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NO334:吉滝の石清水「金水・銀水」

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お友達から、兵庫県の小代渓谷近辺にイイ滝が在るということを聞き、滝巡りツアーをすることにした。
小代渓谷は、氷ノ山と扇ノ山のせめぎ合っている谷間の名前で、国道9号線から国道29号線(兵庫県から鳥取建)に続く道、国道482号線が通っているのですが、この国道482号線が2020年5月に正式に開通して走りやすくなったという情報も得ていたので、そこを走りたいという思いもあり計画を立てたのであります。
この国道482号線がくせ者で、一応京都府の京丹後市間人(たいざ)国道178号から鳥取県の大山の麓の江尾という所の国道181まで続いているのですが、途中他の国道をオカレしての継ぎはぎ国道なのである。
その国道の小代渓谷を通り抜け鳥取の雨滝(NO266)に行くというコースを計画したのでありました。
お友達は、滝の名前は忘れたと言っていたので地図で探すと吉滝という滝が書いてあったのでそれだと思い最初にソコに寄って行くことにした。後ほど友達に話すと、どうも違っていたようだが(T_T)
ということで、豊岡市但東町からR482号へ入り日高町に、そこからトンネル入り9号へ出て小代方面へ9号から分かれて482号へ、この辺から朝トイレに行ってきたのだが腹具合が悪くなり収まるのを待ちながら運転・・・がどうもヤバイ
吉滝方面に枝道へ入り
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キャンプ場に行けばトイレもあるだろうとそちらへ進む、やっとの思いで着いたところが管理棟、なんとか間に合った・・・と
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気持ちよくトイレを借れして無事爽やかに、お礼に何か買って帰ろうとしたが何も売っていない徒のこと、丁寧にお礼を言って管理棟から出ると、来たときは目に入らなかった景色が
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爽やかで雄大に心に入ってきた・・・気持ちが落ち着いたということもアルかも(*^_^*)
で、爽やかに吉滝へ
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5~6台車が駐車できるスペースの広場に到着。ここからは歩いて滝まで
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通行止めの看板の後ろにクマ除けベルのようなモノが置いてあったので、それを借れようと相方さんは孤軍奮闘しているところですが、結局借れる事ができず車に付いていた鈴を持って行く事にした。
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こんな雰囲気の道を歩いて行くと橋にたどり着いた。
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この橋を渡ったあたりから木立の間から見えてきた。そして案内看板も
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    県指定  吉滝
指定年月日:昭和47年3月24日
所有者・管理者:鍛冶屋区
 この滝は上方23m、下方5m、上下二段で構成され、28mの高さがある。滝壺の背後にある洞窟内に善滝神社があり、滝を裏側から見られることから「裏見の滝」とも呼ばれるめずらしい滝である。滝の左右の岸壁の裂目より、小滝ながら、向かって右側に金滝(5m)、左側に銀滝(8m)が落下している。この滝の水は滝壺に集まった雲母の金粉や銀粉がきらめいて見える。滝の周囲にはスギ、トチノキ、ケヤキ等の巨樹がよく繁茂している。
 特にスギの巨木は伸びの良い「小代杉」の母樹として大切に保護されている。
  平成3年11月      兵庫県教育委員会
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これが吉滝の全貌です・・・・・う~水量がナイ。てか、お友達は、これが素晴らしい滝なのか・・・と
しかし、この滝の醍醐味は滝の後から見れること、早速行ってみることに
洞窟の入ったところに「銀滝」
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巌の割れ目から水が流れ落ちてきている。
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銀滝の上のほうの様子です。立て札があるが文字が消えて読めれナイ。その奥には
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大きな洞窟の中に「善滝神社」の大きな祠はあります。その奥にもう一つの小さな滝「金滝」が見えます
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コリラノ滝は水が分散して落ちてきています。入り口の方がちさいなりに立派な滝のように見えましたが、しかしこちらが金滝というらしい。そして滝裏から見る滝の情景
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この雰囲気は水量がもっと多いいと有名になっているはず、少し残念
金滝の立て札にはよ~く見てみると「金水」と書いてある・・・・ということは石清水・・つまり湧き水であるかも?と判断
コレは水を汲んで帰らなくてはと、ペットボトルを車に取りに帰ってきたのでありました。このように、水汲みのブログを書くには陰でイロイロと苦労しているのでございま~す(^∇^)ノ
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びしょ濡れになりながら相方が汲んでくれている様子でございます。というわけで、思いがけずに水が汲めれた事で小さな滝であった事は帳消しとした。
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遠くにミカタスノーパークが見える、棚田百選に選ばれているという景色を見ながら
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国道482号線まで下りてきた。
ここから渓谷部に入っていくため、道幅狭し大型車通行止めでござる。断崖絶壁を想像して進んで言ったのだが・・・
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山中に意味深な祠を発見?説明が何か書いてあるかと探してみるが無かった、右に見えるノが最近国道として開通した道で、時折広い道幅が点在する峠道で会った。幅は狭いが道としては酷道とまでも悪くない国道であった。
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兵庫県と鳥取県の県境の道路標識
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ここが峠の頂上と言ったところ。左が氷ノ山で右が扇ノ山のせめぎ合い・・・・・の所だと・・・思います。・・違っているかも?
お友達が言っていた滝は、「吉滝」より手前の小代温泉から入って行った久須部川の上流にある「荒滝」でした。

