fc2ブログ

NO216:菅野の清水

   伊根の湧水 088-2t
府道57号線を戻り、
   伊根の湧水 091-2u
伊根湾側から見た標識で、左へ入って行くと・・・集落の入口に上記の滝が有ります。案外立派な滝ですが水量は小川程度
    伊根の湧水 083-2i
小川の横を進んで行くとスグ菅野集落に着きます。
   伊根の湧水 065-2o
伊根町の集落としては多いい方だと思います。この村中に入るとこに
伊根の湧水 076-2s
湧水らしき小屋が有ります
   伊根の湧水 078-2p
実は、数年前にも菅野には湧水を探しに来ていたのですが、その当時はこんな立派な小屋ではなく、さびれた小屋の中に水たまりが有り、水槽の底には泥や蜘蛛の巣が張っていてもらって帰りたい代物ではなかった所が
   伊根の湧水 081-2a
置物も整理整頓され
    伊根の湧水 080-2a
水槽もきれいに作り替えられている様子、しかし、水は相変わらず動きがなく気が進まないモノであった。また、情報元の「菅野の清水」は菅野集落から丹後縦貫林道へ抜ける林道にエスロンパイプから湧水が出ているものであったので、この場所ではないはず、そちらの方に車を向けて行く事にしたが、此の場所は、菅野集落の大事な関わりのある井戸なのだろう。
集落のはずれから道が分かれ、
   伊根の湧水 074-2d
左は集団墓地、
     伊根の湧水 075-2f
右にとりあえず進んでみるとスグ
   伊根の湧水 070-2h
情報元のパイプから水が出ているという所が出て来た。しかし
   伊根の湧水 068-2j
今ではパイプが詰まり、水も岩をつたって下の水槽に流れている。山肌はと言うと
   伊根の湧水 067-2j
竹藪も荒れ放題、その中から水は流れて来ている。沢水ではないと確認して
   伊根の湧水 066-2k
泥が堆積している水槽から、2本もらって帰る事にした。このような水は必ず煮沸してから飲むように心がけている次第です。
この先縦貫林道へ
    伊根の湧水 071-2z
行かずに帰ってきました。
京都府無形文化財「菅野の祭り」
       

独断と偏見の「菅野の清水」の水評価は
「河来見の清水」と同じく、日本的軟水の味であったが先入観からか泥の臭いのような風味がしたような、しない様な・・・という訳でー1として
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vにしました。  
詳しい場所は
  
   
スポンサーサイト



NO215:伊根町の「河来見の清水」

    img132-11.jpg
ちょっとしたことから「伊根わがまち歩き」なるパンフを入手。
「ゆっくり観光の会」が出しているツアーパンフ、その中の第9回「薦池大納言と河来見の名水」を発見!
今まで知らなかった名前ではなかったが、その時は「野村の名水」と勘違いをしていたため探すことを断念(?_?)
コンセプト:「広がる、深まる」
舟屋で知られる伊根。
でも、ちょっと寄り道してみると、気になるものがあちこちに。
歩いた事のない道、見たことのない風景、聞いたことのない歴史・・・。
今年は伊根の楽しみ方が広がり、深まる、そんな旅をご用意しました。

地元の方にも遠方の方にもお楽しみいただけます。是非、ご参加ください。(2016年)

「ゆっくり観光の会」とは?
住民と、小さな事業者による住まう町を良くする、強くするまちづくり。
それが「伊根浦ゆっくり観光」です。
「ゆっくり」とは、住民が無理なく長く続ける、観光を利用したまちづくりを優先する姿勢を表します。また、ほかにない伊根の魅力に惹かれて「ゆっくり」過ごす新しい観光スタイル提案の意味を重ねます。
    img135-22.jpg
第9回「薦池(こもいけ)大納言と河来見(かわくるみ)の名水
幻の小豆を求めて、山間の集落・薦池へ。小豆の収穫後はお隣の村、河来見においしい湧水を汲みにいきます。御帰りの際は幻の小豆を1パックプレゼント。
   日  時:2016年11月12日(土)10:00~13:00
  集合場所:浦嶋公園駐車場(伊根町本庄浜111-1)
 参 加 費:3,000円(昼食代、ガイド代、お土産代)
   定  員:20名

