NO365:平成の名水百撰「恵利原の水穴」(天の岩戸)

今回は、結婚?周年記念の紀伊半島ぐるっと二人旅「西国33ヶ所巡り」に行ってきた水紀行であります。
西国札所の一番は、那智勝浦にある、那智の滝近くの「青岸渡寺」回るなら一番から始めようと、それに以前から連れ合いがこいてこいてパンダが見たいと言うこともあり、それなら一層のこと伊勢参りから紀伊半島を巡ろうと計画を作ったのでありました。
勿論我が輩は水汲みとは切っても切れない者だから、その目的も入れての話である。
先ずは伊勢神宮外宮~内宮へと参る予定で、我が家をAM7:00出発、と言っても何時ものの遅れての出発である。伊勢市までは約260kmの距離にて約3時間半みとけば大丈夫との計画、伊勢参りで約2時間、そのうち水汲みと昼食を入れて出来ればPM1:00荷は伊勢市内を出発したい思いでの計画、コースとしては京都縦貫道~京滋バイパス~名神~新名神~伊勢自動車道と高速道路を乗り継いで、我が町から伊勢市まで高速道路でひとっ飛び・・・と言っても約3時弱弱かかりました。
先ずは外宮、正式名所は豊受大神宮、チョイと話がそれますが、神社:大社:宮:神宮と日本古来の神を奉る社の名所が大まかに言うと四つぐらいに分かれます。ネットで調べると
神社
日本古来の神をまつる一般的な施設のことで、多くは地域の神を奉る社
大社
元はといえば島根県の出雲大社(いずもたいしゃ)のみに使われる呼び名でした。大社という社号は、第二次大戦前まで使用されていた全国の神社を格付けしたもので上位に位置する神社の中でも、全国に多数ある同名の神社をとりまとめる役割を持った神社を指し、確かな歴史のある神社であることを示しています。(我が輩が聞いていたのは、皇族に対する民衆が作り上げた大きな神社だと)
宮
一般的に神宮と同じく皇族と関係の深い神社です。こちらは親王(しんのう)と呼ばれる天皇家(てんのうけ)の男子を祭神としています。
また、歴史上の重要(じゅうよう)な人物をまつった神社にも、伝統的に「宮」がついています。有名なところでは、徳川家康(とくがわいえやす)を祀った「東照宮(とうしょうぐう)」や、菅原道真(すがわらのみちざね)を祀った「天満宮(てんまんぐう)」があります
神宮
まつられている神のことを祭神(さいじん)と呼びます。この祭神が皇室(こうしつ)の祖先であったり、皇族(こうぞく)と縁(えん)の深い神社を「神宮」と呼びます。
天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられる三重県の伊勢神宮(いせじんぐう)を筆頭(ひっとう)に、明治天皇(めいじてんのう)がまつられる東京の明治神宮(めいじじんぐう)などが有名です。
とのことらしいです。
で元に戻り
伊勢の外宮に着いたのが、AM10:30ごろ

11月の飛び石連休の合間の平日であったためか、駐車場も8分がた埋まっていたが無事止めることが出来ました。

外宮~内宮と離れているので、二ヶ所を回るためにはゆっくりと参拝することは出来ないのですが先ずは橋を渡り境内へと入ります。

境内に入ってすぐこんなのが前から走ってきた

土埃が立たないように配慮だと思うのだが、まさか神社の参道でェ・ェ・ェ~・・・と
さらに歩いて行くと、参道の真ん中に

見るからに神聖な場所の様に司法を縄で囲ってある石、この様な石・岩の事を磐座(イワクラ)というのだそうです。
調べて見ると
神社でよく見る磐座(いわくら)とは?
磐座 神社
神社で大きな岩が玉垣で囲まれていたり、岩に注連縄が張られていたりしているのを見かけることがあります。これは「磐座(いわくら)」と呼ばれるもので、神道の中でも神聖視される岩なのです。
神社にある磐座について
磐座とは?
日本古来の信仰である「神道」は、開祖や教典というものがなく、日本神話の物語である「古事記」・「日本書紀」を基本とした「自然信仰」となっています。これは「自然のものには全てに神が宿る」という「八百万の神(やおろずのかみ)」の教えとなっています。
この中で特に神聖視される「岩」が磐座です。神を「依代」とした磐座に降臨させ、その神威を持って祭祀を行っていました。常に神がいるとされる神殿の建設が進むにつれ、祭祀自体は神社で行うようになっていきましたが、この磐座を元に建設された神社も多く存在し、境内に注連縄が飾られた霊石として残っている場合もあります。
信仰心の弱い我が輩などは、岩にけつまずかないように囲ってあるぐらいしか見えないのである。
さらに歩いて行くと、だだ広い敷地が見えてきました

これは「古殿地(こでんち)」と言われ、伊勢神宮の社殿は20年に一度建て替えられます。これを遷宮といい、古い社殿があった場所です。
その横に、外宮に祀ってある豊受大神の社殿「豊受大神宮」があります

この鳥居の中では写真撮影が禁止されており

撮そうものなら、黒い服を着た守衛のお方が飛んできて撮影禁止と注意しておりました。
と言うわけで「豊受大神宮」の社殿は移しておりません。
ところで「豊受大神」とは、万民の食物をつかさどる神徳ありとし,ひいては農耕以下生産の守護神なる
天照大御神が伊勢に鎮座されたのが2000年前、500年後に天照大神の食事を担当するために京都の丹波国から迎えられたと言うことです。それが天橋立にある籠神社(このじんじゃ)元伊勢と言われているゆえんです。・・・が福知山市大江町にも「元伊勢外宮豊受大神社」という神社がありますが、一説には定かではないと言われております。
尚、写真の社殿は多賀宮であり、この様な石畳を上っていきます