「金水・銀水」の独断と偏見の水評価は
吉滝の川の水か、岩からしみ出している石清水か調べて何ので本当の事は解らないですが、気持ちとして石清水のような軟水で綺麗な水で、のどごしの良い水でした。
(^-^)/ (^-^)/ (^-^)/ (^-^)/ (^-^)/
詳しい場所は



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NO203:香美町の「耀子の清水」

    猿尾の滝 033-2q
実は「猿岩の名水」のブログで、聖長鉱山の写真は名水を汲みに行った日ではなかったのである。一日のコースとしては事実なのだが、「猿岩の名水」を汲んだ時に、あまりにもネタがないのに困惑して、それならば後日「聖長鉱山」の写真の補足を撮りに行こうと思い立った。しかし、それだけでは能がない、足を延ばして湧水「七美の清水」と「耀子(かかご)の清水」を汲みにいく事にした。

新たな詐欺メールが届きましたので紹介しておきます。
『先日はお打合せのお時間を頂まして誠にありがとうございました。
お話致しました前回のデータをお送り致します。

また何かございましたら私までご連絡お願い致します。

ご確認のほど、宜しくお願い致します。』

話を戻して、「七美の清水」と猿尾滝、それに「耀子の清水」と女滝を掛け合わせてのネタも考えての出発になった。
「七美の清水」は9号線の春来トンネルを抜けての八井谷集落に在るらしい。9号線の道路から比べると狭い集落の中に入り、まずは野良仕事をされていた30代位の女性に尋ねてみると、その様なものは知らないとの返事(?_?)まぁ女性の場合、どこかからお嫁に来られていたら知らないかも・・・と思い、別の人を探すにも、集落には人影がない(~o~)、同じ道を二周ほどしていると、20代位の男性が家から出て来られたので、尋ねてみると「子供の頃に行った事があるが、水が出んようになっている」との事だったが、とりあえず行き方を教えてもらい、行ってみると人家のはずれからは草ぼうぼうの車が通れるかどうかの道、再度最後に在った家に尋ねて行き、草ぼうぼうの道を行けば「七美の清水」が出ているのかどうか聞いてみると、家人曰く「春木トンネル」を掘ってから水脈が途切れたのか今は出ていないとの返事((+_+))
「七美の清水」は諦めて日本の滝百選に選ばれている「猿尾滝」へ行く事にした。
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9号線に立派な標識が出ていたのですぐ分かり、右に入り
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この道を走る事数分
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駐車場に着いた。結構大きな駐車場で、観光バスも来るらしい\(^o^)/
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茶店の横を歩いて渓流沿いを
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登って行くと、左の支流から流れてくる滝への入口が見えてきた。
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国定公園:日本の滝百選:名勝  猿尾滝
 この滝は、「猿尾滝ヒン岩脈」で形成された高さ60mの滝です。滝の景観が猿の尾に似ているところから猿尾滝となずけられました。
 ブナ・モミジ・サクラ・ケヤキ・マツなどの自然林との調和が美しく、春は新緑の滝、夏は納涼の滝、秋は紅葉の滝、冬は氷壁の滝
にその姿を変えます。
 古くから妙見山名草神社の参道から仰ぐ美しい滝として知られており、村岡藩主山名公は「ソーメン流し」を楽しんだといわれています。