2017年度版
  第11回*【そば打ち体験と筒川散策】2017年2月25日(土)10:30~14:00
  第12回*【布引の滝登山と浦島伝説】2017年3月25日(土)11:30~14:00
お問い合わせ:伊根浦ゆっくり観光の会【0772-32-0277】

ツアーガイドパンフの絵地図をもとに出発(^_^)/
とりあえず河来見へ湧水を探してから薦池集落へ行く事にした。
河来見集落へは府道から脇道へ、智足院をめざし
   伊根の湧水 041-1q
この門前を右へ進んで行く
  伊根の湧水 040-1w
山間の道を、時として
   伊根の湧水 001-1t
獣の檻が仕掛けてあったり
   伊根の湧水 038-1e
だいぶ走ったなぁ~と思う頃山肌に張り付くように家並みが・・・
   伊根の湧水 028-1r
中には、日本の過疎化の実態も
   伊根の湧水 035-1t
狭い道を行ったり来たりで湧水らしきものがあった(*^^)v
   伊根の湧水 027-1u
パイプから出て来ているという事は水源が有るはず、できるだけ元の水が頂きたい。で、奥の方をを見ると
   伊根の湧水 026-1i
それらしきブロック小屋が見える。ペットボトルを持ってそちらへ行くと
   伊根の湧水 024-1o
小屋の奥から水が勢いよく出て来ている。
    伊根の湧水 005-1p
周りの雰囲気から、比較的手入れが行き届いているように見受けられ、集落の上水道に利用されている模様。汚れを入れないように持ってきた片手鍋で汲んでペットボトルに入れていると、何かのはずみでボトっと水槽の中に落ちてしまった。これはヤバイとすぐ拾い上げたが、吾輩の手の汚れは内緒にしておこう(^_^;)・・・と、水槽の底に何やら動くではないか(?_?)
    伊根の湧水 004-1a
よ~く見ると沢蟹がたむろしている。おお!水の主様ダ\(^o^)/ てんぷらにして食べたら、美味しいだろうな~と思ったこともナイショにしておき。
無事汲み終え薦池集落へ、行っても別段何もないと思うが、できたら幻の大豆・薦池大納言の一辺でも触れられれば・・・と思い
伊根の湧水 060-2w
府道57号をさらに奥に進み、分岐を左へ入り
   伊根の湧水 049-1x
道なりへ進んで行くと
   伊根の湧水 047-1c
右の崖の上にお地蔵さんが迎えてくれます
   伊根の湧水 048-1v
何の意味があるのか分からないが、歓迎してくれていると勝手に思いさらに進んで行くと
   伊根の湧水 045-1b
町営バスの停留書「薦池」が出て来た。
   伊根の湧水 046-1n
河来見集落より小さめで、戸数としては10件ほどの村であった。ここも生まれて初めて足を踏み入れた所である。伊根町も奥が深い町である。
時間も少し余裕があったので、もう一ヶ所湧水をもらいに行く事にして、引き返して行った。途中
   伊根の湧水 058-2q
幻の大豆「薦池大納言」の茎かも、大豆の収穫はもっと早いのでわ~(?_?)(12月現在)遠方の山並みからは
   伊根の湧水 052-1m
一枚羽のボジレタ風力発電基が見えていました。

独断と偏見の水評価は、最近軟水と硬水の味利きが判るようになり、今後日本的軟水、硬水と書いていきます。本当の硬水は?きついとエグクなるので、(誰かが、日本には硬水はないと書かれていたような、いない様な・・・・)
河来見の清水は、水からの味の変化が少ない日本的軟水の水で、美味しく喉越しの良い水でした。このような水の方が本来のコーヒーの味が楽しめるのかも(?_?)
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v   
詳しい場所は

