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NO238:大たわ峠の水場

   2017,8,20多紀連山 039-3q
多紀連山
 多紀連山は平安時代末期から中世にかけて修験道行場として栄えました。
大峯山より栄えていましたが、対立し、1482年焼き払われました。
 近年になって、山麓の谷筋にクリンソウの大群落がみられるようになりました。
 クリンソウは湿地に自生するサクラソウの一種で、5月初旬から6月初旬にかけて仏塔の先端にある九輪に似たはなおさかせます。

大たわ峠へ向かって走っていると右手にソーラーパネルの集団が
  2017,8,20多紀連山 058-3r
   2017,8,20多紀連山 059-3e
学校の跡地のような玄関には「伊丹産業」のプレートが見えた。「伊丹産業」と言えば、当地ではガスの配給を独占に近い形で運営している会社です。他にも、米の販売、ガソリンスタンド、車の販売等々多岐にわたった経営をされている会社であり、さらに電力にも参入するエネルギー総合会社へと発展しているようです。
     2017,8,20多紀連山 057-3t
こんな山奥の日当たりが良くない場所でもソーラーは活躍!
そこを横目で見ながら峠へと、
   2017,8,20多紀連山 041-3y
何回かカーブをする中で峠に着くと
フォレストアドベンチャーというアスレチックスの公園が右手に、左は多紀連山への各主峰へ登る駐車場がありました。
  2017,8,20多紀連山 046-3u
左の駐車場は、左の山「御嶽793m」と右の山「小金ヶ嶽726m」へ登る基地になっている様子、詳しくは篠山市の「多紀連山ガイドマップ」を見て下さいネ。
ところで、その付近を見回しても「水場」らしきものは無く、フォレストアドベンチャーの事務所には人影が・・・・尋ねに行く事にした
   2017,8,20多紀連山 043-3u
聞いてみると、手前50mの階段の下に有るとの事、
   2017,8,20多紀連山 054-3a
赤い屋根の小屋に近づいてみると
   2017,8,20多紀連山 048-3f
水が溢れているではないか(^_^)vこの水は何処から・・・と後へ行ってみると
   2017,8,20多紀連山 050-3j
結構な水量が
   2017,8,20多紀連山 051-3h
チョイト解り辛いが谷間の砂地から湧き出ていたのである。これはまさに畑川の源流でした。
そして、赤い屋根の上には
   2017,8,20多紀連山 055-3d
という訳で、無事3か所汲んで帰ってきました。

独断と偏見の水評価は、このような上流部に人工物のある場所の場合、大腸菌が含まれて入る場合が大半で、必ず煮沸させて飲むように心がけています。コーヒーを飲んだ感じとしては、ちょっと渋味が強調された飲み口でしたが、今回の3ヶ所は似た様な水で、軟水系でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所