昭和43年3月29日 県指定文化財 名勝
昭和43年4月10日 国定公園指定
平成02年4月28日 日本滝百選
      香美町
『補足』滝を作っているのは日本海の拡大にともなって地下から上昇してきたマグマが固まってできた硬い岩石です。上段の滝の傍らには不動明王が祀られているほか、滝の中には、角度によっては、自然の石仏などのように見える模様が浮き上がり観光客の目を楽しませています。
遊歩道を進んで行くと滝の全景が
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そして滝壺近くまで歩いて行くと
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この時は水量がマアマアでしたので迫力もありました。上段の滝約40m
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その滝壺からあるれ出すしぶき
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弧の上段の滝壺まで登山道で登れるようですが、落石の為通行禁止のクサリがしてあり残念(~o~)
そして、なだらかな滑り台の様な下段の滝21m
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満足!満足!で引き返すとき
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夏場は子供たちが滑り下ると面白い様な渓流・・・きっと地元の子供たちは遊ぶだろう・・・と猿尾滝を後に
茶店の掲示板には
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今年は申年:猿尾滝は日本の滝百選の中で一つだけ「猿」の名のついた縁起の良い滝です。
ご利益効果と健康効果があり、リピーターが多いいのが特長です。
との事ですので、感心のある方は是非・・・(^o^)/

9号線へ出て、今度は「耀子の清水」を目指して行くとすぐに
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思いもよらない立派な案内板が目に飛び込んできた(@_@;)ビックリポンですわ
「耀子の清水」入口
広域基幹林道妙見蘇武線
妙見山方面
蘇武岳方面
右に曲がり道を登って耀子の集落に入る時、土建屋さんの車庫の上に案内板が取り付けてあった。
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左:蘇武岳  右:耀子の清水  と書いてあり、村あげての街おこしの熱意を感じながら左方向へ進んで行くと
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「耀子の清水」の現地に到着。とりあえず「イワレが書いてあるので読んでみた。
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耀子の清水の由来:昔、当村では、生まれてくる子供の育ちがよくないという大きな悩みがあった。そこで村人はこの水に水神様(水速女命)「みずはやめのみこと」を祀り(文暦元年・1234年)産湯など子育てに利用した。また疫病(伝染病)が流行するたびに水神様に願掛けをして、病気の発生を最小限に止めたという。
その後、子は順調に育ち、村は栄えた誰いうとなくこの水を「耀子の清水」とよぶようになった。また水神様は、耀子社としてあがめられ多くの人々に信仰されてきた。清水は現在も、健康維持などのために多くの人々に(遠近をとわず)に利用されている。
   平成12年9月吉日    耀山区

