NO218:伏見稲荷大社の「薬力さんのご神水」

2017年1月8日3年に一度の我が家の行事、伏見稲荷大社へ初詣
今までの初詣はお札を買ったら帰っていたのだが、今回は参拝が遅れ8日を予定したため正月三が日のようなラッシュアワーの人混みも落ち着いているであろうと予想して、伏見稲荷の奥の院まで登って来る事にした。
で、そこまで登るならひと山丸ごと稲荷大社の境内になっているトコロ、おそらくどこかに御神水が有るはず、調べてみると「薬力社」という摂社・末社に有るような(?_?)、情報によればその水で薬を飲めば良く効くとか・・・それなら尚の事もらってくる事にした。
正月休みの間にお詣りすることはできたのだが、1月7日から封切の中島みゆき「一会(いちえ)」2015~2016劇場版を観に行きたさもあり1月8日の日曜日に行く事になったのであった。
伏見稲荷に近い劇場という事でMOVIX京都へ行く事にした・・・と言っても府内では二か所でしか上映はされておらず選択肢はあまりなかったのが現実(~o~)
その日の上映時間は9:00~と18:00~の二回しか行われておらず、おのずとAM9:00~になった。しかし、これがタイヘン((+_+))間に合うように出発するには、AM6:30には家を出なければならない、とすると、起きるのが遅くても6時には起きなくてはならず、何時も7時前後起床している身にとって辛~い一日の始まりと相成りました。
なんとか6時には起床!食事とトイレを済まして6時半過ぎには出発(^_^)v
ノンストップで縦貫道を下りたのが7時45頃だったと思う、それから京都二条駅に着いたのが8時過ぎ、今回は相方さん中島みゆきロードショウは見たくないと(~o~)、ゆえに、冬の特別拝観を開催している二条城へ時間つぶしに行ってくることで話がまとまり、二条駅から歩いて、コレマタ時間つぶしで行くという・・・・・・という訳で寄り道をしたしだい。
その後吾輩は京都市役所前の御池通り地下駐車場へ8時半頃には着いた。ここまでくれば9時の上映には楽勝で行ける事から、気分的に余裕が出て来た。MOVIX京都までの道すがら、寺町通りの商店街を歩いていると、なんとこんなに早いのに喫茶店の前で行列の人だかり、並んでまで飲むコーヒーはさぞかし美味いのだろう(*^_^*)
で劇場に到着、通常より高い2500円でチケットを買う。何時もは相方さんが全て手配をしてくれるのだが、今回は吾輩1人券売機で買うのにああでもないこうでもない、そこらじゅうをいらいまくりヤットコサで券が出て来てやれやれ(^_^;)
朝早くて裏には誰も並んでいなかったので良かったが、並んでおられたら・・・と思うと冷や汗ものでしたヮ。
普通の映画より長めの2時間40分退屈せず観終え、再度相方さんを迎えに二条駅へ・・・そして雨の降る中伏見稲荷大社へ行きました。

伏見稲荷の初詣には、国道24号に臨時駐車場が設置されそこから無料のシャトルバスが走っているのだが、今回は初詣にしては遅い8日、人出も少なくなっている事だろうから、稲荷大社付近の駐車場に止めれたらの思いで車を進めた。臨時駐車場が出来る付近へ着くと、伏見稲荷の方向へ入って行ける雰囲気、それではと進めて行くと伏見稲荷の前を走る府道201号へ入って行く事ができたものの渋滞の車列の中へ自然と巻き込まれていった。まぁここまでは予定範囲内と言ったところであわてず車をノロノロと進めて行った。途中タイムスの駐車場が出てきたが満車(摩ぁ当然)その内伏見稲荷の入口までやって来たが、このまま行くと通り過ぎて駐車場を探さなくてはいけないかもとチョイト心細くなってきた。と、入口までやってきたら伏見稲荷の駐車場へ交通係員が手招きしていてくれる(^_^)vラッキーの思いで伏見稲荷の駐車場へ、それも無料の駐車場!!で無事伏見稲荷へ到着。
駐車場のナンバーを見ていると他府県ナンバーばかり、やはり商売の神様の総本山・・・神社の場合は総本社と言うらしい・・・だけあるな~と感心。
駐車場の隣にある、宿泊と御食事処の参集殿から放送で、お食事のお越しをお待ちしていますと鳴り響いていたので、帰りに狐うどんとお稲荷さんを食べて帰る事にして、稲荷山目指して出発した。
見出しの、鳥居の後ろに見える桜門は豊臣秀吉が寄進したものらしい。
くぐって行くと外拝殿

