NO232:生野天神社の「湯上(ゆがみ)の泉」

  2017,7,9柏木街道 006-1q
60.小式部内侍
『大江山(おほえやま) いく野(の)の道(みち)の 遠(とほ)ければ
まだふみも見(み)ず 天(あま)の橋立(はしだて)』
小倉百人一首、地元の方ならだれでも知っている歌でありますが、その中の「いく野」の地の湧水をいただきに行ってまいりました。
というのも、前回の「ロクロ不動の観音水」が取れなかった場合に、補足として探しに行った水紀行であります。
この「いく野」の地は、福知山市内から9号線を京都方面へ走って行くと、高速の陸橋下を通り長~い直線道路が終わり急坂を上り切ったあたりの集落であります。登り切ったあたりに見出しの大きな看板が目に入るので分かります。
その集落に入った所に
   2017,7,9柏木街道 008-1w
これを読めばよ~く判るので
ようこそ  生野の里へ  お越し下さいました
 このあたりが、約千年前の平安時代から京の都と丹後の国を結ぶ京街道宿場町として栄えた「生野の里」です。江戸時代へ入っても貝原益軒の「西北紀行」にもその賑やかな様子が描かれており、丹後の宮津藩主は参勤交代のとき、この地で一泊したといわれ、今も本陣跡が残っています。
 それだけに都では、生野の印象が強く、このことは当時の和歌に、生野を詠んだものが多いことによってもうかがえれます。
なかでも、有名なのは小式部内侍が詠んだ
 「大江山生野の道の遠ければ まだふみもみず天橋立」
 小倉百人一首にも詠まれたこの歌には、次のような秘話が残っています。
 小式部は、平安時代の有名な女流歌人、和泉式部の娘であるが彼女自身は歌を詠むことは苦手だと思われていた。母(和泉式部)が再婚して丹後宮津にくだった後、都での歌合せの席で小式部は、母がいないと詠めないだろうからかわれたが、即座にその母を慕って詠い、一座の人々を驚嘆させた。この歌は、大江山や生野の道は都から遠いのに、さらに遠くの母のいる天橋立の地は、行ったこともなく(ふみもみず)、便りもなく(ふみもみず)その身を案じているという母思う切ない心を詠んだものだと言われている。
 このほかこの地を詠んだものに
大江山遥かにおくる鹿の音は、いくのをこえて妻を恋ふらむ 
                     (権中納言実盛)
大江山越えて生野の末とほみ 道ある世にも逢ひにけるかな
                     (新古今集)
 近くには六人部七天神第五代の生野天神社があり、境内には椎の大樹にまつわる「金の椎の実」の民話が残っている。
 また、式内社 生野神社が、ここから一粁程下った三保地区に鎮座する
  西方には小倉山(通称 城山と呼ぶ)があり、地元の言い伝えによると、当地方は、綾部藩の領地で、山の中腹のとりで(見張所)から、藩の命を受けた生野の庄の住民が見張りにつき、異常があれば早馬で半に通報することになっていたとか・・・
  平成八年三月       福知山市生野区
その近くの道端には
   2017,7,9柏木街道 007-2e
古道 京街道 (地域作り協議会)の道しるべが立ててあり、その道を行けばいくのであろう生野神社には、車ではチト無理なようで生活道路を使用して行ったのでありました。着いたところは
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 181-1r
生野天神社、此の石段の所に椎の木が有り
 17,6,25ろくろ観音・生野神社 183-5q
それほど大きな椎の木ではないが、これが伝説の「金の椎の実」のようである
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 182-5w
 生野の天神さんの森には椎の古木がたくさんありました。この椎は、大昔、大神宮さまが丹波から伊勢へ移られる途中、ここでお休みになりました。その時におともの者が、食用としてもっていた椎の実をまいたのがもとになり、立派な氏神さんの森になったと伝えられています。
 この生野の里にみいちゃんと呼ぶ十歳位の女の子がおりました。お父さんはなくなり、お母さんと二人暮らしの気のやさしい女の子でした。お宮さんの下にある雲田たんぼに黄金の波を打たせてみんなを喜ばせた稲がすっかり刈り取られた頃、お母さんは病気になりついに寝込んでしまわれました。
 心配なのはみいちゃんです、何とか早く元気になってもらいたいと毎朝早く起き出して天神さんへお参りしました。
 今日もお参りして帰ろうとしますと、大きな椎の木の根元に白いものがうずくまっているのが目に付きました。何だろうかとこわごわ近づいて見ますと、鉄砲で打たれたのか、あるいは木の上の巣から落ちたのか、白い羽を血染めにした、こうの鳥が傷ついていた両足でヒナ鳥をかかえてうずくまっているではありませんか、みいちゃんは「かわいそうに」といいながらだきかかえて自分の家に帰り、近所で大きなかごを借りてきてわらを敷き、その上に親子鳥を入れてやりました。水を与えたり、たにしやカエルを捕らえて来てエサにしました。親鳥は二、三日で死んでしまいましたが、小鳥は日増しに元気になり、飛び立てそうになりました。
 お母さんの看病の上、毎日鳥のえささがしに困り、仕方なく小鳥をかごから出しました。小鳥は喜んでバタバタと音をたてながら飛び立って行きました。
 それから二、三日たった静かな夜の事です。みいちゃんの枕もとで声が聞こえるので目をさますと、頭巾をかぶり紫色した衣をきた少女が、「私はお世話になったコウノトリです。そのご恩返しにお母さんのご病気をなおします。あの月が満月になったら、森の中の池のつつみに金色の椎の実をおいて置きますから、それをせんじてお母さんに飲ませなさい。お母さんはきっと元気になられます。さようなら」といってきえました。みいちゃんは、「待って下さい」と後お追いかけましたがもう姿は見えません。しかし飛び去った後に一本の黒い羽が落ちておりました。みいちゃんは夢であったかと思いながら、満月の夜、池のほとりを探しますと、金色の椎の実が落ちております。喜んでこれをひろって家へ飛ぶようにして帰り、いわれたとおりこれをせんじて母に飲ませますと、母はめきめきと元気になりました。
 女二人暮らしの家ながら、近所の人々もうらやましがるような明るい楽しい毎日を送るようになりましたが、みいちゃんの床には一本の黒い羽が飾ってあったということです。