との事で、ありがたい清水を頂く事に  (いただく前)
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まずは水神様にお賽銭を入れて、汲みに取り掛かろうとすると、正面にこんなことが書かれてあった。
「清水が出なくなっております。大変申し訳ありません。原因は、地下のことですのでわかりません。水の神様にお願いするより他ありませんのでお許しください。  区長
「大変人情味のあるお言葉」・・・さてさて、どうすれば水が出て来るのかいな(?_?)
小屋の右にある四角い箱、これは貯水槽の様で、小屋の左にある大きなタンクから水が引かれてきている様子。
その大きなタンクの後ろを見れば、エスロンパイプがどこからか延びて来ていた。・・・という事は水源は別のところに在るようです。
と、周りを見ながら水汲む段取りをして、四角い貯水槽の左の短いエスロンパイプの出口が上を向いてそこから水が漏れている。
はてはて?この漏れた水を汲めと言うのかいな?と思いながら『どうしたもんじゃろのぉ』とひと思案
なんのことはない
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左の短いパイプを倒せば水が出て来た。パイプが蛇口の代わりをしているのだった(@_@;)まぁ、これはこれで、よぉ~く考えているな~と感心しながらペットボトルに水を汲み出した。
その後、予定の女滝へ行こうと集落を走っていると
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  耀山区見どころ案内
◎耀子の清水:これより右町道三百米にあり。古より子育ての水として有名。常温摂氏十ニ度。
古今、遠近を問わず多くの人々に利用されている。
◎東向の観音:陰暦大の月、三か月続く時詣れば思いが叶ふとして、昔より参詣人多い。
◎女郎が滝:高さ三十米の瀑布。古来より滄浪(あおあおとした)滝つ瀬として田畑を潤し、下流は谷入田川となっている。
◎桂の群生:平成二年に発見された。十八本が約百米の間に林立している。全国的にも珍しいといわれ、貴重な資源である。
◎畜産牧場:今でも存続する、県下でも数少ない牧場である。広さ二十八ヘクタール余りある。夏場は近隣農家の牛を委託飼育している。
とかかれてあった。
女滝と思っていた正式な滝の名前は「女郎が滝」であった。猿尾滝とで夫婦滝と言われているそうです。
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滝まで登ってきました。ここで間違いの訂正しま~す・・・「女郎が滝」→正解→「女郎滝」でしたm(__)m
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流れに艶が有り「女郎滝」の名が付いたとの事、現地で見た女郎滝は、・・・ん、ふつうの滝
写真を見ていると、うむ・・・なかなかいい滝ダンべと思えてきた。
ここまで来たので、いっそうのこと「高原牧場」や「林道妙見蘇武線」の行けるとこまで行くことに
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広~い牧場に但馬牛が2頭、その周りをなぜか電柵が
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クマ避けなのか、脱走防止なのか・・・林道から眺めた牧場
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展望小屋
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その近くには、蘇武山登山口
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そのうち霧か?雲か?・・・
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あたりが見えなくなってきたので退散したというお話でした。

「耀子の清水」の独断と偏見の水評価は、清廉な感じがする美味しい水で、京都の「貴船の御神水」を思い出しました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆
詳しい場所は
   

NO179:餘部の清水(しみず)

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相応峰寺の銀水を頂いて、清泉寺の住職が案内してくれたのが餘部の村中に在るという「秘湯」ならぬ「秘泉」、というのも昨年(2014)餘部には観光がてら水汲みにいたのだが、その時探した情報には出ていなかった代物!住職の知り合いの家の前に餘部の峰々の土中深くしみてきた水脈が出てきているという事らしい。その前に、浜坂の名所「田君川梅花藻公園」を案内してくれました。
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梅花藻の花の季節は6月前後だといわれていますが、吾輩が見た限りでは年間通して花は咲いているようです。この時期11月でしたが
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晴れていると、水中から花が水面に顔を出してきます。この日も良い天気でしたので
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可憐な花がカワユ~イ
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田君川の梅花藻が再生されるまでの道のり
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左上:葦が群生する田君川・谷橋上流(平成12年6月) 左下:よみがえったバイカモの群落(平成22年5月) 中上:住民による草刈り、移植作業 中下左:水位を確保するための堰造り 中下右:バイカモ移植の様子(平成11年) 右三連:泥水や干ばつでバイカモが消滅したことも
かって一面に咲き誇っていた田君川のバイカモですが、川一帯に葦が生え、絶滅の危機にひんしていました。
平成8年からバイカモ復元のため、兵庫県が河川環境整備事業に取り組み、平成12年には葦を取り除くとともに河床を整備しました。
このことをきっかけに、かってのバイカモ群生地をよみがえらそうと、流域の田君地区の住民でつくる「田君川バイカモ保存会」が発足。絶滅寸前だったバイカモの保護活動がスタートしました。上流に生息していたバイカモを1本1本移植し、石を乗せて根を川底に固定する作業を行っていきました。谷橋を中心とする区間は、夏でも水位を確保できるように30メートル間隔で堰を造り、堤防は訪れた人たちが近くで見られるように、毎年、草刈りをして整備しています。
その後、夏の干ばつや台風による濁流など、幾度もバイカモが消滅する危機にあいましたが、その都度、保存会を中心に苗の移植作業や草取りをして、バイカモ群落の維持に努めています。