伏見稲荷へ始めて来た時は、ここが本殿だと思いお賽銭を入れて、そのうしろに在る本殿にも賽銭を入れていた。

本殿向かって右横に在る神楽殿では巫女さんが舞をしとられました。その様子を写そうとカメラを向けると警備員さんがプラカードのように撮影禁止の看板を高く掲げてこちらを睨みつけられ撮影はボツとなりました。
巫女さんの、白と朱の巫女装束(と言うらしい)誰が着て踊ってもお美しく見えます(踊り手の巫女さんが決して○○だというのではアリマセン)
で、その代わり本殿でのお祓い儀式前の様子をお届け

お祓いするのに多くの神主さんが出て来られたのにはビックリ、天橋立の籠(この)神社では一人の神主で執り行われていますので神社変われば仕様も違うようです。
本殿の後ろにも

イロイロな神さんが祀ってあります。
次の目的地、3年間我が家に掛けてあった「お札」を返納しに

本殿左後ろの石段を上り詰め左に行ったところに

納札所に3年間のお礼を心の中で唱えていよいよ稲荷山へ

いよいよ有名な千本鳥居の前鳥居へ入って行きます。

雨降りで皆さん傘をさしてのお詣り、鳥居の中は一列に並んで進んで行かなければなりません。この大きな鳥居の奉納金額はなんと○○○万円するそうです。どうりで鳥居の後ろには奉納された方の名前が入っていましたが、会社の名前ばかりです。
大きな鳥居を抜けると

千本鳥居と言われている鳥居群に突き当たります。右から入って左に出て来るのですが、たまに逆に進む人もおりました。
出て来ると

ここで引き返す人には、上に大きな横断幕で右側通行してくれと書いてあります。我々はさらに上を目指します

場所によっても鳥居のお値段は違うそうです

熊鷹社のところの、稲荷山中腹にある新池に出ました。

池に向かって社が建てられています

その横に、ロウソクをお供えするところが有り

何を思ったのか、連れ合いも一番小さいロウソクを奉納していた。・・・何の神さんか分っているのかな(?_?)

この中のどこかに有るはず。『情報では、参拝後池に憲向かって2回拍手するとコダマが早いと願い事が早く叶との事
さらに石段は急になって行きます

鳥居は続いておりますが、中には

台座だけのとこもありましたが、立てておく期間が有るのかも、鳥居の後ろには奉納した時の年月日が書いてありましたが、古い物から新しい物までマチマチ順不同で立っていました。

地名で言うと四辻という所で、ここからも右回りで一周するとここに出て来るようで、

順路通り登って行きます。数ある末社の中の一つ「三の峰・下社」白菊大神の社です

祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまおおかみ)という稲荷大社の御祭神と同じらしい。
また、明治時代にこの地から変形神獣鏡が出土したそうで、古代との関係も深いとの事
神社が余りにも多く、気付いたところだけ写しました。
次に写したのが、間の峰・稲田社を通り越して(写さず)「二の峰・中社」青木大神の社です

祭神は青木大神だそうで情報では神話にも出てくる猿田彦大神(佐田彦大神)とも言われるお導きの神様らしい
そしてルートの頂上に有る「一の峰・上社」末広大神の社デス

商売繁盛の神さんの様です。我が家も末広の商売繁盛を願ってロウソクのお供え

こちらも

これが本殿か・・・な?

そして下りに入って行きます。
下りは、数ある神社をスルーして目指す「薬力社」に到着

その左には、正規のルートの中で修業の滝「薬力の瀧」が有ります。鳥居をくぐって行くと

石畳の周りには

奉納されたものかイロイロと置いて有ります。その奥に

行場が有り、この水が湧水で薬力の御神水と思い、ちょうど賽銭の回収に3人ほどの人がおられたので尋ねてみると飲めないとの事、湧き水ではなく沢水であると言われた。水源が気になったので行って見る事に

裏にまわれる小道があり、進んで行くと

沢水か伏流水か判らないが、水溜が作られてたまった水が滝に使われていた。御神水が無ければ『この水を御神水にしてやろうと』ペットボトル3本のうち2本に水を入れて帰る事にした。入れ終えてさらに奥へ探険へ行ってみると

