NO196:上桂川に湧く「福寿の水」

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「酷道429号線の旅」を終えて、次なる名水探しの旅は、旧京北町の川原に湧き出でていると言われている幻の名水「福寿の水」を、満開の桜狩りと共に行ってきました。
旧啓北町と言えば、現在は京都市と合併して右京区に編入されていますが、吾輩の地元から行くには結構不便な所なのです。
行き方としては、正道の大野ダムを経て旧美山町から酷道142号線へ入り旧啓北町へ行くルートと、日吉ダムの横を通って京北町へ入るルートがあります。
今回はドライブがてらという事もあり、行きは日吉ダムを通り、帰りに大野ダムによって、前日に大野ダムに行ってきたというお友達の話から、桜の満開のダム湖を見て帰って来るという計画を立てて出発した。
天喜も上々で桜もきれいに映えるだろうと期待を込めて京都縦貫道から丹波ICで下り、旧日吉町へ殿田(現日吉駅)の駅をへて日吉ダムへ入った。
写していたと思っていた写真も無く、なんだかんだと有りながら(今回はカーナビを頼らず行ったものだから、亀岡の山奥愛宕山の麓まで行ってしまい、あわや保津駅まで出てしまいそうになり引き返す)旧啓北町の中心地周山に着いた。
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市街に入る前の桜にまずは驚き、感激していたら市内を流れる弓削川の両岸に
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まさに満開!合せるように街中では
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周山街道・花降る里まつり の催しが開かれ賑わっていた。
まずは、第一の桜ポイントであった魚ヶ淵の吊り橋の桜を観賞しに
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周山町から桂川を数キロ下ったところにありました。
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桜の色は写し手がへたくそなのでご勘弁をm(__)m そして少しづつ遠くから写して行けば
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そして
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さらに
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魚ヶ淵の河原と桜
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桜も良かったですが、魚ヶ淵の河原もバーベキュウで楽しめそうな場所でした。
その後、周山まで戻り国道162号の周山街道(京都市内太秦方面)に行かず、鞍馬へ抜ける花背方面へ続く国道477号へ常照皇寺へ向けて入って行きました。
今回の本来の目的は、常照皇寺の境内に咲く三名桜木と云われている国の天然記念物指定の「九重桜」、御所から株分けしたと言われている「左近の桜」、一重と八重が一枝に咲く「御車返しの桜」等々を見たさあまり、無理やり湧水の出ている所を探してのドライブでした。その他にも、湧水が出ているという黒田集落の山奥には、「伏条台杉」という巨木があるそうなという情報もあり時間が有れば行きたいところである。
少し進むと
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山国地区の看板が出て来ましたが、この山国郷の土地から「山国隊」という濃兵隊を結成、官軍で活躍し時代祭の先陣を歩く鼓笛隊の発祥の地という。
   
