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NO362:郡上鍾乳洞の「神の恵水」

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大滝鍾乳洞から再度R256号に入り15分ほど走り「郡上鍾乳洞」へ到着
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普通の民家の横手にチケット販売所があり、その家の奥様であろう人が販売をしておられた。
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その前には、鍾乳洞の大河から出てくる湧き水で池の水が満たされて可憐な梅花藻も顔を覗かせて、暑い夏の日差しがきつい一時を爽やかに迎え入れてくれた。
今まで何回も梅花藻は書いてきましたが、水の綺麗な場所に好んで生息をする水生植物であります。又花が梅の花に似ているところからその名が付いたようです。
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チケットを買って、奥様に鍾乳洞の水を汲まして欲しいとお願いすると「美味しい水だからたくさん汲んで下さい」と、入り口には郡上鍾乳洞の説明も書いてあります
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    水と光の芸術
 郡上鍾乳洞(旧称油石洞)は、郡上鍾乳洞群の一つとして東経137度03分北緯35度45分飛騨金山町と郡上八幡町を結ぶ国道256号線のほぼ中間に位置しております。
 海底珊瑚礁と二酸化炭素によって石灰石となり、長年月の地下水による侵食は、幾層の連続的地下空間を造りだし鍾乳華を産み水深数米もある幾つかの地底湖となりました。それらは自然の水路でつながり、さながら地下運河の様相を見せています。
 二億年前に棲息していた貝類の化石が壁面に無数に点在しておりますが二億年も地底に寝ていた岩肌は、太古の王宮も斯やと思わせる景観を呈し、あたかも悠久の宮殿に浮かぶが如きであります。また、ここに湧出する清水は常にpH7,4という人体に有益な弱アルカリ性であり、ルルシューム等のミネラル分を多く含んでおります。
で、取りあえず水を確保してから洞窟探索に行くとして
入り口へ
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入るなり奥から湧水が流れ出てきていた
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美味しい水と自慢しておられたのか、柄杓が置いてあり「美味しい水をご自由に飲んで下さい」と・・我が輩はもう少し奥の綺麗な?ところで汲む事に
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脇道に入った誰も居ないところでゆっくりと汲まして戴き、予定どおり名水汲みは完了(*^_^*)
で洞窟内を散策しに
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ここの鍾乳洞の特徴である湧水の流れが半端でない景勝は、この水は何所から来るのだろうと考えずにはおられなかった!
更に奥へ向かうと
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コチラの説明
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コチラの洞窟からも
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地獄谷という洞窟だが、何が地獄なのか?横目で見ながら
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瀬戸物の置物が置いてあり、少々微笑ましい鍾乳洞出会った。前半は湧水の流れで構成され、後半は普通の鍾乳洞で会った。
大滝鍾乳洞が大きな規模であった為に、少し出鼻をくじかれた感は否めなかった。ゆっくり観察しながら約10分グラウで
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出口の光が見えてきた。
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コチラが出口で、入り口から約20m程離れた場所に出てきたのでありました。
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この鍾乳洞から出てくる水量は
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この様に川に流れ落ちる水量を見るとビックリものである。
で、今日の目的は達成できたので、八幡町の市街をゆっくりと散策して写真でも撮ろうと帰路に就いたのだが、もう少しで市街に近づいた峠の途中で、車のメーターパネル内に「ブレーキ故障」の文字が、ドキ・・・急遽路肩に停車、取扱説明書からサポートTELをするに、最寄りのミニのディーラーへ行けとのこと・・・ちゅうたって京都から何百㎞も離れている、そんな知らないところに行けるか~と、再度京都のディーラーに電話をしたところ、落ち着いた対応で「それはブレーキパットが減った交換の告知なので300kまでは走行可能ですとのこと、PM5:30間でなら受付可能だと言うことであったので、郡上市街散策は返上、コチラの時刻は3時過ぎ、ミニのディーラーは京都南ICの近く、カーナビの到着予定時間は5:40コチラは変化することは判っているのでイチかバチかで行く事に、
・・・と言うことで描けないので書けないのでパス・・・と言うことでどうにか5:20分ごろに到着(^_^)v一件落着の旅であった。