行き止まりで、ここにも鳥居が奉納してあった。結局この時点まででは御神水は見つからなかった(?_?)
で、本来の「薬力社」の社の方へ移動した。

「薬力の瀧」の行場から一段下りた所に在り、本殿入口に

薬力さんのご神水でゆがく「健康たまご」1ヶ80円 外人さん用に¥80YENと書かれてあった。その奥が

「薬力さん」 が祀ってある社ですが、その横に昔ながらの「がっちゃんポンプ」(我が地域では昔この様に呼んでいた)が偶然目に付いた

ご神水ご入用の方は、お店へ申しで下さい。 薬力亭 と書かれてあった。やった~ぜ、薬力社(薬力大神)はそっちのけでお店の方へ、店内に入ると「健康たまご」と並んでメニューにご神水で点てたコーヒーと書いてあった、水だけもらうのも気が引けたので、コーヒーを注文してご神水を戴きたいと申し出ると、気良く入れ物を持っていたら出してくれれば奥で入れてきますと、残り1本のペットボトルに「ご神水」を分けてもらった。そして店の前の茶店風の縁台に腰を掛けて、しばしのコーヒータイム(*^_^*)

相方さんは美味しいコーヒーだったと(*^^)v目的も遂げて、後は帰るのみ、帰りは・・・

大事な所は、

山上の祈祷所の歴史は

御膳谷神蹟:ここは稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古(むかし)はこの地に御饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があり、三ケ峰の神々に神供をしたところと伝えられています。
現在では祈祷殿において毎日朝夕お山の神々に御日供をお供えしています。
毎年一月五日の大山祭には故事にもとづいて斎土器(いみどき)に中汲酒を盛り「御饌石」(みけいし)と呼ばれる神石の上に供進されます。
伏見稲荷大社社務所