福知山市老人クラブ連合会発行「福知山の民話」より原文のまま
この話はテレビの「マンガ日本むかし話」でも放映されたことがあります。
昭和10年頃まで椎の巨木が残っていました。
という話でした。「湯上の泉」も福知山HPでは
『湯上(ゆがみ)とは三俣の小字名である。地域内にある生野神社の森
の続きに三俣の田園が一望できる丘がある。ここに、むかし、山間か
らこんこんとお湯が湧き出る小さな泉があった、という言い伝えがあ
り、今ではお湯の代わりに水が湧いている。』
で神社の境内を散策、椎の木の写真は、物語の椎の樹ではなかった(+o+)
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 185-3t
荘厳な佇まいではないが、時代を感じさせる本殿には「由来記」が書いてあり、それによると「用明天皇の頃約1500年前、丹波の国七天神の一社として建立された」と、しかし肝心なコンコンと湧き出る泉の池は見当たらず、あきらめて車に乗り込もうとしていた所
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 188-3a
丘を切り裂いて作った直線道路、もしやと思い、その先の方へ歩いて行くと
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 180-3d
池の雰囲気が漂い、その先まで行くと
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 179-3s
祠が草にかくれて頭を覗かしている、さてはこれが伝説に書かれていた「杜の中の池」で「湯上の泉」ではと・・・
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 176-3f
泉というより蓮の沼と言ったところの池であった。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 171-4q
池に降りて行くと、誰かが草刈りをされた後の様子
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 172-3f
この溝をたどって行くと、
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 170-3l
その奥に土管の中から水が出て来ていた
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 166-3x
結構な量の水が流れていたが、草刈と池の泥上げをされた為水も汚れていた。最近どこかの県で、小学生が湧水を課外授業で汲んできて家族と飲んだ後腹痛をおこしたという事件がありましたので、水を汲むべきか汲まざるべきかかれこれ数分思案した後、とりあえず二本汲んで帰る事にしました。
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 178-3j
で、帰ってコーヒーを沸かしたのだが、やはり泥臭さが強く、おまけに綺麗な流れ出てきた水を汲んで帰って来たのですが、一日たった時にはオラオラが目立つようになり、腹痛予防のため捨ててしまいました。
独断と偏見の水評価は
((+_+)) にしました
詳しい場所は
     
