NO237:鍔市ダムの湧水

   tたきれんざん3、2017 043-1q
「鍔市(つばいち)ダム」へ行く前に行ったようで行っていなかった「篠山城跡」へ寄って行く事に・・・
野瀬からは30分ぐらいで篠山城へ到着、駐車場からのお城の雰囲気でぇ~ス
   tたきれんざん3、2017 001-1w
引き続き相方さんにモデルをお願いして、お城の入口です。モデルさんは無料ですので、「スタイル」「美貌」の方は目をツブッテ下さいマセマセ。m(__)m
   tたきれんざん3、2017 004-1t
この石畳を歩いて行きます。その前に「篠山城跡の歴史」を
   tたきれんざん3、2017 002-1e
 篠山城は、慶長14年(1609)に、天下を盤石なものにしようとする徳川家康が、豊臣方の拠点である大阪城を包囲すると共に、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を牽制するために、山陰道の要所であったこの地に築いた城です。築城工事は、旧豊臣大名の経済力を弱める事を目的に天下普請とされ、山陰道、山陽道、南海道(近畿・中国・四国地方)など15ヶ国20大名が動員されました。
 城は、当時「笹山」と呼ばれた独立丘陵を利用して築いています。工事は、開始から1年に満たない短期間でほぼ出来上がるという突貫工事で進められました。笹山は全体が岩板で出来ていたため、難工事の中での完成でした。
 篠山城の縄張りは、築城の名手と言われた藤堂高虎が行ったものです。堀を二重に廻し、外堀の三方へ出入口として馬出しを設け、防御に徹した城構えとなっています。天守閣は、城の完成を急いだことと実戦向きの城としたため築かれませんでしたが、二の丸には大書院に代表される御殿が建てられました。
 大坂夏の陣を経て、江戸幕府が安定すると、篠山城は西日本の諸大名の押さえの城として位置づけられます。江戸時代を通して、幕府の信頼厚い譜代大名の4家が、藩主として次々と移って来ています。
名称:国指定篠山城跡
城の種類:平山城
城の形状:輪郭式と梯郭式の併用
面積:19,3万平方メートル
史跡指定日:昭和31年12月28日
   tたきれんざん3、2017 006-1r
城壁の中へ入ってきました。
   tたきれんざん3、2017 007-1t
防御に徹しただけある作りです。手前の黒い門が「鉄門跡」
   tたきれんざん3、2017 008-1y
 二の丸へ至る最後の門の跡です。 
tたきれんざん3、2017 009-1a
 二の丸へ至る最後の門の跡です。絵図によると櫓門形式の門があり、呼び名の通り門扉には、鉄板が張られていたのではないかと考えられます。
 発掘調査の結果、門跡は廃城後に1,5m埋められていましたが、土を取り除いたところで、門跡の範囲を示す敷石と階段跡等の遺構が発見されました。これによって鉄門は東西の幅約5m、奥行き4,5mの大きさで、東側石垣高さ4mと、西側石垣高さ4,5mとの間に造られた厳重な構造であった事が明らかとなりました。
 二の丸登り口の整備に当り鉄門跡の範囲を自然石による敷石で示しています。
  tたきれんざん3、2017 010-1s
大書院への入口で今は事務室になっています。大書院の入館、迷いに迷って入らないことに、決して入館料を惜しんだのではアリマセン(^o^)/その右横に
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井戸の櫓、そこが見えない大きな井戸です
   tたきれんざん3、2017 011-1d
『この井戸は城北の玉水から、流れ出た水脈を利用していると伝えられており、厳しい日照りでも枯れたことがありません。』の井戸だそうです。玉水とは 【清らかな水、また、滝。2 雨だれなどの水滴の 美称】
大書院の後ろへ行く通り