看板から少し先に
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チョイト写した角度が悪いが、山肌に咲いた綺麗な桜も、そして間もなく
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常照皇寺に到着(*^_^*)
桜のアーチの参道を抜けると、右手の小高い丘に
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紅枝垂桜(というらしい)が出迎えてくれます。
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上側から見た桜
さらに上がって行くと
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参道が石段へ、その横には立札が
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常照皇寺のいわれが
 常照皇寺とは、「大雄名山万寿常照皇寺」の通称。以前は、常照寺と略称していた。 
 当時は、南北朝期の北朝初代光厳上皇が1362年(北貞治元年、南正平17年)頃開創。臨済宗京都嵯峨天龍寺派に属す。一説には天台宗系の成就寺という廃寺を改めたと伝えられている。
皇統譜による第102代後花園天皇が境内裏山万樹林や小塩田260石等を光厳上皇の香華料として献納。皇室と檀家が力を合わせて護持に努めてきた。
 戦国期の1575年(天正7年)、丹波の守り、明智光秀の山国全焼戦による寺域全壊の後、江戸期の後水尾天皇の「ひねりごうし」のこぼれ話にあるように、志納などで漸次回復した。また、幕末・明治期の王政復古もあって、皇室経済は由緒寺院への下賜金を繰り返し、堂宇庭園を拡大したが、第二次世界大戦のあおりにより多くの寺田や寺の資産は亡失。その後、現在の姿に復元した。
                     京都市
石段を上がって行くと
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山門をくぐると
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壮厳な佇まいの建物が見えてきました。正面の柵を左に歩いて行くと
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お寺の入口に到着。おしりばかりでごめんなさ~い(~o~)
本堂の大広間
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その後ろの縁側では
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そして、中庭(境内)の全景
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境内の庭には後ほど行く事にして、さらに奥にある開山堂という怡雲庵へ、(撮影禁止とは書いてなかったので撮影させて頂きました)
入った正面
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入口側
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正面側の位牌は歴代天皇のでは?・・・しかし天皇家は「神さん」ですので位牌自体があるかどうか(?_?)
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これが正面の方向です、部屋が暗く写真がぶれていますが祭壇には見出しの人物像が安置されていました。拝観のしおりには「常照皇寺は、光厳法皇(1313~1364)によって貞治元年(1362)に開かれ、歴代天皇の帰依を得た皇室ゆかりの寺で「大雄名山萬壽常照皇禪寺」を正式名とする臨済宗天龍寺派に属する禅宗寺院です。
 朝廷が南北に分かれた頃、吉野後醍醐統と京都光厳上皇統が、武権足利を後ろ盾に60年余も乱争しました。光厳法皇は、40歳も過ぎる頃、禅の修行の道に入り、戦亡慰霊の巡礼を重ねる途上、この地の無住廃寺を改修して小庵の和尚となったのです。そして世の静謐(びつ)を祈りつつ崩御され、寺の裏山に三国陵として祀られました。
ということで、まつってある木像は、光厳法皇であります。
堂内を一巡して、境内の桜を見に、順路として
御車返しの桜
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一重と八重が一枝に咲く名木ですが、まだ三分咲きでした。
次にあるのが、九重桜
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国の天然記念物に指定されています。三代目らしく、二代目は
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そして、御所から株分けしたとされる「左近の桜」
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どこがどうだと言われればワッカりマシェンが、桜満開できれいでした。ある人によれば、「毎年来るのだが満開にお目に繋れる時ばかりでないので難しい」 そうです。
桜も堪能し、玄関を出ようとすると、相方さんが「○○ちゃんと違いますか?」といった瞬間「○子」とびっくりした様子(@_@;)
そう、京都市内に住まれる相方さんの従姉(いとこ)です。という訳で、二人並んでハイポーズ
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久し振りに出会った従姉、相方さんもルンルン気分でお別れし次なる地へ、帰りは別道
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この道の裏の突き当りには光厳法皇の山国御陵が祀られていますが、写真は無し。次なる目的地である黒田地区に在る『黒田百年桜』へ、また、その近辺に「福寿の水」が出ているという。
常照皇寺で地元物産を買い込みいざ黒田へ、途中「発電所の桜」を見て
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石碑には「発電所ができるよりはるか以前から上流に咲いていたこの桜
先人が、心を込めて、ここに移して70年有余年、樹齢は百年に近いと思われる。
桜は、百年たっても花を咲かせ、楽しませてくれる。
我々も、高齢となっても世に尽し人々を楽しませるようでありたい。
桜は偉大である。」
  平成8年4月   関西電力株式会社 京都支店
もう一枚
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そして黒田百年桜に着いてみると