生野神社と生野天神社と思い違いをしていたかもしれません、再度本来の生野神社をたずねて『湯上の泉』がどちらの神社に在ったのか確認してきたいと思っています。   



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NO231:福知山市内の「ロクロ不動の観音水」

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未だ開花しない「アベノミクス」をもじって「アホノミクス」と名付けて一躍有名になった「浜 矩子」女史が講演に来ることを知り、聞きに行く事にした。時間の都合がついたものでついでに、以前から探していた「ロクロ不動の観音水」を再度探しに行く事にしてAM10:00出発した。講演会は「福知山9条の会」が主催するのだが吾輩は入会していない、しかし参加はOKとの事、「福知山9条の会」の総会込であるからPM1:00開会だが、講演はPM2:00前後のようでそれに間に合えば良しという事で、まずは水探しへと行ったのでありました。
情報元は、福知山の観光の現況から見つけ下記のように書いてあった。
『日吉ヶ丘住宅団地横の市道から山道を登ると、行者が篭る堂小屋があり、この近くにある滝が「ロクロの滝」で、この水を「森垣の観音水」と呼んでいる。この水は大きな岩の割れ目から2~3m 下の滝つぼに流れ込んでいる。源流は親不知といわれているが定かではない。』
今回は地図を確認しての出発。国道175号を篠山方面へ走り福知山市街のはずれに「日吉が丘住宅団地」があり、国道からそちら方面へ入って行くと、幸運にも
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 106-1e
ロクロ不動尊の標識がすぐ目についた。時刻はAM11時前、講演会にPM1:00頃入るとしても2時間も余裕がある。
道の分れにも親切に
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 104-1q
案内がしてある、この時点では、ロクロ不動尊は相当有名で参拝者も多いいのかな・・・と思っていた。
集落のはずれからは地道になり
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 066-1t
進んで行くと、今や日本国中の山際の風景、ケモノ止のフェンスに突き当たった。
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 065-1y
鍵は無く簡単に入る事ができた。入って
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 103-1r
扉を閉めて歩いて不動尊へ向かう
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 064-1y
川が綺麗に整備されており気持ちが良い(^^)/ところが上がるにつれて
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 100-1u
周りの雰囲気がおかしくなってきた。するとまたもやフェンスの扉が立ててあった。しかし、この扉は獣用では無い事が一目でわかった。横の抜け穴?から入らしてもらい進んで行くと
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 099-1i
土石流が起きた様相、これは大変な事に
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 097-1p
だいぶ整理はされている様だが林の奥には流木の塊が荒れ放題、その林道を
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 096-1a
上って行くと新しい石仏群3体が見えてきた。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 110-1f
その後ろの沢はすごく崩落したまま。後で知ったのだが三年前2014年に起こった福知山市内が洪水に襲われた時に山落崩壊が起こった様であった。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 109-1f
その時、このロクロ不動尊の地域も全壊したそうで、そこに在ったお堂も全壊石仏も土砂の下にうずもれて、今年になって信者の方が石仏を寄贈されたとの事。
この惨事を目の前に見て、湧き水もこれではダメになっているだろうと、一度目はここで引き返す事にした。
集落まで戻ってきたら農家のオジサンが畦道を歩いておられたので、「ロクロ不動尊」の事を聞いてみたら、全壊したが水は汲めるんじゃないか、行った事はないが・・・との事、
それでは水だけでも汲んでこなくっちゃ・・・という事で再度引き返し石仏のある場所まで帰ってきた。
さてどこの道へ行けばよいのかと、こちらは上がって来た道を右に曲がり昇って行く方向
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 093-1f
もう一方は、新しい石仏の前の道をさらに左の方の奥に進んで行く道
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 094-1g
ひと思案して、
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 088-1h
右の方の道の入口にはお地蔵さんが迎えていてくれるようだ、おそらくこちらの道を上って行くと在りそうな予感がする
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 087-1j
山肌が崩落した所を修復してあるところを見ながら
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 085-18
ここにもと思いながら登って行くと
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 084-1k
福知山の市街が見える場所を通り越して進み
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 081-1z
公園跡らしき所へ到着
大正小学校創立百周年記念
ロクロ広場(公園)使用のお願い
 この広場は、大堀区自治会が管理し、皆さんが楽しくご利用頂く為、草刈りや環境美化に努めておりますが、特に山火事の発生には注意を払っており防火予防について皆さんに喚起をしているところでです。
 従がいまして、使用にあたっては、次の事項を厳守すること。
・・・・・・云々(うんぬん)
山壊崩落の事は書いて無く、広場には
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 080-1x
灯籠のかけらが散らばっており、ここに「ロクロ不動尊」が在ったのではと思い、ならば、滝は?と探してみると
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 077-1c
広場から続く林道の横に
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 076-1v
滝の跡であった様子の岩場、もしやこれが滝であったのか?滝もつぶれ水も今ではチョロチョロ
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 068-1n
しかし分かりにくいが岩の隙間から湧き出ている。これに違いない
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 072-1m
と、湧き出てくる少ない水を気長に溜めてペットボトルへ
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 074-2w
この時点では、めでたく「ろくろく不動の観音水」を汲む事ができたと、講演会の時間も迫っていたのでルンルン気分で帰って行った。
しかし、帰ってからサイトで「ロクロ不動尊」がUPされてないか探してみると
「坂道Heaven YOYA」さんのブログが見つかった。どうも汲んできた水は、本来の滝では無い事が判明  
水は取って来たものの、やはり本来の滝では無い事から後日再度「ロクロク不動の観音水」を、本来の滝が土石流で潰されていないか確認しがてら、あばよくは水も汲んでくるという事で出発した。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 164-2e
今回は納得いくまで探す為上記の準備をしての出発。
一つ、山へ入る時のアイテム『カウベル・クマよけ鈴』
二つ、最近は秋田県の例もあるのでクマよけ鈴だけでは心もとない、で『クマ除けスプレー』 
三つ目、長いモノ退治用ストック
それに、沢歩きの為の長靴とペットボトルに漏斗と杓子を入れるリュックで山に入って行った。
まずは、前回行けなかった石像の前の道を
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 112-2r
上って行ったが
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 113-2t
行き止まり、元ロクロク不動尊への登り口を探してみるがそれらしきものは無く、再度石仏の所まで引き返してきた。
やはりこの石仏の後ろの沢を登るしか滝へ行く事は出来ないようである。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 092-2y
意を決して沢へ降りて行った。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 115-2u
沢と言っても実質は斜面の縁を上って行ったのですが
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 116-2i
土石流の後なのか大から小の岩がごろごろ(*_*;その間を縫って登って行くと前方の岩の上に祠が見えた
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 117-2o
さては、この辺りがろくろく不動が在ったのだろうか・・・とすると滝も近いのかもと、祠まで登って行く事にした。
急な斜面をずり落ちながら、登りやすい所を探し探ししてようやく
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 120-2a
祠まで上り詰めれた。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 121-2s
見るからに弘法大師像の様だ(*^_^*)石像の前には、水を汲んで来てくれ!と言わんばかりに、マグカップが置いて有る。
しかし、こんなところまでも誰かが来て祀っているもんだな~と感心 (@_@;)
再度「無事水が汲めますように」と、お願いしておきソコから奥を覗いて見ると
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 125-2d
滝にしては小粒だが、格好はピリリと辛い絶景の滝が見えた。
しかし、以前に在ったであろうロクロ不動尊の境内は跡形もなく流し去られているのかその様子をうかがい知る事ができない(?_?)
滝に行くには、この祠の後ろの岩の絶壁を通らなければ行けない。
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 123-2f
その岩の下に通れそうな足場が有り、何とか通り抜けてみると
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 128-2g
さらに倒木、岩の散乱した斜面、そこを上って行くと
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 129-2h
おそらく境内に有った灯籠の端くれであろう石像も転がっていたりして、踏まないように進んで行くと滝の上に到着するのを阻むように
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 130-2j
流木で遮断、皮がむけて木肌はすべり易く、上って万が一滑ると下は岩肌の谷底(+o+)流木の下にはわずかな隙間もあるが吾輩が通るにはチト狭く、仕方なくズボンが汚れるのも承知の内で恐るおそる大木を跨ぎ無事通過、そして滝の上を確認
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 131-2l
おや(?_?)「大きな岩の割れ目から2~3m下の滝つぼに流れ込んでいる」との書き込みは(?_?)、事実は沢水が岩の上から落ちて滝になっていた。吾輩は岩の割れ目から・・・と言う箇所を湧水と思い込んで、その水が『ろくろく不動の観音水』とばかり思って汲んで帰ろうと考えていたのだが、これでは約束?が違う(~_~メ)
こうなれば、源流を確かめるノミと、さらに上流めがけて進んで行ったのであります。 
17,6,25ろくろ観音・生野神社 132-2z
さきほど跨いだ大木がはるか下の方へ見えますが、その下の谷底の深さの凄い事。そこから対岸を見ると
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 133-2x
僅かに口を開けた洞窟の中に石像群が見えた。おそらくロクロク不動尊の境内の一つだったのでは?と思ったが、土石流から岩が守ったのだと思います。しかし、こちらを見ている様で気持ちが悪く上流めがけて進んで行った。 
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 134-2c
先程来からこの植物がズボンにまとわりついてくるのである。
葉の先にトゲがあり強烈に引っ掛かるのである。そして、生地を貫通して肌まで刺してきて痛く、思わず写真を写してしまったものである。
源流探して登って行くと、川筋が二手に分かれて
谷水の多いい方が
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 135-2b
少ない方がこちらの谷
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 136-2v
谷水の多いい方へ行く事にした。 
谷合の山肌を歩いて行くと正面にV字渓谷が現れた。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 137-2n
正面は岩肌の渓谷。これ以上進めば危険この上ない。水も遠くの方は判らないが、観る限り岩の割れ目から流れ落ちている雰囲気ではなく、岩肌を縫って流れ落ちて来ている様子。依って退却を決断(^o^)/ 
再び沢水の合流点に戻り、もう一方の谷へ入って行った。こちらもしばらく歩いて行くと
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 140-2m
木々の間から山肌の崩落した所を修腹した斜面が目に入った。こちらの谷も終わりに近づいている様子。
もう少し歩いて谷底を覗いて見ると
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 141-3q
源流らしき水たまりが見えた。そこを見ていると、そこから水がわずかだが流れ出している。おそらく伏流水だろうが、この水を汲んで帰る事にして谷底へ降りて行った。そして水汲みを開始
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 142-3w
これを「ロクロク不動の観音水」として持ち帰る事にして帰り支度、さてさてどこから帰るべぇか・・・
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 143-3e
ここから先は倒木等で行けない(*_*;
元来た所を変えるにはチト怖い(@_@;)
山肌が修復されているという事は、上に上がれば道があるカモ・・・と、急斜面を上って行くと
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 146-3r
道らしきものが見え、光が差し込んできた。 
  17,6,25ろくろ観音・生野神社 148-3t
無事道まで上がって来る事がでホッ(*^。^*)
道は奥へ続いている。そういえば「坂道YOYA」さんのブログに林道の突き当りに「沼」があると書いてあった。
吾輩もここまで来たからには見ておかなければと、奥に向かって歩き始めた。
ここが谷底から見えた山肌を修復した跡
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 158-3u
谷底の倒木が見える。10分ほど歩いたであろうか
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 151-3u
自然にできたのか、人口の沼なのか判らないが、思っていたより汚い(~o~)道も
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 154-3o
沼の周りを一周できるはずだが、途中で無くなっている。水が湧いているのか
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 153-3i
出口からは、湧き水にしては多めの水が流れ出ていた。この水はいかんや、吾輩が登って来た谷にはこの水は流れて来ていない、という事は、登るのを断念した方の谷合に流れて行っているのだろう。
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 137-3s
福知山のHP内の「ロクロ不動の観音水」の説明に書いてあった
「ロクロの滝」で、この水を「森垣の観音水」と呼んでいる。この水は大きな岩の割れ目から2~3m 下の滝つぼに流れ込んでいる。
部分の描写は、断念したV字渓谷の写真を拡大して判ったのだが、この岩場の事を地元の方は言っていたのではないかと、この沼から出た水が岩場の隙間に入り込んで流れ出て来ているのだと想像してみた。
何はともあれ、「ロクロ不動の観音水」の水汲みは無事何事もなく終了、帰り際に道の真ん中に咲いていた
   17,6,25ろくろ観音・生野神社 161-3a
一輪のタンポポの花に癒されて帰ってきました。
水の評価は
山の伏流水だと思うのだが、軟水系の爽やかな味で嫌味なく「少しゴミも」入っていたのだが気にせず最後まで飲んでしまいました。
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆でした。
詳しい場所は

