fc2ブログ

NO333:天川村の「観音の水」

IMG_0788-1q.jpg
今回で何回目になるか思い出さなければならない程よく行っている天川村の「観音水」をお送りします。
今回は洞川地区を中心に書いていきます。ここには洞川湧水群という名水百選に選ばれている三ヶ所の名水場所があるのですが、更に湧き水が出ているところが見つかりその水を汲みに行ってきました。
汲みに行ったと言っても、元々の発端は・・・
大野市に行った老人三人組の一人が、NHKの番組で天川村の御手洗渓谷を見て嫁さんと行ってみたいという話が切っ掛けで、計画を持ち込まれ、日程が合えば行こうと言うことになったのではあるが、こちらの日取りの段取りがついた段階で老人2人に打診すると、チョイと遠い過ぎるとそのうちの1人の嫁さんが言い出し本人も行く気が失せてしまって計画は破談・・・?。
それまでに我が輩はイロイロと予定を温めておいた事ができなくなる・・・ということで、天川村の洞川にもう無いと思っていた湧き水が、新たに見つかっていたのでそれを汲みに行く事と、洞川の名水豆腐を買ってくる事を目的に、我が輩一人で行ってくることにしたのが事の始まりでした。
地元から京都縦貫道に入り、京奈和自動車道木津川ICまで進み、そこからR24号線に乗り換え継ぎはぎの無料自動車道に乗り御所ICから、R309号に入り吉野口から下市市へ、大体そこまで時間にして約3時間そしてR309号が天川村まで続いているので、そこから洞川まで30分~40分で、朝6時に出発した我が輩は9時半過ぎに到着した。思いのほか早く着いた。
名水豆腐はその日造った豆腐が無くなれば終わり、午前中に売り切れるという代物。洞川には二軒のお店があるとのこと、一件目
の豆腐や
IMG_0781-1e.jpg
幕が開いてなかったが、尋ねて見ると10時からの販売だという、仕方ないのでもう一軒の方へ、洞川の温泉街を突き抜け
IMG_0785-1w.jpg
こちらが老舗の名水豆腐や
IMG_0803-1r.jpg
かれこれ4回ほど来ているので大体の場所は知っていた。
入店して注文すると今二回目を仕込んでいるので注文聞いておくので帰りに寄ってもらえないかな~と、まぁ買っても車の中に置いておかなければならないし、豆腐が腐らないように保冷剤とアイスボックスを持ってきていたので、それを預けて次の目的「ゴロゴロ水」を汲んで来ることにした。前回も書いたが今回も書いておこう。(NO65~66)
IMG_0741-1t.jpg
ここが源泉ならず湧水源でその前に水汲み駐車場有料
IMG_0735-1y.jpg
その駐車枠に一ヶ所の蛇口が設置してあり
IMG_0733-1u.jpg
このようにして汲むのであります。汲むのはほんの10分モカから無いのだが、駐車料金500円。で、汲み終わったので駐車場から出て、女人禁制の大峰山登山口まで行こうと思ったが時間の関係上やめて、洞川湧水群三ヶ所の水が汲める「森の泉」勇水地へと向かった。ここも前回書いておいたので簡単に、通りが違うので一度バックして、・・・のお寺の前を通り進んでいくと
IMG_0796-1i.jpg
赤い橋の入り口が見えます。横にはキャンプ場も在りますのでよく分かります。そこを渡り入って行くと
IMG_0799-1o.jpg
祠があり、その裏に
IMG_0801-1p.jpg
水路が流れており、洞窟から
IMG_0802-1a.jpg
水が湧き出てきている。その階段状の水汲み場でこちらも汲んで、さて次なる場所へと・・・
目的の「観音水」を汲みに観音峯ハイキングコースへ移動
洞川地区に来るときに、天川村の中心地から国道309号へ進むと御手洗渓谷(今回はパス)そこから分かれて洞川方面へ進むとトンネルがあり、それを出たところに「御手洗渓谷・観音峯駐車場公園」があり、そこまで引き返し
IMG_0749-1a.jpg
着いてみると駐車場は満車状態w(゚o゚)w・・・なんとか駐車をして出発しようと吊り橋へ移動
IMG_0755-2q.jpg
するとフレンチブルも
IMG_0752-1h.jpg
家族連れで橋を渡って行く様子
IMG_0751-1g.jpg
その後を着いて吊り橋を渡りきると、家族連れは川へと下りて行かれた。
その川の上流
IMG_0756-1d.jpg
川の水がコバルトブルーで美しい、こんな色は石灰岩の多い所の川の色である。御手洗渓谷の下流側
IMG_0757-1f.jpg
で、我が輩はハイキングコースへ
IMG_0758-1j.jpg
このコースの案内図
IMG_0753-1s.jpg
チョイト見にくいですが~。我が輩は山道を歩き出した。
IMG_0760-1l.jpg
歩き出して、観音峯コースと御手洗渓谷コースの分岐点で恐ろしい看板が
IMG_0763-1x.jpg
熊に注意
大峰はツキノワグマの生息地です
クマに出会わないために:
○自分の存在を知らせる(クマ鈴など)
○野外に食べ物を置かない
○早朝・夜間・悪天候日は特に注意