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チョイト早すぎた・・・((+_+))・・・なんでも一週間早すぎた模様
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一応説明を:この桜は、山桜の突然変異で、十~十二枚の八重の中に一重が混じる珍種であり、紅色の大輪の花が手鞠のように固まって咲く。幹の太さ輪約2,8m、高さは60m、樹齢は300余年とも言われている。
 突然変異のため種子はできないが、円山公園枝垂桜などの桜守と知られる造園業の佐野藤右衛門親子が、昭和52年(1977)約30年に及ぶ執念により苗づくりに成功し、父の十五代目佐野藤右衛門氏がこの幻の品種を「黒田百年」と命名した。
 昭和58年(1983)には、造幣局の桜の一般公開「通り抜け」百年を記念して、若木二本が同局内に植樹され、この親睦木も「百年桜」として広く親しまれるようになった。
                  京都府
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向かいには、おーらい黒田屋という名称の物産店と駐車場があります。
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まず尋ねたのは、伏条台杉を見に行きたいが何処から登れば良いのか?・・・売り子のオバサマか駐車場の係りのオジサマか思い出せないが、曰く「保護のために観察通路には鍵がしてあり、地元の方と行かれた方がよい」との事、ただし、ボランティアと言っても約半日程度必要との事からガイド料8000円頂いているとの事、今回は時間の都合もあり、またの機会にお願いする事にして、二つ目の「湧水の件」を尋ねてみた。
光善寺というお寺の後ろの河原に「福寿の水」という湧水が出ているらしいですが、光善寺とはどこですかと尋ねてみると、売り子のオバサマ、近くにいたオジサマを呼んで来て、この方が管理をされているので聞いたらと紹介してくれました。
そのオジサマというのが、チョイト見えにくいが上の写真に偶然写っていた左のテント内にいる方でした。
話を聞いてみると、どうも湧水が出ている辺りを開発されているらしい、まぁ開発と言っても所有地の山(吉野山というらしい)を「吉野山自然観察の森」として公開しているとの事、湧き水も汲めるように工夫したとのことで案内してやると車でご一緒する事にした。着いた先には
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里山再生:吉野山自然観察の森と清流 赤松林の育成事業 広葉樹 株 山桜の群生 
   入山は申込み制:075-856-0137 と書かれてある。
その前の道を隔てた辺りに、探していた光善寺は有りました
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現在は無住寺院だそうですが、事前に調べた情報とは違い寺の前を通り山道へ、すると道を塞ぐように
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自然観察の森と書いた、玄関というかゲートが作ってあった。管理人の井本氏
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お仕事を退職されてから、吉野山の公園化を手掛けて来ている様で、今回は時期が少し早かったので山一面に咲く山桜が自慢らしい(*^_^*)
また、15年ほど前から赤松林を植林手入れをしながら、○○の菌を植えつけているという・・・・・もうそろそろ生えてくる時期かな~と楽しみの様子。
井本氏の案内に付いていくと
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伏し条台杉が出て来た。本来はこれでも小さい方なのだろうが、相方さん(もともと背は低いが)比べてみても立派なスギである。
そして上桂川の河原へと
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付いていくと、そこにはコンクリートで作った水溜が2個このトタンの下に在るのです。
一槽目は、湧いてくる水を水槽に貯めて汲み易いように湧水を出しています。
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二槽目は、岩の割れ目にパイプを差し込み水を出してきている
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吾輩は、雑菌の少ないと思われる2個目の方を頂いてきました。1個目の水溜には「名水 天恵愛の湧水」が書いてあります。二槽目の水は「福寿の水」でした。
そして、これは必ずブログに載せてほしいと
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そう、水質検査結果表です。なんでも7~8万円ほど自費で調査してもらったと。それほど自信持った美味い水のようです。
詳しく書くと
採水地点:吉野山湧水 採水日時:平成19年1月25日 採水者:依頼人(井本壽一・宮司)
一般細菌:検出せず 大腸菌:検出せず 硝酸態窒素及び亜硝酸態窒素:0,07mg/l (10mg/l以下) 塩化物イオン;3,8mg/l(200mg/l)  有機物(全有機炭素(TOC)の量):0,5mg/l(5mg/l)  PH値:6,68(5,8~8,6) 味:異常なし 臭気:異常なし 色度:1未満(5度以下) 濁度:0,1(2度以下) 遊離残留塩素:0,01未満(管理基準0,1mg/l以上) でした。
依頼人井本氏は、黒田百年桜が植わっている春日神社の宮司様でした((+_+))
宮司と兼業の仕事を退職されて十数年、黒田の地を村おこしの為「里山再生会」を立ち上げ活躍されているそうでした。
ここで、なにを思ったのか相方さん「私の叔父が京北で働いていたのですが知っていますか」と言い出した。すると井本氏「その人ならよく知っている、昔はよく酒を酌み交わしたものだ」と、コレマタ偶然の話の成り行き。世の中広い様で狭い世間であった事のビックリポンの二つの出来事で、満足な気持ちで帰りの途についた。
最後に立ち寄る大野ダムへ向かっていたら
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立派な桜の木が、後程調べてみたら、京北第三小学校下にある「出逢いの桜」というシダレザクラ、樹高17mの京都府下随一の大きさだそうで、この桜の下でお見合いをすれば一発で決まるとか・・・定かでナイうわさ・・・だそうで・・・大野ダムにたどり着くと
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大野ダム桜まつりも終わり、みなさん片付けに勤しんでおられました。我々も桜も堪能していたので素通りしての帰宅になりました。という区切りの良いトコロで ハイ 終わり。

