NO333:天川村の「観音の水」

今回で何回目になるか思い出さなければならない程よく行っている天川村の「観音水」をお送りします。
今回は洞川地区を中心に書いていきます。ここには洞川湧水群という名水百選に選ばれている三ヶ所の名水場所があるのですが、更に湧き水が出ているところが見つかりその水を汲みに行ってきました。
汲みに行ったと言っても、元々の発端は・・・
大野市に行った老人三人組の一人が、NHKの番組で天川村の御手洗渓谷を見て嫁さんと行ってみたいという話が切っ掛けで、計画を持ち込まれ、日程が合えば行こうと言うことになったのではあるが、こちらの日取りの段取りがついた段階で老人2人に打診すると、チョイと遠い過ぎるとそのうちの1人の嫁さんが言い出し本人も行く気が失せてしまって計画は破談・・・?。
それまでに我が輩はイロイロと予定を温めておいた事ができなくなる・・・ということで、天川村の洞川にもう無いと思っていた湧き水が、新たに見つかっていたのでそれを汲みに行く事と、洞川の名水豆腐を買ってくる事を目的に、我が輩一人で行ってくることにしたのが事の始まりでした。
地元から京都縦貫道に入り、京奈和自動車道木津川ICまで進み、そこからR24号線に乗り換え継ぎはぎの無料自動車道に乗り御所ICから、R309号に入り吉野口から下市市へ、大体そこまで時間にして約3時間そしてR309号が天川村まで続いているので、そこから洞川まで30分~40分で、朝6時に出発した我が輩は9時半過ぎに到着した。思いのほか早く着いた。
名水豆腐はその日造った豆腐が無くなれば終わり、午前中に売り切れるという代物。洞川には二軒のお店があるとのこと、一件目
の豆腐や

幕が開いてなかったが、尋ねて見ると10時からの販売だという、仕方ないのでもう一軒の方へ、洞川の温泉街を突き抜け

こちらが老舗の名水豆腐や

かれこれ4回ほど来ているので大体の場所は知っていた。
入店して注文すると今二回目を仕込んでいるので注文聞いておくので帰りに寄ってもらえないかな~と、まぁ買っても車の中に置いておかなければならないし、豆腐が腐らないように保冷剤とアイスボックスを持ってきていたので、それを預けて次の目的「ゴロゴロ水」を汲んで来ることにした。前回も書いたが今回も書いておこう。(NO65~66)

ここが源泉ならず湧水源でその前に水汲み駐車場有料

その駐車枠に一ヶ所の蛇口が設置してあり

このようにして汲むのであります。汲むのはほんの10分モカから無いのだが、駐車料金500円。で、汲み終わったので駐車場から出て、女人禁制の大峰山登山口まで行こうと思ったが時間の関係上やめて、洞川湧水群三ヶ所の水が汲める「森の泉」勇水地へと向かった。ここも前回書いておいたので簡単に、通りが違うので一度バックして、・・・のお寺の前を通り進んでいくと

赤い橋の入り口が見えます。横にはキャンプ場も在りますのでよく分かります。そこを渡り入って行くと

祠があり、その裏に

水路が流れており、洞窟から

水が湧き出てきている。その階段状の水汲み場でこちらも汲んで、さて次なる場所へと・・・
目的の「観音水」を汲みに観音峯ハイキングコースへ移動
洞川地区に来るときに、天川村の中心地から国道309号へ進むと御手洗渓谷(今回はパス)そこから分かれて洞川方面へ進むとトンネルがあり、それを出たところに「御手洗渓谷・観音峯駐車場公園」があり、そこまで引き返し

