NO303:青垣町の「片渕の水源水(仮)」

相方さんが映画「新聞記者」を観に連れていけというものだから、近くのイオンシネマ「三田ウッディタウン」に行く事になり、急遽この方面で水汲みを探す事にした。この方面はたいてい行っているので在るのか疑心暗鬼で探してみると、なっ!なんと地元でも知っている人が少ないであろう水汲み場が青垣町にある事を発見。
映画の方は1回目AM9時20分、2回目2時20分のスケジュールであったので2回目の時間に行くとして、始めに水汲みをしてからという事に相成った。
映画「新聞記者」は、最近安倍官邸から邪慳に扱われている女性記者「望月衣塑子」氏の原案という事で、おりしも参議院選挙が始まったばかりという事もアリ、面白そうだとワクワクしながらの出発であった。
場所は、福知山から以前書いた酷道429号線を走り、生野方面に行かず、酷道427号に入り多可町方面に行けばあるという、その道の播州トンネルを抜けた1,5kmほど行ったところに在るらしい。
・・・という事は、青垣側から行けばトンネルの手前という事で、探しながら行くもトンネルに入ってしまった。カーナビには多可町側にある道の駅「杉原紙の里・多可」道の駅入れといたので、そこに着いてしまった。

駐車場に入ると、止める所がないほどの盛況ぶり(~o~)仕方なく道の駅の対面にある「青玉神社」の第2駐車場へ止める事に。
この神社があったので、道の駅も作ったのではないかと思い、参拝してから道の駅に行く事にした。

「青玉神社」のイワレは

当社は、播州、丹波、但馬の境
三国山頂に鍛治業の御神徳をもって奉斎されていた
明応二年 安政三年の火災で宝物と記録を消失し 万延元年に三回目を奉建したのが、現代の神殿である 加美町随一の古社で昔からこのあたりを神郷と称し「かみの里」の発祥の地でもある
湯立て祭り
狩人の身の安全を祈る湯立ての神事は毎年7月15日直近の日曜日行われる 現代では湯立ての玉湯を浴びると、無病息災であると言われ、祈願する多くの参拝者でにぎわう
鳥羽区
との神社でありましたが、この神社の見どころは

「杉原の里」と地名が付いているほど杉が有名らしく

県指定文化財 青玉神社の大スギ
指定年月日 昭和43年3月29日
所有者:管理者 青玉神社
県指定の大杉は、青玉神社の境内に7本あり、多可さ50~60M、根回り8~11メートル、目通り幹囲は4~8メートル、樹齢は約1000年といわれている。
なかでも、社殿裏山にある高さ60メートル、根回り11メートルの大杉は、地上8メートルの所から2つにわかれているところから夫婦杉と呼ばれ、神木として住民から親しまれている。
平成5年11月 兵庫県教育委員会

これが御神木の夫婦杉です

同じ内容は省略して、
深き縁に結ばれた夫婦の睦まじき和合と行く末の長寿と繁栄を願う御神木として各地より広く信仰が寄せられている。
又、幹や根にそっと手をあて、その霊気を頂くと「腰痛が良く直る」とも言い伝えられている。
夫婦円満の秘訣
20代は 愛で
30代は 努力で
40代は 我慢で
50代は 諦めて
60代は 信頼で
70代は 感謝で
80代は 一心同体で
そしてそれからは 空気のようなふれ愛で・・・
身につまされる 思いの方 良いのか悪いのかワカリマシェンが一度実践されては・・・

二股に分れています。
青玉神社の謂れ

「青玉さん」
この神社の北西に聳える三国嶽の山頂に播磨踊場という広い平坦な所があり、今も御手洗池という小池が残っている。そこに青玉さんが鎮座まし斎祠されていたという。
青玉神社がこの地に創建された年代は定かではないが、境内の6本の大杉は樹齢7・800年以上かといわれ、又御神木(夫婦杉)は千年杉ともいわれている。これらの巨木から見て神社が建てられたのは相当昔のことである。
休み石の謂れ
その昔、井ノ岡(猪ノ岡)という狩人が(のちに稲岡大明神として祀られている)三国山へ狩に行った帰道、背中が急に重くなり、ここ迄やっと辿りつき動けなくなった。この石に腰掛け、しばらく休んだ後帰ろうと立ち上がれば背中が急に軽くなった。急いで村に帰りこの事を村の人に話した。村の長老がそれはきっと神さまやと言った。それから村の人は口々に青玉さまを背負って来たのだ。ここに神さまを祀れということだといって、その後この地を拓き清め青玉神社として祀ったそうである。
その石がこれであります

