NO95:阿上三所神社の「イボ水宮」
予定より早く、パソコンが入院先から帰ってきました。異常なしと言う事でした。
『たたり』説も無事放免されましたので、引き続き「おいしい水」を求めて放浪記と言うか見聞記を書いていきたいと思っています。
今回は、年末に書いたNO93「阿上三所神社・御神水:みたらし」で約束していた、「阿上三所神社・イボ水宮」と阿上三所神社の紹介をしていきます。

イボに良くきく イボ水宮(いぼみずさん)
ここから右へ百米先、イボに良くきく神水があり昔から多くの人がお陰を受けて喜ばれています。
お陰を受けた人は、本宮にお参りし、お礼に竹のヒシャクを奉納しています。
この「阿上三所神社(あじようさんしょ)」に吾輩が興味を持ったのは、旧和知町内に四か所も同じ名前の神社がある事です。この神社の名前も、一般的(金毘羅神社・八幡神社・稲荷神社等)な名前ではなく、氏神さん的な名前で何か因縁が有るのかな・・・と、まぁこれも湧水が出ていたからなおさらでした。
下粟野:阿上三所神社(1383年創建)
御神水「みたらし」を汲みに行ったのがキッカケになった、下粟野地区にある阿上三所神社から紹介して行きます。

左手に立派な杉の木がそびえる石段を上り詰めると

これも立派な、拝殿(舞殿)が建っていました。祭礼にはココで舞が奉納されることでしょう。
その本殿

本殿の横にはこのような物が

どうも木槌の様ですが、私の想像では大工さんが何かのお礼に奉納されたのではないかと思うのであります。(?_?)
詳しくは、京丹波町観光協会の下粟野:阿上三所神社を見てください。
この阿上三所神社が創建された云われが、綾部の文化財日誌ブログに分かりやすく載っていましたので、許可を得て掲載させて頂きます。
「京都府京丹波町中(旧、船井郡和知町中)の片山杲(かたやまたかし)家、片山一族の本家をご本人(綾部史談会々員)の案内で訪れた。この片山家の庄屋文書200点以上もあり「旧、和知町の重要文化財」に指定されている。又、片山氏系図によると片山氏の先祖は皇位50代光孝天皇の七代末裔従五位下・平光孝「治歴三年(1067)」であり河内国坂戸郷を所領とした北面の武士であった。源頼朝が鎌倉幕府を開き、全国を掌握しようとし、又、承久の乱後、執権北條家の命で、七代目片山平九郎右馬丞=平廣忠が新補地頭として承久四年(1222)に和智庄(1500石)に赴任した。観応元年(1350)に片山三郎左衛門は「阿上三所神社(あじょうさんしょじんじゃ)」を和知坂原の元寺地(真言宗)に片山一族の氏神として創建した。この旧・和知町には四ヶ所に阿上三所神社があるが、平成17年3月10日京都府の重要文化財に指定されたのは、坂原の「阿上三所神社」のみであり」
詳しくは綾部の文化財日誌を見てください。
要約すると
承久四年(1222)に執権北條家の命令で、七代目片山平九郎右馬丞=平廣忠氏が和知に地頭として赴任して来て、観応元年(1350)に片山一族の氏神として坂原に作られたという事。他三ヶ所は集落を納めるために作られたのか、私には定かでは有りません。ただ、阿上三所神社の名前の由来が未だ疑問です。
その後
名前の由来については、「綾部の文化財日誌」ブログの管理人さんが骨を折って調べてくださいまして、次のような内容に行きついたとの事です。
「 1月28日の綾部史談会で片山杲氏や他の会員とも阿上三所神社について話あったのですが、意味は不明です。ただこの阿上三所神社は字の如く、最初に3社があり、後に1社が創建された諭旨。京都府綾部市「何鹿郡(いかるがぐん)」の十倉名畑町古気良には小座ですが、延喜式内社の神牟奈備神社(かむなびじんじゃ)があり和銅2年創建でしたが、織田信長の天正・元亀の丹波攻めで消失、その後再建、この境内社として、小さいが阿上社の碑がありますので、ここから取って名をつけたのではと云っています。」
「綾部の文化財日誌」のブログの管理人様へ、再度御礼申し上げますm(__)m強調文
細谷地区にある阿上三所神社へ(1615年再建)
下粟野から上和知川を上流へ約500mほど行った対岸の山裾に鎮座しています。