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NO237:鍔市ダムの湧水

   tたきれんざん3、2017 043-1q
「鍔市(つばいち)ダム」へ行く前に行ったようで行っていなかった「篠山城跡」へ寄って行く事に・・・
野瀬からは30分ぐらいで篠山城へ到着、駐車場からのお城の雰囲気でぇ~ス
   tたきれんざん3、2017 001-1w
引き続き相方さんにモデルをお願いして、お城の入口です。モデルさんは無料ですので、「スタイル」「美貌」の方は目をツブッテ下さいマセマセ。m(__)m
   tたきれんざん3、2017 004-1t
この石畳を歩いて行きます。その前に「篠山城跡の歴史」を
   tたきれんざん3、2017 002-1e
 篠山城は、慶長14年(1609)に、天下を盤石なものにしようとする徳川家康が、豊臣方の拠点である大阪城を包囲すると共に、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を牽制するために、山陰道の要所であったこの地に築いた城です。築城工事は、旧豊臣大名の経済力を弱める事を目的に天下普請とされ、山陰道、山陽道、南海道(近畿・中国・四国地方)など15ヶ国20大名が動員されました。
 城は、当時「笹山」と呼ばれた独立丘陵を利用して築いています。工事は、開始から1年に満たない短期間でほぼ出来上がるという突貫工事で進められました。笹山は全体が岩板で出来ていたため、難工事の中での完成でした。
 篠山城の縄張りは、築城の名手と言われた藤堂高虎が行ったものです。堀を二重に廻し、外堀の三方へ出入口として馬出しを設け、防御に徹した城構えとなっています。天守閣は、城の完成を急いだことと実戦向きの城としたため築かれませんでしたが、二の丸には大書院に代表される御殿が建てられました。
 大坂夏の陣を経て、江戸幕府が安定すると、篠山城は西日本の諸大名の押さえの城として位置づけられます。江戸時代を通して、幕府の信頼厚い譜代大名の4家が、藩主として次々と移って来ています。
名称:国指定篠山城跡
城の種類:平山城
城の形状:輪郭式と梯郭式の併用
面積:19,3万平方メートル
史跡指定日:昭和31年12月28日
   tたきれんざん3、2017 006-1r
城壁の中へ入ってきました。
   tたきれんざん3、2017 007-1t
防御に徹しただけある作りです。手前の黒い門が「鉄門跡」
   tたきれんざん3、2017 008-1y
 二の丸へ至る最後の門の跡です。 
tたきれんざん3、2017 009-1a
 二の丸へ至る最後の門の跡です。絵図によると櫓門形式の門があり、呼び名の通り門扉には、鉄板が張られていたのではないかと考えられます。
 発掘調査の結果、門跡は廃城後に1,5m埋められていましたが、土を取り除いたところで、門跡の範囲を示す敷石と階段跡等の遺構が発見されました。これによって鉄門は東西の幅約5m、奥行き4,5mの大きさで、東側石垣高さ4mと、西側石垣高さ4,5mとの間に造られた厳重な構造であった事が明らかとなりました。
 二の丸登り口の整備に当り鉄門跡の範囲を自然石による敷石で示しています。
  tたきれんざん3、2017 010-1s
大書院への入口で今は事務室になっています。大書院の入館、迷いに迷って入らないことに、決して入館料を惜しんだのではアリマセン(^o^)/その右横に
   tたきれんざん3、2017 013-1f
井戸の櫓、そこが見えない大きな井戸です
   tたきれんざん3、2017 011-1d
『この井戸は城北の玉水から、流れ出た水脈を利用していると伝えられており、厳しい日照りでも枯れたことがありません。』の井戸だそうです。玉水とは 【清らかな水、また、滝。2 雨だれなどの水滴の 美称】