足、腰の痛い人 肩がこる人 こんな方を知っている人
一度拝んで下さい
祭神:天戸間見命(あまとまみのみこと)
別名:天目一箇命(あまのひとつのみこと)
なまって青玉となったとの説も(?_?)

境内の杉の木立により静寂な空気が漂っており、ネットで見るとパワースポットにもなっているとか、興味のある方は一度参拝してはいかがかな。
で、時刻も12時に近づいてきたので道の駅で昼食にしようと、そちらの方へ

館内の売店風景。入る手前の入口の所には地元野菜や地どりのから揚げ等を販売食堂は

シャルマン(フランス語で魅力的他)を感じの当て字にした食道。吾輩から来た「釜飯」

相方さんの「地どりから揚げカレー」

何時もは、食べている最中に写真を撮る事を思い出すのだが、今回は食べる前に思い出したので写真に残す事ができました。
釜飯の炊き込みご飯は、いろいろな倶が入っていて、あまがらく美味かった。
カレーのから揚げを一個拝借して食べたが、柔らかくサクサクして美味かったが、カレーに合っていたのかは判りましぇ~ン
窓ガラス越しに見えた風景には、杉原紙の里と書いてある建物があり、そちらにも行って見る事に

杉原川に架かる赤い木造の橋

橋の上から川を見ると家族連れが寒い中水遊び

その内ラブラドール・レトリバーが川の中へ

熱かったのか、川底に座ってしまった

カメラを構えて居ると、私を撮ってくれとお願いされて

はいパチリ・・・と、そして対岸へ

その説明書きが横に

播州は南にたいへん水運のいい内海を持ち、北に日本の背骨中国山脈を負い、肥沃な平野が広がり、早くから人文が開けたことは、明石原人が発見されたことに象徴されるように明らかである。
製紙についても、奈良時代すでに美紙の産地として聞こえ、平安時代紙屋院(官用の製紙所)の機構が衰えるや、椙原庄紙の名がにわかに都の文献に出るようになる。
最も古いのは関白忠実の日記「殿暦」の永久4年の記事で、実に12世紀の初頭のことである。この事はおそらく紙を漉くのに適した椙原庄が、近衛家の領地だったことによるのであろう。
それからこの紙は「椙原」または「杉原」と呼ばれ国内を風びし、人々の愛用を受け、中世には紙の品種を示す普通名詞となって連綿と近年にまで続いている。紙の歴史がこのように永いのは他に類のないことであろう。
惜しむらくは現在杉原谷にこの紙を漉く者がいない。そこで歴史を考え、伝統を尊ぶ郷の人々が相談し、恰好の地を選んで杉原紙発祥の碑を建てようとするものである。
播州は私の郷里でもあり、しかも先年杉原紙の源流を尋ね、帝国学士院会員京都大学名誉教授新村出博士に従って入村した縁によって、博士に題字を乞い、私が撰文した。
甲南大学教授・文学博士 寿岳 文章
寿岳 章子さんお名前は聞いた事があるが、寿岳 文章さんが父親という事は知らなかった吾輩

杉原紙と墨との融合展の立カンにつられて

展示室:写真右が「文章さん」左が娘の「章子さん」

よい紙には不思議な魅力がある。質が与える悦びである。そこではいつも堅牢と美とが結ばれている。私はわけても和紙が好きである。日本への賛美をここでも味わふ。近代の知識は紙を西洋化さす事に急いでゐる。私達は量に於いて助けを得たが、質に於いて失った物は大きい。人々は、紙の粗悪に無関心にすらなった。省みればそれを正しい現象とわ誰も云ふまいと思う。質を失ふ事は凡てを失ふのに近い。私は和紙の美を忘れることができない。
「民芸運動と和紙」 寿岳 文章