     

        
  

NO214:小野小町伝説「湯あみ池」

   長安寺のモミジ 015-1q
NO213の「千手寺のお香水」と後先になりましたが、NHKテレビで福知山の紅葉の名所・長安寺を放送していたのを相方さんが見ていて、日曜日に連れて行けと駄々をこねる。それなら、近くにある「日本一のたい焼き」を買ってくれるかと問いただすと、OKだと言う。仕方なく行く事にしたが、近くに湧水が出ていないかと探すと、小野小町がキズを癒した湧水があるという。それも汲んでくるという事で出発した。
福知山の国道9号から酷道429号に入り、やく500m程走ったところを右に曲がり山へ向かって走ると
    長安寺のモミジ 047-1w
さらに奥へ進んで行くと長安寺の駐車場へたどり着きます。
   長安寺のモミジ 019-1e
思っていたより大きな境内を持つお寺さんであった。拝観料300円を仮の事務所で払い順路に導かれて歩いて行く
   長安寺のモミジ 022-1t
石段にたどり着き見事な紅葉の景色を楽しむ。
   長安寺のモミジ 023-1i
福知山十系景:臨済宗南禅寺派の禅宗寺院。境内には四季折々の景観と枯山水の庭があり、特に秋の紅葉は見事で「丹波のもみじ寺」として広く知られています。背後の姫髪山は「丹波大文字」で有名です。
しおりから~長安寺は第三十一代用明天皇の第三皇子、麻呂子親王(聖徳太子の御実弟)が勅命によって丹波の国大江山に棲む鬼征伐の途次、戦勝祈願のため薬師如来像を刻みこみこの地に奉祀されたと伝えられています。その後、再三の火災にかかり焼失しましたが、福知山初代城主、杉原家次公(豊太閤の正妻寧子の方の伯父)によって再建され、飛鳥後代の名作麻呂子親王御自作薬師如来像を安置し現在臨済宗南禅寺派別格地となっています。