大書院の後ろへ行く通り
   tたきれんざん3、2017 014-1f
本来は何か建っていた屋敷ですが、詳しい資料がないため更地のままの模様
   tたきれんざん3、2017 027-1h
大書院の大きさが目を引きます。
  tたきれんざん3、2017 020-1k
大書院跡
 篠山城大書院は二の丸跡に所在した城主居館の中で、とくに歴代藩主による公式行事に使用された場所で、正規の書院造りの建物となっていました。
 この建物は慶長14年(1609)の徳川幕府の天下普請による篠山城築城時に、京都二条城の御殿を参考にして建てられたと伝えられ、大きさは東西28m、南北26m篠山城最大の規模となっていました。内部には上段の間、孔雀の間などの多くの部屋があり、障壁画で飾られていたと考えられます。
 廃城後もこれだけ残されていましたが、昭和19年失火により失われました。その後、焼失から56年たった平成12年3月大書院の威容が大書院跡地に甦りました。
                   篠山市教育委員会
篠山城の東側には
   tたきれんざん3、2017 017-1j
青山神社もあります
   tたきれんざん3、2017 019-1z
青山神社は、1882年に本丸跡に建立され、篠山藩主青山氏の遠祖青山忠俊と第12代藩主青山忠裕が祭神として祀られています。青山氏は譜代大名で幕府の要職を歴任した家柄で、中でも忠裕は30年余り老中を務め、その功績により篠山藩は5万石から6万石に増加されました。毎年4月の第一土曜日が(宵宮)と日曜日(本宮)に青山神社の祭礼が行われます。本宮では、春日神社へ渡御の行列ががあり、神輿と共に鎧や薙刀を身に着けた小学生たちが太鼓と法螺貝の合図で練り歩きます。
その神社の境内には
  tたきれんざん3、2017 022-1x
青山忠誠公追慕碑が立っていましたが、
   tたきれんざん3、2017 021-1n
教育の礎を築いた「あおやまただしげ」公の偉業についてー雅号は環峰ー
『学舎を創設』  明治9年郷土に教育の息吹
 青山家21代青山忠誠公は、篠山に人材を育てる学校がなければならないと考え
慶応義塾の創立者福沢諭吉氏にはかったところ、福沢氏は、極めて秀れたことであると賞賛、弟子である二人の教師(英語、物理化学)を篠山に送ってきました。
 かねて廃藩後まもなく藩士の有志が、春日神社の境内の小桃源に師弟教育のためにつくった「共茂舎」を明治9年12月28日に「私立篠山中年学舎」と改めて、とり敢えず子弟をを集めて、漢文、数学、英語教授を開始しました。忠誠公は”旧藩領に永遠に残す置土産は、子弟を教育する事である”と私財を投じて学舎を建設しました。
『教育に名言』 忠誠公情熱こめて教育を振興
  学舎が変災に遭ったときに忠誠公は、
         学舎は焼くとも教育焼くな
との名言の意志のもとに、直ちに巨費を投じて、学舎を再建いたしました。まことに、藩民に対する温情は、熱意のこもったものでした。
明治11年には「公立篠山中学」に改め、同18年にはこれを廃校して「私立鳳鳴義塾」を創設して多くの人材を育てました。また東京への進学の子弟のため寄宿舎を設けて「尚志館」(しょうしかん)を開きました。このように忠誠公は偉大なる育才事業をなし遂げたのです。
 今日郷土篠山市には、この伝統の教育精神が脈々として流れ、県立高等学校を始め郷土は教育の市として、伝統の歴史と共に盛り上がっています。
   忠誠公は明治20年(1887)7月23日逝去(享年29才)
  明治25年11月七日正四位子爵を遺贈表彰されました
『追慕碑』
この大きな追慕碑は、昭和11年7月に、忠誠公の遺徳と数々の功績を追慕して建立した碑です。 