クマに出会ってしまったら
○近づかない(写真撮影はしない)
○驚かせない(大声や物をなげたりしない)
○背を向けず、ゆっくり立ち去る

との事です。皆様もよ~く覚えておいて下さいネ
IMG_0768-1v.jpg
さらに上っていくとそれらしき物が見えてきた
IMG_0769-1b.jpg
大体感で解るようになってきた。近づいて見ると
IMG_0775-1m.jpg
やはり水が出ていたのであった。
IMG_0771-2w.jpg
山の斜面から湧き出ている水を観音峯登山者が喉を潤して上っていくために、整備してあるのだろう。
我が輩もリュックで背負ってきたポリ容器に水を入れていると
IMG_0774-2r.jpg
登山者が一服して喉を潤して頂上目指して登って行かれた。我が輩も相方さんが来ていたら、登らされていただろうが、今回は一人ここで引き返すのである。横には天川村の歴史が刻んだ石が設置してありました。
IMG_0772-2e.jpg
  奥吉野天川南朝物語
動乱の勃発(建武の中興)
 これは後醍醐天皇の御代の事でございます。鎌倉幕府の君主の徳はうすれ、荘園領主の支配に反抗した武士たちの戦がそこここで起こり、民の安穏な暮らしは失われていきました。おりしも、元亨元年(1321)の大干ばつで餓死する者は野に満ち、あたかも地獄絵を見るようなありさまで、世は乱れに乱れたのでございます。
 この天下の騒乱や飢饉のさまをご覧になった後醍醐天皇は、天皇政治の復興を強く念願され、密かに倒幕の準備をお図りになりました。が、この事がもれ、天皇は無念にも隠岐島へ配流となりました。このとき、その皇子の一人大塔宮護良親王は、からくも追補軍の手をのがれ、大峰から吉野へ、天川から吉野へと潜行しながら活躍され、、天川郷民には勤王の令旨を、諸国の勤王の士には皇軍蹶起の令旨をお発しになりました。
 ほどなく、楠木正成が赤坂城を奪回し、護良親王が吉野に挙兵されますと、これに応じて諸国の雄が令旨になびき、さらに機をみて天皇が隠岐島脱出に成功されますと、足利尊氏、新田義貞など有力御家人が幕府に反旗をを翻し、ついに鎌倉幕府は倒れました。
 元弘3年(1333)征夷大将軍に任ぜられた護良親王入京の行列のなかには、吉野軍の兵500を従えた天川郷の頭領で、かって大海人皇子(後の天武天皇)をささえた吉野の豪族角氏の末裔、加藤太郎光直の雄姿がございました。
・・・・という歴史上の事でありました。で、ここから引き返し
IMG_0778-2u.jpg
駐車場へ戻ってきました。そして洞川温泉街へ返ってきて
IMG_0784-2h.jpg
昼食には時間があり、町並みを散歩しながら時間を潰し
IMG_0789-2p.jpg
道の横での鮎の塩焼き
IMG_0783-2o.jpg
昔山伏が持ち歩いたという胃腸生薬の陀羅尼の販売店とか
IMG_0782-2i.jpg
町並みを楽しく、門前に趣向を凝らした出し物等、なるべく人様は写さないようにと撮ったモノですが、テレビの放映の効果かものすごく賑やかな観光地となっていました。
IMG_0791-2f.jpg
昼食は洞川で一軒お店を出しているソバ屋さんが11時からの開店だったのでそちらに向かって行くと水の綺麗な川原でも多くの人たちが楽しんで洞川を満喫している様子、我が輩は原を満腹にと
IMG_0795-2y.jpg
「名水豆腐のソバの盛り合わせ」を食べて満足!今回は食べる前に無事パチリと・・・その後
IMG_0804-2g.jpg
注文していた名水豆腐5丁買って帰徒と相成りました。

