NO190:「菊水の井戸」(酷道429号の旅そのⅡ)

まだまだ行かなければいけないので、長良山の谷間の道を抜けて長良集落へ

家並に入るまもなく、

立派な「菊水井戸」がすぐ見つかった。
直接井戸からは水は汲めませんでしたが、横に蛇口が設置され、水汲みに来る人の便宜も考えてありました。

菊水の井戸
左にある歌碑の歌は正応元年(1288)伏見天皇の即位に当って行われた大嘗会の時に詠まれたものです。ここに詠まれた「菊の下水」は、この井戸「菊水」であると伝えられています。
また、「菊の下水」と題した足守六代藩主木下きん定が撰した謡曲もあり、上林の「松井」「白井」とともに総社「備中」の三名水といわれています。

「汲む人の よはいもさそな 長月や 長良の川の 菊の した水」と書いてあるらしい・・・^_^;

正面には神社もあり、井戸を祀っている神社かも(?_?)
井戸水ももらい、次に進む事に、農道を走り再度総社バイパスに戻り、岡山自動車道、岡山・総社ICへ向けて走って行くと

国道180号の標識の下に429号の標識が付けてあった。という事は、この総社バイパスは国道の重複区間という事になる。データーでは、起点から終点までに重複する区間が数か所あるそうだ。
この自動車道を抜けてすぐ位に、変わった名前の神社があった。

矢喰神社(やぐい)と呼ぶらしい
御祭神:吉備武彦命
後に天満宮を合祀したので矢喰神社、又は矢喰天満宮と呼んでいる
創立年代不詳
吉備津宮縁起によれば、第十代崇神天皇の時百済の王子温羅(うら)と言う者があった。両眼大きく毛髪赤く頬骨強大、身の丈抜群その性勇敢腕力絶大常に仁義を守らず、日本を狙わんとする志があった。
本朝に来たり諸州を广覧する内、遂に吉備の国新山(よしやま)(後方の山)に登った
この地方の勝れたるを見てこの所に大門を起し、城壁を築き矢倉を立てて城郭となして居を構え、時には西国より帝京に送る貢物を奪取した。近里に往来して人民を悩乱せしめた、時の人この城郭を鬼の城と稱(となえ)し恐れた。
天皇勅して大吉備津彦命を派遣して之を征伐せしめられた。
即ち彦命は兵数千を率いて東の方吉備の中山に陣し、西の方は日畑西山(楯築山)に出で石楯を築き甲兵を引きい鬼の城へ向かい高羅と戦った
彦命、矢を放てば温羅の矢と空中に噛合い海中に飛び入る。
其の所に宮を建てて、矢喰い宮と云った。之が今日の矢喰神社である。
彦命再び千鉤の矢に大矢二筋を番(つか)え発したところその一矢は喰合って前の如く海中に飛び入ったが、他の一矢は温羅の左眼に命中した流血で流水の如くであった。その所を名ずけて血吸川と云う。
是に於いて温羅は雉となって山中にかくれたが、命は鷹と化して之を追うた
次には鯉と化して血吸川に入ったので、命は鵜と化して噛んで之を揚げ、その所を名づけて鯉喰宮と云った。(南東2キロにあり)
温羅、遂に錘旗を垂れ鋒刀(ほうとう)を棄てて降ったとある。
以上は吉備津彦命にまつわる物語でこの地方に昔から語り伝えられている伝説である。
左側の砂川が血吸川で血吸石がある。当時この辺りは海であった。
高松観光協会

郷土記念物:矢喰の岩

この岩には、吉備津彦命と鬼神温羅にまつわる伝説の中で「吉備中山に陣取る吉備津彦が射た矢と鬼の城に居た温羅が投げた岩とが空中でかみ合い落下した」といわれをもっている。
この矢喰神社は、吉備路のほぼ中央部、血吸川に沿った水田地帯の中に位置し境内に有る大小5個の花崗岩から成るこれらの岩は古くからの伝説とあいまって地域の人々に親しまれている。
岡山県
ここに書いてある血吸川をググってみると、矢喰神社の横に今も流れているようである。この川を溯ると「鬼ヶ城」とか「温羅の遺跡」とかがあります。それで、たしか桃太郎伝説は岡山県吉備地方の話であったと思い出し調べてみると、やはり、昔話「桃太郎」の原作となったみたいです。
そして吾輩は、429号を求めて出発して行ったのでございます。

重複していた180号は岡山市内へ、酷道429号は岡山県の山の中吉備中央へ、吾輩はモチロン429号へ入って行ったのでした。
「菊水の井戸」の水評価ですが、まぁ普通の井戸水と言ったところでした。この近辺は瀬戸内海という事もあり雨が少なく、昔から水が大切にされてきた地方という事ですね
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は
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