バイカモの群生は見られなかったが、時期を終えた藻を清掃した後に、少しだけ残った藻の花が水面から顔を出したのを見れて満足した後、餘部へ移動していった。
「餘部のしみず」の現地へ行く前に「NO124妙見水」を汲みに来たときよれなかった「妙見宮」へ寄って行くことに
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鳥居の横には注意書きが
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正面の石段は部分的に破損しており、傾斜も急で危険です。ご利用の折は充分ご注意ください。  妙見宮
とりあえずお参りして来ることに。行きはよいよいと、社殿へ
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思いのほか質素で、中は
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神棚がポツンと鎮座していた。何はともあれ手を合わせお参りをしていざ帰ろうと後ろを向くと
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垂直に降りて行くような石段((+_+)) それも、足のサイズ半分あるかないかの幅の石段 
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普通の降り方では転倒間違いなし・・・と判断、結局後ずさり式で地上に到着(^_^)v・・・ホッ
餘部の集落へ細い道を通り村中へ
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水汲み場は整備されていて、さっそく汲みに掛かった。
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水が冷たくて、いかにも美味しい水だよ~と言っているみたいで、期待をしながら住職にお礼を述べて帰路に就いた。

コーヒーを沸かして飲んだ結果は、期待にはもう少し足らなかったが、のど越しの良い水であった。
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした

詳しい場所は
  


NO125:但馬御火浦の「不老の水」

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本来は、香住港から出ている三姉妹美人船長の操る「かすみ丸」で海から「但馬御火浦(みほのうら)」を観光する予定でしたが、時間が取れず、余部崎燈台と「但馬御火浦」を上から見て楽しむ事に、「妙見水」を汲んだ後、御崎地区方面へ車を進めた。

臨時ニュース(9月27日)
御嶽山が噴火したのもニュースですが、我が家の近くに豊岡から「こうのとり」が飛来してきました。
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アップで
   コウノトリ 005-b
食事中
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足に識別標の足輪を付けています。
臨時ニュースおわり

この「但馬御火浦」は2010年山陰ジオパーク(鳥取:白兎海岸~丹後半島)に認定された風光明媚なところで、海岸道路からの眺めを期待しての行程でした。
まずは、御崎街道から断崖絶壁に見える集落
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まるで印したところが御崎地区と言われ、壇ノ浦の戦いで敗れた門脇宰相平中納言教盛(かどわきさいしょうへいちゅうなごんのりもり=平教盛、平清盛の異母弟)を大将とし、伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門らが同じ船に乗り込み、遠く壱岐、対馬方面に逃れようとしたところ、日本海を漂流し香住の近くに流れ着き、磯づたいに御崎まで落ち延び、土着したといわれています。
 当地にはそれを裏付けるかのように門脇家、矢引家が現存しここで生活されています。
 また、御崎にはこの地にしか育たないといわれる「平家蕪(へいけかぶら)」という蕪が自生しています。平家がこの地に身を寄せた際、土地がやせた人里離れた場所であったため、たちまち食料に窮してしまい、神に祈願したところこの蕪に恵まれるようになったといわれます。春には菜の花に似た黄色い花を咲かせ、現在でも一部の家庭では漬物にして食されています。