下粟野に比べれば、石段を上っていると少し貧弱に思えたのですが・・・

本殿の前には、ここも拝殿(舞殿)が作られていました。

これが本殿です。詳しくは細谷地区:阿上三所神社を見てください。写真もこれと言うて撮るものが無かったのでこれだけしか写していませんでした。
それにしても、吾輩の地域加悦谷の氏神社には拝殿と言うものが無いので、この地の神社は立派に見えます。
次は、本庄地区:阿上三所神社へ(創建1306年→1798年焼失→1802年再建)

「イボ水宮」は、この神社の鳥居から右側へ50mほど路地を進んだ所に在りました。

そして、「イボ水宮」の云われ

イボ水宮(いぼみずさん)
このイボ水宮はイボに効く事から、「イボ水さん」と呼ばれ親しまれている。このイボ水さんの〇〇〇定かでない。ただ昔から、ここの水をイボに付けるとそのイボがなくなると言われ、そのイボがなくなるとお礼として柄杓を奉納〇〇〇なっている。
今でも多くの柄杓が納められており、その効き目は確かなところ。また、この水がラジューム泉を含んでいることがその効き目かもしれない。どんな薬を使っても治らなかったイボが、この神水で治ったという東京の人 地元の人々だけでなく遠くからありがたい神水をいただきに来られる人はあとを絶たない。(一部読みづらい所有、想造部分アリ)
これが納められた柄杓です

(娘もきれになりました。 りがつございまいた 等々)柄杓に書いてあります。
「イボ水宮」が見守る中、お水を頂くのに蓋を開けて中を見る
水面です

中を見ると、薄らとヘドロらしきものが貯まっているのが見えるが、飲んでも大丈夫かいなと思いながら汲まして頂きました。・・・がラジュームが含まれているとは・・・温泉が湧くのと違うやろか(?_?)
その横にも湧水が出るのか

「イボ水宮」の湧水も頂き、本庄の阿上三所神社へ参拝に

石段を昇り切るとココにも立派な舞殿が!

そして本殿です

見事な木彫り

境内には、御神木か大きな木が、こちらには朽ち果てた大木!切らずに置いて在るという事は、元御神木か?

意味深なマンホール状のもの

舞殿の横に在り何に使うのでしょうか(?_?)篝火(カガリ)を焚くのでしょうか
一通り終えたので帰ろうとしたら、左の道の上がったところにアスレチックがあり、写真を撮ろうと

下には、小学校があり遊具用に神社の屋敷を利用して作ってありました。こんな学校、勉強がイヤでも行きたくなるでしょう(*^。^*)
ところが、道を登り切った駐車場の横に!!! 湧水がココも出ているではないか!!!

なっなんと!ラッキー 今回も不思議な力でお導き頂いたのかモ(このような偶然な事がタマニ起こるのです)
早速、今入れてきたペットボトル6本の内三本をお返しして、新たに「名無しのゴンベイ」水を3本頂いて帰る事に。
返って飲み比べが楽しみにウキウキ気分で、次の訪問地、坂原の阿上三所神社へと進めた。
詳しくは本庄:阿上三所神社見てね
坂原:阿上三所神社(1350年創建)

坂原の阿上三所神社は石段と石段の間に鳥居が建っているのだが、後の3社は、なにがしかの石段を上りそこに鳥居が立って、さらに多くの石段を上り詰めた所に境内が広がっていた。坂原の神社が一番質素に思えてくるのだが・・・
しかし、本殿の前に拝殿(舞殿)がある形式は同じであった。

そして本殿デス

四社中一番古く、京都府指定文化財になっております。
それ以外に、京丹波町指定文化財(天然記念物)に四本の古木が有ります

ケヤキ

藤

ケヤキ

イチイガシ

詳しくは町指定天然記念物へ
詳しくは坂原:阿上三所神社へ
・・・という事で阿上三所神社の案内と、イボ水宮の紹介は終わりますが、最後に阿上三所神社の一般的な歴史の成り立ちは「本庄地区にある、神社が創建された時は現在地の裏山(天王山)に在ったが1306年現在の地に遷宮され、その後焼失したが1802年再建され今に至っている」四社の総社となっている。
イボ水宮の水の評価は、写真で見た通り飲んでも大丈夫かいな、と思えてくる溜め水でしたが、思いの外「美味しいコーヒー」が呑めました。本殿横の駐車場近くにあったきれいな水溜の湧水は、こちらは思ったほどの飲み口ではなく、水脈が違うのか同じような敷地に在りながらコノ差は摩訶不思議な湧水でした。
で、独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
詳しい場所は
大きな地図で見る
『たたり』説も無事放免されましたので、引き続き「おいしい水」を求めて放浪記と言うか見聞記を書いていきたいと思っています。
今回は、年末に書いたNO93「阿上三所神社・御神水:みたらし」で約束していた、「阿上三所神社・イボ水宮」と阿上三所神社の紹介をしていきます。