本来ならこの石段を上って行くのだろうが、石段を上がらず紅葉の多いい方の左の地道へ進んで行くと
   長安寺のモミジ 024-1u
売茶堂なる建物が、お茶を売る建物カイナ?と・・・横に石碑が
   長安寺のモミジ 025-1o
売茶堂:日本和煎茶道の始祖売茶翁の木像月海元昭禅師を有する。日本最古の木造なり。
 翁は延宝三年(1673)佐賀県出る幼名山垣菊泉、12歳で出家得度し○を月海元昭と改む。禅を極め58歳で京都東山に通仙亭を構え文人墨客等と○○し自粛自戒・自在自由の境涯「雨よし○よし吉よし凶よし日々好日」又・・・読めない箇所がある為こちらを
参照月海元昭本殿木像は売茶翁研究家谷村為海氏の所蔵なるも昭和63年夏売茶真流の創流を賀し長安寺第30世正木義完家元に特志寄贈された文化財である。
 天井に描かれた墨彩画「飛龍」は日本南画院会長直原玉青画伯(96才)の名画である。
 脇に安置する像は中国茶聖「陸羽」唐時代(700)の人世界初の茶文化文学書「茶経」の著者である。本像は京都の通称だるま寺佐野大義宇師より拝受したものである。
 平成11年春 安置落慶の日誌す  
売茶堂の前を通り不動の滝へ、滝は写したつもりが・・・・(+o+)
   長安寺のモミジ 027-1s
流れる水はどこかからパイプで、その横の石段から山門へ
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潜ると、四徳の庭園が
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すでに見ごろを過ぎた感の紅葉ですが
   長安寺のモミジ 031-1g
四徳の庭園  作者:重森完途
 日本の庭園は二千年このかた池泉庭園は海洋の表現であり、流れの庭は、渓流や大河をあらわしてきた。
 上代庭園で、水に関連のあるものは、宮居における池と島で、それらの形態をもった宮居「池心宮」とか「瑞籬宮」と呼ばれていた。
 さて、古来から水は聖域を劃(わかつ)するものとして、仏教式庭園では盛んにとりあげられた。水そのものが、遠い彼方の理想郷を隔てるものとして、そして仏教では泮池がつくられた。泮池の泮は畔に通じ、その奥にある泮宮は仏教では仏殿となる。つまり聖域としての仏殿は泮水、すなわち泮池に囲われているのである。そしてこれらがのちに左右対称的な池泉となったが、もとは水をめぐらせたものであった。
 泮池と言えば、在来から仏教寺院にのみ構成されたものと考えられているが、それだけではなく、儒教、仏教、道鏡の三教にわたってつくられており、これが中世以降神道にも作られたが、その形は、まちまちである。我国の泮地の形態と思想、そして庭園は次のようになる。
           泮池
神道ー神道型ー鶴岡八幡宮A
儒教ー儒教型ー閑谷学校A       A-幾何学型
道教ー蓬菜型ー泳法時B
仏教ー浄土型ー毛越寺B        B-非幾何学型
   -禅宗型ー妙心寺A
 長安禅寺辯才天堂が、幾何学型の泮池になっているのは、すでに先人によってこの型のものが作られ、今回これを全面的に改修したものである。
 辯才天は、辯才天女と云い、また、妙音天女、功徳天女、美音天女、更には大辯財とも申しあげる。インドの五河地方の河神として崇拝され、後に梵天の妃とされた。我が国では吉祥天女とともに最も多く信仰され、仏教に入って「金明光最勝応経」大辯才天女品に詳述され、古くから造像がある。辯才天は、音楽、辯才、財福、智慧の四徳がある天女である。もともと河の神であったから、日本では辯天の祀堂は、湖のほとりや、海のほとりにある。
 長安禅寺の辯才堂周辺の庭園はそのために、新しく滝の石組を設けて水を落とし、また泮池に石組をし、在来の枯山水とつながるような意匠としたのである。
 善男善女が、この辯才天女の四徳を受けられることを深く希望するものである。
見下ろした庭園
   長安寺のモミジ 039-1x
今回のお気に入りワンカット
   長安寺のモミジ 042-1c
ほかにも、散り始めている西国三十三ヶ所観音像庭園
   長安寺のモミジ 020-1v
連れ合いは、年賀状に使用する写真を撮ることが目的の一つだったことを、小さい声で申し添えておこう・・・
紅葉を堪能して、次なる目的地小野の郷へ移動して行った。
国道429号線を挟んでその奥に小野脇の集落が有り
   長安寺のモミジ 017-1b
そこに小野小町伝説が残る薬師堂が
 長安寺のモミジ 014-1n
案内板の方向へ行くと
   長安寺のモミジ 004-2q
それらしきお堂が見えたが、その手前に鳥居がある。たしか薬師堂の「湯あみ池」だったと思ったのだが鳥居とは(?_?)
薬師堂とは薬師如来が奉ってあるお堂の事だと思うのだが、薬師如来とは大乗仏教の仏のハズ、まぁ日本人は何でもアリの宗教観の所もあるので、OKとしといて、そこに上がってみると小野小町伝説がかかれてあった。
   長安寺のモミジ 001-2w
さあ大変(@_@;) またまた説明書の書き写し(@_@;)
小野小町と薬師堂:平安時代の百人一首で知られた六歌仙の一人で、絶世の美女とも言われた小野小町は、旅の途中で病にかかり、顔も手も腫れ上がり、かさぶたが出来て、あわれな姿でこの地へ迷い込んで来ました。
この女の姿をを見て泊めてくれる家は一軒もありません。しかし、親切な村人から薬師堂へ泊るように教えられました。人目を避け、村はずれに在る湯の谷の出湯で身を洗い療養していました。
 ある日女は、近くの山に登り「みびらけば 法の声する正明寺 物さびしけば小野脇の里」と和歌を詠みました。これを聞いた村人は、ただの旅人ではないと思いました。
薬師堂にこもり出湯にひたり、毎日お祈りをしていましたがなかなか治りません。そこで、「南無薬師 頼む施療の願いなれば 身より薬師の 名こそ惜しけれ」とお願いすると、薬師様が夢枕に現れて「村雨は ただ一時のものぞかし おのがみのかさ そっと脱げ置け」とおさとしになりました。
女はおさとしの通り出湯にひたり、養生を続けるうちに日に日にかさぶたがとれて、元の美しい姿になりました。
近くの池で顔を映した女は喜びと感謝で胸一杯になりました。
 別れの際村人に、せめて名前だけでもと強くせがまれ、長い間の温情に涙し、昔、都の御所に仕えた小野小町で、山陰に人を訪ねての帰路病にかかり、お世話になったと語り、別れを惜しみつつ旅立って行きました。
・・・というお話
その湯あみ池は、薬師堂の入口の左下にあり、
   長安寺のモミジ 006-2e
よく見・・・なくても
   長安寺のモミジ 008-2r
泥水である((+_+))汲んで帰るべきか、それともパスするべきか・・・かれこれ○○時間・・・しかるに
   長安寺のモミジ 012-2t
側溝を覗いて見ると割れ目から水が流れ出してきている。・・・と、いう事は水が湧き出しているという事であり、池を観察してみる事に
   長安寺のモミジ 007-2y
五輪塔のようなミニ石塔の側に比較的透明度のイイ水が溜まっていたので、ペットボトル1本だけ汲んで帰ることを決断、しかし、なぜ濁っているのか分からずじまいで切り上げる事にした。モヤモヤな気持ちが
   長安寺のモミジ 009-2u
野イチゴの可憐な赤に気持ちが和まされ、小野小町からの贈り物の思いで、最後の目的地「日本一のたい焼き」へと向かって行った。
国道429号から和田山方面へ行く国道9号に出る抜け道を走り、到着
   長安寺のモミジ 048-2i
何時もここを通る時に気になっていた「日本一のたい焼」の看板、やっと実現した思いでお店へ
   長安寺のモミジ 049-2o
駐車場も盛況で、お店の中でたい焼きを焼く姿を撮影許可をお願いしたがダメ((+_+))しかも、肝心なたい焼きがうますぎて写真を撮るのを忘れて食ってしまい、ここでは「日本一のたい焼」の姿を紹介する事はできません。
食べた感想は、小ぶりのたい焼きで、皮は薄めでカリカリ味(吾輩が探し求めていたたい焼き)餡は、適度な甘さの粒あん(他にもカスタード等ありましたが)満足で、今回の・・・今年の話もこれで終わりです。最後に申年もさることになりますが、お気に入りの猿の写真をお贈りいたします。
尚、「日本一のたい焼」とは、福岡市発祥のチエンテンでした
   三方五個 274-3m
独断と偏見の、「湯あみ池」の湧水評価は、飲んでみて案外うまいと思いましたが、水が水なので皆さんにお勧めできるものではないので、
(^_^;) (^_^;)にしました。
詳しい場所

では、よいお年をお迎えください\(^o^)/


 

