NO219:松尾大社の「亀の井」
またまた、映画を見たついでに水汲みに行くはめになりました。
母なる神への旅~遠藤周作・原作、マーティン・スコセッシ監督
「沈黙 サイレンサー」思いのほか重い内容だった(^_^;)
国会では「テロ等組織犯罪準備罪」元共謀罪を言い方を変えて提出されようとしている。
「沈黙 サイレンサー」は江戸幕府のキリシタン弾圧を題材にした映画である。
何か深~いところで繋がっているように思えてならないのである。
この映画、テレビでのCMを見て相方さんが観たいと言いだし、乗り気でなかった吾輩のおしりをたたいて実現したのであった。
吾輩も、伏見稲荷大社での「薬力さんのご神水」も3本しか持って帰ってこなかったのでスッカラカン、イオン桂川に行けば近くに「松尾大社」が在り、前々から行ってみたい神社でしたので併せて行く事でOKをだしたのである。

嵐山の渡月橋の手前に大きな赤い鳥居が有りますので一目で分かります。行ったのは映画終了後の4時ごろでしたので、人影もまばらで、まだ正月気分が抜けきらない吾輩は少々さびしい漢字を受けました。

参道から駐車場へ車を入れ

石畳を歩いて社の方へ

松尾大社の境内全景絵図です。
途中にこのような資料館が

なんでお酒の資料館なのか・・・と

松尾大社平成の御遷宮
ご奉賛のお願い
松尾大社は、京都最古の神社で、その創祀は遠く上代に遡ります。その後、文武天皇の大宝元年(701)に至り、秦忌寸都理が勅命を奉じて、松尾山に鎮まります神霊を山麓の原社地に神殿を営み遷座されてからも、千三百十余年を経てまいりました。
特に平安時代にあっては、、「賀茂の巖神、松尾の猛霊」と並び称せられ、皇城鎮護の神として朝野の篤い崇敬が寄せられました。以来、洛西総氏神、醸造祖神として全国の酒造家をはじめ醸造関係者よりも格別な崇敬をいただいております。
振り返れば、昭和42年から46年にかけての所謂「昭和の大造営」に始まり、「松風苑三庭」の築造、昭和天皇御在位60年記念諸殿舎修復事業。そして平成に入り、平安京遷都1200年記念大鳥居の建立、平成13年には御鎮座1300年を記念しての諸事業などを進めてまいりました。・・・・・・・・云々
世情いまだ厳しくご多端の折とは存じますが、本趣旨にご理解ご賛同頂き、皆様の格別のご奉賛を賜りますようお願い申し上げます。
松尾大社 平成の御遷宮委員会 会長
松尾大社 宮司
との事、
ウィキペディアから朝鮮半島からの渡来集団秦氏との関わり
松尾大社は、古代から渡来系氏族の秦氏(はたうじ)に奉斎されたことで知られる。秦氏は、秦王朝の始皇帝の後裔とする弓月君の子孫を称したことから「秦」を名乗った氏族で[注 4]、同様に漢王朝の遺民を称した漢氏(あやうじ)とともに渡来系氏族を代表する氏族である[22]。同じ渡来系の漢氏が陶部・鞍作部・工人等の技術者集団から成ったのに対して、秦氏は秦人部・秦部等の農民集団から成り、これらの人々は日本全国に分布して古代日本において最も多い人口を誇ったといわれる[23]。
秦氏発展の経緯として、『新撰姓氏録』[原 6]によるとまず秦氏は大和国の葛城に定住したという[24]。その真偽は明らかでないが、5世紀後半から末頃になると山背地方(のちの山城国)に本拠を置いたとされ[25]、以後は山背地方で経済基盤を築き、これが長岡京遷都・平安京遷都の背景にもなった[26]。山背地方のうち特に重要地とされたのが紀伊郡深草と葛野郡嵯峨野であり[27]、紀伊郡の側では現在も氏社として伏見稲荷大社(京都市伏見区)が知られる。葛野郡の側では桂川の葛野大堰に代表される治水事業によって開発がなされ[28]、現在も一帯には氏社として松尾大社のほか木嶋坐天照御魂神社・大酒神社、氏寺として広隆寺が残る。秦氏に関する文献は少ないため上に挙げた神社同士の関係は明らかでないが、松尾大社はそれらのうちで最も神階が高く、秦氏のゆかりとして第一に挙げられる神社になる[29]。
なお、前述のように松尾大社祭神の大山咋神・中津島姫命はそれぞれ日吉大社・宗像大社と結びつく神で、元々は秦氏特有の神ではなかった(他氏の神の勧請)とされる[25][30]。祭神が秦氏特有でないのは伏見稲荷大社・木嶋坐天照御魂神社も同様で、いずれの社でも秦氏が入植の際に入植以前の祭祀を継承する形を採ったためと見られている[31]。このように在地神を尊重・継承する傾向は、秦氏の祭祀姿勢の特徴に挙げられる[31]。
秦氏とは
『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で、応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)が祖とされるが[1]、その氏族伝承は9世紀後半に盛んになったものであって[2]、真実性には疑問が呈せられており[3]、その出自は明らかでなく以下の諸説がある。
秦人が朝鮮半島に逃れて建てた秦韓(辰韓)を構成した国の王の子孫。新羅の台頭によりその国が滅亡した際に王であった弓月君が日本に帰化した(太田亮)[4]。
新羅系渡来氏族。聖徳太子に仕えた秦河勝は新羅仏教系統を信奉していたが、これは蘇我氏と漢氏が百済仏教を信奉していたのと対照的である[5](平野邦雄・直木孝次郎・上田正昭)[6][7][8]。
百済系渡来氏族。「弓月」の朝鮮語の音訓が、百済の和訓である「くだら」と同音・同義であることから、「弓月君」=「百済君」と解釈できる。また『日本書紀』における弓月君が百済の120県の人民を率いて帰化したとの所伝もこの説を補強する(笠井倭人・佐伯有清)[9][10]。
中国五胡十六国時代の羌族が興した後秦に由来する。また、羌族がチベット・ビルマ語派に属するチベット系民族であって、同言語においてハタは辺鄙の土地、ウズは第一、キは長官を意味することから、ハタのウズキとは「地方を統治する第一の長官」を意味する。同様に、マは助詞「の」、サは都を意味することから、ウズマサは「第一の都市」を指す(田辺尚雄)[11][12]。
五胡十六国時代に氐族の苻氏が建てた前秦の王族ないし貴族の系統とする説[要出典]。
景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人とする(日ユ同祖論)。平安京は碁盤の目のような十字路で構成されている為に景教と関連がある、とも言われている[要出典](佐伯好郎)[13]。
『隋書』には、風俗が華夏(中国)と同じである秦王国なる土地が日本にあったことが紹介されており[14]、これを秦氏と結び付ける説もある[15]。
本居宣長や新井白石は『新撰姓氏録』や『古語拾遺』に依ってハタでなく韓国(からくに)語のハダ(波陀)と読むとした[12]。
秦氏が創建に関係した主な神社・寺院[編集]
神社松尾大社
伏見稲荷大社
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
大避神社 - 兵庫県赤穂市坂越にあり、秦河勝を祀る。対岸の生島には秦河勝の墓がある。
敢国神社
寺院広隆寺
だいぶ流れがそれた様なので元に戻し
平成の修復のため

神門となる楼門ですがテントで覆われ見る事できず(+o+)、そこを潜り抜けると目に飛び込んできたのが

拝殿に大きな絵馬
日本一の絵馬かと思いきや、日本一は鹿児島霧島市の和気神社の絵馬のようです。
横から見れば

境内マップには拝殿と書いてありますが、舞殿かな?と・・・
本殿はと言うと

こちらも、外装を修復中でしたが、本殿内では祈祷をされていました。
境内には

当社が「日本一の酒造神」と仰がれている事から、新酒の樽が奉納されているのか飾ってありました。
その手前には

樽の中に鉄板がはめ込んであるそうで、矢が当たると大きな音がするらしい。大きな穴なので誰でも当たるワナ・・・とたかをくくっていたら、なっなんと3本中1本しか当らなかった・・・あちゃ~((+_+))