まだまだ赤い鳥居は続きます。
ここで伏見稲荷の起原についての記述を、ウィキペディアから拾ってきたのを載せておきます。長いので関心のある方はお読みください。
歴史[編集]
「秦氏の祖霊として創建」の縁起[編集]
「イナリ」の縁起としては『山城国風土記』にあったとされるものが有名である。
風土記に曰はく、伊奈利と稱ふは、秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稻粱(いね)を積みて富み裕(さきは)ひき。乃ち、餅を用ちて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊禰奈利(いねなり)生ひき。遂に社の名と為しき。其の苗裔(すゑ)に至り、先の過ちを悔いて、社の木を抜(ねこ)じて、家に殖ゑて祷(の)み祭りき。今、其の木を殖ゑて蘇きば福(さきはひ)を得、其の木を殖ゑて枯れば福あらず。[注 2]
— 逸文『山城国風土記』
(大意)風土記にはこうある。イナリは秦中家忌寸[注 3]などの遠い祖先の秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。ところが餅を使って的として矢を射ったところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、この山に降りて稲が成ったのでこれを社名とした。後になって子孫はその過ちを悔いて社の木を抜き家に植えて祭った。いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないという。
この秦氏について、もともと山城国紀伊郡深草近辺に在住していたことが見え(「秦大津父」『日本書紀』欽明紀)、また、
「弘法大師が出会った竜頭太」の縁起[編集]
『稲荷大明神流記』[注 5]などにはこうある。
稲荷大明神流記 眞雅記云ゝ
弘仁七年孟夏之比。大和尚斗藪之時於紀州田邊宿遇異相老翁。其長八尺許骨高筋太内大權氣外示凡夫相。 見和尚快語曰「吾有神道聖在威徳也。方今菩薩到此所弟子幸也」。和尚曰「於霊山面拝之時、誓約未忘此主他生、形異心同。 予有秘教紹隆之願。神在仏法擁護之誓、諸共弘法利生、同遊覚台。 夫帝都坤角九條一坊、有一大伽藍、号東寺。為鎮護国家、可興密教霊場也。必々奉待々々而巳」。 化人曰「必参会」。守和尚之淘[注 6]命等云々。 同十四年正月十九日。和尚忝賜東寺。為密教道場也、因之請来法文曼荼羅道具等、悉納大経蔵畢。 其後同四月十三日、彼紀州之化人来。 臨東寺南門。荷稲提椙葉、率両女二子矣。和尚歓喜、授与法味、道俗帰敬、備飯献果。 爾後暫寄宿二階柴守、其間点当寺杣山。定利生勝地。 一七ヶ日夜之間、依淘[注 6]鎮壇法示荘厳。 額然而円現矣、為後生記綱目耳。
— 『稲荷大明神流記』
(大意)弘仁7年(816年)4月頃、紀州国の熊野で修行中の空海(弘法大師)は田辺の宿で常人とは思えない老翁に出会った。身の丈は八尺[注 7]、立派な体躯で威厳が感じられるが、それを表に出さない顔立ちだった。その老人は空海に会えたことを喜んで語った。「自分は(以前そなたに会ったことのある)神である。そなたには威徳がある。私とともに修行して弟子となるがよい」空海は答えた。「霊山であなたに会った時の約束は、たとえ見かけが変わろうと心は同じであり、まだ忘れていません。私は密教を広めたいという願いが有ります。あなたには仏法でそれを守ってくださるようお願いします。京の都の西南の方角の九条というところに東寺という大伽藍があります。ここで私は国家を護るための密教を興すのです。この寺でお待ちしておりますので、必ずお越しください」。睦まじく語らい合って約束を交わした。弘仁14年(823年)正月19日、空海は東寺を賜って道場を開くため法文や曼荼羅、道具等を運び、経蔵を納めて真言の道場とした。この年の4月13日、紀州の神が東寺の南門にやってきた。神は椙(すぎ)の葉を持ち稲を担ぎ、2人の婦人と2人の子供を連れていた。空海は大喜びで崇敬の心で一行を食事や菓子でもてなし、周りもこれに倣った。しばらく一行は八条二階の柴守(しばのかみ)の家に留まり、その間に空海は東寺の杣(すぎ)山に17日間祈祷して神に鎮まっていただいた。この事が現在まで伝わる由縁となっている。
また、東寺に伝わる『稲荷大明神縁起』[注 8]では
或記伝、古来伝伝、竜頭太は、和同年中より以来、既に百年に及ぶまで、当山麓にいほりを結て、昼は田を耕し、夜は薪をこるを業とす。其の面竜の如し。顔の上に光ありて、夜を照らす事昼に似り、人是を竜頭太と名く。其の姓を荷田氏と云ふ。稲を荷ける故なり。而に弘仁の比に哉、弘法大師此山をとして難業苦業し給けるに、彼翁来て申し曰く。我は是当所の山神也。仏法を護持すべき誓願あり。願くは大徳常に真密の口味を受け給ふべし。然者愚老忽に応化の威光を耀て、長く垂述の霊地をかざりて、鎮に弘法の練宇を守るべしと。大師服膺せしめ給ひて、深く敬を致し給ふ。是以其面顔を写して、彼の神体とす。種々の利物連々に断絶する事なし。彼の大師御作の面は当社の竃戸殿に案置せらる。
— 『稲荷大明神縁起』
(大意)ある書物では、100年の昔の和銅年間から竜頭太という者が稲荷山の麓に家を構えて住んでおり、昼は田を耕し、夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。姓は荷田、名は竜頭太といった。これは稲を背負っていたからという。(中略)空海はその顔を面に写し神体として祀り、それからは収穫が絶えることがなくなった。この面は東寺の竃戸殿に祀ってある。
とあり、当時伏見稲荷大社の社家であった荷田氏の出自を述べていて、社家が秦氏の出身としている。社家の荷田氏は、「和銅年中、初めて伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、この神は、秦氏人等が禰宜・祝として春秋の祭りに仕えた」[7][8]。伝統的な社家には、この秦氏を出自とする荷田氏、西大路氏、大西氏、森氏などがいる。なお、東寺が空海(弘法大師)作という面を竃戸殿に置いた由来についてここでは述べられていない。
この当初の伊奈利(稲生、稲成:「いねなり」が由来とも)が「稲荷」と表記されるのはこれらの縁起からである。
帰りの道すがら写した写真は少し変わったものを撮ってみました。
古めかしい社が林立する通り

麓に下りて来て、急に派手な宗教法人

千仏像(百かも)の・・・

この辺に来ると本殿に近づいてきたのか人通りも増えてきた。

そして本殿横の社務所が見えた・・・

あ~長がった\(^o^)/
最後に社務所で家内安全・商売繁盛おお札さんを二千円を奉納していただき、待ちに待った「きつねうどんと稲荷寿司」を食べに直行しましたというお話でした。ハイ、おわり
かくして我が家の工場では

商売繁盛を見守ってくれています。その下は、十日恵比須の熊手であります。こちらは毎年もらいに行っています。
独断と偏見の水評価は
現地で飲んだストレートの水はスカッーとしたのど越しの良い水でした。コーヒーにして飲んだ感想は、最後少し苦みが残る感じで、これが薬と一緒に飲むと効きが良いのでは(?_?)
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした。
詳しい場所は
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