NO131;元伊勢・皇大神社の「御神水」

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噂によると、福知山市大江町にある、元伊勢と呼ばれる皇大神社の「真名井の池」に湧水が湧いていると聞く。
以前から行かなくてはと思っていたが、季節を考えて今回11月中旬に行く計画をたてた。
全国に元伊勢と呼ばれる神社は多々あれど、ココの神社は地区名も内宮と呼ばれていて、地区内を流れる宮川に沿って数キロ離れた所に内宮の皇大神社と外宮の豊受大神社が鎮座しているのである。
近隣の天の橋立にも有名な籠神社も元伊勢である。しかし、ココの凄い処は、天照大神の神話に出て来る岩戸が有るのである。それがこれである
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渓流を岩で遮っているのである。
何時もの事でチョイト写りが悪いが、それは後程と言うことで話を進めて行きます。
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その日は残念な事に雨になり、もくろんでいた紅葉も今一の写りになってしまったがご勘弁を
駐車場には天気が悪いのに、たくさんの車が止まっていた。珍しい事もあるもんだと思い「皇大神社」の参道へ
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そこには誇らしげに石柱が
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石段を少し登った所に、丸太を模した石の鳥居が
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なぜかは後程、さらに石段を進んで行く
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正面に巨木が
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その根基には
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そして、少し行くと縁の方に
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「真名井の池」と書かれており、情報ではここが湧水と書いてあるのだが、どうもたまり水の様な一度社務所に確認してから汲む事にしてさらに進んで行くと、神殿境内に紅葉した樹がお出迎え(^_^)v
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次のネタを仕入れてきましたので急ぎます(*^_^*)
で、先ほどの「真名井の池」の件を、社務所に尋ねに行くと、「御神水は湧き水でなく伏流水ですが、本殿の右後ろの蛇口から出ますのでどうぞ」と言う気持ちのいい返事、真名井の池も同じ伏流水との事でした。気を良くしたのでこんな物を買っちゃいました。
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本殿へ参拝に
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この鳥居は皮つきの杉の木、古式といい、黒木の鳥居という、京都嵯峨野の野々宮神社以外には例がないといわれているが、田舎の小さな神社では有りそうな鳥居である。
そして拝殿と本殿
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神主さんが言われた通り右の後ろに回って行くと、全国の神々の社の後ろに
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ひっそりと蛇口が設置されていた
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車から水源が遠いい場合は、リュクの中にペットボトルと漏斗、片手鍋を入れて持って来るのです。ペットボトルに入れ終わり、フト崖の下を見ると
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池の周りに何かの祠が、早速そちらの方へ
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そこにはポンプが、そして
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天候が悪く周りが暗いので、分かりにくいデスが「天龍八岐龍神社」の祠です。おそらくこの池の地下から伏流水を汲み上げているのでしょう。本来は~の御神水と書かなければならないのかもしれませんが、何も書かれてなかったので「皇大神社の御神水」としました。
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元伊勢内宮 皇大神社
(御祭神) 天照大神
(御由緒)
 人皇大10代崇神天皇39年(紀元前59年)に「別に大宮地(どころ)を求めて鎮め奉れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、皇女豊鍬入姫命 御杖代となり給え、それまで奉斎されていた倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)を出御(しゅつぎょ)されたのが、いま(平成2年)を去る2049年の遥か昔であった。そして、まず最初にはるばると丹波(のちに分国、当地方は丹後となる)へ御遷幸(ごせんこう)になり、その由緒により当社が創建されたヒ伝えられている。
 皇大神は4年ののち倭へおかえりになり、諸所(二十余ヶ所)を経て、54年後の神皇第11代垂仁天皇26年に、伊勢の五十鈴川上(今の伊勢神宮)に永遠に御鎮座になった。
 しかし、天照大神の御神徳を仰ぎ慕う祟敬者は、ひき続いて当社を伊勢神宮の元宮として「元伊勢(内宮)さん」などと呼び親しみ、いまに到るし庶民の篤い信仰が続いている。
(例祭日)4月26日    (恒例祭事) 元旦祭1月1日 (節分祭)2月3日 (立春祭)2月4日 (八朔祭)9月1日
*天橋立:籠神社祭礼〈24日) 加悦谷祭り(元二五日) 皇大神社祭礼(4月26日)と続いている。 
*、ウィキペディアの中には、用明天皇の皇子麻呂子親王が当地の兇賊を成敗するに際して勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』[4]所引『天橋記』)。
本殿の横には
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二本の杉の大木、その根元に
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「龍灯の杉」  
節分お深夜、龍が灯を献ずると言い伝えられている。幹廻り約7m、高さやく30m、樹齢2千年と推定される御神木

一通り見終えて、天岩戸神社へ
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順路に沿って歩いていくと
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何やら、怪しい?一団が・・・
近寄ってみると、ハンドマイクを持った人が唱えたお祈りを、みんなで唱えている。
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本来は人影の向こうにそびえる山(岩戸山、日室山、日浦岳、城山等々呼ばれている)が、表紙の磐を祀っている天岩戸神社の御神体山で、遥拝所になっているところであるが、見る事も、そこから天岩戸神社(あまのいわと)にも行けそうになく引き返す事に、
この山を別の所から写したもの
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京都府の案内板
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岩戸山(京都府歴史的自然環境保全地域)
 天岩戸神社の神域は二瀬側の両域に拡がり、左岸は皇大神社に連続し、右岸は標高427,3mの岩戸山となっています。皇大神社参道の遥拝所からは、この岩戸山東斜面の美しいピラミッド形の山の姿をながめることができます。この東側斜面は、天岩戸神社の御神体として古くから保護されてきたことから、ほぼ原生状態に近い植生が残されており、この地域の植生も知る上で極めて学術的価値の高い自然林となっています。  京都府

この集団の事を社務所で尋ねてみると、一月ほど前に「みごころの魂とかなんとか言って、連絡が有った。東京の方からも来ておられるようです」と言って当社とは関係のなさそうな事を言っておられた。
気になったので、帰ってパソコンで(11月9日、大江町、元伊勢)くぐってみたら
ドッコイセ観光ガイドか、それとも丹後・天橋立元伊勢パワースポットではないか(?_?)
で、元来た道を帰り、参道の入り口石段から見た麓の村
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そして、この道から天岩戸神社へ
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しかし二瀬川沿いに遊歩道があり、そこを歩いていく事に
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二瀬側の渓谷美を眺めつつ
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歩いていくと内宮発電所にぶつかった
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導水管が上の方から
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その縁には発電機らしきものが
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いまは使われていないので観光用かも
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〈あらまし〉
内宮発電所は大正6年につくられ古い歴史を有するダム水路式の発電所です。近辺には千年杉が生い茂る元伊勢内宮皇大神社、天岩戸神社があり、古代の雰囲気をかもし出しています。また、大江山鬼伝説が息づく歴史とロマンの神秘の里大江町には鬼の里散策路を通り抜け、四季折々のたくさんの人々が訪れます。この発電所は昭和52年12月に無人発電所となり、平成3年9月に関西電力の発電所として、地域の環境に合わせて建物や機械設備はすべて新しく生まれ変わりました。発生した電力は6KV配電線で送られ、大江町周辺の貴重な電源として活躍しています。
位地:京都府加佐郡大江町大字内宮小字上杉645
型式:ダム水路式
水系および河川名:由良川水系宮川
最大使用水量:0,557㎥/秒
有効落差:49,19m
認可出力:210KW
水車形式:横軸フランシス水車228KW 1台
発電機:三相交流同期発電機6,6KV230kvA1台
回転数:900回転/分