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本来は何か建っていた屋敷ですが、詳しい資料がないため更地のままの模様
   tたきれんざん3、2017 027-1h
大書院の大きさが目を引きます。
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大書院跡
 篠山城大書院は二の丸跡に所在した城主居館の中で、とくに歴代藩主による公式行事に使用された場所で、正規の書院造りの建物となっていました。
 この建物は慶長14年(1609)の徳川幕府の天下普請による篠山城築城時に、京都二条城の御殿を参考にして建てられたと伝えられ、大きさは東西28m、南北26m篠山城最大の規模となっていました。内部には上段の間、孔雀の間などの多くの部屋があり、障壁画で飾られていたと考えられます。
 廃城後もこれだけ残されていましたが、昭和19年失火により失われました。その後、焼失から56年たった平成12年3月大書院の威容が大書院跡地に甦りました。
                   篠山市教育委員会
篠山城の東側には
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青山神社もあります
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青山神社は、1882年に本丸跡に建立され、篠山藩主青山氏の遠祖青山忠俊と第12代藩主青山忠裕が祭神として祀られています。青山氏は譜代大名で幕府の要職を歴任した家柄で、中でも忠裕は30年余り老中を務め、その功績により篠山藩は5万石から6万石に増加されました。毎年4月の第一土曜日が(宵宮)と日曜日(本宮)に青山神社の祭礼が行われます。本宮では、春日神社へ渡御の行列ががあり、神輿と共に鎧や薙刀を身に着けた小学生たちが太鼓と法螺貝の合図で練り歩きます。
その神社の境内には
  tたきれんざん3、2017 022-1x
青山忠誠公追慕碑が立っていましたが、
   tたきれんざん3、2017 021-1n
教育の礎を築いた「あおやまただしげ」公の偉業についてー雅号は環峰ー
『学舎を創設』  明治9年郷土に教育の息吹
 青山家21代青山忠誠公は、篠山に人材を育てる学校がなければならないと考え
慶応義塾の創立者福沢諭吉氏にはかったところ、福沢氏は、極めて秀れたことであると賞賛、弟子である二人の教師(英語、物理化学)を篠山に送ってきました。
 かねて廃藩後まもなく藩士の有志が、春日神社の境内の小桃源に師弟教育のためにつくった「共茂舎」を明治9年12月28日に「私立篠山中年学舎」と改めて、とり敢えず子弟をを集めて、漢文、数学、英語教授を開始しました。忠誠公は”旧藩領に永遠に残す置土産は、子弟を教育する事である”と私財を投じて学舎を建設しました。
『教育に名言』 忠誠公情熱こめて教育を振興
  学舎が変災に遭ったときに忠誠公は、
         学舎は焼くとも教育焼くな
との名言の意志のもとに、直ちに巨費を投じて、学舎を再建いたしました。まことに、藩民に対する温情は、熱意のこもったものでした。
明治11年には「公立篠山中学」に改め、同18年にはこれを廃校して「私立鳳鳴義塾」を創設して多くの人材を育てました。また東京への進学の子弟のため寄宿舎を設けて「尚志館」(しょうしかん)を開きました。このように忠誠公は偉大なる育才事業をなし遂げたのです。
 今日郷土篠山市には、この伝統の教育精神が脈々として流れ、県立高等学校を始め郷土は教育の市として、伝統の歴史と共に盛り上がっています。
   忠誠公は明治20年(1887)7月23日逝去(享年29才)
  明治25年11月七日正四位子爵を遺贈表彰されました
『追慕碑』
この大きな追慕碑は、昭和11年7月に、忠誠公の遺徳と数々の功績を追慕して建立した碑です。 