しかし、今書いていて思う事は「将来を見据え、享年29歳という若さで大事業を成し遂げられた」という事に感慨深い思いをもつものです。それに引き替え我が国の総理大臣は・・・・・(+o+)

青山神社の右奥には、城内で一番高い天守台「殿主丸」が有ります
tたきれんざん3、2017 029-1m
その下には篠山小学校が在りました。
   tたきれんざん3、2017 024-2w
お城を出て、簡単に武家屋敷めぐりへ
まずは、篠山藩主別邸「桂園舎」
   tたきれんざん3、2017 032-2e
今は、篠山市青山歴史村として篠山藩の資料館となっています。
次に、小林家長屋門
  tたきれんざん3、2017 036-2r
文化年間(1804年頃)に、当時の篠山藩主青山忠裕がその老女小林千枝の多年の労に報いるために修築したと伝えられる。
古い武家屋敷群
  tたきれんざん3、2017 042-2u
こちらは近代的な通り
   tたきれんざん3、2017 044-2y
最後に外堀を見て
   2017,8,20多紀連山 062-2i
鍔市ダムへと車を進めた。県道301号京都の三和町菟原へ抜ける道へ入って行くところに地元の地図が目に入った。早速停まって
   2017,8,20多紀連山 003-2w
この県道は多紀連山の「御嶽と小金ヶ嶽」へ登る大埞(峠)へ登る道で、そこの地図に予定にない水場が書いてある。これは行かなくっちゃ~♪と、ダムの湧水を汲んでから行く事にした。
   2017,8,20多紀連山 029-2o
農業用ダムとして作られています。
  2017,8,20多紀連山 030-2t
兵庫の山奥へ行くとこの手のダムはよく見られますが、農業用ダムというよりもジャンボ釣り堀と言った方が似合っているようです。
ダムの周りの道を進んで行くと
   2017,8,20多紀連山 022-2d
写真を撮り忘れていましたが、トイレと併設の休憩小屋が在り、その先に
  2017,8,20多紀連山 014-2j
草むらから鉄管が日本出て来てソコから水が出て来ていた。はぁ~んこれが「鍔市ダムの湧水」かなと、しかし、出て来る水の所にはゴミを濾すための布の袋が下げてあり、どうも山水か湧水か区別がつかない(・・?
その下流には、「クリンソウ」という珍しい花が池に自生しているとの事
  2017,8,20多紀連山 020-2f
その手前の山側には、
   2017,8,20多紀連山 005-2l
石で組んだ水溜が作ってあり、上から一筋の水が流れ出て来ていた。おそらく源水は同じであろうが、こちらの水の方が湧水らしいので、こちらの水を汲む事にした。奥の鉄幹の横には
『ここはみんなの水汲み場です。きれいに使っていただきありがとうございます』
『バーベキュウをされる方へ、他へ移動して頂き、ありがとうございます。御不自由をおかけいたします。御協力ありがとうございます』
・・・・と、注意書きですが、なんか心が温まる文句デスね(*^_^*)
水が出ていた石垣の上に登ってみると
   2017,8,20多紀連山 008-2l
木々の間からコンクリート壁のような遺跡(そう古くはないが)が見える。その昔、今の日本製鉄の社宅が在ったの跡ではと
   2017,8,20多紀連山 004-2s
篠山を支えた、畑の硅石鉱山
 篠山の硅石は最初に1913年(大正2年)大芋(おおくも)地区で発見され、1920年(大正9年)には畑地区でも発見されました。篠山の硅石はとくに良質で、主として製鉄所の溶鉱炉の原料に用いられました。
 1923年(大正12年)に八幡製鉄所(のちに日本製鉄に統合)が畑鉱床を買い取り、1926年(大正15年)には畑鉱山が開かれました。採掘が本格化すると、篠山を支える中心産業のひとつとなりました。  
 奥畑・火打岩にある二つの赤い鉄橋は、木橋が当たり前の時代に、重い硅石をトロッコで運ぶために架けられたものです。
 1941年(昭和16年)、アジア太平洋戦争の開始とともに、硅石の需要はいっそう高まり、多くの朝鮮人労働者も鉱山労働に従事する事になりました。戦争末期には「徴用」という名目で強制的に連れてこられた80名の朝鮮人もその中に含まれて入ました。
当時、瀬利の八百里(やおり)にあった日鉄鉱業の宿舎から隊列を組んで鉱山に向かう朝鮮人の姿が、毎朝見られたといいます。
 一方、地域の中では、「菅硅石運搬組合」を作るなどして、鉱山産業を支えました。
 戦後も、日本人と朝鮮人が鉱山で一緒に働いていましたが、硅石需要の後退によって鉱山は次々と閉山され、1979年(昭和54年)の畑鉱山の閉山とともに篠山の硅石産業は実質的に終わりを迎えました。
                           2012年2月1日
                    篠山市人権・同和教育研究協議会
                    篠山市教育委員会
                    みたけの里づくり協議会

看板の地図によると、この辺にも鉱山と社宅が在ったように書いてありますので、コンクリート遺跡はその当時の遺物ではないかと見受けられます。
という事で、水も汲めて、次は地図に載っていた峠の水場に寄ってみる事にしました。

独断と偏見の水評価は
軟水系の水で、我が家の水道水と変わらないコーヒーの味でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vです
詳しい場所は

       


  
    
   

NO96:高蔵寺の名水「観音水」

  篠山:高蔵寺 066-bb
今回は、兵庫県篠山市にある「高蔵寺の観音水」を頂きに行ってきました。

我が家の、と言っても我が夫婦だけですが、山田洋二ファンにとって「小さなおうち」の新作が封切され、早速見に行く事に!
img092-bbb.jpg
「小さなおうち」で2010年に直木賞を受賞された中島京子氏の映画化だそうで(知らなかった^_^;)本も読まず、映画の内容も知らずの観賞でした。
感想は、私どもがこんなことを言うのはおこがましいのですが、最近の監督の映画「小津安二郎」の映画の世界を追っているように思えて・・・何か見ていて無理がある・・・最近の映画は泣けない・・・言いたいことは判るのだが・・・
時代劇の三部作は良かった!!

