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NO95:阿上三所神社の「イボ水宮」

予定より早く、パソコンが入院先から帰ってきました。異常なしと言う事でした。
『たたり』説も無事放免されましたので、引き続き「おいしい水」を求めて放浪記と言うか見聞記を書いていきたいと思っています。
今回は、年末に書いたNO93「阿上三所神社・御神水:みたらし」で約束していた、「阿上三所神社・イボ水宮」と阿上三所神社の紹介をしていきます。
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   イボに良くきく  イボ水宮(いぼみずさん)
 ここから右へ百米先、イボに良くきく神水があり昔から多くの人がお陰を受けて喜ばれています。
 お陰を受けた人は、本宮にお参りし、お礼に竹のヒシャクを奉納しています。

この「阿上三所神社(あじようさんしょ)」に吾輩が興味を持ったのは、旧和知町内に四か所も同じ名前の神社がある事です。この神社の名前も、一般的(金毘羅神社・八幡神社・稲荷神社等)な名前ではなく、氏神さん的な名前で何か因縁が有るのかな・・・と、まぁこれも湧水が出ていたからなおさらでした。

下粟野:阿上三所神社(1383年創建)
御神水「みたらし」を汲みに行ったのがキッカケになった、下粟野地区にある阿上三所神社から紹介して行きます。
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左手に立派な杉の木がそびえる石段を上り詰めると
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これも立派な、拝殿(舞殿)が建っていました。祭礼にはココで舞が奉納されることでしょう。
その本殿
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本殿の横にはこのような物が
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どうも木槌の様ですが、私の想像では大工さんが何かのお礼に奉納されたのではないかと思うのであります。(?_?)
詳しくは、京丹波町観光協会の下粟野:阿上三所神社を見てください。

この阿上三所神社が創建された云われが、綾部の文化財日誌ブログに分かりやすく載っていましたので、許可を得て掲載させて頂きます。

「京都府京丹波町中(旧、船井郡和知町中)の片山杲(かたやまたかし)家、片山一族の本家をご本人(綾部史談会々員)の案内で訪れた。この片山家の庄屋文書200点以上もあり「旧、和知町の重要文化財」に指定されている。又、片山氏系図によると片山氏の先祖は皇位50代光孝天皇の七代末裔従五位下・平光孝「治歴三年(1067)」であり河内国坂戸郷を所領とした北面の武士であった。源頼朝が鎌倉幕府を開き、全国を掌握しようとし、又、承久の乱後、執権北條家の命で、七代目片山平九郎右馬丞=平廣忠が新補地頭として承久四年(1222)に和智庄(1500石)に赴任した。観応元年(1350)に片山三郎左衛門は「阿上三所神社(あじょうさんしょじんじゃ)」を和知坂原の元寺地(真言宗)に片山一族の氏神として創建した。この旧・和知町には四ヶ所に阿上三所神社があるが、平成17年3月10日京都府の重要文化財に指定されたのは、坂原の「阿上三所神社」のみであり」
詳しくは綾部の文化財日誌を見てください。
要約すると
承久四年(1222)に執権北條家の命令で、七代目片山平九郎右馬丞=平廣忠氏が和知に地頭として赴任して来て、観応元年(1350)に片山一族の氏神として坂原に作られたという事。他三ヶ所は集落を納めるために作られたのか、私には定かでは有りません。ただ、阿上三所神社の名前の由来が未だ疑問です。
その後
名前の由来については、「綾部の文化財日誌」ブログの管理人さんが骨を折って調べてくださいまして、次のような内容に行きついたとの事です。
「 1月28日の綾部史談会で片山杲氏や他の会員とも阿上三所神社について話あったのですが、意味は不明です。ただこの阿上三所神社は字の如く、最初に3社があり、後に1社が創建された諭旨。京都府綾部市「何鹿郡(いかるがぐん)」の十倉名畑町古気良には小座ですが、延喜式内社の神牟奈備神社(かむなびじんじゃ)があり和銅2年創建でしたが、織田信長の天正・元亀の丹波攻めで消失、その後再建、この境内社として、小さいが阿上社の碑がありますので、ここから取って名をつけたのではと云っています。」
「綾部の文化財日誌」のブログの管理人様へ、再度御礼申し上げますm(__)m強調文