売店も見回ったが買うものが無かったので道の駅にオサラバして、再度水探しに引き返した

道の駅で聞いてきたので、今度は見つかるはず(^o^)/
播州トンネルを抜ければ青垣町側、そこから最後のカーブの手前らしい。
しかし、トンネルを過ぎるとゆっくり走り、相方さんにも小さい目を大~きく見開いて探しながら下って行くと

(後程写したので向きが逆です)
大きなクレーンが作業をしている後ろの方にフェンスと人影が見えたので車を止めて行ってみると

親子連れの三人が水を汲みながら談笑をしておられた。尋ねてみると、例の探していた水である。
順番を待つ間、この水の元はと回りを見渡すと、上の方から1本のエスロンパイプが

それと、フェンスの後ろの方には

井戸の様なものが設置してあったが、この付近「マムシに注意」のお触書がフェンスに張って有った。
順番がきたので吾輩も水汲みを、水溜の様なコンクリートの箱ものの中から、1本のパイプがフェンスの間まで出て来て、そこから水が出ていた。水汲みをされていた方は「昼の時間は出る量が少なくなる、地元の使用量が多いいのだろう」と言われていた。
吾輩も水を汲み終え、映画「新聞記者」を観に出発して行った。
「新聞記者」ドキュメンタリータッチの内容だろうと思っていたのですが、なにがなにが、終わるまで目も離せないストーリで釘付けにしてしまった。
内容は話せないが、原案・企画・制作者『河村光庸』氏の寄稿
「映画」こそ真の自由であることを願って をお贈りして終わります
2019年、新しい元号「令和」が始まり、参議院選挙、翌年に控える東京オリンピックの開催。かって経験したことのないような時代の大きなうねりの中で、人々はどこからどのような情報を得ていかなければならないのでしょうか。
第二次阿部政権の発足以降、下がり続ける「世界の報道の自由度ランキング」(国境なき記者団)で日本は2016年、2017年には連続72位と、ついにG7各国の中で最下位となったことはすでにご承知かと思います。
フェイクニュース、メディアの自主規制は蔓延し、官邸権力は平然と「報道の自由」を侵す・・・・・。
この数年で起きている民主主義を踏みにじるような官邸の横暴、忖度に走る官僚たち、それを平然と見過ごす一部を除くテレビの報道メディア。最後の砦である新聞メディアでさえ、現政権の分断制作が功を奏し「権力の監視役」たる役目が薄まってきているという異常事態が起きているのです。
それとともに、そしていつの間にか暗雲のように社会全体に立ち込める「同調圧力」は、人々を委縮させ「個」と「個」を分断し孤立化を煽っています。そのような状況下、正に「個」が集団に立ち向かうか如く、官邸に不都合な質問を発し続ける東京新聞の望月衣塑子さんの著者「新聞記者」に着想して、企画構想したのが映画「新聞記者」です。
そしてこの数年日本で起きた現在進行形の政治事件をモデルにしたドラマがリアルに生々しく劇中で展開していくという映画史上初めての試みとなる大胆不敵な政治サスペンス映画に着手しました。
「これ、やばいですよ」「作ってはいけないんじゃないか」という同調圧力を感じつつ制作過程ではありましたが、映画『新聞記者』は完成しました。皆さま、この機会に是非この映画にお心を向けて下さい。「映画こそ自由な表現を」の旗を掲げ、ご覧いただいた皆様のご意見ご感想を糧に、映画『新聞記者』は前人未踏の道を進んでまいります。
今回の選挙で安倍政権が大量に議員を獲得すると、ますます国民を『バカ』にした政治を繰り広げていく事でしょう。吾輩のブログの読者は少ないですけれど、心ある方は是非選挙に足を運んでください。
日本国憲法の 国民主権・基本的人権の尊重・平和 の三原則を守るためにも!
尚、吾輩の人生哲学は「人間は人間のために生きる」を心に秘めて生きています。
「片渕の水源水(仮)」の水の評価は
集落の水源に使用されている様で、一杯目を飲んだ時には硬水系かなと思ったが飲んでいるうちに、やっぱり軟水だ!と思えてきた水でした。水道水として無難な水でありました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした
詳しい場所は
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