ここから先ほどの車が通れる道へ上がり
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此の石段を下って行くと
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神社の祠が岩の上に鎮座しています
   その横のダムで水を取られた河原が
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その奥に御神体の天岩戸が川をふさいでいます
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これを見るには河原の岩伝いに対岸まで行かねばなりません
そこから眺めた天岩戸神社
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元伊勢皇大神社に来られたら、ここまで足を延ばして天岩戸を拝まなければ値打ちがありません。
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岩戸神社の記
 偉大な祖神である天照大神は速須佐之男命の乱暴な行いに耐え忍んでおられたが、とうとう我慢しきれずに天岩戸に閉じ籠りになられた。
 そこで、この世の中は真暗くなってしまい、悪い事ばかりが連続して起こり、拾収がつかなくなってしまったので、八百万神々は天安河原に集まられ相談された。
 そこで、天岩戸の前で長鳴鳥を鳴かせ
真榊の木に勾玉を飾り御神鏡をかかげ、御幣を持ち神饌物を捧げて、賑やかに歌い踊り音楽し祝詞(のりと)を申し上げた。
 この時、尊い天照大神は外の様子を不思議に思われ、天の岩戸を細めに開いて見られたので、御神鏡をさし出し申した。畏い天照大神はますます変だと思われすこし天の岩戸から出られたところをお引出し申したので世の中は明るくなり救われたのである。
 さて、この由緒ある御神鏡が神宝と信じられ、救世平和神とされている。
昭和47年9月    天岩戸大神宮

ここからは、車でさらに奥に進んで行きました。
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岩戸橋を渡り進むとダム湖が見えてきました。
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さらに進むと集落の中にこんな処が
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由緒
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真名井の池
昔この地に真名井ヶ池と云うのがあって七人の天女が天下って水を浴びていた。
 一人の老翁がその一人をとらえて我が子とした。
天女は善く醸造をつくった、一ぱいを飲めば吉く万の病悉くいえた。其の一ぱいの直材を車に積みて送ったところ其の家豊かに富んだので士形里という名が生まれた。天女は豊宇賀能貴命と云う。
 またこの水は眼病に良いと云伝えがあった。  
その井戸の中は、祟りに触れるかも・・・と思いながらふたを開けてみると
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カラ井戸であった。

これをさらに登って行くと、二瀬側の渓谷に着く
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そして、渓谷美
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その下流
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そして、宮津から大江山を越えた宮津(京)街道を利用した遊歩道で
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歴史の道百選にも選定されているみちです。京都では二か所で細野峠取材済みです。
府道をまたぐ吊り橋が見えてきます
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吊り橋から見た上流
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下流
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上流と下流には駐車場が有ります
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で、最後に外宮に御参りに
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此の石段を上ると
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黒木の鳥居が、そして
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創玄な古木にしめ縄が、古風を大切に、その本殿の後ろには
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こちらの杉の大木にも、龍塔の杉なるものが
御由緒:節分の深夜、龍神が燈火を献すると言い伝えられている。樹齢千五百年を超える御神木
目出度く内宮・外宮を御参りすることで終了できました。
元伊勢・皇大神社の「御神水」でコーヒを点てて頂いた結果は、伏流水と聞いてあまり期待はしていませんでしたが、思いの外最後まで嫌味なしで飲めました。
と言うことで、独断と偏見の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした。
詳しい場所は

大きな地図で見る
   

NO73:山陰古道・細野峠の「観音清水」

今回は、NO67:畑地区の「観音名水」を偶然汲みに行く事になった時の、本来探していた福知山市三和町菟原中「観音清水」をお届けいたします。
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№71の時にサイトをイロイロと調べていて偶然引っ掛かった事がきっかけで、今回もお水を頂きに行く事にしました。
「轟水」の集落菟原下とは、谷を一つ隔てた京丹波町寄りの集落菟原中に在ります。どちらも谷を進んで行くと兵庫県篠山市で合流する道です。
現地に行ってみると、山陰道細野峠越えという京都・歴史の道百選にあたるらしい立派な看板が有りました。
その近くには、菟原小学校平成20年度卒業記念作品として、山陰道細野峠案内図が設置されていました。
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先ほど歴史の道・百選で調べてみると、京都の百選ではなく、文化庁が認定している立派な古道でした。それも、偶然に50番目のいい番号です。
恒例の写真下の説明書きを・・・
 細野峠は三和町菟原中から大身に越える、全長約2kmの峠を指し、「ほうの嶺「朴の峠」などの呼び名があります。山陰道の要衝として数多くの通行者が有り小式部内侍の「大江山生野の道のとおければまだふみもみず天橋立」にも詠まれているように、大江山生野道にあたります。
 江戸時代には参勤交代の要路ともなっており、福知山藩や宮津藩、出石藩他が通行しました。元禄2年(1689)にこの地方を旅した儒者貝原益軒は著書「西北紀行」に「是よりはほうその嶺(おおいなる坂にて険し)を越、菟原村を過ぎ、千束に至る、日既に薄暮なればココに宿りぬ」と記述を残し、文化11年(1814)に第二次丹波測量をおこなった伊能忠敬測量隊の分隊一行もこの峠を越えています。
 峠の頂上付近には、多くの通行人の信仰を集めた宝祚山(ほうそざん)百観音堂円通庵の跡地が残っています。百観音堂は弘化元年(1844)菟原中村龍源寺20世良英和尚と地元の有志によって建立され、西国・秩父・坂東の100ヶ所百体の観音像が道行く人の安全を祈りました。堂のカネノオの下には、100ヶ所のほかに四国八十八ヶ所その他札所の名所の砂が納められ、ここにお参りしただけで多くのご利益があったと言います。百観音堂は、のちに無住となり、お堂と観音像は大正年間に龍源寺に移転しました。
 明治以降は国道整備が進み、鉄道など交通網の発達に伴い、峠を歩く人も次第に減少しました。しかい、現代も峠には、百観音堂跡や茶屋跡、さらに万延元年(1860)に起こった大身騒動の首謀者の首が晒(さら)されたといわれる地や、旅人の喉をうるおした湧水が出てる中田の地蔵跡などが残っており、古(いにしえ)の姿を今なお色濃く伝えています。