NO97:伊根町新井崎の「徐福の命水(仮)」

今回は。舟屋で有名な伊根湾の後ろにあたる伊根町新井崎に湧き出る「徐福の命水」を頂きに行ってきました。
伊根町と言えば、舟屋、NHK朝ドラ「ええにょぼ」で有名なところデス。
   新井崎:徐福の命水 157-b
舟屋見学には、伊根湾の入口日出という所から伊根湾巡り観光船が出ています。
   新井崎:徐福の命水 163-b
遊覧船からカモメ?ウミネコ?トンビ?にエサをやる醍醐味も(^_^)/

その伊根湾を見下ろす道の駅から半島方面に車を走らせると、新井崎の集落へ出ます。
   新井崎:徐福の命水 096-b
そして、目の前には大島小島、冠島と沓島が見えます。
新井崎:徐福の命水 076-b
手前味噌で申し訳ないのですが、十数年前この新井崎漁港から一人でシーカヤックを漕いで冠島へ、、そこで休憩をして(本来は無断で上陸してはいけない島ではあるのですが)舞鶴の大浦半島まで横断したことがあります。梅雨明け十日を利用して(この期間が夏場の海で一番安定している時期と言われてる)冒険を行ったのですが、波の事ばかり気にしていて、お天道様の事を忘れ、槽破後熱中症で3日間床に伏した事があります。何とか命は免れましたが(@_@;)

その思い出のある新井崎ですが、徐福伝説の残る地としても有名です。
  新井崎:徐福の命水 099-b
徐福伝説とは、日本各地に在るらしいのですが・・・縄文時代から弥生時代に変わろうとしていたころ、中国の秦の時代始皇帝の命により、不老長寿の薬草を探しに東方の海に出て行ったきり帰ざる人々を率いていた人が徐福とされている、その徐福が日本にたどり着いて、秦(はた)と言う性を名乗って末裔が生き延びている・・・と大ざっぱに言えば・・・詳しくは徐福の伝説見てネ。
新井崎神社は、集落へ降りて行く道に入ると間もなく見えてきます。
   新井崎:徐福の命水 102-b
鳥居をくぐるとすぐ長文の石碑が有りました。
  新井崎:徐福の命水 103-b
おそらく、徐福伝説の内容が書かれているものだと思えますが、長文なので、書き写しはパスします。
「新大明神碑口記・・・・80翁 石倉昭重」
参道を降りて行くと
  新井崎:徐福の命水 115-b
この様な標識が
新井崎:徐福の命水 117-b 新井崎:徐福の命水 116-b
         經文岩
この岩が経文岩と呼ばれる所似は、里人が経を唱えて徐福を匿ったことによると伝えられるが、これは全くの伝説である。
 記録によれば西域から中国に仏教が伝わったのは紀元前後。そして朝鮮半島百済から我が国に仏像経典がもたらされたのは538年とされる。
 徐福は天竺へおもむいて仏像を修めること7年という伝説もあるがしかし、この時代丹後半島に仏教が伝わっていたとは考えにくい。だが、古代における記録或は文献或は口伝などの整合性を追いかけること自体が問題で、こういう場合その裏にひそむものを探ることに意味があるのかも知れない。
 ここは、口碑記にいう徐福集団と原住民邑長との問答の場所であったと考えたい。
 この岩の側面にこの岩に似つかないコンクリートの壁がある。此処は大東亜戦争の遺構である。この洞窟には探照灯が格納されており、事ある時ハコ岩に引き出されて夜空を照らしたのであった。陸軍の砲台も海軍の施設も今は無い。ただ経文岩のコンクリートだけが残された。
 古代の徐福の渡来の跡と現代戦争の跡という異質のものが同居する経文岩なのである。

ハコ岩
    新井崎:徐福の命水 127-b
新井崎:徐福の命水 119-b
まれ人の来訪
 この地に住んだ先人は、海の向こうから流れて来たものを素直に受け入れ、その流れつくところを聖なる場所と考えた。その代表が徐福であり、ハコ岩であり、その沖合いの目印が冠の島であった。

