跡が残っている・・・と記憶に在ったが、昔にしては、大きな道が残っているものだと・・・この時は思っていた。峠を越して下りてくると

こんな看板が立っていた。
歴史街道:ここから山道に入ると、石畳の道が続いていたと伝えられる。
朝倉街道(大手道)がこの先東大味地区まで続いており、現在も当時の石畳が残っています。
尚、この付近から出土された石仏を一箇所に集められた鼻欠地蔵と伝えられるお堂です。

これがお地蔵さんのお堂で、その前の道が旧朝倉街道デス。そして、峠を越えて降りて来たところが先ほどの正式朝倉歴史街道です

そして、里に下りて行くと、特別史跡:一乗谷朝倉氏遺跡 復元町並み

と言った観光施設に遭遇した。規模たるやビックらこいてしまっただ(@_@;)
まず、パンフレットから『一乗谷朝倉氏遺跡』の説明を
朝倉氏は現在の兵庫県養父市八鹿町の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。朝倉孝景の第、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。以後、孝景、氏景、貞景、義景と5代103年間にわたって越前の中心として繁栄し、この間、京や奈良の帰属・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。義景は、足利義昭を南陽寺に迎え観桜の宴を催しました。しかし天下統一の刀根坂の戦いで1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼打ちにあい灰燼(はいじん)に帰しました。

戦国大名朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていました。昭和42年から遺跡の発掘調査が始まり一乗谷城を含む遺跡は国の特別史跡にしていされました。

そして、ソフトバンクのCMにも
ゴールデンウィークであったので観光客も多く、永平寺からのシャトルバスも運行されているようでした。
とりあえず入場料210円を払い再現された街並みへ(ブログTOPの通りが町民、下の通りが武家屋敷の通り)

こちらは町民の屋敷

武家屋敷の玄関へ

その中は

観光客もいっぱ~いデスタ(^^)/
お茶席も用意されています

写真愛好家にはもってこいの、粋なハカライ(*^^)v・・・アッシは今一ですが(^_^;)
次に朝倉邸屋敷跡へ、ここには「瓜破清水」(どこかで聞いた事が・・・)という、当時の儀式や当主の生活用に使われたと考えられる湧水。薬450年経った現在も澄んだ霊水が湧き出ている・・・行ってもらってこなくっちゃ~とそちらの方へ

ベッピンサンにはちょいくら遠慮して頂いた、朝倉邸入口、その屋敷跡

そして、澄み切った「瓜破清水」

そこには、夫婦と思しめき鴨さんも

頭隠して尻隠さず
注:後程パンフの写真をじっくり眺めていると、どうも場所が違っている様子(?_?)、さっぱりでした((+_+))
こちらがホンマモンの瓜破清水絵地図の中の瓜破清水をクリック
そして、またまたパンフには、近くに「一乗滝」があると書いてある、そこは宮本武蔵と関係の深いある人物が導いてきたのではないかと思われる場所であった。
一乗滝には、元来た道を少し引き返し分岐点を左へ入って行くと

一乗滝小次郎の里ファミリーパーク、ゴールデンウィークもあってか多くの家族・若者たちでにぎわっていました。いい匂~い
少し登ると一条滝の駐車場

そこから歩いて登ります。すると

佐々木小次郎の銅像が建っていました。佐々木小次郎と言えば宮本武蔵、宮本武蔵と言えばNO191「一貫清水」で記事を書きましたが、佐々木小次郎サンも書いてほしいようです。

一乗滝の由来:一乗谷の一番奥まったところ、一乗山(標高740m)の山懐にある木々に囲まれた流水の滝を一乗滝という。落差は12m。養老元年、奈良朝、元生天皇の時代に越の大徳泰澄大師が開いたとされ、不動明王をまつり、白滝神社を一乗滝の上方に建てたところとして知られている。
また、剣豪佐々木小次郎は修業場とし、心技の秘術「燕返し」をあみだしたところと伝えられ、一方怪力の力士北国兵太夫がその怪力を授かったところと伝えられている。
小白山一乗山よりの霊水が深樹の間を白布の如く落下する一乗滝の壮観は、永遠にその名を留めおかれる名滝である。
福井市 一乗滝観光協会
一乗滝

そして旅は永平寺へと続くのであった(^.^)/~~~
「刀那の清水」の水評価は、田圃の横からポンプアップされ福井の名水として認定されているだけあって美味しい水でした
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は
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