    つづく


  
    
   
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NO96:高蔵寺の名水「観音水」

  篠山:高蔵寺 066-bb
今回は、兵庫県篠山市にある「高蔵寺の観音水」を頂きに行ってきました。

我が家の、と言っても我が夫婦だけですが、山田洋二ファンにとって「小さなおうち」の新作が封切され、早速見に行く事に!
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「小さなおうち」で2010年に直木賞を受賞された中島京子氏の映画化だそうで(知らなかった^_^;)本も読まず、映画の内容も知らずの観賞でした。
感想は、私どもがこんなことを言うのはおこがましいのですが、最近の監督の映画「小津安二郎」の映画の世界を追っているように思えて・・・何か見ていて無理がある・・・最近の映画は泣けない・・・言いたいことは判るのだが・・・
時代劇の三部作は良かった!!

という訳で、今回は三田のウッデータウン「イオンシネマ」に行ったついでに湧水を頂きに「高蔵寺」に寄ってきたのです。
上の大木の写真は、その折篠山市大山地区内にある追手神社境内に息づいている先年モミの木です。

下の写真は、立山杉の写真です。これに匹敵するぐらいの大木でした。詳しくは後程(^_^)/(仙同杉:9,4m幹回り)
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高蔵寺は、篠山市街地の北側国道176号線沿いから入って行った高倉という所に在りました。
本来有名なのは、秋の紅葉が見所のとこらしく「丹波篠山:もみじ三山」の中の一ヶ寺になっているようです。
  篠山:高蔵寺 043-b
国道から高倉方面に入って行くと、冬の殺風景な田園風景の中車がすれ違うのがやっとの道を奥に向けて走って行くと、高蔵寺の山門に行きつきます。
   篠山:高蔵寺 031-b
当山開創は、人皇三十六代孝徳天皇の御宇大化二年(646)播磨国法華山を創してこの地を訪れた法道仙人が、黒頭峰の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架橋を見て宝橋山と号したことに始まる。
 往昔、堂之尾と呼ばれる山の中腹には、七堂伽藍、二十一ヶ坊の堂宇を誇ったが天正年中明智軍の兵火に遭い、焼失した。
 その時氷上郡袖津村の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存の本尊十一面観世音(秘佛)と伝えられ、稽文会・稽首勲両佛師の作で、大和長谷寺の観音と同木同作と伝承される。
 現在の本堂は、正徳二年(1712)の建立、本尊脇侍の龍王権現と雨法童子は、共に永禄十年(1568)の作。
 本堂のほか、仁王門・文殊堂・阿弥陀堂等を有す。
            「天台宗兵庫教区:寺院大図鑑HPより」
   篠山:高蔵寺 032-b

昔大きな寺屋敷だったのか、山門から100mほど行ったところに、現在の本堂が有ります。

   篠山:高蔵寺 038-b
お寺の門柱には、「新丹波 七福神霊場」の看板が掛かっておりました。
 真丹波七福神霊場・・・高蔵寺は弁財天が祀ってあるようです。
しかし、もみじ三山にしろ、七福神霊場にしろ、精力的に参拝客を呼び込む努力には頭の下がる思いです(^^)/
墓地には観音様石像も
篠山:高蔵寺 036-b
ココからさらに、モミジの並木道を100mほど行ったところに、観音堂(丹波新聞による)が有りました。
篠山:高蔵寺 044-b
取水場は、この石段の登り口左端に手水舎として設置されていました。
篠山:高蔵寺 045-b
ホースが見えると思いますが、ケッコウ勢いよく水は出ていました。初めは、水溜から流れ出てきた水を漏斗に受けて入れていたのですが、めんどくさくなり、ホースから直接ペットボトルに入れると早いのなんのって、あっという間に終了(^_^)v
横には「観音水」のイワレが
篠山:高蔵寺 046-b
        名水”観音水 
この水は、古えの昔より「黒頭(くろつぼ)の名水」「夏栗の冷水」として知られ”観音水”として親しまれています。
 清くせせらぐ観音水を一滴口にすれば実にその味は神秘の味わいをもたらすものであります。
 何時の時も岩間から湧きいづる真水は「長寿の水」「美貌の水」として地元では重宝がられており、実に自然の恩恵に感謝しているところであります。
 みなさんも、この”観音水”を口中にして感謝の気持ちと清らかな気分にひたって戴きたいものです。
水溜の後ろでは、石仏が睨んで見張っていますので、悪さはできません。その横に賽銭入れがきっちりと設置されていましたので志を入れておきました。
   篠山:高蔵寺 053-b
ココで一つおかしな?事を紹介
〇神戸新聞の「観音水」の紹介記事の要約
『篠山「観音水」が人気 阪神間からも訪問  ポリタンクで水をくむ住民ら=篠山市高倉

 篠山市の大山振興会が、同市高倉の黒頭峰(くろつのみね)の中腹からわき出る名水を
味わってもらおうと、下流の高蔵寺境内までパイプを引き、無料で振る舞っている。
「観音水」と名付けられた水は、阪神間などから評判を聞き付けた人たちが連日、くみに訪
れており、同振興会は「大山の豊かな自然からわき出てきた貴重な水。
町おこしにつなげていければ」と名水効果に期待している。(前川茂之)

 わき水は同地区を流れる大山川の源水で、こんこんとわき出る豊富な水量とその滑らか
な飲み口から、地元では「長寿の水」「美貌(びぼう)の水」などと呼ばれ、飲料水として親
しまれてきた。