「観音の水」の独断と偏見の水評価は
三ヶ所、森の泉(硬水)ごろごろ(中硬)観音の水(軟水)の硬度であった。
飲み口がよく、水を冷やして飲んだら美味かったが、コーヒーとして飲むとゴロゴロ水からはワンランク下がった所であった
(^-^)/ (^-^)/ (^-^)/ (^-^)/ (^-^)/
詳しい場所は




スポンサーサイト



NO66:洞川湧水群「泉の森霊泉」

洞川湧水群「ごろごろ水」を汲んで、次なる湧水を汲みに山上川を渡り「龍泉寺」の前を素通りして「泉の森」へやってきました。
  P5050086-6e.jpg P5050084-6e.jpg
泉の森オートキャンプ場:小広荘の横に「泉の森」に通じる赤い橋が掛かっています。
「泉の森」というぐらいなので、湧水が湿原の中から多量に湧いていて、林の中を縦横に流れて公園のようになっているものばかりだと気持ちを膨らませて行ったのでしたが、この赤い橋を見た途端、幻想は瞬く間に崩れ去ってしまいました。
まぁ水をもらいに来たので気を取り直して、橋を渡って行くと泉の森大神の社が杉の大木の中に鎮座していました。
  P5050080-6d.jpg
その後ろの方に、このような洞穴が
  P5050072-6b.jpg
そして奥には、泉の森大神らしき石像がその横からこんこんと湧き出している水を守るかのように鎮座していた。
  P5050070-6a.jpg
上の写真の水止めが有りますが、それが赤く染まっていました。
  P5050073-6c.jpg
この水止めの赤い色は、この時は石がなぜ赤く塗ってあるのだろう?と嫁さんと話しながらアマリ気にも留めていなかったのですが・・・
この水止めは、中側は神聖なきれいな水で汚してはいけない部分です。この中でしたら岩から湧き出してきた場所と同じ水として頂いて帰れます。この水止めを越えて流れ落ちた水は汚れた水として扱われます。実際はあまり変わりませんが。で、「ごろごろ水」と同じだけの量を内側で頂いてきました。ここは、あちらと比べて人一人最後まで見る事はなく、もちろん料金も取られませんでした。しかし、お供えは気持ち入れときましたYo~(^_^)/

ところで、らしき石像は写真を確認すると「ごろごろ水」の所でも同じ石仏を写していました。
P5050088-7a.jpg
佛水秘水行者尊という大神ではなく仏像の方でした。日本は神仏習合思想が有るので、これもアリのようです。
P5050083-7b.jpg
お触れ書き心して汲むようにとの事

橋から水汲み場に行く道中には、キャンプ場のオーナーがしているのか、おもしろい「水晶パワー水」なるものが展示されていました。
P5050082-7c.jpg

なんでも、「水晶が発しる波動が水を刺激動調してパワー水となる」との事のようです
水晶の上から水を流して、その水が汲めるように流れ出て来ていました・・・が、飲むには躊躇する雰囲気の水でした。