イボに良くきく イボ水宮(いぼみずさん)
ここから右へ百米先、イボに良くきく神水があり昔から多くの人がお陰を受けて喜ばれています。
お陰を受けた人は、本宮にお参りし、お礼に竹のヒシャクを奉納しています。
この「阿上三所神社(あじようさんしょ)」に吾輩が興味を持ったのは、旧和知町内に四か所も同じ名前の神社がある事です。この神社の名前も、一般的(金毘羅神社・八幡神社・稲荷神社等)な名前ではなく、氏神さん的な名前で何か因縁が有るのかな・・・と、まぁこれも湧水が出ていたからなおさらでした。
下粟野:阿上三所神社(1383年創建)
御神水「みたらし」を汲みに行ったのがキッカケになった、下粟野地区にある阿上三所神社から紹介して行きます。

左手に立派な杉の木がそびえる石段を上り詰めると

これも立派な、拝殿(舞殿)が建っていました。祭礼にはココで舞が奉納されることでしょう。
その本殿


本殿の横にはこのような物が

どうも木槌の様ですが、私の想像では大工さんが何かのお礼に奉納されたのではないかと思うのであります。(?_?)
詳しくは、京丹波町観光協会の下粟野:阿上三所神社を見てください。
この阿上三所神社が創建された云われが、綾部の文化財日誌ブログに分かりやすく載っていましたので、許可を得て掲載させて頂きます。
「京都府京丹波町中(旧、船井郡和知町中)の片山杲(かたやまたかし)家、片山一族の本家をご本人(綾部史談会々員)の案内で訪れた。この片山家の庄屋文書200点以上もあり「旧、和知町の重要文化財」に指定されている。又、片山氏系図によると片山氏の先祖は皇位50代光孝天皇の七代末裔従五位下・平光孝「治歴三年(1067)」であり河内国坂戸郷を所領とした北面の武士であった。源頼朝が鎌倉幕府を開き、全国を掌握しようとし、又、承久の乱後、執権北條家の命で、七代目片山平九郎右馬丞=平廣忠が新補地頭として承久四年(1222)に和智庄(1500石)に赴任した。観応元年(1350)に片山三郎左衛門は「阿上三所神社(あじょうさんしょじんじゃ)」を和知坂原の元寺地(真言宗)に片山一族の氏神として創建した。この旧・和知町には四ヶ所に阿上三所神社があるが、平成17年3月10日京都府の重要文化財に指定されたのは、坂原の「阿上三所神社」のみであり」
詳しくは綾部の文化財日誌を見てください。
要約すると
承久四年(1222)に執権北條家の命令で、七代目片山平九郎右馬丞=平廣忠氏が和知に地頭として赴任して来て、観応元年(1350)に片山一族の氏神として坂原に作られたという事。他三ヶ所は集落を納めるために作られたのか、私には定かでは有りません。ただ、阿上三所神社の名前の由来が未だ疑問です。
その後
名前の由来については、「綾部の文化財日誌」ブログの管理人さんが骨を折って調べてくださいまして、次のような内容に行きついたとの事です。
「 1月28日の綾部史談会で片山杲氏や他の会員とも阿上三所神社について話あったのですが、意味は不明です。ただこの阿上三所神社は字の如く、最初に3社があり、後に1社が創建された諭旨。京都府綾部市「何鹿郡(いかるがぐん)」の十倉名畑町古気良には小座ですが、延喜式内社の神牟奈備神社(かむなびじんじゃ)があり和銅2年創建でしたが、織田信長の天正・元亀の丹波攻めで消失、その後再建、この境内社として、小さいが阿上社の碑がありますので、ここから取って名をつけたのではと云っています。」
「綾部の文化財日誌」のブログの管理人様へ、再度御礼申し上げますm(__)m強調文
細谷地区にある阿上三所神社へ(1615年再建)
下粟野から上和知川を上流へ約500mほど行った対岸の山裾に鎮座しています。