という訳で、今回は三田のウッデータウン「イオンシネマ」に行ったついでに湧水を頂きに「高蔵寺」に寄ってきたのです。
上の大木の写真は、その折篠山市大山地区内にある追手神社境内に息づいている先年モミの木です。

下の写真は、立山杉の写真です。これに匹敵するぐらいの大木でした。詳しくは後程(^_^)/(仙同杉:9,4m幹回り)
PA060017-4b.jpg

高蔵寺は、篠山市街地の北側国道176号線沿いから入って行った高倉という所に在りました。
本来有名なのは、秋の紅葉が見所のとこらしく「丹波篠山:もみじ三山」の中の一ヶ寺になっているようです。
  篠山:高蔵寺 043-b
国道から高倉方面に入って行くと、冬の殺風景な田園風景の中車がすれ違うのがやっとの道を奥に向けて走って行くと、高蔵寺の山門に行きつきます。
   篠山:高蔵寺 031-b
当山開創は、人皇三十六代孝徳天皇の御宇大化二年(646)播磨国法華山を創してこの地を訪れた法道仙人が、黒頭峰の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架橋を見て宝橋山と号したことに始まる。
 往昔、堂之尾と呼ばれる山の中腹には、七堂伽藍、二十一ヶ坊の堂宇を誇ったが天正年中明智軍の兵火に遭い、焼失した。
 その時氷上郡袖津村の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存の本尊十一面観世音(秘佛)と伝えられ、稽文会・稽首勲両佛師の作で、大和長谷寺の観音と同木同作と伝承される。
 現在の本堂は、正徳二年(1712)の建立、本尊脇侍の龍王権現と雨法童子は、共に永禄十年(1568)の作。
 本堂のほか、仁王門・文殊堂・阿弥陀堂等を有す。
            「天台宗兵庫教区:寺院大図鑑HPより」
   篠山:高蔵寺 032-b

昔大きな寺屋敷だったのか、山門から100mほど行ったところに、現在の本堂が有ります。

   篠山:高蔵寺 038-b
お寺の門柱には、「新丹波 七福神霊場」の看板が掛かっておりました。
 真丹波七福神霊場・・・高蔵寺は弁財天が祀ってあるようです。
しかし、もみじ三山にしろ、七福神霊場にしろ、精力的に参拝客を呼び込む努力には頭の下がる思いです(^^)/
墓地には観音様石像も
篠山:高蔵寺 036-b
ココからさらに、モミジの並木道を100mほど行ったところに、観音堂(丹波新聞による)が有りました。
篠山:高蔵寺 044-b
取水場は、この石段の登り口左端に手水舎として設置されていました。
篠山:高蔵寺 045-b
ホースが見えると思いますが、ケッコウ勢いよく水は出ていました。初めは、水溜から流れ出てきた水を漏斗に受けて入れていたのですが、めんどくさくなり、ホースから直接ペットボトルに入れると早いのなんのって、あっという間に終了(^_^)v
横には「観音水」のイワレが
篠山:高蔵寺 046-b
        名水”観音水 
この水は、古えの昔より「黒頭(くろつぼ)の名水」「夏栗の冷水」として知られ”観音水”として親しまれています。
 清くせせらぐ観音水を一滴口にすれば実にその味は神秘の味わいをもたらすものであります。
 何時の時も岩間から湧きいづる真水は「長寿の水」「美貌の水」として地元では重宝がられており、実に自然の恩恵に感謝しているところであります。
 みなさんも、この”観音水”を口中にして感謝の気持ちと清らかな気分にひたって戴きたいものです。
水溜の後ろでは、石仏が睨んで見張っていますので、悪さはできません。その横に賽銭入れがきっちりと設置されていましたので志を入れておきました。
   篠山:高蔵寺 053-b
ココで一つおかしな?事を紹介
〇神戸新聞の「観音水」の紹介記事の要約
『篠山「観音水」が人気 阪神間からも訪問  ポリタンクで水をくむ住民ら=篠山市高倉

 篠山市の大山振興会が、同市高倉の黒頭峰(くろつのみね)の中腹からわき出る名水を
味わってもらおうと、下流の高蔵寺境内までパイプを引き、無料で振る舞っている。
「観音水」と名付けられた水は、阪神間などから評判を聞き付けた人たちが連日、くみに訪
れており、同振興会は「大山の豊かな自然からわき出てきた貴重な水。
町おこしにつなげていければ」と名水効果に期待している。(前川茂之)

 わき水は同地区を流れる大山川の源水で、こんこんとわき出る豊富な水量とその滑らか
な飲み口から、地元では「長寿の水」「美貌(びぼう)の水」などと呼ばれ、飲料水として親
しまれてきた。

 同振興会では、この隠れた名水スポットをより多くの人に知ってもらおうと、林野庁の助成
金を受けて昨年十月上旬、水質を検査。PH値は七・四七、濁度が〇・八二で、細菌が少な
く、飲料に問題がないと確認された。判定を受けて、住民らが源流から同寺の水くみ場まで
約七百メートルのパイプを整備した。