細谷地区にある阿上三所神社へ(1615年再建)
下粟野から上和知川を上流へ約500mほど行った対岸の山裾に鎮座しています。
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下粟野に比べれば、石段を上っていると少し貧弱に思えたのですが・・・
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本殿の前には、ここも拝殿(舞殿)が作られていました。
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これが本殿です。詳しくは細谷地区:阿上三所神社を見てください。写真もこれと言うて撮るものが無かったのでこれだけしか写していませんでした。
それにしても、吾輩の地域加悦谷の氏神社には拝殿と言うものが無いので、この地の神社は立派に見えます。

次は、本庄地区:阿上三所神社へ(創建1306年→1798年焼失→1802年再建)
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「イボ水宮」は、この神社の鳥居から右側へ50mほど路地を進んだ所に在りました。
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そして、「イボ水宮」の云われ
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          イボ水宮(いぼみずさん)
このイボ水宮はイボに効く事から、「イボ水さん」と呼ばれ親しまれている。このイボ水さんの〇〇〇定かでない。ただ昔から、ここの水をイボに付けるとそのイボがなくなると言われ、そのイボがなくなるとお礼として柄杓を奉納〇〇〇なっている。
今でも多くの柄杓が納められており、その効き目は確かなところ。また、この水がラジューム泉を含んでいることがその効き目かもしれない。どんな薬を使っても治らなかったイボが、この神水で治ったという東京の人 地元の人々だけでなく遠くからありがたい神水をいただきに来られる人はあとを絶たない。(一部読みづらい所有、想造部分アリ)

これが納められた柄杓です
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(娘もきれになりました。 りがつございまいた  等々)柄杓に書いてあります。

「イボ水宮」が見守る中、お水を頂くのに蓋を開けて中を見る
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水面です
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中を見ると、薄らとヘドロらしきものが貯まっているのが見えるが、飲んでも大丈夫かいなと思いながら汲まして頂きました。・・・がラジュームが含まれているとは・・・温泉が湧くのと違うやろか(?_?)
その横にも湧水が出るのか
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「イボ水宮」の湧水も頂き、本庄の阿上三所神社へ参拝に
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石段を昇り切るとココにも立派な舞殿が!
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そして本殿です
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見事な木彫り
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境内には、御神木か大きな木が、こちらには朽ち果てた大木!切らずに置いて在るという事は、元御神木か?
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意味深なマンホール状のもの
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舞殿の横に在り何に使うのでしょうか(?_?)篝火(カガリ)を焚くのでしょうか

一通り終えたので帰ろうとしたら、左の道の上がったところにアスレチックがあり、写真を撮ろうと
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下には、小学校があり遊具用に神社の屋敷を利用して作ってありました。こんな学校、勉強がイヤでも行きたくなるでしょう(*^。^*)
ところが、道を登り切った駐車場の横に!!!  湧水がココも出ているではないか!!!
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なっなんと!ラッキー 今回も不思議な力でお導き頂いたのかモ(このような偶然な事がタマニ起こるのです)
早速、今入れてきたペットボトル6本の内三本をお返しして、新たに「名無しのゴンベイ」水を3本頂いて帰る事に。
返って飲み比べが楽しみにウキウキ気分で、次の訪問地、坂原の阿上三所神社へと進めた。
詳しくは本庄:阿上三所神社見てね

坂原:阿上三所神社(1350年創建)
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坂原の阿上三所神社は石段と石段の間に鳥居が建っているのだが、後の3社は、なにがしかの石段を上りそこに鳥居が立って、さらに多くの石段を上り詰めた所に境内が広がっていた。坂原の神社が一番質素に思えてくるのだが・・・
しかし、本殿の前に拝殿(舞殿)がある形式は同じであった。
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そして本殿デス
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四社中一番古く、京都府指定文化財になっております。
それ以外に、京丹波町指定文化財(天然記念物)に四本の古木が有ります
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       ケヤキ
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       藤
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       ケヤキ
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       イチイガシ
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詳しくは町指定天然記念物
詳しくは坂原:阿上三所神社


・・・という事で阿上三所神社の案内と、イボ水宮の紹介は終わりますが、最後に阿上三所神社の一般的な歴史の成り立ちは「本庄地区にある、神社が創建された時は現在地の裏山(天王山)に在ったが1306年現在の地に遷宮され、その後焼失したが1802年再建され今に至っている」四社の総社となっている。

イボ水宮の水の評価は、写真で見た通り飲んでも大丈夫かいな、と思えてくる溜め水でしたが、思いの外「美味しいコーヒー」が呑めました。本殿横の駐車場近くにあったきれいな水溜の湧水は、こちらは思ったほどの飲み口ではなく、水脈が違うのか同じような敷地に在りながらコノ差は摩訶不思議な湧水でした。

で、独断と偏見の味ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。  

詳しい場所は

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NO93:阿上三所神社・御神水「みたらし」

2013年最後の湧水紀行文となります。
昨年の末「大杉の岩清水」を頂きに行った時寄った琴滝のイルミネーションを見に行くのに、ちょうど湧水も無くなったので、京丹波町(少し離れていますが)の合併前和知町下粟野の地区にある「御神水・みたらし」を頂きに寄ってきました。
場所は、和知ダムの上流
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ダムは改修中、その日は今季初里雪の舞う日でした。
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和知ダムの上流から支流の上和知川に入って行きます。
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和知川の  上流(左)               下流(右)
その渓谷に掛かる橋の真下です
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以前、所属していたカヌークラブの会長さん(当時)がこんな川を下るのが好きで、この和知川も、無理やりつれて行かれたことが有ります・・吾輩も好きですけどネ~。雪解け、増水時一見の価値アリです。この橋、目もくらむ高さ、自殺願望のある方は下を覗くのはおやめください!!!

ソコから上流に向かって行くと、その下粟野集落が有ります。
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田圃の中に
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地元の、老女に尋ねて初めて判ったのですが、その老女曰く「あまり美味しくないでぇ」との事、たいてい地元の方は自慢されるのですが、今回は正直に言われたようです。
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この看板を見るまでは、正式な名前は知りませんでした。  その井戸の中を覗くと
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沢蟹が、腹を向けてダウンしていましたが、見にくいですが、その横には二匹の魚も泳いでいました。沢蟹は陣取り合戦に負けたのでしょうか・・・。
阿上三所神社(あじょうさんしょじんじゃ)は、同じ名前の神社が、旧和知町の中に四社あり、そのうちの一つにも有名な湧水が出ていますので、詳しくはその時に回し、今回は、国指定重要文化財の明隆寺・観音堂を紹介します。
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室町時代後期、33体の観音像と四天王像が祀られ、本尊の観音立像は邊暗時代末期の一本造だとの事
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御開帳は60年に一度らしい。
更に郷土の紹介を探しに奥に車を向けた。
おそらく、最後の集落と思われるところまで来ると、山間からかっこいい山が雪景色をしていた。
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長老ヶ岳という標高917mのやまです。西は大江山、青葉山、南東は愛宕山、大峯山まで展望できるらしい。
この集落は仏主(ほどす)というとこで、水車が回っていました。
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水車小屋全景
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その入り口には
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仏主の水車:水車は平成17年に作られました。目的は、水車の力を利用した精米、小水力発電に取り組み、水車のある風景を新たな観光資源に活かしていくため。
水車の利用:水車の力でゆっくり時間をかけて精米したお米はおいしく、「水車米」として製品化している。発電した電気は外灯や、電気柵に利用できる。今は外灯を点けている。
水力発電は:平成20年に水力発電設備がとりつけられました。発電量を増やすため、須知高校生と地域住民が協力して新しい導水路を作った。電気は、常時出力70w、最大出力200Vの発電が可能。
水車の歴史:水車が初めて作られたのは、紀元前1世紀頃、トルコを中心とした小アジアと言われている。その後、日本には、610年に中国、朝鮮半島を経て伝来した。
水車の種類:水車はやや高い所にある田んぼに水を組み上げる揚水用と、原動機として使われる動力用に大きく分けられる。この揚水用と動力用では構造が違う。揚水用は、水輪の先に箱や籠缶などの水をくむ部分を付けている。これに比べ、動力用は心棒の回転を利用し、杵を動かしたり、挽き臼(ひきうす)を回したりする。
水車の果たした役目:この地域にあったほとんどが動力用で、主に穀類の精白や精粉につかわれた。
                        以上
この地域は、ウッディーパルわちのログハウス、わち山の家など公営の宿泊施設もあります。
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時間も、琴滝海ボタル開始PM5時が迫ってきたのでそちらへ
着くとこのありさま
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少し進むと
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イルミネーションが迎えてくれます。
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入口で協力金500円払い入って行きます。しばし幻想の世界へ
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このアーチから
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終点琴滝へと
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最後に、帰ってきて御当地グルメ、Bー1グランプリならず、
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京丹波食の祭典、屋台グランプリ・最優秀賞に輝いた、「鴨ネギハンバーグ丼」を食べて帰ってきました。

で「阿上三所神社、御神水・みたらし」でコーヒーを飲んだ感想は、きわどいところですが「地元の老女さんの意見を尊重して、独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)vにしておきます

2013年12月31日 今年も余すところ1時間となりました。
2013年のネタは丁度これで書き終えました。だらだらと書くブログで読み難いと思いますが、今年最後まで読んで下さった皆様に感謝いたします。少ないネタで日々?更新していこうとするとこの様になってしまいます。
2014年もネタを探して続けて行きたいと思っていますので、今後もよろしくお願い申し上げます。
2014年、読者の皆様にご多幸を(*^。^*)

詳しい場所は

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2013年おわり

NO60:しずし水

NO55:導管稲荷神社の「大杉の岩清水」を汲みに行った時に京丹波町塩谷で見つけた湧水です。

「大杉の岩清水」を汲みに行く前に名所を探していると、どこかのHPに塩谷古墳群があると書いてありましたので、その住所にその古墳群を探しに行ったのがもとでした。結局、その時は古墳群の場所がどこなのか分からずじまいで、その代わりと言えばなんですけど、湧水の出ている処を発見したという次第です。
その湧水は、帰ってサイトをくぐって調べると「しずしの水(森水石)」と云う名であることが分かりました。
探していた古墳群も湧き水の場所もどちらとも、丹波自然運動公園の後ろの方に(運動公園の入口を前とすると)ある事を再確認して水汲みに出発しました。

その丹波自然運動公園は、南北に長い京都府の地形で府民がスポーツ交流する場所として立地・交通の便の良いココ丹波町に作られたと聞いています。
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左が公園入口から中に入って行く道で、右がその中の一角に在る設備です。

全体像です
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運動と関係ない天文台のドームまでありますyo~。
湧き水の出ている処は,この公園内の道を利用させてもらえば短縮できますが、休園日や夜などは入口のゲートが閉まってしまいますので利用することはできません。
詳しくは京都府立 丹波自然運動公園で見てください。

という訳で、当日はこの公園内をつききって府道444号線(4のぞろ目アチャ^_^;)に出て、とりあえず湧水を汲みに行く事に、場所は分かっていましたので早いものです。
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この看板を目印に行けばよく判ります。普通に走っていると素通りしてしまいます。
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このように道路の脇にひっそりと水汲み場は在りますが、湧水の勢いはマァマァ有ります。

それでも地域の方たちが世話をされているのか、藤の棚が作ってありますし、水仙であろう花も飢えて在りました。
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で、藤棚(ダナ)の後ろにある竹柵(サク)が気になりスケベ心を出して覗いてみると
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覗いてはいけないものを覗いた気分に陥ってしまいました^_^; おそらく本来は、ここに水が湧き出していたのではと推測・・・

ペットボトルに入れ終えて、備え付けの湯飲み茶わんをお借れして一杯飲んでみる、飲むのに程よい水温で喉を何の抵抗もなく越していく水であった。

次の目的地、「塩谷古墳群」を探しに、丹波自然運動公園の近辺に載っていた絵地図を見てきたことから、先ほどの府道に戻り走ってみる事に、思いのほか早く古墳の丘陵らしいこんもりとした丘をハッケン近寄ってみると、
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「塩谷古墳公園」の看板が目に付いたのでその田圃道に入って行った。その裏には京都縦貫道の工事が着々と進んでいるようです。
ソウソウ、京都市内に入って行くところの沓掛と名神大山崎ICが4月に開通らしく、先日そこを通ってみると突貫工事の最中でしたyo~。
好演の入口です
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巫女の埴輪は京都府指定の文化財として別の所に保存されているようです。

大きな墳丘には写真のように小さな古墳が有りました
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親亀の上に子亀が・・・ならず、子墳が・・・こんな古墳、初めて見ました。これが古墳群と言われるゆえんでしょう。
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次に写真では読みにくい説明書きを書きま~ス。
       【塩谷古墳群】
 塩谷古墳群(丹波町「現京丹波町」字曽根小字塩谷33)は、府営老朽化ため池整備事業(谷山池)の改修用土を採取しようとしたところ発見されたもので、平成元年8月、京都府教育委員会と(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターによって発掘調査が行われました。
 その結果、約1500年前に作られた12基の古墳がある事が分かりました。その中で最も大きい5号墳からは、全国的にも貴重な巫女形埴輪2点が出土しました。
 このような古墳を後世に残すために、曽根区生産森林組合の協力を得て、平成3年度「京都府ふるさと環境整備事業」によって「塩谷古墳公園」として整備をしました。
 この埴輪は、およそ1500年前に葬られた人に仕えるように立てられていました。高さは約75cmでスカートのような服(裳)を「履き」(読みにくいので当て字)筒袖の上着を着て襲(おすい)と呼ばれるものを羽織、その上から〇と帯をつけています。襷や帯には斜線や円型の模様がていねいに描かれ、曲玉と丸玉の首飾りをしています。両手に弓とか壺をささげていたようですが、持っていたものは見つかりませんでした。
ここのHPに詳しく出ています

ついでに
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内容的には上記の説明書とあまり変わらないので、説明文の書き出しはやめときます。

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古墳群の最上部にはお相撲の土俵のように石ころで円が作ってありました。私の想像ですが、古代人が故人を偲んで祭りをやり、その時ここで相撲を披露していたとか(?_?) そういえば、我が地方では神社の境内に土俵が作られており祭りの行事として相撲を取り行っているところがあります。

又こんなものもありました。
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このカプセルに思い出となる品を入れているのは小学生の子供達でしょうから、平成50年といえば、その子たちは還暦の歳になっている頃なので、懐かしい思い出がよみがえる事でしょうね。

一応今回の行動予定は回りきったのですが、前から行ってみたいと思っていた「丹波ワイン」によって帰る事に。
国道9号線を大阪方面に行く国道173号線の交差点から京都方面に5分ほど走ったところに「丹波ワイン」の看板が見えますのでそこを入って行くと下の写真の所に出ます。
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京都府では有名なブランドワインです。
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左が倉庫と工場のようで、右が見学コースのある建物です。時間がなく見学までは行けませんでしたが、詳しくは丹波ワインHPを見てください。

肝心な、「しずし水」の独断と偏見の評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

詳しい場所は

「しずし水」は地図で分かるように山の上の方にため池が有ります。そこからの伏流水ではなかろうか?

おわり 2013.03.27

NO55:導観稲荷神社の「導観さんの岩清水」又は「大杉の岩清水」

2013年:新年あけましておめでとうございます
            m(__)m

昨年末大阪に行かなければならない事になり、ついでに「導観稲荷神社」に寄って「大杉の岩清水」を頂いて来ました。

京都府のへそ、北京都から京都市内へ行くのに多くの方が通過する丹波高原の須知にその神社は在ります。
私たちは、車で京都市内に行く場合須知といえばドライブイン「やまがた屋」とか道の駅「丹波マーケス」に立ち寄ります。ちょうど9号線に舞鶴方面からくる27号線が出会う場所です。
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しかし、2年後には京都縦貫自動車道がこの区間も開通する予定で工事が進められていました。
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我々は時間短縮になり嬉しいのですが、ドライブインに立ち寄る客も激減するのではないかと心配します。
この二つのドライブインが京丹波町の雇用・産業へ寄与しているものは大きいのではと思います。行政としてその辺をダメージ少なく乗り越えていく方策を考えてほしいものです。

ところで京丹波町の須知といえば、琴滝のイルミネーション「海ほたる」が有名です。
ホントは、このイルミネーションが開催されていた2012,12,7~12,24の間に水汲みに行って、このイルミネーション「海ほたる」を見たかったのですが、思い立ったのが12月23日、24日は祭日でしたが私は正月前のお仕事で行けれず、今回琴滝だけでも見てきたいと、導観稲荷神社に行く前に行ってきました。
縦貫道の入口の信号一つ手前の信号を左折して少し走ると写真の案内板が在りました。
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そこを右入って行き縦貫道のトンネルを抜けて林道を登って行くと、各グループが作ったと思われる絵を描いた看板に飾った電飾が見えてきました。
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そこが駐車場で、本来はそこから歩いて琴滝まで散策しながら(期間中は海ボタルを楽しみながら)登って行くのですが、その時は、ブログも良く読まず行ってたものですから、立派な林道が続いている方に行けば在るとばかり思い込み、そこをパスしてさらに車で登って行きました。
後から撮った写真ですが、よくよく見れば左の奥の方にそこから琴滝に行く道がありました。
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なので登って行くと林道にしては立派なトンネルがあり、ぬけると堤の駐車場になっていました。トンネルの名前も琴泉洞となっておりその付近に滝が在るなと思い降りて探すことに・・・
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駐車場の奥には農業用と思われるため池が在りました。
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このため池の水源に琴滝が在るのだろうと思い歩き出しましたが、ため池の奥まで行くとさらに奥に登って行く道が在り、その上に滝が在るのかなと思い一人と結う事もあり心細い心境でしたがさらに登って行きました。
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・・・と滝が出てくるものだとばかりと思っていたら、またため池が出てきました。
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でぇ~またかと思い、本当は心細いので行きたくなかったのですが、ここまで来たついでにため池の周りを探すことに、ため池の周りは人一人があるけるような散策路が伸びていたので歩き出したのですが、中には写真のような倒木で遮られたり、道がなくなっていたりしたところを歩いたのですが、結局二つのため池を回っても滝らしいものはなく、何気なく見た鳥獣保護区の立て看板に、琴滝の場所がちゃんと書いてありました。
(これで後から分かった事ですが、二回も早合点のおっちょこちょいをやらかしていました 反省 m(__)m)
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そこは何のことはない、車を置いたところから50m行った、ため池の排水路の下流でした。
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出てきたのは滝の「てっぺん」、結構高さのある滝で下を覗くのも怖く、恐る恐る滑りやすい散策路を下に向けて降りて行った。
途中不安定の中で写した滝です。
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難儀しながら降りて見上げた琴滝です。思っていたより立派な滝で探してきた値打ちがありました。
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滝ツボの周りです
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その後ろには、一本のスギの木が、なぜかしめ飾りが巻いて有りました。何のいわれがあるのでしょう(?_?)
その後ろには、休憩小屋も整備されていました。
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竹で作ったアーチにイルミネーション用の電飾を飾ったものがまだ残っていました。駐車場からこの滝までの水路に仕掛けてある様を見ると、相当大係りなもののようで、今年はぜひ見に行きたいと思っています。
ちなみにたんば未来研究会:海ほたるでイルミネーションの様子が見れます。
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来た道を引き返して車に戻ってきたのですが、老体に鞭を打っての登り坂息が切れてヤバかったデス^_^;
下の写真が堤から琴滝へ降りて行く入口で、案内板も何もなく判りませんでした。
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右の写真は下の駐車場から琴滝へ行くところに在った主催者の看板と・・・思う

二つの堤周りで大幅に予定時間が遅れ、今日の目的地である導観稲荷神社に急いだ。
神社は9号線に沿って走っている旧道に在るようなので、琴滝から降りてきて信号を直進すればその道に突き当たりました。
神社も赤い鳥居がたくさん立っていたのでスグ判りました。
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しかし、水を汲む場所はどうも上の方に在るようでしたのでそちらに行く道を探していたら、信号から降りて来た辺に車一台が通れるような道が家と家の間に通っていました。その道を入って行くと広場になっていて、その正面に大きな杉の木が、コレまたしめ飾りが巻いて鎮座していました。そのたもとには湧水の井戸らしきものも有りました。
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これが「大杉の岩清水」の大杉か・・・舞鶴の「平成の名水百選」に選ばれた「大杉の清水」に引けを取らない大きな杉です。京都の自然200選
この杉の名前は「源水の大杉」というらしいです。

その広場の正面に導観稲荷神社のイワレが書いてある看板が立ててありました。
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写真では読めないので、主な事を書いてみます。

祭神:倉稲魂命(ウカノミダマノミコト)で導観稲荷大神と相殿に観政稲荷大神・観月稲荷大神がしてあります。

例祭:本社五月三日  奥社九月十日

由緒:創立の由来及び年代は定かではない。古来茶ノ木山中腹に岩窟に跨(マタ)りたる所に社殿を建立奉斎していた。弘化年間本殿拝殿兼用の社殿に改築、対象九年其の筋の許可を得て現在の地に、境内地を整備し、本殿拝殿を新築し大正十年五月五日遷座を行った。昭和五十年六年に、御遷座六十年祭を執行し社務所の改築境内の大小鳥居の改築を行った。其の後中小鳥居の建て替えは、平成三年及び、平成十五年に行われ現在に至っている。

御神徳:穀物養蚕に御神威顕著なりと農民崇敬篤く山腹に鎮座の頃は、籠り舎を建て遠隔地の崇敬者が徹宵祈願したという。古伝記に寛政(1780年)の頃、力士須知山導観が、他の力士七人と共に江戸の土俵で大勝し、篠山藩主青山下野守より恩賞を与えられた。この力士達は皆稲荷を信仰し、その神社の名を付けていたので、藩主は自ら諸社を巡拝し、御神徳を仰いで幟一流を献納した。爾来導観稲荷を信仰すれば何事も必勝すると伝える。

祈願:安全息災、五穀豊穣、商売繁盛、招福厄除、学業成就の神として信仰が深い

大杉:境内に樹齢400年といわれる杉の巨木があり、一つの幹より三本立ち並び「京都二百選」に選定されている。この杉より こんこんと湧き出る水は「導観さんの岩清水」として、船井六選の筆頭に挙げられ、多くの人々に重宝がられ、今も、かなり遠方から、香の水を汲みに来る人が多いい。
奥宮:億社は参道口から、山上へ千米(約20分)樹齢150年の杉のある茶来山の中腹にある。
             
平成17年1月吉日    須知区
以上導観稲荷神社のいわれでした

其の「導管さんの岩清水」の汲む処は、大杉より10mほど離れたところに手水舎としてひかれています。
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後で知ったのですが、写真の湧水が出ているパイプの奥に細竹が置いてありますが、それをパイプに差し込んで水を直接ペットボトルや容器に入れれるよう工夫してあるそうです。私はそれを知らずに置いてある柄杓に汲んで入れました。
無事目的の水を頂き、神社にお参りして賽銭を入れ、大阪へ向かう国道173号に向けて出発した。
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琴滝で手間取ってだいぶ時間が遅れたので、抜け道を探して走っていると、山際に湧き水の出ている処をハッケーン(^_^)v・・・という訳で今回の水汲みは終了と相成りました。
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ココはまた何時の日にか・・・・・お楽しみ(^^)/