無事コンテナ二つ「ごろごろ水」と「泉の森・霊泉」とも汲み終えて、最後の訪問地「龍泉寺」に向かった。

龍泉寺 正門です
   P5050104-8a.jpg  
歴史を感じる境内図
  P5050107-7b.jpg
山門をくぐり境内に入って行くとすぐに目に入って来るのが、美しい池である
P5050105-8a.jpg
龍泉寺は、真言宗醍醐派の総本山のお寺で大峯山寺の護持院でもあり大峯山「第一水行場」でもある。
古来より、大峯山内「一の行場」である水行場にて修験者が大峯山に修行に入る前身を清めて入山して行った。
いまでは、大峯山が女人禁制のため、多くの女性信者達が滝に打たれ「水行」をされているとの事

役行者がこの泉の辺に八大龍王尊を祀り、水行をしたのが始まりと伝えられている。
水の湧き出る洞穴は、美しい池の奥に在りました
P5050116-8f.jpg
この洞口は「竜の口」といわれ、龍王尊の住む泉と言う意味を持って龍泉寺と名付けられた。

この洞穴から出てきた湧水の底を見てみると、砂利や周りの石が赤く染まっているものが有り、「泉の森」で見た水止めが赤くなっていたのを思い出した、この湧き水に原因があるのではないかと思いましたが、長年飲まれているので体には大丈夫なんでしょう・・・と思う事に(?_?)
P5050113-8g.jpg
この「竜の口」の真上には、大木の根が石に巻きつくような格好で鎮座していました。やはり大木が水を呼ぶのでしょうか・・
P5050115-8f.jpg
また、「竜の口」の横にはこのような小屋が・・中からモーターらしき音が・・
  P5050117-8h.jpg P5050120-8i.jpg
どうも水行をするところの滝にここから水を送っているようです。定かではないですが、滝の上の方にパイプが延びている様です。
また、池の縁に面白い石が置いてありました。
  P5050110-8c.jpg P5050109-8b.jpg
      なで石
 なでると軽く持ち上がり、たたいて持ち上げると重くなると言う龍泉寺に古くから伝わる不思議な石。石が持ち上がるか持ち上がらないかで願いの成就を占った石占いと呼ばれる古い占いの名残で『重軽石』とも言われている。
 生き物に心があるように、石にも心がある。
常にこの石をなでる時のような気持ちで何事にも接することをこの石は教えてくれているのではないでしょうか。(龍泉寺)
P5050111-8d.jpg
      龍泉寺龍の口伝説
むかし、龍泉寺で働いていた夫婦に男の子ができた。しかし、自分が白蛇の化身であることを知られた母親は、乳の代わりに片方の目を与えて姿を消した。その目がなくなると、再び龍の口から姿を現し、もう片方の目も与えた。そして、朝に六つ、暮れに七つの鐘を合図に乳を飲ませにまいります、と言って泉に消えた。
 今でも龍の口の泉は、枯れることなく大峯山の修験者の清めの水となっています。
そして、ここが本堂で大本山にしては質素な造りのようです。
P5050108-8k.jpg

昭和21年洞川大火が有り、龍泉寺も35年再興されいるので、そのせいかも。
龍泉寺も拝観し終えて、裏山に在る自然研究路を少し散策して、まだ見るところはたくさん残っていましたが帰路に着きました。
P5050123-8j.jpg
散策路に在る「かりがね橋」という大きな吊り橋から見た洞川地区の風景

で遅くなりましたが、「泉の森・霊泉」の味評価は 「ごろごろ水」と同じ味でした。
独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v ☆星ひとつおまけデ~ス

詳しいところデス



NO65:洞川湧水群の「ごろごろ水」

   img058-1.jpg
五月の連休のひと時、ハイキングとお水をもらいに行ってきました。

今回は奈良県の大峯山の麓、天川村洞川に在る昭和の名水百選にも選ばれた洞川湧水群の一つ「ごろごろ水」です。
洞川湧水群とは、天川村洞川地区に在る三つの湧水(神泉洞・ごろごろ水・泉の森)の総称で、神泉洞の鍾乳洞は湧水を採取している会社が管理をしており立ち入り禁止となっており、水を汲めるのは「ごろごろ水」と「泉の森」の二か所のようです。其の二か所のうちの「ごろごろ水」からご案内して行きたいと思います。