写真の道と、説明書きの絵から想像すると車で現地まで行けそうなので、気分よく峠に向けて車を進めました。
人家が終わると思しきあたりで、盆を迎える家の付近の草刈りを家族でしておられたオヤジさんに尋ねてみると、「湧水は出てるかどうか判らないし、車を置いて800mは歩かんなんで」との返事。
チョイト気分がへこむも、とりあえず行ってみますと、返事をして前進。
少し行ったところに標識が
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さらに進むと、道が二股に、当然広い方へ進む。
最近林道を走るとこのような鉄版を埋め込んだものをよく見かけるように・・・何の意味が有るのだろう?タイヤが切れないか心配しながらの運転。
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そして、オヤジさんが言っておられた場所、まだ行けるので車で前進する。 
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ココで、道幅が狭くなり、車で行く事を断念!まだ、400mも登って行かなければ・・・  
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心細さもあったが、ここまで来たので体力・気力?の持つとこまで行く事に・・
山陰古道も荒れかけている様子
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さらに登ると
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ところどころこのような状態、しかし、「観音清水」に近づくと石畳に変わってきた。
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けっこうな坂道で、湧水の関係か濡れており滑るので要注意である。吾輩も、水を入れている時に不覚にも滑ってしまいズボンが汚れ、後で嫌味のお言葉が待っていた ^_^;

で、歩いて約15分ほどで「観音名水」に到着 !(^^)!
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水が出ているか心配だったが、その方は一安心しかし水量が少ない!結局ペットボトル三本だけにした。これでも約10分ぐらい入れるのに掛かった。まぁ持って帰るのも大変だし・・・

云われの立札が
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      観音清水  -細野峠ー
観音山は往古より観音の霊場なり、古くより観音屋敷あり、観音のおわす山なりと伝え聞く観音山にこの観音清水
あり
 百観音堂円通庵跡の古井戸より湧出るこの清水は、山陰道の要衝として行き交う多くの旅人の喉を潤し、観音に参詣する一時の安らぎを与えていた。
 向かい側にあった峠の茶屋では、菟原産の銘茶を清水で点てた煎茶が振舞われ、峠を越す力を得たことでしょう。
 先人の残した貴重な遺産として、この清水を細野峠を、そしてふるさとの自然をいつまでも大切に守り伝えていきます。
       細野峠を守る会
       福知山環境会議
               平成十九年十二月

お水も頂いたし、チョイト周辺を散策
まずは「観音清水」の源流である古井戸を・・
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水を導いて来ているパイプは、埋めてありその先がどこに行っているのか分からず。

次に、円通庵の跡地
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  百観音堂 円通庵
弘化元年(1844)龍源寺良英和尚と地元有志の発起でかっての観音屋敷由縁により、ここに建立された。
 百観音堂には、西国・秩父・坂東合せて百カ所の百体観音像が安置され、四国八十八カ所や全国各地の名所の砂が収められ、京街道を行き来する人々を見守った。
 のちに円通庵は無住となったため、観音堂と観音像は龍源寺に移転した。

そして峠の頂上まで散策へ
 こちらが来た峠道        越えて下る峠道
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実は、初めの部分に出ている小学生の卒業記念作品(細野峠の案内図)は細野峠の帰り道で見つけたもので、このような説明書きが書いて有りました。
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この峠を降りて行けば大身騒動晒(さらし)場跡が有るそうですが、そんなことを来るまでに読んでいたら幽霊が怖い吾輩はここまで(観音清水)たどり着いていなかったことでしょう。

そして峠を降りた出口は9号線に当たり、そちらも注意して走っていればこのような看板を見る事が出来ます。
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無事一人で何事もなく車まで帰ってくる事ができホッとした「観音清水」の水汲み行程でした。
帰りには、来るときに道案内をしてくれたオヤジさんが、吾輩が帰って来るのを見届けようと家の前におられたのでお礼と報告をして、百体観音像が移されて祀ってあるという龍源寺に向かった。

龍源寺は9号線(福知山→京都)から菟原中の集落方面を見ると、山の中腹に少し古い本堂が大きな構えで見えます(わき見運転で事故に注意)。
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  こちらが本堂        右 新円通庵百体観音堂
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そして
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百体の観音様がいるのでしょう・・あまりにも黄金色に輝いているので尋ねてみると、阪神淡路大震災の揺れで仏像が倒れ、これを機会に修復されたとか
堂内に移築した円通庵の写真が飾ってありました。写真の写りが悪く見えにくいデス^_^;
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百体観音堂の云われが書いたしおりを頂きましたので、書き出しておきます。
     円通庵百体観音堂の由来
観音堂は、その昔京街道菟原中村の細野峠頂上近くに建立されていました。観音堂再興の趣意書によれば、細野峠は、往古から観世音の霊場であり、今も観音山、観音屋敷の地番、名称があるので、峠にも観音の由緒が、あったと思われます。
観音堂は、江戸時代の末期、弘化元年(1844年)10月に当時の龍源寺第二十世住職円通良英和尚様や地元の人々の発願いよって建立されることになりました。その頃の世相は大変暗く、人々の生活は苦しかったゆです。そえ故に、この世の中を少しでも明るくしたいと願う良英和尚様の観音に帰依される熱い思いが、人々を動かしました。最初は、西国三十三ヶ所の観音様を納める予定で志を募りましたが、街道を通る丹後、但馬、京近隣の人たちが多く、思いの外浄財が集まったので、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所の観音様も合わせ、百体の観音像を安置されました。さらに、村の山内善四郎さんが、四国八十八ヶ所霊場を巡拝し、土石を拝請したので、これらの霊場お砂を踏石の下に納めました。それ故にこの踏み石に立ち観音様に手を合わせお参りすると、これらの霊場へ詣でたのと同じ霊験があると伝えられています。
その後、国道9号線が開通して峠を通る人も少なくなり、大正9年頃に龍源寺境内に移築され、檀家や観音講の皆様によって守られて来たのですが、峠に建立されてから既に約160年経過しており、観音像の損傷も大きくなり、平成6年12月より修復に掛かり、平成8年6月に多くの人々の寄進によって、観音様は往時の姿に復元完納されました
   そうして平成12年3月27日地鎮祭を行い、5月11日に上棟式の法要を修め平成12年10月22日新築建立なった観音堂で落慶入仏法要を厳修し、百体の観音様と開山円通良英和尚様の御尊像を奉安することが出来ました。
 多くの十方信心の方々に観音妙智力の功徳を授かって頂けると思います。
  
 この世にて  まいれ細野の観世音  西国 秩父 坂東の阿弥陀

神仏習合のお寺なのか、横には立派な鳥居のある八幡宮が有ります
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鳥居とのギャップが大きい、だいぶ古そうな神社でした。
その石段から菟原の街並みを写したものですが、見晴らしの良い景色でこんな所に住んでみたいと思いながら龍源寺を後にしました。
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で、観音清水の水評価は、3本しか持ち帰る事が出来ませんでしたので十分な吟味することはできませんでしたが、なぜか飲むと疲れが取れるような気がしたお水でした。しかし、コーヒーを飲んでみると・・
独断と偏見の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ
細野峠「観音清水」の場所は

山陰古道の道が載っていませんので、大体の場所です。
   ーおわりー


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