 そして現在も伝承されている平家にまつわる行事の一つ、「百手(ももて)の儀式」が毎年1月28日(午後3時半頃から)に行われています。
 氏神の平内神社で、門脇、伊賀、矢引の武将にふんした3人の少年が、境内の御神木に源氏に見立て掲げた的めがけて、地区内で採取した竹で作った弓矢で101本の矢を射るもので、歩射という弓の神事から始められたといわれています。
 平家の無念を晴らすとともに、士気を鼓舞し平家再興を夢見て受け継がれてきた伝統行事です。(香美町HPの資料よりお借れしました)
そこの地区を通り越して進むと、余部埼燈台に着きます。
トップ画面の燈台ですが、その入り口に鳥居と灯篭だけの余部美伊神社
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この灯篭が昔燈台の役目をしていたとか・・・(?_?)
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ここから日本海を望むと
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薄らと丹後半島の経ヶ岬が見えます
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その先に燈台があります。美伊神社の灯篭は燈台の元祖かも
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余部埼灯台の説明書き
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日本一高い場所にある燈台(燈台の高さでは無いでよ~)
この地に燈台が建設されたのは、昭和26年(1951年)3月25日でした。当時は山また山の山林で、建設資材は御崎の港から人力により運搬され、それも地元御崎の人々の手によるものでした。昭和36年(1961ねん)までは、燈台職員がこの地で生活し、燈台を守っていましたが、現在は無人で運用しています。現在の燈台は、昭和60年(1985年)に建て替えられ2代目です。この燈台は、我が国で一番高い場所にある燈台です。ここから日本海の眺望をお楽しみください。
位置:北緯35度39分57秒
    東経134度32分18秒
光り方:単閃(セン)白光 毎15秒に1閃光
光の強さ:44,0万カンデラ
光の届く距離:23,0海里(42,6キロメートル)
高さ:地上から燈台頂部約14メートル
   水面から燈火 約284メートル
管理事務所:舞鶴海上保安部
        ☎0773-76-4120
そして、こんなものも
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余部埼灯台50周年記念行事「タイムカプセル」
日本一高い所に位置する灯台として、余部埼灯台がこの地に誕生して50年の時を経て、これを記念し、この灯台内には、2001年度の余部小学校全校生徒〈51名)前年度卒業生(11名)及び余部幼稚園の児童(12名)の「15年後の私へ」と題した作文や絵などが、タイムカプセルとして保管されています。
 このタイムカプセルは15年後の2016年に開封する予定です。
 灯台に納められたタイムカプセルが時を経て、余部の美しい景観と共に、郷土を想う心が「永久」であることを願うものである。
2001、5,12 第八管区海上保安部  香住航路標識事務所
そしてさらに御崎街道を奥へ
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こんな海岸
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あんな洞窟
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・・・を楽しみながら走っていると、予定外の湧水に遭遇
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岩に吹き付けられていたコンクリートが湧水ではがれたのか、そこだけが岩がむき出しになり
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湧水が岩の割れ目から流れ出てきている。ペットボトルは、もろてきた湧水でどれも満タン!いかにして汲んで帰るか思案
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断腸の思いで、一番多く汲んできた湧き水のペットボトル一本大地に返却し、それに入れて帰る事にした。
溜まっている湧水は、どうも雑菌が多いい様子、苦難の末湧き出している付近から少しずつ湧水を入れ無事満タン(^_^)v・・・で、ここで、もと来た道へとUターン。
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旅はこれで終わらず
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やはり、『終わりは温泉で』のリクエストに答えて、香住の日帰り温泉「矢田川温泉」へ行きました・・・とさ。 おわり

「不老の水」を沸かしてこーひーで飲んだところ
独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ
詳しい場所は
  
大きな地図で見る 

NO124:香住湧水十選「妙見水」

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『明治45年の完成から約100年間。
JR山陰本線を見守り続けてきた餘部鉄橋。
平成22年、新しくコンクリート橋に架け替えられましたが、JR餘部駅側の3本の橋脚は現地保存され、餘部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わりました。
餘部鉄橋下には、展望施設へのアクセス通路や公園もあり、橋脚跡を活用した東屋や芝生張りの自由広場でゆったりとした時間を過ごすことができます。地上約40mの浮遊感日本海の美しい眺めを、お楽しみ下さい』(餘部鉄橋「空の駅」展望施設パンフから)