「神の恵水」の独断と偏見の水評価は
大滝鍾乳洞の御神水と比べれば、やはり大河の水、大雑把な嫌みのないマロヤカな水であった
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は





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NO361:大滝鍾乳洞の御神水

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と言うわけで、八幡町の市街地30分ほど山間に入った地域に点在する鍾乳洞巡りに移動しました。
我が輩も知らなかったのですが、郡上市の山の中には大きな鍾乳洞が四つ【大滝鍾乳洞:縄文鍾乳洞:美山鍾乳洞:郡上鍾乳洞】があります。
この中の何処に行くか悩みましたが、洞窟の中に大きな滝が在るとのことで、1つは「大滝鍾乳洞」と洞窟内に川が流れているとのこと、コチラなら確実に堂内地下水がもらえるだろうと2つめは「郡上鍾乳洞」にした。
先ず郡上八幡町に近い「大滝鍾乳洞」から行く事に、市街地から拾数キロの山奥にあり観光客も少ないのではと思いながら、岐阜の下呂温泉へ通じる国道256号へ入り、大きな峠を登り切ったあたりから右にそれ、あくだ渓流園の釣り堀で多くの人たちが釣りを楽しんでいる姿を見ながらさらに山奥へ・・・と、車が前方に止まっている、さては駐車場まで渋滞しているのかと・・・カーブをしているので先のことは判らず、チョイと時間が心配になったが、ものの15分ぐらいのろのろ運転をして進んでいくと広い駐車場へ到着した。駐車場の整理人も数人で手の案内で、思いのほか多くの観光客が来ているのがわかった。
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観光バスも数台駐車しており、ここが相当有名な観光地だということを知らされた。駐車場から鍾乳洞の入り口へと歩いて行くと、こちらもビックリぽん!
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釣り堀や、土産物売り場、食堂等々多くの観光客で賑わっていた。
我が輩はひたすら鍾乳洞を目指しさらに奥に歩いて行った。
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夏なので気持ちの良い林の中を歩いて行くと、ケーブルカーの駅前に辿り着くも、コチラもケーブルカーの順番待ちで長蛇の列、でも20分ほどで駅に到着、
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駅舎に入ると貴重な岩石なのか「スブリナの化石」が展示してあった。
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入洞料大人1000円を払い木星のケーブルカーが降りてくるのを待ち
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駅員さんの指示で乗り込み出発
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途中降りてくるケーブルカーとすれ違い
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中を見るも乗客は一人も乗っていない、そう、ここは鍾乳洞の入り口と出口の落差があり、鍾乳洞から出てくると歩いて下りてくるのであった。
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五分も乗っていただろうか上の駅に到着
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そして乗客と一列に並び鍾乳洞へと
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ここに「大滝鍾乳洞」の成り立ちの案内掲示板があります。
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      大滝鍾乳洞について
本洞は古生代の石灰岩中に生じた断層が地下水によって溶解拡大されて出来たものである。
東西270m、南北40m、高度差100mの範囲に八層にわたり生成している。現在までの調査でもすでに1000mを超える通路、広間が知られており、さらに上部に延長が期待されるので当地域の最大級の鍾乳洞であることは間違いない。洞はほぼ東に向かって直線的に幾段もの滝によって高くなっている。奥部には大きな広間があり上下、左右に連絡して全体として迷路を形成している。
水量の多いことも本鍾乳洞の特色であり若々しい美しさの原因となっている。
鍾乳石類は量、質共に豊富多彩であらゆる種類の物が見られるといってよい。アンソダイト(石花)ヘリグマイト、ヘリグタイト等はこの地方では本洞だけにしか見られないものである。洞窟珊瑚の中には他に報告のない型のものがある。成長中のもの多く新鮮で純度が高く光を通すものも多い。又、赤色からピンク色に着色した物もあるのは注目される。母岩の石灰岩には古生代ベルム紀のフズリナ化石等が多量に含まれ弐億数千万年前等地域が海域であったことを示している。なお洞窟の生成された時期は他の証拠にによって数十万年を超えることはない。この付近一帯には数十の洞窟があり、その中からナウマン象ヘラジカ大角鹿を初めとする現在絶滅した動物の化石が大量に発見され当地域が数万年前現在より寒冷な高原であったことも予想されている。
   1971年6月1日  岐阜大学教育学部 地学研究室  梶田澄雄