そして、新崎神社は標識の有ったところを左に行けば
  新井崎:徐福の命水 108-b
新井崎神社の云われと、伝説の書いた案内板
新井崎:徐福の命水 107-b 新井崎:徐福の命水 106-a
新井崎神社
 祭神である徐福が登場するのは中国の歴史書「史記」である
 泰始皇本記28年(BC219)徐福は始皇帝に上書した「海中に三神山があります。ここに仙人がおり、不老不死の薬を練っています。身をきよめ童男童女と共にこれを求めたいと思います。」
 始皇帝は徐福と共に童男童女を海に出して仙薬を求めさせた。
 時代は人皇七代孝霊天皇の御宇徐福はこの地を易筮によって予知した。
 上陸したとこはハコ岩。求めた仙薬とは、黒茎の蓬と九節の菖蒲であった。徐福はよく邑人(むらびと)を導いたので邑長となり死後、神として祀られた。
 神社の創建は長徳四年(998)場所は今の愛宕さんの付近だったが、前を通る船に異変が続いたため、神意に逆らうとして現在のところに移し、南向きを東向きに変え建てられたという。
 御神徳は海上安全漁撈満足そして病気の平慰、特にハシカの神として有名である。
新井崎と冠島
◇黄金の桜
 新井崎神社の境内に桜の古木があり、冠島の老人島神社にも同じ種類の桜があった。その桜の間に黄金の橋がかかっていて、毎年この桜は七色に輝いて花を咲かせた。
 村の子供達が、その花を手折ると腹痛を起こすといって親たちが神社に行き、七色の桜の花を咲かせないように頼んだところ翌年から普通の花が咲くようになった。
 この花はここでいう黄金の花の裔である。
◇新崎の黒い岩
 新井崎の黒い岩はその昔、蝙〇山の噴火の際の火山岩である。
 昔、大島から新井崎へ黄金の橋がかかっていた。大島の男の神様は逢瀬を楽しんで新井崎の女神のところへこの橋を渡って通っていた。
 ある時、思いがけない男神の来訪を知った女神は化粧の最中だったが、あわてて口につけようとしていたおはぐろを落とした。それで岩が黒くなった。
◇まれびとの来訪
上記
   新井崎:徐福の命水 131-b


新井崎神社のお詣りを終え、湧水の出ている処へ向かった。
この湧水は、噂であるらしいと聞いていたのだが、今年の正月、連れ合いと初日の出を見に行こうと(いうても一月二日の早朝)画策して行ったのだが、行く前の雨雲レーダーでは晴れる予定が雨にたたられ、あきらめての帰り際、田圃らしき上の方からホースが引っ張られて水が出ていたので、その時はもしや・・・との思いで帰ってきたのであった。
その所へ、今回確認に来たのであります。
   新井崎:徐福の命水 087-b
新井崎の集落から伊根湾へ出る旧道を登って行くと
   新井崎:徐福の命水 089-b
まさにこのホースでした。やはり湧水を引いて来ているようですが、念のため水源を確認に上へ登ってみる事に!

これが上の地形です
   新井崎:徐福の命水 086-b
奥のトタンで囲んだところで水が湧いていた。
   新井崎:徐福の命水 082-b
そして、石垣の下から水は湧いていた。  
  新井崎:徐福の命水 077-b
湧いてきた水は草むらを浸して水汲み場の所へ流れていた。

しかし、ホースの根元は、水源なのか水溜まりの中に設置されいるのか確認できず少々心配でしたが、今は寒中、寒の水は雑菌が繁殖しにくいとの事、汲んで帰る事にしました。
   新井崎:徐福の命水 091-b
さて、どんな味が楽しめるか・・・しかし季節によっては汲んで帰ろうとは思えない場所です^_^;

その後、近場の見どころを写しに
海岸美
  新井崎:徐福の命水 132-b
バブルの頃、作られた別荘群
  新井崎:徐福の命水 137-b
この中には日帰り温泉が在ったのですが・・・今はどうなっている事やら・・・最近はウワサも聞こえてきません。
そして、高級旅館 橋立の奥座敷事、断崖に建つ油屋デス
  新井崎:徐福の命水 140-b