外宮はこの辺にして、伊勢神宮の内宮へと移動していきました。
駐車場は内宮の近くだと満車になっている可能性のためにB6駐車場へ向かうことにした。
五十鈴川の河川敷にある駐車場でした。

河川敷を歩いて近くまで行き、おはらい町へ入って行きます

歴史的建造物を残している町並みと言うことで

こんなのも、伊勢の名物で有名な本店

今では高速道路のPAでも売られているほど有名
そして宇治橋の入り口に

内宮の境内図

で、その横に立っている

皇大神宮(内宮)
御祭神:天照大御神
御鎮座:垂仁天皇26年
天照御御神は皇室の御祖神であり、歴代天皇が厚く御崇敬になられています。また私達の総氏神でもあります。
約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり、各地を巡られたのち、この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました。
20年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮は1300年余り続けられ、平成25年10月2日に第62回式年遷宮が行われました
では参拝としますか
先ずは宇治橋から五十鈴川を展望

ここを過ぎれば伊勢神宮の境内になります。
皇大神宮に続く参道を歩き出して右手に気持ちの良い芝生の「神苑」をみて進みます

参道に時たま鳥居が立っています

この鳥居を過ぎたところに五十鈴場所があります「御手洗場」と言うのだそうです

我が輩は川淵まで降りてないので参道からの写真のみ

さらに歩いて行く参道の雰囲気、この間建物がイロイロとありますがパス
ようやく着いたときの風景ですが、この後大失態・・・写真を撮ることが禁止されていたことをてっきり忘れていて、石段を登って正宮の正面でカメラを構えると、外宮でもおられた守衛さんに早速注意、石段の途中まで降りて撮そうとすると、またまたお叱りを受け、結局

結果この写真が一番近いものです。
参拝をすると後は帰るのみ、詳しくはネットのHPを検索して下さいネ(^_^)/ まぁ 皆さん行かれていらっしゃるのでは・・・と
ぼろが出るので境内の説明はこの辺で
帰りには「伊勢うどん」を昼飯に食べようと「おはらい町」まで帰ってくると

この人混み、これではうどん屋さんは皆満席で食べられないかな~とぼやきながらお店を探していると、なんと!!丁度石が開いたお店に出くわしすぐ注文、出てきた伊勢うどん

見るからに辛そうなかけ汁、関西は「薄味」関東は「濃い味」と言いますが、見るからに関東風のうどん・・・が、食べてみるとそんなに辛いと言うこともなく、良い出汁が出ていて太くて柔らかいうどんに良くマッチしているな~と美味しく食べれました。
帰ろうとお店を出ると、何処からとなくドンドコドンと太鼓の音が聞こえてきた。音がする方へ行ってみると「おかげ横丁」の看板、我が輩はこの辺り一帯が「おかげ横丁」とばかり思っていたが、正式には本筋を中心に全体が「おはらい町」というらしい、入って行くと、お祭り騒ぎ

賑やかしに時間を区切って実演されているようで、ラッキーな時間帯であった。帰りにこんな人とワンちゃんにも出会いました。

伊勢での予定は残り「天の岩戸」に水汲みに行く事、時計をみても12時半になっていない、時間的にはなんとか行けそうなので予定どおり平成の名水を汲みに向かった。
志摩スペイン村に行く近道の県道32号の峠付近に近づくと

天の岩戸1,2kmの看板を発見、ここから右の脇道に入っていき

この様な道を1km程行くと駐車場に着きます

ここからは車は進入禁止の作があり徒歩で行きます。ゆえにリュックに3本ペットボトルを入れて出発

400m程歩いて行くと鳥居と石灯籠が見えてきて近づいてきたことが判ります。遠方には「禊ぎの瀧」も見えてきます

この階段を上がっていくと、天の岩戸と言われる洞窟があります

恵利原の水穴(天の岩戸)について
「古事記」の中に出てくる有名な神話、天照大神が須佐之男命の悪事を戒めるため、岩戸の中に隠れてしまわれた伝説にちなんだ洞窟が、ここ「天の岩戸」と言われています。
この伝説の地は日本各地にありますが、うっそうと茂る杉木立の中、ひんやりとした霊気に包まれ、洞窟から湧き出る清水の音を聞いていると、まさに神話の物語が展開したであろう雰囲気になり、実に厳かです。
その洞窟から湧き出る清水は、高さ3m程の「禊滝」と呼ばれる滝となり、神路川を経て下流にある志摩市の重要な生活用水の水源である神路ダムへと流れ込んでいます。
この湧き水は名水百撰にも選定されています。また、この神路川は、昔”裏の五十鈴川”と呼ばれていたこともあり、伊勢皇大神宮とのゆかり深い地域として、四季を通じて訪れる人は絶えません。
石段を上がっていくと

境内が開けてきた。鳥居をくぐって右に行けば「風穴」200m先

ソコまではしんどいのでパス。正面の奥に「水穴」

この水穴から湧き水が出てきています。正式名所は「恵利原の水穴」というもの、

で、我が輩も厳かに「お水」を戴いているところでございます。ひんやりとした水温で霊気を?を感じます。

沢ガニもチョコチョコと歩き回っている清廉な水であった。
水を入れて右上にある「天の岩戸・上社」に参拝をして引き返して行った。

で、「襟原の水穴湧水」の独断と偏見の水評価は
喉越しの良い飲みやすい水出あった。
(^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ でした
詳しい場所は
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