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そして洞内へと
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洞内ではカメラのシャッターチャンスがどうしても遅れてしまい、綺麗に撮る腕がないので見ることが絶えられる写真を載せます。
入り口入ってすぐの「竜王洞」
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学術上貴重な物なので触らないで下さい・・・と、この事は洞内でのマナーであります。
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上から垂れ下がる石を鍾乳石と呼ぶらしい
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コチラは上と下の鍾乳石がつながった「石柱」と呼ぶようである
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上は「天上界」であります.
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コチラは立派な石柱であります
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洞内で水を汲もうと思っていたのであるが、今のところ汲めるようなところがないので、大滝という物があるらしいのでそこで水を汲めたらと・・・どうもその大滝が出てきたようである
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チョイと見えにくいが、一筋の水が流れ落ちている「神秘の大滝」であります
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大滝
地底の滝では日本一の規模を誇るこの滝は高さ約30m、その水源はまだ探険されていないが約4km遡っていると思われます
滝の位置は地表より60m下にあり、大滝鍾乳洞のシンボルとなっています。
コチラの写真が良く雰囲気を醸し出しています
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水をどこで汲もうかと思っていても観光客が多くて滝の水を汲むのは差し障りがあるな~と思いながら進む方向へ向きを返ると
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御神水の看板が、神は我を見捨てなかった・・・と、お も い・・・有り難く戴くことにした。リュックサックにペットボトル3本しか入らないので3本組終えたところ
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神秘に包まれた鍾乳洞内の石灰岩から湧いて出た「不老長寿の水」といわれています特にカルシュウム・ミネラルのの成分が多くまさに神秘の地下水です
「不老長寿も水」というのを今まで何回飲んだことだろ~、何歳まで生きられるのか楽しみである。・・・が・・世知辛い世の中余り長生きするのも・・・・・(?_?)
で、なぜ御神水火というと、
中華民国・台湾の花連在住の彫刻家、柳順天氏がこの大滝の神秘さに感激されて5ヶ月掛けて壁に不動尊を掘られたとの事、写真を写したのですが、暗くて捕れていませんでしたのでボツとなりました。(^_^;)
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こんな石筍(セキジュン)や
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イロイロと奇岩がありますが、全部公開すると営業妨害になりますのでこの辺で・・・
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そうこうしてるまに出口が見えてきました。全国的には知名度は低いですが見応えのあった鍾乳洞でした。
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こちら出口ですが、チョイと寂しい感じ、帰りも歩いて降りていきます
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下にはケーブルカーが観光客を乗せて上がって行きます
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我が輩は洞窟内に大河が流れているという次の鍾乳洞「郡上鍾乳洞」へと「大滝鍾乳洞を後にした。

大滝鍾乳洞「御神水」の独断と偏見の水評価は
鍾乳洞内の水ということもあり、アクが強いと思っていたが、良い具合に調和(コク・マイルド・甘み等々)の捕れた再興の水であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (*^_^*) でした。
詳しい場所



NO360:郡上八幡:善光寺「およし観音水」(仮)