今回の目的は、第一にみたらい渓谷のハイキング、ついでに名水百選の湧水を汲んでくるというものでした。
みたらい渓谷のハイキングは出発地とゴールが離れており、その区間を移動するにはバスかタクシーを利用するしかありません、バスの場合ハイキング出発地まで余分に1,2k 時間にして20分ほど歩かなければなりません、それよりバスの時刻が思うようになく×、タクシーを利用することにしました。しかし、タクシーは天川村では一台しか運航しておらず、それも大峰山系の登山客を乗せて出るといつ帰って来るかわからないとの事、予約も聞かないとの事なので、早く行ってタクシーを確保するという作戦にしました。
その為、我が家を夜中の3時に出発、高速で奈良県橿原市まで行き下市口から天川村に入って行きました。予定ではタクシーも8時なら動いてくれるであろうという事から8時着にしました。
話はそれますが、私は目的地までの所要時間を調べるのに、MapFan'Webの検索ルートを使わしてもらっています。これが結構時間が合うのである。先日も東京に行く用事が有り、このルート検索で調べて行った時間がマアマアあっているのである。今回もこの検索で調べました。

8時予定が、7時半に観音峰登山口駐車場に着いてしまいました。途中休憩も道に迷う事もなくきた結果カモ
P5050061-1.jpg P5050058-2.jpg
とりあえず、タクシー会社に電話を入れて確保しておこうとちょいと早いが7時半過ぎに電話を入れたら「今からでも行きますよ」との返事、それならハイキングの到着地になっている洞川温泉センターへ行ってもらう事に、我らもそちらに車で移動する事にしました。
   P5050069-4.jpg
この写真は、洞川温泉センター駐車場です。ハイキングでゴールした時の写真で車も多いいです。
洞川地区最大の駐車場です(^.^)/~~~
このタクシーと運転手様です。快く撮影に協力してくださいました。合掌m(__)m
   P5050001-5.jpg
ハイキングコースの終点がこの洞川温泉になっており、我々もゴールしたら温泉に入って汗を流したいと思っていたので、車はこの駐車場に止めてタクシーでみたらい渓谷ハイキングコースの出発地まで乗せて行ってもらいました。
   P5050003-6.jpg
ここがハイキングコースの始まりゲートです。
この赤い橋が架かっている川は弥山川と言う川で、洞川地区から山上川という川がみたらい渓谷を経てこの上流で合流します。この弥山川が天の川に合流し十津川へそして吉野川から太平洋へと流れて行きます。
   P5050005-7.jpg
もう渓谷の様相を見せてくれます。

ハイキングコースは、弥山川の左岸を歩いて弥山川と山上川の合流地点まで行き、そこからみたらい渓谷に入り山上川の左岸を登って行き、写真に写っている観音峰登山口に着きます。


弥山川の水の美しさを堪能してきました。
  P5050007-1a.jpg
このような水の美しい川は、カヌーでいろいろな川に漕ぎに行ったがめったに出会えません!