「妙見水」が出ているであろう場所は、餘部鉄橋を越えて行かなければならない様なので、まずは餘部鉄橋に立ち寄り観光する事に、鉄橋の下には「道の駅 あまるべ」が在り、そこの駐車場を利用する。
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ここには列車の時刻表が設置され、ちょうど15分後ぐらいに列車が到着することから、あわてて「空の駅」まで登ってみる事に
   今の餘部鉄橋
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駅まではこのような遊歩道が出来ています。
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登り道の途中から見た餘部鉄橋
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そして、若い連中
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昔が懐かしぃー(~o~)
「空の駅」に到着する間もなく列車が
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観光用に、前の駅から乗って来た人、この駅から次の駅まで乗る人と、JRも儲かっている様子・・・と、運転手が窓から顔を覗かせると・・・オッとドッコイ若い女性の顔・・・こりゃ写真に収めとかなくっちゃぁ・・・と、ハイパチリ
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・・・写っていませんでした・・・誰かがやきもち焼いたのかな~
で、みなさん列車を見送りしていま~す(^_^)/~
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これが、空の駅の全景デ~ス
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実物は、こんな感じ
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自殺の名所にならなければよいが・・・て、立ち入ることはできません!!!
   海の景色は
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長椅子もありますので、いつまでも眺めている事も出来ますよ~
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     餘部駅の開設
 余部鉄橋が完成しても、余部地区の住民には恩恵がなかった。三方を山で囲まれた”陸の孤島”余部。
外部との行き来は、相変わらず車も通らない山越え道。余部には駅がなかったのである。人々は汽車に乗るために、高く長い鉄橋を歩いて渡り、4つのトンネルを抜けて鎧駅にたどり着くという状況にあつた。
 不便な生活を解消するため、余部地区の住民は昭和30年頃から国鉄総裁などに駅の設置を強く陳情。余部小の児童も当時の坂本勝知事に手紙を書いた。その結果、33年9月に知事が現場を視察、ついに餘部駅の設置が承認された。駅の建設工事が始まると、余部の子供たちも海岸から岩石を運び上げ、ホームなどを作る手伝いに精を出した。餘部鉄橋完成から実に47年目の昭和34年4月、立派な餘部駅が誕生した。
▲列車運行を避けながら4つのトンネルを抜け、鎧駅まで歩いて通勤通学
▲北風が吹きつける中、海岸から石を運び上げた、念願の餘部駅建設に子供たちも頑張った(昭和34年2月)
▲待望の一番列車を迎える余部地区民
泣けてくる物語である(*^_^*)
鉄橋の下にも
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覚えている人もいらっしゃると思いますが
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   聖観世音菩薩像建立の趣意
昭和61年12月28日正午すぎより山陰特有の低気圧が進入し列車転覆限界風速を越える強風が連続的に吹き荒れている13時25分頃回送中の下り和風列車みやび号が餘部鉄橋中央より客車7両の脱線転落で鉄橋下のカニ加工場を直撃し従業員主婦五名と列車車掌1名の計6名もの尊い生命が奪われ6名が重傷を負う未曽有の大惨事が発生した。列車転覆事故は明治45年に鉄橋完成以来初めての惨事で遺族や関係者にとって深い悲しみは言語に絶した。二度と事故を繰り返さないように慰霊碑建立を遺族一同の呼びかけで関係者があい集い犠牲者の慰霊とご冥福を祈り人々の永久平和と総ての交通安全の願いをこめて現地に聖観世音菩薩像を建立する
               昭和63年10月23日
   餘部鉄橋事故犠牲者     慰霊碑建立発起人会


「やすらかに 人々の幸せを見守り下さい」と手を合わせ、湧水を探しに出発した。
そこから数キロも走らない所にそれは在った。
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香住青年会議所が立てられた札には、香住湧き水十選「妙見水」と書いてありました。しかし、来る前にパソコンで調べてみたのですが、ここ以外香住湧き水十選の場所は見当たりませんでした。

その日は天気の良い日で暑く、水がつめたぁ~いと喜んでいる所をパチリ
P1010118-a.jpg 香住 066-a
仕返しに、知らぬ間にパチリ・・・・で、余部崎燈台へ・・・

で、香住湧水十選「妙見水」で飲んだコーヒーの味は、今回汲んできた中で一番おいしかったデェ~ス。
独断と偏見のランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。 
詳しい場所は

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