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次にいったのは、郡上八幡城の近くにある「山之内一豊と妻の像」の後ろに湧き水が出ていると情報元で探し、その水をもらいに行ったのですが、タイトルは別の湧き水になってしまいました。
と言うわけで八幡城へ、登る道が狭く観光バスはお城近くまでは上れないが乗用車はお城の下の駐車場まで行けますので、車でお城へ、
お城に登る道と、下ってくる道が合流するところに城山公園というモノがあり、その一角に「山之内一豊と妻の像」がありました。
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湧き水はこの像の後ろのあたりに出ていると調べていたので、帰りに汲むとしてお城まで登ることにした。
「山内一豊と妻」の事は何でか知らないが聞いたことがあり、名前だけは知っていた。
山内一豊
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山内一豊の妻 千代と郡上
 NHK大河ドラマでも取り上げられた山内一豊夫人 千代はドラマの中では原作に従って近江の出身として描かれていましたが、郡上には「初代八幡城主 遠藤盛数の娘が山之内対馬守室(一豊の妻)」とする系図が各所に残されていました。近年には郡上説を裏付ける高知県からの陣立図などの資料も発見されています。
 また、昭和60年には市民の有志によって「山内一豊夫人顕彰会」が設立され、この銅像を建立したほか、毎年八月には千代の遺徳を偲んで銅像前で法要を行い「郡上おどり」を踊っております。千代は私たち市民の誇りであり、没後400年を経った今でも私達の中に生きています。
以下省略・・・・・平成18年8月・郡上市観光連盟
で、一方通行のお城に登る道を上っていきます。
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車一台が通るのがヤットコセですが、下に車を置いた観光客や、大型バスで来た人達はここを歩いて登って行きます。
感じとして歩いて登るにはケッコウきついといった感じですが、お城に近づき
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駐車場に着き、お城の全体図の看板が立っていました。
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その駐車場の横にひっそりと井戸の小さな小屋がありましたので、水に関するモノは見てみなくてはと思い立て札を読んでみると不気味な井戸のようなので一枚パチリと撮しておいた。
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立て札には「首洗い井戸」・・・と
 この一帯は駐車場として利用されるまで、杉や雑木の生い茂つた湿地帯で、案内版の立つほとりに一基の浅井戸緯度のまわりには井戸のまわりには蟇蛙(ひきがえる)が群棲し、昼も薄暗い陰惨な場所であった。
 今は埋め立てられて跡形もないが、その昔はこの浅井戸は「首洗いの井戸」と言い継がれ、慶長の合戦に際して討ち取られた寄せ手の名のある武士の血や泥で汚れた首が洗い浄められ、首実検に供されたという。
今は昼間で天気も上々、これが夜だと何処ともなく・・・・と想ってしまう・・・だ・ろ・う。
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駐車場から参道?を歩いて5分ぐらいで櫓の見えるところまで来ました。
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この道すがら、こんなものも有りました
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力石
  この二つの石は、寛文7年(1667)城主遠藤常友が城を修理するため領内から多数の人夫を集めたとき、その中の一人である大和町の左兵衛(通称 赤髭)が城下の河原から背負ってこの地まで運び上げたものである。(重さ350k・長さ約1m・厚さ約30cm)奉行の村上貞右衛門がその力量の優れているのを見て激賞すると彼は感涙し、たちまち力尽きてその場で卒倒し息絶えてしまった。
 奉行は哀れに思ってこの石の使用を禁じたが、昭和8年(1933)に天守閣を建設する際この石が草の中に捨てられているのをみた古川七兵衛氏が作兵衛の心根が世に忘れられたのを嘆き、この地に碑として安置して顕彰しその礎石に事のあらましを記したものである。
という石である。力石というのは各地にも力比べをした記念石として残っている。
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郡上八幡城一番のビューポイントからです。
お城へ登って行こうとしたら、足下に
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「およし塚」(人柱およしの碑)
郡上八幡城改修の際に人柱となった、神路村(現大和町神路)の娘「およし」を偲んで建てられ石碑
   城山の 露と消えゆく 人柱
【およしが祀られている場所】