遊歩道を歩いていくとカツラの大木が道を遮っていました。
P5050008-1b.jpg    P5050009-11.jpg
入口の様子               出たあとの様子
さらに進んで行くと天保橋と言う吊り橋が現れます。見えにくいですが、昨年の紀伊半島を襲った大洪水の跡らしきゴミが未だに引っ掛かった状態で進入禁止に!
   P5050010-1a.jpg
こんな所もありました
   P5050013-1c.jpg
そして、ココがみたらい渓谷入口付近です。弥山川(川迫川)上流
   P5050022-1d.jpg
みたらい休憩所全景で、ここから「みたらい渓谷」へ入って行きます。
   P5050018-1e.jpg
ここまでのハイキングコース 1,6kで約30分でした。
P5050020-2a.jpg
例によって写真では読みにくいので書きだします。
  ようこそ天上の国天川村「みたらい渓谷」へ
       MITARAIcanyon
 みたらい渓谷とは、近畿の屋根霊峰大峯山山上ヶ岳を源とする山上川と、近畿最高峰弥山・八経ヶ岳を源とする川迫川(こうせがわ)の合流地点をさし、エメラルドグリーンに輝く神秘的な淵や大小様々な滝と巨岩を縫い底まで透けて見える清流が流れ、まさに絶景!
 川沿いに遊歩道が整備され、天川川合バス停から洞川温泉までの全長7,4キロの遊歩道を歩けば、「大きな岩と清流に滝満喫。」関西屈指の名ハイキングコースとして有名です。
 新緑がきらきら輝く春(5月中下旬頃)、水しぶきに川サツキが美しい夏(7月初旬頃)、木々が色とりどりに冴える錦秋(11月上中旬頃)、山水画の冬と四季折々の景観は見事です。

      「もみじっていろいろあるんですわ!」
 寺社仏閣などの紅葉は一般に「いろはもみじ」という種類のものが多いいのですが、ここ天川村では、標高が高くまた自然に恵まれた土地であることから木々の種類が多く、葉の形や大きさの違うたくさんの紅葉を見る事が出来ます。
 この木々種類の豊富な大自然の景観が、みごとな赤や黄色の「錦秋」を生み出すのです。天から降り下りてくるような視界いっぱいの全山紅葉は必見です。
 また、毎年11月上旬には、「天の川もみじまつり」が開催されます。
    
       「なぜ天川村の紅葉はきれいなの」
 天川村は紀伊半島中央部にあり、標高が高く内陸型気候であるため、寒暖の差が激しく、鮮やかな赤色やまばゆい黄色などきれいな色が出ると有名です。
 また、木々のきれいな紅葉だけでなく、なかなか見る事の出来ない大きな岩や絶壁、川底まで澄んだ清流も一緒に楽しめる場所はそうありません。
 もちろん、空気は澄み、おいしく感じますし、森のフイトンチッドに滝のマイナスイオンと相まって、せせらぎの音が、都会の喧騒を離れ心身ともにリフレッシュ!どうぞ、大自然をご満喫下さい。

     あなたも守って下さいますね
      天川村の山河を・・・
       あなたのゴミは
    あなたがお持ち帰りください。


この橋を渡って
   P5050024-3a.jpg
 
我々は、写真に写っている左の「みたらい食堂」に寄り、湧水で沸かしたコーヒーを頂いてしばし休憩を楽しみました。その入り口にはこんな水槽が置いてありました。
   P5050029-3b.jpg
コーヒー代千円にもならない金額ですが、田舎で暮らす人々が少しでも元気になり守り育ててくれる手助けとして、なるべく行った先でお金を使うようにしています。湧水を頂きに行った時も、志の箱が置いてある時はナニガシカノお金を入れるようにしています。

という事で、今日のメインコース「みたらい渓谷」にここから入って行きました。
   P5050025-3a.jpg
「みたらい渓谷」の云われの説明版が
P5050027-3b.jpg
でここの説明も書きだしておきます・・・と言うのは体裁が良いのですが、実は次の湧水がまだ汲みに行けてないので、時間稼ぎが本音ですねん^_^;

           天川村南朝物語
 天川村には、仮の御所が置かれるなど、数々の南朝の歴史や伝説が残っております。
ここ「みたらい」は、感じでは「御手洗」と書き、今から約600年あまり前の南北朝時代に南朝帝が勝利祈願のためにお手を清められた場所ということから、この一帯をこう呼ぶようになりました。
 全国には同じような意味でみたらい」や「みたらし」という地名がたくさんあります。
京都の下鴨神社も同様で、「みたらしだんご」の由来もここからきているようです。
 また、この渓谷の尾根伝いにある「観音峯」には、数々の南朝のいわれが残っており、観音峯登山口休憩所には、これらの展示解説板があります。
 このように、人里から少し離れ静かな「みたらい渓谷・天川村」ですが、今なお数々の伝承や史跡が残り、この変わらぬ景色には深い歴史が隠されているのです。