下粟野に比べれば、石段を上っていると少し貧弱に思えたのですが・・・

本殿の前には、ここも拝殿(舞殿)が作られていました。


これが本殿です。詳しくは細谷地区:阿上三所神社を見てください。写真もこれと言うて撮るものが無かったのでこれだけしか写していませんでした。
それにしても、吾輩の地域加悦谷の氏神社には拝殿と言うものが無いので、この地の神社は立派に見えます。
次は、本庄地区:阿上三所神社へ(創建1306年→1798年焼失→1802年再建)

「イボ水宮」は、この神社の鳥居から右側へ50mほど路地を進んだ所に在りました。


そして、「イボ水宮」の云われ

イボ水宮(いぼみずさん)
このイボ水宮はイボに効く事から、「イボ水さん」と呼ばれ親しまれている。このイボ水さんの〇〇〇定かでない。ただ昔から、ここの水をイボに付けるとそのイボがなくなると言われ、そのイボがなくなるとお礼として柄杓を奉納〇〇〇なっている。
今でも多くの柄杓が納められており、その効き目は確かなところ。また、この水がラジューム泉を含んでいることがその効き目かもしれない。どんな薬を使っても治らなかったイボが、この神水で治ったという東京の人 地元の人々だけでなく遠くからありがたい神水をいただきに来られる人はあとを絶たない。(一部読みづらい所有、想造部分アリ)
これが納められた柄杓です

(娘もきれになりました。 りがつございまいた 等々)柄杓に書いてあります。
「イボ水宮」が見守る中、お水を頂くのに蓋を開けて中を見る


水面です

中を見ると、薄らとヘドロらしきものが貯まっているのが見えるが、飲んでも大丈夫かいなと思いながら汲まして頂きました。・・・がラジュームが含まれているとは・・・温泉が湧くのと違うやろか(?_?)
その横にも湧水が出るのか

「イボ水宮」の湧水も頂き、本庄の阿上三所神社へ参拝に

石段を昇り切るとココにも立派な舞殿が!

そして本殿です


見事な木彫り

境内には、御神木か大きな木が、こちらには朽ち果てた大木!切らずに置いて在るという事は、元御神木か?


意味深なマンホール状のもの

舞殿の横に在り何に使うのでしょうか(?_?)篝火(カガリ)を焚くのでしょうか
一通り終えたので帰ろうとしたら、左の道の上がったところにアスレチックがあり、写真を撮ろうと


下には、小学校があり遊具用に神社の屋敷を利用して作ってありました。こんな学校、勉強がイヤでも行きたくなるでしょう(*^。^*)
ところが、道を登り切った駐車場の横に!!! 湧水がココも出ているではないか!!!

なっなんと!ラッキー 今回も不思議な力でお導き頂いたのかモ(このような偶然な事がタマニ起こるのです)
早速、今入れてきたペットボトル6本の内三本をお返しして、新たに「名無しのゴンベイ」水を3本頂いて帰る事に。
返って飲み比べが楽しみにウキウキ気分で、次の訪問地、坂原の阿上三所神社へと進めた。
詳しくは本庄:阿上三所神社見てね
坂原:阿上三所神社(1350年創建)

坂原の阿上三所神社は石段と石段の間に鳥居が建っているのだが、後の3社は、なにがしかの石段を上りそこに鳥居が立って、さらに多くの石段を上り詰めた所に境内が広がっていた。坂原の神社が一番質素に思えてくるのだが・・・
しかし、本殿の前に拝殿(舞殿)がある形式は同じであった。

そして本殿デス


四社中一番古く、京都府指定文化財になっております。
それ以外に、京丹波町指定文化財(天然記念物)に四本の古木が有ります

ケヤキ

藤

ケヤキ

イチイガシ

詳しくは町指定天然記念物へ
詳しくは坂原:阿上三所神社へ
・・・という事で阿上三所神社の案内と、イボ水宮の紹介は終わりますが、最後に阿上三所神社の一般的な歴史の成り立ちは「本庄地区にある、神社が創建された時は現在地の裏山(天王山)に在ったが1306年現在の地に遷宮され、その後焼失したが1802年再建され今に至っている」四社の総社となっている。
イボ水宮の水の評価は、写真で見た通り飲んでも大丈夫かいな、と思えてくる溜め水でしたが、思いの外「美味しいコーヒー」が呑めました。本殿横の駐車場近くにあったきれいな水溜の湧水は、こちらは思ったほどの飲み口ではなく、水脈が違うのか同じような敷地に在りながらコノ差は摩訶不思議な湧水でした。
で、独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
詳しい場所は
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