天守前(桜の丸)・・・・・悟竹院奥の院
城山麓善光寺・・・・・およし観音堂
城の改修の際、工事が難航を極め、ついに人柱をたてることになりました。白羽の矢が立ったのは神路村(現大和町神路)の数え年17歳の美しいおよし。用財となる大木の運搬を不思議な力で手助けした噂が奉行の耳にはいっていたのです。お城を護る為にと意を決したおよしは、吉田川で身を清め純白の振り袖と帯を纏い、人柱としてお城の下に眠ったのです。
という悲しい物語です。この様な話は地元の成相寺にも残っております。
で、コチラで入城料を払い
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で石段を登り
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城内へと
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じょうもんを入ると正面に天守が迫ってきます
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下から見た感じより重厚感がなく、チョイと拍子抜けの外観であった。
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    郡上八幡城 沿革
 戦国時代末期の永禄二年(1559)郡上領主 東野常慶と遠藤盛数との間で郡上支配をめぐる赤谷山城の戦いが起こった。その際盛数がここに陣を構えたのが郡上八幡城の創始である。その後、盛数の子慶隆が郡上を統一し、城や城下町を建設するかたわら、信長・秀吉に従って各をに転戦、天正16年(1588)加茂郡小原へ転封となった。代わって城主となった稲葉貞道は天守台等を設け本格的な山城として大改修をおこなった。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが起こると、遠藤慶隆は、当郡の徳川家康に味方し、郡上八幡城の戦いを起した。同年、慶隆は郡上藩主として復帰し、、同9年改修を終えた城に入った。その後、慶隆の孫常友は城下町や城の大改修を行い、幕府より名実ともに「城主」として認められた。
 遠藤氏が近江三上へ転風封後、井上氏・金森氏が相次いで入部するが、宝暦年間に起こった宝暦騒動(郡上一揆1754~1758)により金森氏が改易となる。以後、代わって入部した青山氏により百年以上の治世が続くが、明治4年(1871)年の廃藩置県によって郡上半藩4万8千石は終息した。現在の天守は昭和8年(1933)に再建された模擬天守で、木造の再建城としては日本最古である。
                 平成29年10月作成
お城の中に入って行きます。
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当時の面影というよりも観光用に施してある様である。木造建築らしく歩くと床がミシミシと鳴るのである、この辺は当時の面影を体験できるのかかも?二階に上がり城門を覗いてみた
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城門にしては撮影場の大道具を置きました感のする建物で、敵が攻めてきたらあっけなく入られる造りのようで、おそらく予算が回らなかったのでは・・・と(^_^;)
さらに上の階へ
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まわりに配置されている廊下から、見出しの写真右端にちらっと映っていた建物が
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郡上市総合スポーツセンターの屋根で鉄兜をイメージしたモノらしい、こちらは城内階上から展示物を撮したもの
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さらに上がって最上階へ
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ここから殿サン気分で町並みを見下ろすと
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天守から降りていくと上がって行くときには目に付かなかった大名籠が展示してあったので1枚パチリと
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永いことかかったお城見学もヤット出てこれて、城山から下山中
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そして城山公園内にあるという湧き水をもらいに
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祠の中に仏像が安置されソコの前から水が出てきていました。さて、水を汲もうと段取りをしていると
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この「お姉様」が、近づいてきて「ここのお水は水道水ですよ」とのお言葉・・・どひゃ~ん・・・え~・・・「ネットで調べてきたんですけど」と、「蛇口の元には止水栓が付いいます。美味しい水が出ているところをご案内したげますので付いてきて下さい」
で、分けが解らず、それなら・・・後を付いて行く事に、『内心ボランティアでか仏像の水飲み場を清掃されていたところなのに、その作業もほったらかして、見ず知らずの旅人を案内して下さる親切な気持ちに感謝しながら』すぐソコだと思い後ろに付いていくと
岸劔(きしつるぎ)神社の前を通り抜け
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岸剱神社の創建には次のようなイワレがあります
「江戸時代初期の慶長19年(1614年)、郡上郡気良村(後の明宝村、現・郡上市)はひどい旱魃に見舞われる。この地の神社の神主は雨乞いを行なったが効果はなかった。そこで宝剣を気良川の河原の岩で洗って雨乞いを行なうと、すぐさま雨が降ってきたという。しかし豪雨となり、岩の上の宝剣は大水で流されてしまった。それから数日後、郡上八幡城城下の吉田川の岩に宝剣が引っかかっているのを住民が見つける。この知らせを受けた城主遠藤慶隆が、この宝剣を祀るために創建したのが始まりという。
創建時は吉田川の川岸に位置していた」(ウイキペディアヨリ)
少し横のところでは
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お祭り道具を片付けられている様子、お姉様に聞いてみると「昨日お祭りがあったの」とのこと、気になったので探してみると
一昨年の「岸剱川祭」が見つかりました。
が、岐阜県の重要無形民族文化財に指定されている「岸剱神社の大神楽」は例年4月第3土日に行われているお祭りはこちらです。
「カギカッコ内をクリック」
出さらに付いていくと永~い石段を降りていき
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着いた所は「善光寺」・・・・・で、うぅ~ん何処かで見た寺の名前(?_?)
郡上八幡城の入り口にあった「およし塚」の立て札に書いてあった「およし観音」が祀られているお寺・善光寺と
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このお寺の炊事場に案内されて行った。案内して下さった「お姉様」勝手知った他人の家ではないけど、ズケズケと入って行かれ此の水です・・・と
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壁にトンネルが開いており、その奥から水が流れ出てきていた。その左上には「およし」を模したような石像が安置されていた。
水を入れる容器を持ってきていなかったので、一度磁路山公園まで帰り親切な「お姉様」にお礼を申し述べてくるまで善光寺へ、水汲み場へ帰ってくると、お寺の「女将さん」らしき方がおられ、了解の元水を汲み終えお賽銭を入れて帰ろうと
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およし観音へ、こちらの
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京都鞍馬寺から分霊された尊天毘沙門天の本堂に入れるべきか迷った末、「鞍馬山別院、善光寺」と書いてある本堂の方へチャリンと納めて善光寺を後にした。
郡上八幡の歴史の中で、郡上一揆(百姓一揆)がありますが、そのことがコチラ看板に書いてあるのが掛かっていました。
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   郡上藩御蔵会所
 この寺院の奥に、藩内の年貢米の保管や管理、事務などを行う御蔵会所があった。
 18世紀前半、藩主金森頼時は二度にわたり江戸屋敷を焼失、二度目の時は、藩の貧弱な財政を考え、新築せぬまま死去した。
 1736年(元文元年)、後を継いだ金森頼錦は、直ちに百姓らに御用金を割り当て、5000両を集めて穢土屋敷を再建した。 しかし、1745年(延享2年)の大火でまたもや類焼した。百姓の出費は莫大で、ますます生計を圧迫した。
 一報頼錦は、天文学に長じ文人ともいわれ、それらのことにも多額の金銭を使っていた。さらに頼錦は幕府の奏者番に任ぜられた。役目上生活は華美になり失費も多く、藩政は家臣に任せっきりで、藩の財政はますます苦しくなった。
 1754年(宝暦4年)春、郡上藩は、財政立て直しのため、年貢の取り立てを、それまでの定免制(毎年決まって一定の年貢を取る)から検見取り(毎年の収穫高に応じて年貢を取る)かえようとした。
 この方法は百姓にとって非常に不利になる。それまでも、重税に苦しんでいた百姓は、もうこれ以上辛抱できぬと、同年8月郡中120余かヶ村から何千という百姓が、御蔵会所に押し寄せて検見取り下げを求めた。
 こうして、5年にわたる郡上一揆(宝暦騒動)が起こった。
                     2007年       郡上一揆の会
そういえば昔、郡上一揆と言う映画を見に行った事を思い出した。我が地域でも江戸時代「文政文政百姓一揆」があった。その時の中心人物に地元の吉田新兵衛という方がおられた。子々孫々のために身を挺して立ち上がられた事は今もって言い伝えられています。