*地名には「三つのたらい」といういわれや、昔話も残っています。

みたらい渓谷に入って行くには、階段を上り左岸に渡る吊り橋を通ります。ちょうど滝の上にかけて在ります。
P5050030-4b.jpg  P5050023-4a.jpg
左の写真は吊り橋から写したものです。

さらに登って行くと、次なる大滝が待ち構えています。
P5050042-4c.jpg
遠くにベッピンに写してくれとポーズをとっている人がいます。
ハイキングコースは、全体的によく整備されていて、森林浴や滝のマイナスイオンで気分爽快になるとこですが、私は、足の速い方についていくのにヒィコラと大変でした。
P5050050-4e.jpg P5050053-4f.jpg
大小さまざまな滝がコースの三分の一ぐらいに集中しており、中でも大きいと思われる滝は三つほどでした。
みたらい休憩所~観音峯登山口までが1,5kmで40分ぐらい掛かりました。
観音峯登山口の河原です
P5050057-4d.jpg
少し早かったですが、この河原で昼飯にしました。水も空気もキ レ イ (^_^)v

残りの約3kmを大トチの木がある代聖大権現社に立ち寄り、思っていたより小さな木でしたので写真は撮らず
P5050067-5c.jpg
代わりに社のいわれを写してきました。
P5050066-5b.jpg
「洞川の伝承     ダイジョウゴンゲンサン   江戸時代よりある大きなトチノキの下に赤い祠がある。地元ではダイジョウゴンゲンサンと呼ばれ、大聖大権現をお祀りしている。そこがちょうど洞川の鬼門に当たり、この祠を祀ることで、災を集落に入れないと言う先人の願いが伺える。」

普通の林の中を森林浴しながら、約1時間ぐらいで洞川温泉センターに到着。早速温泉に直行、大人600円 子供200円 村民割安値段忘れた。

泉質は、無色透明で嫁さん曰く「普通の風呂に入っているのと同じ感じだった」との事、でも露天風呂も有りました。景色何も見えず
温泉前の村営駐車場は入浴すれば一時間分無料、誰も30分までは無料、1時間ごとに100円の駐車料金でした。

疲れも癒し、次に向かったのは「ごろごろ水」を汲みに。
大峯山信仰で栄えた洞川温泉街を通り過ぎ
P5050124-5e.jpg P5050126-5f.jpg
昔の面影の残る旅館    洞川発祥の地と言われる胃腸薬「陀羅尼助」のお店も

集落のはずれに「ごろごろ水」取水場が有りました。
P5050091-5g.jpg
この写真はモニュメントで、お水を汲んではあきませんと書いてありました。

実際に水を汲むのはこちらの駐車場内で汲みます。
P5050103-6c.jpg
30台ぐらい止めれる駐車場が大方満車になるぐらい大入りで盛況のようでした。写真に撮るのを忘れたのですが、水を汲む処は、駐車枠毎に一個蛇口が付けて在り便利にしてありました。面白いことに、水汲み代とちがい、駐車料金一台300円を払います。駐車料金なので、車を置いて近くを散策しようと料金所の係りの方に尋ねると、今日は次から次に車が入って来るので「水が汲めたら出してほしい」との事、一言言いたい気持ちを押さえて素直に車を出すことに、(生水にお金を取るの事に保健所がうるさいのか、はたまた万が一腹痛でも起こしたら厄介になるのか・・・でもうまく考えた料金システムだと感心しています)
で、「ごろごろ水」の云われは下の写真です
    P5050090-6b.jpg
        名水ごろごろ水
古くは「仏水秘水」と呼ばれ、大峯参りの行者たちが、この水でのどを潤したと言う。
この道を通ると、一瞬の涼しさを感じるとともに、岩の間より「ごろごろ」という音が聞こえた。いつしか地元の人々は、この水の事を「ごろごろ水」と呼ぶようになり、今日まで大切に守ってきた。
今では、すばらしい名水として、多くの人たちに利用されている。