着いてみると駐車場は満車状態w(゚o゚)w・・・なんとか駐車をして出発しようと吊り橋へ移動

するとフレンチブルも

家族連れで橋を渡って行く様子

その後を着いて吊り橋を渡りきると、家族連れは川へと下りて行かれた。
その川の上流

川の水がコバルトブルーで美しい、こんな色は石灰岩の多い所の川の色である。御手洗渓谷の下流側

で、我が輩はハイキングコースへ

このコースの案内図

チョイト見にくいですが~。我が輩は山道を歩き出した。

歩き出して、観音峯コースと御手洗渓谷コースの分岐点で恐ろしい看板が

熊に注意
大峰はツキノワグマの生息地です
クマに出会わないために:
○自分の存在を知らせる(クマ鈴など)
○野外に食べ物を置かない
○早朝・夜間・悪天候日は特に注意
クマに出会ってしまったら
○近づかない(写真撮影はしない)
○驚かせない(大声や物をなげたりしない)
○背を向けず、ゆっくり立ち去る
との事です。皆様もよ~く覚えておいて下さいネ

さらに上っていくとそれらしき物が見えてきた

大体感で解るようになってきた。近づいて見ると

やはり水が出ていたのであった。

山の斜面から湧き出ている水を観音峯登山者が喉を潤して上っていくために、整備してあるのだろう。
我が輩もリュックで背負ってきたポリ容器に水を入れていると

登山者が一服して喉を潤して頂上目指して登って行かれた。我が輩も相方さんが来ていたら、登らされていただろうが、今回は一人ここで引き返すのである。横には天川村の歴史が刻んだ石が設置してありました。

奥吉野天川南朝物語
動乱の勃発(建武の中興)
これは後醍醐天皇の御代の事でございます。鎌倉幕府の君主の徳はうすれ、荘園領主の支配に反抗した武士たちの戦がそこここで起こり、民の安穏な暮らしは失われていきました。おりしも、元亨元年(1321)の大干ばつで餓死する者は野に満ち、あたかも地獄絵を見るようなありさまで、世は乱れに乱れたのでございます。
この天下の騒乱や飢饉のさまをご覧になった後醍醐天皇は、天皇政治の復興を強く念願され、密かに倒幕の準備をお図りになりました。が、この事がもれ、天皇は無念にも隠岐島へ配流となりました。このとき、その皇子の一人大塔宮護良親王は、からくも追補軍の手をのがれ、大峰から吉野へ、天川から吉野へと潜行しながら活躍され、、天川郷民には勤王の令旨を、諸国の勤王の士には皇軍蹶起の令旨をお発しになりました。
ほどなく、楠木正成が赤坂城を奪回し、護良親王が吉野に挙兵されますと、これに応じて諸国の雄が令旨になびき、さらに機をみて天皇が隠岐島脱出に成功されますと、足利尊氏、新田義貞など有力御家人が幕府に反旗をを翻し、ついに鎌倉幕府は倒れました。
元弘3年(1333)征夷大将軍に任ぜられた護良親王入京の行列のなかには、吉野軍の兵500を従えた天川郷の頭領で、かって大海人皇子(後の天武天皇)をささえた吉野の豪族角氏の末裔、加藤太郎光直の雄姿がございました。
・・・・という歴史上の事でありました。で、ここから引き返し

駐車場へ戻ってきました。そして洞川温泉街へ返ってきて

昼食には時間があり、町並みを散歩しながら時間を潰し

道の横での鮎の塩焼き

昔山伏が持ち歩いたという胃腸生薬の陀羅尼の販売店とか

町並みを楽しく、門前に趣向を凝らした出し物等、なるべく人様は写さないようにと撮ったモノですが、テレビの放映の効果かものすごく賑やかな観光地となっていました。

昼食は洞川で一軒お店を出しているソバ屋さんが11時からの開店だったのでそちらに向かって行くと水の綺麗な川原でも多くの人たちが楽しんで洞川を満喫している様子、我が輩は原を満腹にと

「名水豆腐のソバの盛り合わせ」を食べて満足!今回は食べる前に無事パチリと・・・その後

注文していた名水豆腐5丁買って帰徒と相成りました。
「観音の水」の独断と偏見の水評価は
三ヶ所、森の泉(硬水)ごろごろ(中硬)観音の水(軟水)の硬度であった。
飲み口がよく、水を冷やして飲んだら美味かったが、コーヒーとして飲むとゴロゴロ水からはワンランク下がった所であった
(^-^)/ (^-^)/ (^-^)/ (^-^)/ (^-^)/
詳しい場所は
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