善光寺を後にして、郡上八幡町の市街を見て回る予定していたのですが、昼も近づき次の予定地鍾乳洞見学へ切り替えた。

善光寺の閼伽水(仮)を変更して「およし観音水」(仮)と致します。
で、水の評価は、宗祇水が絶品の水と思ったが、およし観音水を飲むとチトあくが強いように感じ、こちらの方が飲み口としては一段上に感じれた。ほどよい飲み口であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (*^_^*)
詳しい場所は
汲みに行かれる方は、お寺の炊事場にありますから、家主にお断りしてから汲む事、後お賽銭は必ず納めることを心がけ下さい。








NO359:郡上八幡町の「宗祇水」

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水の都、郡上八幡町にある名水百選1号?に選定された「宗祇水」をご案内いたします。
滋賀県近辺が続いていたので、今回はチョイと趣を変えて郡上八幡町へ足を伸ばしてきました。
郡上八幡と言えば、水と踊りの町と言われているぐらい、現在はどうカモですが昔から用水路をうまく生活に溶け込まし活用していた町で有名です。
それだけに、綺麗な水が豊富な土地柄だと思えてくるので、検索すると湧き水も何カ所も出ているようでしたので行ってみることにしました。
我が町から約3時間半前後で行けるので、数カ所湧き水を持って帰ってくることができると思い、探してみると八幡町市街に数カ所出ているところがあるようでしたが、チョイと山側に入ったところに鍾乳洞も数カ所ある事が判ったので、今夏の暑すぎた日々を癒やすために鍾乳洞で夕涼みではなく、洞窟涼みを楽しんでくることにした。であるため、しがいで2ヶ所、鍾乳洞で2ヶ所出発していた出発していたを採取してくる目標を持ち出発。
カヌーをやっていた頃に、数回この郡上八幡から長良川を下りに来たことはあったのですが、あれから十数年来ていないので行くのがうれしく、夜もまんざら寝ることができず(何時もの話ですが(^_^;))1時間早く6時には家を出発していた。現地にはチョイと早く8時過ぎには着いてしまった。街中は日曜日なのかまだひっそりとしていたが、最初に行く予定だった郡上八幡博覧館へ行ってみた。
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しかし時間が早すぎて開館しておらず、取りあえず予定変更をして「宗祇水」を探すことにした。
町並みを走っていると立派なお寺に出くわしたので車から降りて
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門構えも立派だが、中を覗いてみると本堂も大きな者である
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ふらっと中に入りにくい威厳のようなモノを感じ入り聳えて付近をウロウロと
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屋敷の周りを勢いよく水が流れている。これが郡上八幡の水の都なのか・・・と
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長敬寺のイワレノ立て札が命着いたのでパチリと
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  長長敬寺と稜霜隊
八幡城第二代第第四代の城主であった遠藤慶隆が、古今伝授で有名な「東氏」の子孫が飛騨高山の照蓮寺に仮住まいしていることを知り、慶長6年(1601)招いて建立したのが長敬寺である。
 本堂裏に遠藤慶隆のものと伝えられている墓が残っている。また古絵図によると寺の裏近くに矢場が記されている。