  これが源流ではないか
  P5050087-6a.jpg
近くには、五大松鍾乳洞が有りますが、時間の都合上キャンセル  さらに奥に在る「女人禁制」の母公堂まで行く事に
P5050102-aa.jpg P5050095-bb.jpg
P5050101-ff.jpg
    母公堂
役の行者神変大菩薩の母公をお祀りしています。
この地は、今から千三百年余年の昔 大峯山で修業中の役の行者(小角)を尋ねて来られた母公(白專女)と面会なされた場所で、最近までここからは女人禁制で女性の入山を禁止していました。
大峯山中の重要な霊跡です
   P5050096-cc.jpg
母公堂は大峯山の歴史以来の入口でした。修験道の始祖である役小角(エンノオズヌ)の母親である白專女(シラトウメ)を祀っています。
大峰山寺のある山上ヶ岳(1719m)まで3~4時間。
近畿の屋根と言われる雄大な大峯山系がここから始まるのです。
英文略

(注)今では、母公堂の前の道が、この奥五番関トンネルを経て川上村の道の駅まで車で行けるようになり、女人結界も大峯大橋(清浄大橋)約1,5k奥からにされているようです。
  P5050097-ee.jpg
チョイト長くなりますがー ^_^;
     登山者へお願い
 山上ヶ岳(大峯山)は一千参百年の昔、開祖役行者神変大菩薩が開山された霊山で、修験道の根本道場として、日本国民に尊崇され今日もなお多くの方々の崇敬を集めつづけています。
 山上ヶ岳では、往古より仏教各宗の開祖や高僧をを始め、多くの先徳や在家の先達衆が命を賭して修業され、自利利他円満の菩薩行を心とされて、天下泰平、万民安楽、五穀豊穣を祈願されてきました。今日もその心と修業の法は脈々と伝えられ、厳格な修行が行われております。
 また、当山は永い歴史の中で幾多の流転を重ね、明治初期には国家権力による修験道廃止という法難にもみまわれましたが、ご本尊の思し召しと信徒の皆様の熱烈な信仰心や修験道を心の支えとされた方々のお力により、その法灯は守られ修験道の仏寺として今日に至っております。
 そして、その歴史の中で、当山は女人結界を持つ聖地としての姿を守り伝えております。この女人結界は決して、わたくし達修行者のみによって形作られたものではありません。この霊山を仰ぎ見ながら、ここに心のよりどころを見出した無数の先人達が、壱千年余りの時をかけて、宗教的伝統として作り上げてきたものであります。また、結界維持については、信徒や地元の人々と共に信仰を守り伝えてきた女性達によっても伝承されてきました。
 私どもは、今日においても、山上ヶ岳の女人結界を男女を問わず修験道で修業し、信仰する者の信仰心としての戒律上の結界としてとらえ、あくまでも信仰者の立場をもって議論を加えつつ、且つ結界を護持いたしております。
 登山者の皆様には、この一千参百年の歴史を持つ当山の信仰に深いご理解をいただき、信仰者の声を尊重いただいて、女人結界の維持にご協力を賜りますようお願いいたします。
 当山は、今なお信仰が息ずいている聖地山上ヶ岳(大峯山)が日本固有の宗教文化を伝承する地として、ユネスコの世界遺産に登録されたことを誇りに思うと共に、開祖神変大菩薩やこれまで修業を積まれた千徳に対し感謝の赤誠を捧げるものであります。
 南無山上大権現
 南無神変大権現

平成一六年五月吉祥日
                        大峯山寺 敬白

私たちは、母公堂から次なる水汲み場「泉の森」を目指して引き返しました。

「ごろごろ水」の水評価は、うまい!の一言
独断と偏見の味指数は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v ☆星ひとつおまけ

詳しい場所は


プロフィール

水汲みマン

Author:水汲みマン
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
湧き水のおすそ分け
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR