NO192:霊山後山「愛の水」(酷道429号の旅:そのⅣ)

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だいぶ兵庫県に近づいて来ていますが、岡山県内最高峰と云われる後山をひと山越えて行かなければならず、走っていると名水の看板「愛の水」が目に留まった。これは行かなくっちゃ・・・と、脇道へそれて行った。
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宮本武蔵の里を引換し、国道373号と429号の複合区間になっている大原市街から後山方面429号に入り、
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遠く、雲が垂れて見えない後山の峠を越えれば兵庫県に!!
で、峠の途中「後山登山口」からメルヘンの響きに誘われ登る事数分、このようなお堂の下を通り
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女人禁制後山・行者山道仙寺:女人堂・・・・と
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 護摩堂を管理する延命山道仙寺は、役小角が開基されたと伝えられています。
 この護摩堂では、9月7日と8日に道仙寺の大護摩法要が行われ、近県一円からの参拝客で大変賑わいここから行者山 奥の院までの2kmの山道を修験者達が行をしながら登って行きます。
 奥の院は、一三〇〇年前頃から女人禁制で、女性は途中にある女人堂までしか登れず、ここで参拝をすませます。
されに登って行くと、ハイカラな建物が見えてきた。
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給水施設でしたが、どうも訳有りな様子
「愛の水」にまつわる顕彰碑が駐車場に立っていましたので
       春名泰志顕彰碑
 東粟倉村農業協同組合長当時後山、山麓から湧き出る伏流水の美味しさに着目(愛の水)と名付け水汲み場を設置され多くの利用者で渋滞と混雑が起こり東粟倉村の支援を取り付け、平成十一年同志を募って「愛の水株式会社」を設立、給水施設を整備来訪者の便宜を図った。一方特産物販売で愛の水を岡山県南はもとより阪神方面まで運んだと同時に地元産もち米と清水を使った和菓子と餅工房も開設これらの施設の雇用の増加、地域は活性化し知名度も向上した。ひとえにあなたの先見性運営手腕の賜物、その功績を称え顕彰碑を建立する。
というもの、岡山県側の後山のあちこちに「愛」を使った設備が・・・

吾輩が給水所に着いた時には、水を入れられていた・・・買われていた、といった方が正しいのかも、
100円で20リッターも出るのですが、吾輩はペットボトル2本分しか入れないので多すぎるのだが仕方がないかな~と思いながら百円を入れた。
ここの給水機は気が利いていて、三回に分けて出すことができたので小さい容器に入れる人には便利であります。その上、バケツが置いて在り便利でしたが、吾輩は1回分で水入れは終わって、残りの2回分はそのまま、後から来た人が喜ぶかなと思いながら、もう少し登ってみようと車を進めると、水汲み場が作ってあるではないか(~o~)ここは無料の様子
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でも、吾輩は心が大きい、地元に貢献するのも必要かと・・・自分に言い聞かせて・・・・・
後山の散策へさらに登って行きました。
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駒の旺山荘の看板が目に付き行ってみる事に
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今は何もないブナ林の中、新緑・紅葉さぞかし気持ちが良いだろうな~と思いながら登ってみると
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立派な山荘が見えてきた。HPから
どうもこの近辺は駒の尾山の山麓に入るらしい、後山から続く連邦の一角で登山ハイキングコースになっている。
用は無いのでUターン、その他
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山の中には似合わない「東粟倉おもちゃ村」というトコらしい・・・・みんな村の活性化で頑張っている!(^^)!
で、先に進まなければと、後山を後に
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ここで国道429号の岡山県側はこれで終わり、兵庫県へと入って行きますが、岡山県側の429号線は立派な道路が多く、一部美咲町付近の旭川ダム湖畔を通っている道筋が酷道と言えるが、ここも現在迂回路を建設中で、間もなく(と言っても1年以内では無理)国道にふさわしい道路になるでしょう。

で、「愛のみず」の独断と偏見の水評価は、さらにうまい水を飲んでいるのか、コーヒーでは特段美味しかったとまでは言えず
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした 

詳しい場所


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NO191:武蔵も飲んだ「壱貫清水」(酷道429号の旅:そのⅢ)

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総社市を後に吉備中央町へ向けて走り出した。途中寄り道をして宮本武蔵の生誕地に在るとされている「一貫清水」を頂いてくる予定で進んで行った。
次第に山間部に入って行きます
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まだ国道らしい道路が続いています。時より立派な交差点も現れてきます
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岡山県を横断している旭川を咳止めている旭川ダム湖の為、ダム湖にへばり付いた道になっています
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この道を避けるために
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江与味第一トンネルさらに第二トンネルも出来ていますが、現在工事中で行き止まりでした。ダム湖沿いに進み
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津山方面へ旭川から離れて行きます。(津山・真庭← →岡山・倉敷)
そして、国道53号へ合流して重複国道となる津山市内
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国道53号と179号に429号の三つ巴国道の津山市内、この近辺で市内らしい町並みでした。
津山から東へ進む429号、やがて美作市地域へ
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標識には、美作市街と書いてありますが、市街は方向違いで、429号は宮本武蔵の生誕の地大原へと別れて行きます。
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ここから、429号から別れて生誕の地へ、田圃の中に異様なドームが見えたので行ってみると
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宮本武蔵顕彰 武蔵武道館と・・・おそらくNHK大河ドラマの「musashi」が放映された事がキッカケで新築されたのではなかろうか、

 『2016年4月14日PM21:26に発生し、未だ余震が続いている熊本を中心とする被災者の方々にお見舞い申し上げます。
何時もの事ですが、私が何ができるのか考えた時、無理をせずに自分のできる事をするという事が私のポリシーでございます。人は助け(支え)合って生きていると思っていますので、この地からは落ち着いた時点で考え、行動していきたいと思っています。命を大切に!』

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そして、宮本武蔵の生誕の場所へ、標識が見当たらずグルグル回りしてやっとの事で到着、その間には、智頭急行智頭線の駅の名前が宮本武蔵駅なる処とか、地元の方が作っておられた小便小僧
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宮本武蔵とお通の里とか、そして、鎌坂道の入口の鳥居?の前に在る
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たけぞう茶屋で、丁度腹が減っていたので、腹ごしらえをを兼ねて情報を仕入れたり、求める「武蔵も飲んだ一貫水」は鎌坂道を登って行けばある事が判明!(^^)!その前に
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                       宮本武蔵生家
 宮本武蔵の生家は約60メートル四方のここ宮本の構にあり大きな茅葺の家であった。昭和17年に火災に遭い現在の瓦屋根となったが、大黒柱の位置は昔と変わらないと伝えられている。
 武蔵は天正12年(1584年)に生まれ、父を平田無二(無二斎)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人であった。こうした武術家の家に生まれ育った武蔵は幼少の頃から武術にたけており、十三才の時、播州平福で新当流有馬喜兵衛に勝ち、それ以後諸国を巡って剣の道一筋に練磨し、二十九歳で佐々木小次郎に勝つまで生涯に60余度の勝負をし一度も負けていない。武蔵は剣の流儀を二天一流と称し、その兵法を五輪書、兵道鏡に残した。また、書、絵、彫刻、工芸を好み禅の修行を重ね「枯れ木にもずの絵」等、今日重要美術品とされている数々の作品を残して、正保二年五月(1645年)熊本の千葉城にて六十二才でなくなり弓削の里に葬られた。
                      美作市
もう一つの武蔵に関する逸話
武蔵の父無二斎は、兵学の指南役という身分柄、暮らし振りは豊かでしたが、生母は武蔵を生んだ後に亡くなり、その後迎えられた養母も離縁されて播州佐用郷の士へ再縁。武蔵は、九歳の時、再婚した養母の元へと出家するが、父の追手によって連れ戻される。
 無二斎は幼少の武蔵に得意の十手を教え込み、厳しく育てたが、当時から体格の良かった武蔵は近隣きっての暴れん坊に成長する。
ということらしい。生家は見て来なかった((+_+))
で、門構えの中を通り抜け鎌坂峠へと進んで行った。入って間もなく武蔵神社なるモノが
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武蔵神社とは  
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 郷土の生んだ剣聖宮本武蔵を祀る神社として、昭和46年4月奉賛会がその趣旨に賛同された方々からの浄財によって、天王山の平田家の墓地の近くに建立した。
 境内には武蔵の好んだ中唐の詩人白楽天の詩の一句「寒流帯月澄如月」が刻まれた戦気の碑があり、また、厳しい朝鍛夕錬の修業によって兵法を究めた武蔵が、その一生の自戒自誓の処世訓とした「独行道」を刻んだ碑もある。
 ここ武蔵神社は後世にわたって、武蔵の徳を慕う人達の心の聖地である。
                    美作市
境内に入って石段を上がって行くと
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簡素な社殿が有ります。その一段右下には
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右に、武蔵の両親の墓(平田無二・・無二斎 お政) 左に武蔵の墓が祭ってありました。

神社を下り、さらに峠に向かって進んで行くと
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本位田外記之助墓墓と書いてあり、何者かと思いきや、横にその由緒が書いてあった。これも当時の風情が偲ばれる内容なので
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 天正17年(1589年)竹山城主新免伊賀守宗貫の家中に小ノ谷城を預かる家老本位田外記之助がいた。城主宗貫が宿意を持ち、平田無二斎に外記之助を討取るよう命じた。無二斎は外記之助が武功忠戦の者でありまた無二斎とは師弟の間柄でしたので再三辞退したが許されず遂に討果たした。ここに本位田外記之助を葬り上意討にあった為墓石に文字を刻まなかったという。一方無二斎は「家中より妬み申すにつき引き込む」とある。
そして、さらに峠道を登って行くと
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鎌坂峠の湧水は、昔から今も脈々と今も湧き出ていました。名前が「壱貫清水」・・・そのイワレが
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 この清水は山陰山陽連絡の因幡街道の鎌坂峠の八合目あたりで年中変わらない冷たい水が湧いている。旅人が立ち寄り喉を潤し「ほんに一貫文の値打ちがある」(一両は四貫)と云って峠を越していったところから壱貫清水の名がある。参勤交代の鳥取藩主は、峠茶屋でこの清水を金の茶釜で沸かしたお茶で休息をとり峠を越していった。
また武蔵も、ふる里を後にする時、竹馬の友、森岩彦兵衛と別れを惜しんで飲んだのもこの壱巻清水である。  美作市
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吾輩も頂いて鎌坂峠は越さずに引き返して行った。
『吉川英治の小説「宮本武蔵」で中山峠と記されている峠は、兵庫県の鎌坂峠を含んだ峠であろうと思われる。武蔵は、関ヶ原の戦いから帰郷する時も、また、お通とともに宮本村を出て行く時にもこの鎌坂峠を通っている。
 宮本村を後にする時、武蔵は、ここで「おれは生きたぞ」と強く思い、同寺に「これからは生まれ変わるのだ!」と信念している。』武蔵ゆかりの地:鎌坂峠の件から

そして、さらに酷道429号の旅は続いて行ったのであった。

壱貫清水の水評価は、まぁまぁといったところでした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v

詳しい場所


   
  
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