独断と偏見の水評価は、美味しい水でしたが、眼から星が出るとこまではいきませんでした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v

詳しい場所




   

    
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NO162:嵯峨野の隠里「水尾の里の水」

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今回は、「柚子の里」でも有名な嵯峨野の隠里、水尾の集落の近く愛宕山の中腹に湧き出る「水尾の里の水」を頂きに行ってきました。
この日は、前日京都縦貫道が北部から京都市内まで全面開通したため、調子者の吾輩は居ても経ってもいられなく、昼前から「奥方」に市内までどのくらいかかるか確かめてくるワぁ~といって家を飛び出しての一人旅(^^)/
事前に調べて、嵯峨嵐山の山奥に「柚子の里」として、たまにテレビで放映される「水尾」という集落の近くに湧水が出ているらしく、今回縦貫道試験走行がてら、亀岡市→水尾→嵯峨野を回り帰宅のコースを考えていた。「奥方」の気分が悪い時は中止も考えていたが、そのような態度は無く気分よく出発した。
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まずは京丹波パーキングエリア、上下線共通施設になっており道の駅「味夢の里」が併設され、一般道からも来る事ができるようです
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高速駐車場からコンコースを抜けると一般道からの駐車場と全天候型グランドが作ってありました。
対向車線は所どころ渋滞をしていましたが、上り方面は通常より交通量は多いいものの渋滞はなく快適に走り、与謝野町入口から亀岡篠までが、この日の走りで丁度1時間でした。
亀岡に下りて、保津川対岸の保津地区から近道を利用して行こうと
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水尾まで5kmと標識にかいてあり、道順はOK
進んで行くと
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前方にゲートが
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これは獣除けの柵ではない((+_+))
諦めて道が狭い所でのUターン難儀をしていたら、スクーターのお兄さんがやって来たので柵の事を尋ねてみると、この柵を越えてももう一つ有るので無理やでぇ~との事、お兄さんは其のスクーターで柵の脇を通り抜け
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消えて行ってしまった。吾輩はしぶしぶ引換し、旧八木町から旧京北町へ抜ける道
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車一台の幅、名ばかりの国道477号を走り
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嵯峨、水尾の分岐を入って行った。この国道477号さらに京北越えて、鞍馬の花背峠から大原に抜けそこから滋賀県の琵琶湖大橋まで続いていた。この道も国道とは名ばかりで、どうも酷道のようである。
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右下の小さい案内板には
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にほんの里100選:宕陰(とういん)の棚田と書いてある。
少し期待を持ちつつ進んでくと、山奥の中急に視界が広がった。
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道の突き当りに「宕陰(とういん)の棚田」の案内板が写真入りで立ててあったが、
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稲の穂が大きくなり上から見たのではどこが棚田だか分からなかったので、写真は撮らなかった。(右京区のHPを参考にしてください)
そして、集落のはずれに
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大樽を活用した事務所の様なものが有りましたのでパチリと、その後ろの作業場の名前がまたイイ「平成10年度・きらめく農村女性活動推進事業」鎧田の里直売所(ウイキペディア:樒原の棚田は その形から「鎧田」と呼ばれ、四所神社の社の森はその形から「兜の森」と呼ばれる。)なる看板が掛けられていた。  
その横に四所神社が祀ってあった。
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(樒原集落の氏神として四所神社があり、愛宕神社の奥宮を勧請して戦国時代末期の1552年に創建された)その神社の境内端に
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大木が祀ってあった。車で走っていても見えるとこなので、この木を撮ろうと止まったところ、先ほどの大樽と四所神社がある事が分かったのである。そして、さらに先に進んで行くと。
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愛宕神社参詣道が見えてきた。愛宕神社参詣道は、表参道が清滝方面からと裏参道の宕陰側からが有ります。こちらは裏参道のようです。
水尾へ向かって進んで行くと、橋もない道の下からドウドウと水が吹き出してきている
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道は
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その上は
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スギ林で沢らしきものは無い。二日前の台風の影響でこの辺一帯大雨が降っており、見出しの保津川もあのような泥水((+_+))その影響なのだろうが、近くの斜面からも
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大雨の伏流水が出ていた。その近くの壁面の水抜きからも
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水が出ていたが、見渡してもここだけ
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おそらく、湧き水として常に出ている所と判断して、少々もらって帰る事にした(^_^)v
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しかし、今回尾目的「水尾の里の水」ではなさそうなので、ゆっくり走りながら探して進んだ。
そうこうしている間に「神明峠」まで登って来た。
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すると、厳重に鍵の掛けられた扉が
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スクーターに乗ったお兄さんが言ってた「もう一つの扉」とはコノことかと理解した。こちらには通行止めの看板が置いて在った。
峠を越えて下って行くと見晴らしの良い
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この山が愛宕山だろうか、そしてもう少し下って行くと
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水尾の集落も見えてきた。そしてここでも湧水が
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多いい所では滴るどころか、流れ落ちていた。
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その横の沢水も勢いよく
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ここは橋の下を流れ下っている
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その端の方で
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情報元のトユから流れ出ているというもの
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無事「水尾の里の水」をゲット(^_^)v「嵯峨水尾(さが みずお)は、京都府京都市右京区の地名。「柚子の里」や「清和天皇陵」などで知られている。「きれいな水が湧く所」という意味がある。古くは水ノ尾とも水雄とも書き、「みずのお」「みのお」とも呼ばれたが、集落の位置が清滝の川尻にあたることから水尾という表記になった」(ウイキペディアから)愛宕山の山肌から流れ落ちる水を見れば、納得する道すがらであった。
目的の湧水もゲットする事ができ、後は帰るのみ。水尾集落の手前で
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道の両脇一面柚子畑、集落に入ると道も狭く前から後ろから車の攻撃((+_+))よけながら進んで気づくと
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集落を通り超えていた。そのままさらに前進
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この看板チョイト正確ではない。新保津峡駅は
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この橋を渡り奥に行ったところに在る。それにしても、ここに来るまでに多くの登山ハイキンググループに出逢った。愛宕山から下りてきた人が保津峡駅から帰られるようである。そして、旧保津峡駅へ向かう途中
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新保津峡駅の駅と増水の保津川、そしてこちらは、ラフティングのお客様
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そこからまもなくトロッコ保津峡駅に着きますが、駐車スペースが少なく、すれ違いができそうな道に止めて行ってみる。
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駅の入口がこんな感じです。
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旧保津峡駅の案内図で、こちらが渡る吊り橋から写した景色
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濁流の下流側
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トロッコ列車もいなかったので帰ろうとしたらピーという音が聞こえたので振り返るとトロッコ列車が入って来た。早速引き返してハイパチリ撮った写真が中途半端
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これでご勘弁を(^_^)/~
さらに嵐山へ向けて進んで行くと、初めて見たこんなものが
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  嵯峨天皇  皇后嘉智子
嵯峨陵
                参道
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これより40m先で通行止めです。遙拝所・案内パネルあります。  宮内庁
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その横に
   ゆずの里 090-bb
通行止めのお知らせ:これより先、嵯峨陵の参道は、落石があり大変危険なため、当分の間通行止とし参拝を停止させていただきます。(期間未定)
おそれいりますが、参拝にお越しの方はこちらから遙拝願います。
 宮内庁書陵部 桃山陵墓監区事務所
 電話075-601-1863
 京都市建設局 西部土木事務所
 電話075-871-6721
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    嵯峨天皇皇后嘉智子 嵯峨陵
第52代嵯峨天皇の皇后[786~850]
御名は嘉智子
父は贈太政大臣 橘清友。 母は田口氏
嵯峨天皇が親王のとき妃となり、天皇即位御後の弘仁6(815)年皇后となlった。
仁明天皇及び淳和天王の皇后(正子内親王)の生母である。
皇后は仏法への信仰が厚く、京都嵯峨に壇林寺を建てたので、世に壇林皇后という。
(嘉祥3(850)年、崩御。新谷山に葬られたが、違令によって薄葬し、山稜は営まれなかった。明治45年宮内省によlって治定され修陵がなされた。)
  宮内庁書陵部 桃山陵墓監区事務所
其の後
   ゆずの里 086-nn
こんな道を登り
   ゆずの里 093-mm
愛宕念仏寺付近に出て「普通の道」に、この辺りも混雑の模様、故に嵐山を迂回して縦貫道へ向かった。
 終わり

今日は8月15日「終戦の日」戦後70年。「私の街も戦場だった」・「私たちに戦争を教えて下さい」等々テレビ放映がありました。
其の戦後70年の今、国会では「戦争法案」といわれる「安全保障関連法案」が衆議院を通り、参議院で審議されています。安倍内閣は「中国・北朝鮮」の脅威をあおってアメリカと共に戦える事が必要だと、武器を使用できる法案を「憲法違反」と言われる中でも「合憲」だと押し通そうとしています。このことは、安倍内閣が合憲と言えば何でも合憲となる、憲法無視、憲法の内容を国民が決める国民主権をも否定する最悪な行動であると思っています。
消費税の流れの少しずつ税率をふやしていき国民の感覚を麻痺させていく方法と、自民党政権が9条を骨抜きにするため戦後一貫して法案を作り上げてきている流れを見ていると、まさに国民をないがしろにしている思いが強まってくるのです。
(中国・北朝鮮の対応は現法律で十分対応できる中、それでも今回の法案を通して世界何処でもアメリカ軍と戦えるという事がどう言う事か)
戦後70年今一度、一人一人が今後の日本の進む道を考える時ではないでしようか。

      
独断と偏見の水評価は;すっきりとした感じのコーヒーが楽しめました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は
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