 水くみ場が観音堂前にあることから名水は「観音水」と命名。今後は、同振興会が進める
そば作りなどでも活用していく計画で、村上幸雄事務局長(71)は「どこの名水にも負けな
いおいしい水。コーヒーや炊飯などに使ってほしい」と話している。』

〇丹波新聞の「観音水」の紹介記事の要約
『「大山の名水」高蔵寺で無料提供
2008年01月30日
 大山振興会 (篠山市大山新) は昨年12月から、 同市高倉にある夏栗山などから水を引き、 高蔵寺 (福井邦準住職) 境内で無償提供している。 観音堂の前に水くみ場を設置していることから 「観音水」 と呼んでおり、 同会では、 「自然の水で、 水道水とは比べものにならないおいしいコーヒーやご飯ができる。 ぜひ利用して」 と話している。
 夏栗山から流れる水は大山川の源水。 もともと高倉地区住民らの間では、 「夏栗の冷水」 や 「長寿の水」 「美貌 (びぼう) の水」 など、 さまざまな呼び名で親しまれてきた。』

黒頭峰と夏栗山は高蔵寺の裏にそびえる二つの峰ですが、どちらが正しいのでしょうか(?_?)

水汲みも終わり、観音堂の境内を散策に石段を登って行くと・・・
観音堂
   篠山:高蔵寺 047-b
鐘楼
   篠山:高蔵寺 051-b
昔ながらの佇まい、静寂な中唱歌「故郷」を思い浮かべるシチュエーションです。まさに絵になります。

鐘楼の横には、幹回り5mのモミの木が・・・ココの時点では、大きなモミの木だな~と
  篠山:高蔵寺 049-b

ひと時の空間を堪能して、次の訪問地追手神社へ向かう事に・・・ここには千年モミの木が在るという!大木の観賞が好きな吾輩としては、ぜひとも行きたいところでした。しかし、この時点では、あそこまで衝撃を受けるとは・・・思いもしてなかった(@_@;)

鐘ヶ坂へ向かう176号の旧道側にその神社は有りました。
   篠山:高蔵寺 056-b
「千年モミの木」見るまでは高をくくっていたが、見ると頭の先からズド~ンと衝撃が
   篠山:高蔵寺 061-b
幹が地中からズボッと飛び出してる・・と言った表現がいいのか・・・
   篠山:高蔵寺 062-b
     国指定天然記念物:追手神社のモミ
 追手神社のモミは、頂上部を破損しているものの、樹勢は旺盛で、本種として国内で最大級の成長を遂げたものである。地元では千年モミと呼ばれ、鎮守の森のシンボルとして大切に保護されている。
指定年月日:平成6年3月23日  寸法:胸高幹廻り:7,8m 樹高:38m 枝張:東西10m 南北16m
            篠山市教育委員会
           一見の価値アリ(^_^)/
その他にも、夫婦いちょう:推定樹齢350年夫婦円満の木として親しまれ、晩秋には実を拾う人が絶えません。
   篠山:高蔵寺 060-b
エゾエノキ:樹高30m   幹廻り:4,9m
  篠山:高蔵寺 067-b
と、大きなもので、これ等が見られます。本殿です。

    篠山:高蔵寺 070-b
意外と小さい社でした。
その他にも、追手神社の近くには和泉式部のお墓とか伝説が残っている土地柄のようです。

話は変わりますが、NO90で書いた中島みゆきの舞台版(夜会VOL,17 2/2)を映画化した内容に、ライブ映像をプラスした「中島みゆき・雛まつり」がイオンシネマ系列で上映されます。NO91で感想を書いた、有名な曲のシーンが無かった不満を、今回取り入れた映像で上映されるとの事、思いは私だけではなかったようです。
   img093-b.jpg
観に行くかどうか思案中・・・

ところで、高蔵寺の「観音水」の感想は、行く前の情報として「村おこし」の一環として山水を引いて来ているという事でしたので、あまり期待はしてなかったのが本心で下が、飲んでビックリ村の人たちが自慢するだけの事は有る「美味しい水」でした。これは、湧水に違いないと思った次第です。
で、独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vー☆ です

詳しい場所は

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