 慶応4年(1868)4月江戸城開城の折り、郡上藩士45名が『稜霜隊』を編成、佐幕派の中心会津へ救援隊として出発し、会津若松城の『白虎隊』と共に政府軍と戦った。
 9月会津軍の降伏により稜霜隊士は郡上へ護送され獄舎に入れられた。きびしい獄舎の生活に犠牲者の出るのをみた城下寺院の嘆願が聞き入れられ、明治2年当長敬寺に移された。
 明治3年釈放されたものの、彼らの一生は厳しいものであった。隊員の一人、矢野原与一の手記『心苦雑記』があり活字化されている。
街並みを観ながら近くにある「宗祇水」へ足を運んだ。
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街中の路地の細谷の奥に
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昔からコンコンと湧き出ている水が
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この一段下に出ていました。丁度ソコには「宗祇水」の説明書きがしてあり
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宗祇水
 郡上八幡には、山水、井水(地下水)、河川や谷川の水、湧水など、豊富な水源を利用した水利用施設があります。
清水と言われる宗祇水
 宗祇水は、地表近くの湧き水を引水して水舟に溜めて利用しているもので、「清水(シミズ)」とも呼ばれます。水舟は、山と小駄良川や吉田川に挟まれた対岸の尾崎町にも多く見られます。
 以前は飲み水などの生活用水や、酒造りなどに利用していました。上水道普及後も、冬の漬物用の野菜を洗うときなどに利用しています。
人が集う宗祇水祭
 年に一度、夏(8月20日)に行われる宗祇水神祭りでは、多くの来訪者で賑わいます。神事が終わると宗祇水のまわりでは、湧水を利用した野点の茶会が開かれ、同時に本町通りで郡上踊りが始まります。
宗祇水と古今伝授
 宗祇水は、室町時代の連歌師の飯尾宗祇が、文明年間(1469-1486)に湧水のほとりに庵を結んだことに由来しています。
旅の詩人とも言われていた宗祇は、文明3~9(1471~1477)年にかけて、東常縁から古今伝授を受けました。宗祇が古今伝授を受けて帰る際、常縁は小駄良川の宮ヶ瀬まで見送りに来て歌を詠みました。
「もみし葉のなかるる竜田しら曇の花のみよし野おもひわするな」
宗祇の返歌
「三年ごし心をつくす思ひ川春たつさわにわきいづるかな」
 この常縁の歌にちなみ、寛文年間(1661-1673)に遠藤常友が宗祇水を「白雲水」という名称に改めました。
 大正8年(1919)に結成された「宗祇倶楽部」、県指定後は「宗祇水奉賛会」が定期的に手入れをしながら生活の一部として利用されており、江戸時代から現代に至るまで、郡上八幡で大切にされています。
古今伝授
日本で最初に天皇や上皇の命により勅撰和歌集である古今和歌集の解釈などを、師から弟子へ伝えることです。古今伝授は常緑に始まるとされています。
で、
下を覗くと宗祇水は社の中から出てきてその前でオジサンが
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水汲み場を清掃されていた。その方にイロイロとお話を聞く中で、町の中の電柱を埋設する工事をしていたら宗祇水が濁りだし、今日まで汲む事や飲むことが禁止されていたのだが、今日の夕方保健所が水の検査に来てくれるとの事、そのため小石一つ一つを洗剤で綺麗にして待っているという。昔から隣組単位で順番に水汲み場の清掃もやってきており、今日はオジサンの組らしい。また、郡上八幡で有名な吉田川の飛び込み風景も、観光客が何も考えず飛び込んで怪我をする事が続き今では禁止されているらしい。ソコの吉田川
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上流側で、下流側の雰囲気
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これより二つ下流の橋から飛び込むそうですが、綺麗なブルーの川面で深そうである。
話をしている最中、家族連れが次から次へと石段を降りて素通りして行かれる様子を尋ねると、この先の小駄良川があり水深が浅く水を止めて川遊びができるようにしてあり、水遊びに行くのだとのこと、その川が赤い欄干の橋が架かっているところで
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下流では吉田川に流れ込んでいる
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で、我が輩は水を汲もうか思案したが、一度水を沸かすのでOKとして汲んで帰ることにした。
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水汲み場の横には「宗祇水」の利用に関するひゅういが気が建ててありました。地元の方々は大切に守ってきておられるという事です。
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このの水は自然の湧き水でこの地域の人々が昔から今日まで大切に飲料水・生活用水として利用している歴史ある綺麗な水です。
ここを訪れられた皆様も此の水をどうぞ汚さないように御協力下さい。
看板に書いてある水槽は、水を大切に利用するための設備で、他所の地域でも見ることができます。
博覧館の開館時間も過ぎていたので、オジサンに邪魔をしたお礼を言ってそちらの方に進んだ。
で、会館の中は我が輩一人の独占状態、受付で写真を撮っても良いかと尋ねたら、まあ少しならよいが節度を守って欲しいとのことでしたので、何枚を載せときます。
宗祇と常緑のお別れのシーン
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長良川の鮎釣りの道具
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郡上盆踊りの実演舞台、一日何回か時間が決まっている
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と等々結構見応えのある内容であった。国重要無形民族文化財にも指定されている踊りは見てみたかったのですが、目的は水汲みですので、先を急がなくては目的が達成できない恐れがあったので、泣く泣くパスをして会館を後にしました。
次なる水汲みの予定は、郡上八幡城の一角に出ているといわれる湧き水とお城の見学に移動していった。

「宗祇水」の独断と偏見の水評価は
初めてコーヒーにして飲んだときには、これは美味いと満点の水だと想ったのだが、その後他の水を飲んで行くうちに、少しミネラル分が多く重いように感じられたので厳しく
(^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ (^_^)/
荷しておきました。独断と偏見です(^_^)v

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