夫婦和合 相生の松 恋愛成就

この古木はもと雌雄を同じくし相生の松として350年の樹齢を保ち、、さる昭和31・32の両年それぞれ天寿を全うした世に比類なき名松の大株である。昭和47年4月某氏天声によって神意を得、大〆縄を幹に巻き覆屋を設けてこれを保存せらるるに至った。
爾来人々は霊徳にあやからんものと本霊松を夫婦和合、恋愛成就の象徴として厚く信仰し今日に及んでいる。
他にも「幸運の撫で亀」寿命長久・家庭円満

こちらにも:軽の石

一、まず石を持ち上げる
一、願いを込めて、もう一度持ち上げる
一、最初より軽く持ち上がれば願いは叶う。重ければ叶い難し。
松尾大社の神使が亀であることに由来するとされる[51]。神社文書によれば、松尾神は大堰川を遡り丹波地方を開拓するにあたって急流では鯉に、緩流では亀に乗ったといい、この伝承により鯉と亀が神使とされたとされる。(ウィキペディアより)

「幸運の双鯉」もありました。
さてさて「亀の井」は何処かいな~と境内を探すにもナイ、全景図も古くてよく判らない、社務所で尋ねてみると「盤座登拝道入口」から行けるとの事

本殿右の奥にあり、その入り口に御触書が

「盤座登拝の心得」
松尾山は別雷山とも称し七谷に分れ、その一つである大杉谷頂上近くの斜面に巨大な岩石が有ります。これが古代の盤座で社殿祭祀以前に当社の神を祀っていた所です。昔からこの盤座をご神蹟とか御鎮座場と称して敬拝し、神職以外の登拝を禁じた神聖な場所です。従がって許可なく登拝することはできません。
但し、特に登拝を希望される方は登拝受付所に願い出の上、左の定めを守って参拝する事ができます。
定 遵守事項
一、一人での登拝は禁止します
一、お祓いの後、盤座登拝証を携帯の上、敬虔な気持ちをもって登拝しましょう。
一、登拝口以外よりの入山、下山は一切禁止します。
一、登拝道以外の脇道に入らないこと。
一、三時間以上の入山はしないこと。
一、タバコ、ローソク等、火気類の持ち込み禁止(火気厳禁)
一、カメラ、ビデオ等の持ち込み禁止(撮影禁止)
一、携帯電話の持ち込みは許可しますが、カメラ付携帯電話については下山時に撮影の有無を報告のこと。
一、草木、キノコ、鳥獣、土石類を取らないこと。
一、お供え物等は持参しないこと。
一、弁当など飲食はしないこと。
一、蜂や害虫の危害、落石等充分注意し怪我をしないよう気をつけること。
一、松尾山の清浄護持に心がけること。
受付事項
○入山受付 午前9時より午後3時迄。
○下山受付 午後4時までに下山すること。
○ 1名に付千円
*二回目からは、1名に付500円
◎入山登拝禁止日(正月三ヶ日及び中大祭当日他)
で、廊下の下をくぐり入って行くと、右に受付所が有り「亀の井」を頂きに来たと申し出ると料金はパス。

松尾山登り口の方へ少し行ったところに在りました。

亀の口から出ていたので、持っていた漏斗は左のとこに置きペットボトルに注いだのは良かったが、最近年のせいか物忘れが激しく(~o~)帰ってから無いのに気付き(?_?)どうも置いたまま忘れてきたようです・・・
水を入れ終え帰ろうとすると、相方さんが赤い鳥居の方へ

その方へ着いて行ってみると「滝御前」という水の神様が祀ってある

「万物神が宿る」の如く、滝の神様でした・・・・・が、

看板には天狗の岩が見えると書いてありましたが、どうあがいてもそれらしき物は見えなかった・・・おそらく、信心が足らんのだろうと相方さんとけなしながら帰途についた。
*「亀の井」の水を、お酒を作る時に入れると腐らないと言われ、昔から重宝されていたのが日本一の酒造の神社由縁足るところだそうです。

独断と偏見の「亀の井」の水評価は、日本的硬水に感じ、コーヒーの後味に苦みが残る感じであった。吾輩的にはまろやかさも欲しいところであった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は
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