でぇ~「導観さんの岩清水」の水の評価は、独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デスタ

詳しい導観稲荷神社の水汲み場所は



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NO12:質志鍾乳洞の「不老長寿の名水」

今回は少し足を延ばして、京丹波町(旧瑞穂町)にある鍾乳洞公園内にある湧き水をもらいに行ってきました。
以前から、京都府内に観光用として唯一見る事ができる質志(しずし)鍾乳洞へは行きたいと思っていましたが、鍾乳洞の前を通る国道には時たま走ってはいたのですが立ち寄る機会が無く、今回の水汲みがてらということになりました。インターネットで質志鍾乳洞に湧き水が出ているということを知ったので、丁度夏の暑い時期なので鍾乳洞の見学を兼ねて嫁さんも誘っていく事ができました。嫁さんを水汲みに誘うのは一苦労で、何か良い話がない限り重い腰を上げることはしてくれません。今回は嫁さんの胸にもすんなりと納まったのであろう(^_^)v
水汲みを軽く考えていたところ、現地に着いてみると、駐車場から公園までは国道をまたぐ歩道を歩いて約200mほどいかなければならなかったので水汲みは半分諦めてペットボトル2本だけ持って歩き出しました。公園の入り口に受付があり、そこの受付嬢(嬢と呼べるかどうか(・・?)に水汲み場を尋ねると、少し行った道の右路肩の下から湧き出ているとの事、行ってみると石垣の間から水が湧き出していた。
ソウソウ、受付で最初に切り出したのが湧き水の出ているところはどこですかと尋ねたものだからケゲンソウナ顔をされたので、勿論チケット2枚買いますと即座に答えたので愛想良く教えてくれましたが、さては水汲みにだけ来るわけには行かないかもね(~_~;) 大人510円  小人(3歳~中学生)300円  なぁ~り
というわけで、汲み取り場を確認しておいてペットボトルには鍾乳洞を見学した帰りに汲むことにして一路入り口目指して進むことにしました。
チケットの表紙に「OUT DOOR LIFE IN KYOTAMBA」書いてあるだけあって公園内は河原や山林内が整備されていてキャンプサイトで宿泊できるようになっていました。当日も海の日で三連休ということもあり数組の家族が遊びにこられていた様子でした。
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右の写真は、山腹にある鍾乳洞の入り口展望台であります。ここまで上るのに汗が噴出すほどではないですが結構辛いものがあります。でも、木漏れ日の中を歩いて展望台に着くと、心地よい風とベンチに座って気持ちい~ぃ気分でした。
鍾乳洞へ入るにあたり監視員さんに注意点を説明して頂き、結果ペットボトルは預かっていただくことになりました。他にも、滑りやすい履物や梯子を降りていく際にスカートなどもレンタルすることができるようです。詳しくはチケット売り場でお聞き下さい。
鍾乳洞に行くならヤハリ夏!ひとたび入ると別世界、ヒャ~とする冷気、後は勾配のきつい梯子や階段を下りていき、底から上がってこられる人を待ちながら何とか終点まで行ってきました。
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案内表示板がありましたので、UPしておきますが、この鍾乳洞が見つかったのが昭和2年ということですので、もしかしたら切畑の名水を汲みに行った時に見学に立ち寄った郷断層ができた丹後大震災のゆれで現れたのではと勝手に想像して来ました。
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見えにくいが我慢してくださいね(^o^)/
本来の目的である湧き水を汲みに、水汲み場にたどり着いて何時もの事で一杯水を飲んでみる。今まで汗をかいてきたせいでもあり冷たくて美味しく飲めました。湧き水は石垣の小さな洞穴(ホラアナ)から湧き水としては結構な量の水が出てきているさまは、何か嬉しく思えるのです。また、汲み取り場には、布袋さんの石造が鎮座していて、その横には「布袋さまを、絶対動かさないで下さい」と意味深な事が書いてあり何か神秘的な湧き水のように思えてきました。  動かすと何がおこるのでしょうかねぇ~(~_~;)
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湧き水は、洞穴の出口のところに貯まるように石垣が組んでありブリキの柄杓で汲んで容器に入れます。とりあえず二本のペットボトルに入れて水を飲んでみると思いのほか美味しかったので、持ってきた容器に入れたく受付にお願いして車を乗り入れさせていただく事にして目一杯容器に入れさせてもらいました。しかし柄杓で入れなければならないので時間がかかり、その上に観光客が水を飲みにこられたら一旦中止したりしていたので結構時間がかかりました。
で次の目的地でありました近くにある大原神社に向けて出発しました。
この大原神社は、国道173号線を通るたびに似つかわしくない霊験厳かなたたずまいの社が見えていたのと、その昔お産が近くなると篭ったといわれている産屋が保存されていると聞いていたので一度ゆっくりお参りがてら見学したかったのです。決して今ではお世話になる事のない神社と知りつつ・・・
詳しくは、大原神社のHPをみていただくとして、神社の境内まで車で行けましたので一通り見学とお参りを済ましてから国道のロードパークへ、そこから神社方面約70mの川原の土手に産屋を見ることができます。歩いて近くまで行けるようですが、返りの時間の事もありましたので写真だけ写して帰路につきました。P7170042-dd.jpg
国道から見た産屋です

ところで、「不老長寿の名水」はお水で飲むには美味しく飲めますが、ミネラル分が多くコーヒーやお茶にはイマイチでした、それより奥方の腹の緩みの方が気になりました。
水のランクは独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

詳しい場所は
 

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