 同振興会では、この隠れた名水スポットをより多くの人に知ってもらおうと、林野庁の助成
金を受けて昨年十月上旬、水質を検査。PH値は七・四七、濁度が〇・八二で、細菌が少な
く、飲料に問題がないと確認された。判定を受けて、住民らが源流から同寺の水くみ場まで
約七百メートルのパイプを整備した。

 水くみ場が観音堂前にあることから名水は「観音水」と命名。今後は、同振興会が進める
そば作りなどでも活用していく計画で、村上幸雄事務局長(71)は「どこの名水にも負けな
いおいしい水。コーヒーや炊飯などに使ってほしい」と話している。』

〇丹波新聞の「観音水」の紹介記事の要約
『「大山の名水」高蔵寺で無料提供
2008年01月30日
 大山振興会 (篠山市大山新) は昨年12月から、 同市高倉にある夏栗山などから水を引き、 高蔵寺 (福井邦準住職) 境内で無償提供している。 観音堂の前に水くみ場を設置していることから 「観音水」 と呼んでおり、 同会では、 「自然の水で、 水道水とは比べものにならないおいしいコーヒーやご飯ができる。 ぜひ利用して」 と話している。
 夏栗山から流れる水は大山川の源水。 もともと高倉地区住民らの間では、 「夏栗の冷水」 や 「長寿の水」 「美貌 (びぼう) の水」 など、 さまざまな呼び名で親しまれてきた。』

黒頭峰と夏栗山は高蔵寺の裏にそびえる二つの峰ですが、どちらが正しいのでしょうか(?_?)

水汲みも終わり、観音堂の境内を散策に石段を登って行くと・・・
観音堂
   篠山:高蔵寺 047-b
鐘楼
   篠山:高蔵寺 051-b
昔ながらの佇まい、静寂な中唱歌「故郷」を思い浮かべるシチュエーションです。まさに絵になります。

鐘楼の横には、幹回り5mのモミの木が・・・ココの時点では、大きなモミの木だな~と
  篠山:高蔵寺 049-b

ひと時の空間を堪能して、次の訪問地追手神社へ向かう事に・・・ここには千年モミの木が在るという!大木の観賞が好きな吾輩としては、ぜひとも行きたいところでした。しかし、この時点では、あそこまで衝撃を受けるとは・・・思いもしてなかった(@_@;)

鐘ヶ坂へ向かう176号の旧道側にその神社は有りました。
   篠山:高蔵寺 056-b
「千年モミの木」見るまでは高をくくっていたが、見ると頭の先からズド~ンと衝撃が
   篠山:高蔵寺 061-b
幹が地中からズボッと飛び出してる・・と言った表現がいいのか・・・
   篠山:高蔵寺 062-b
     国指定天然記念物:追手神社のモミ
 追手神社のモミは、頂上部を破損しているものの、樹勢は旺盛で、本種として国内で最大級の成長を遂げたものである。地元では千年モミと呼ばれ、鎮守の森のシンボルとして大切に保護されている。
指定年月日:平成6年3月23日  寸法:胸高幹廻り:7,8m 樹高:38m 枝張:東西10m 南北16m
            篠山市教育委員会
           一見の価値アリ(^_^)/
その他にも、夫婦いちょう:推定樹齢350年夫婦円満の木として親しまれ、晩秋には実を拾う人が絶えません。
   篠山:高蔵寺 060-b
エゾエノキ:樹高30m   幹廻り:4,9m
  篠山:高蔵寺 067-b
と、大きなもので、これ等が見られます。本殿です。

    篠山:高蔵寺 070-b
意外と小さい社でした。
その他にも、追手神社の近くには和泉式部のお墓とか伝説が残っている土地柄のようです。

話は変わりますが、NO90で書いた中島みゆきの舞台版(夜会VOL,17 2/2)を映画化した内容に、ライブ映像をプラスした「中島みゆき・雛まつり」がイオンシネマ系列で上映されます。NO91で感想を書いた、有名な曲のシーンが無かった不満を、今回取り入れた映像で上映されるとの事、思いは私だけではなかったようです。
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観に行くかどうか思案中・・・

ところで、高蔵寺の「観音水」の感想は、行く前の情報として「村おこし」の一環として山水を引いて来ているという事でしたので、あまり期待はしてなかったのが本心で下が、飲んでビックリ村の人たちが自慢するだけの事は有る「美味しい水」でした。これは、湧水に違いないと思った次第です。
で、独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vー☆ です

詳しい場所は

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