最後に、今年の幻の滝「布引滝」の水量です
新井崎:徐福の命水 151-a 新井崎:徐福の命水 152-a
写りが悪いので分かりますかねぇ~

独断と偏見の「徐福の命水(仮)」の水のランクは、思いの外美味しく頂けましたが、気のせいか腹が緩むような感じでした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ   

詳しい場所は   

大きな地図で見る


NO59:浦島伝説の里に湧く「イボ池の水」

NO57:「越水」の所で記事にした浦島伝説の本場を案内したく、知られていなかった湧水を探してきましたのでご案内いたします。

浦島伝説の里はというと、伊根町本庄地区という所に在り、その付近に湧水の頂ける場所がないものかとWEBサイトで検索をイロイロとかけて、やっと台湾茶専門店ちんざおーchinzaoのHPで「イボ池」の水という湧水がある事が分かり、早速もらいに行きました。

その地は浦島伝説が残る浦島神社が在るとこです。
P2240037-a.jpg
浦島神社の手水舎、一度この水が井戸水かどうか聞いてみたいと思っています。
  P2240038-b.jpg
境内に在る資料館と誰かが奉納したという北前船の模型
  P2240046-c.jpg  P2240039-d.jpg
資料館はあいにく鍵がかかっており見る事できずでした ^_^;
尚、ここの資料館には、浦島明神縁起絵巻(重文)・玉手箱(玉櫛笥)・乙姫小袖(重文){資料による}等が保管されているようです。

神社の右側には曰くのある庭園があり、説明書きがしてありました。
P2240042-2a.jpg
説明書き
   P2240041-2b.jpg
        逢山(とこよ)の庭
嶋子(くしき)が神女(おとめ)に誘われて水乃江里より海の彼方の逢山に渡る物語を丹後国風土記逸文(いつぶん)はつぎのように記している。
「その地は玉を敷けるが如く、ミカドキラキラしくタカドノカガヤカけり目にも見ざしり所 耳にもきかざりし所なり」伝々
これは「とこよ」の有様を記したものだが、その他に「逢山」「神仙」「仙都」と書いて「とこよ」と読ませ、日本書紀、浦嶋口伝記では「蓬莱山」を「とこよ」、万葉集では「常世」「とこよ」としている。
これは、古代中国の神仙思想の影響を強く受けたものであり、この庭はこれら文献及び浦嶋明神絵巻(重文)にもとづいてつくられた。       浦嶋神社 社務所

神社の参道の右手には下のモニュメントが作ってあり
P2240033-2d.jpg
輪っかによって常世の国と現生との境を表しているのでしょうか(?_?)その奥には
P2240031-2e.jpg
立派な浦嶋館が建っています・・・
P2240032-4.jpg
最近は閉鎖されている雰囲気でした。バブル期の補助金無駄使いの成れの果ての姿でしょうか。
P2240047-4a.jpg
ココが亀を逃がしたとされる本庄浜(この辺の事は?)
地元の資料から
浦嶋神社(宇良神社)  御祭神:浦嶋子(浦嶋太郎)
 浦嶋神社は延喜式(901-923)神名帳所載にによると「宇良神社」と記されている。創祀年代は淳和天皇の天長二年(825)、浦嶋子を筒川大明神として祀る。その大祖は月讀の子孫で当地の領主であった。浦嶋子は、人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(478)七月七日美婦に誘われ常世の国へ行き、その後三百有余年を経て五十三代淳和天皇の天長二年(825)に帰ってきた。
常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で、淳和天皇はこの話を聞き浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁を勅旨として宮殿が御造営された。
 浦嶋神社に伝わる浦嶋物語は起原が最も古く、八世紀にできた丹後国風土記、日本書紀、万葉集などにきさいされている。古代より浦嶋神社への崇敬の念は厚く誠に顕著なものがある。

浦嶋太郎になったら困る?のでこの辺にして

本題の湧水の場所「イボ池の水」探しへ
当日本庄地区へ入って、大きな通りを一通り探してみたのですが見当たらず、ちょうど目に入ったのが駐在所の建物、シメタと思いお訊ねするために入る事に・・あまり入りたいとこではないが・・・
P2240001-5.jpg
当日は日曜日、お巡りさんにも快く対応して頂き、その時はブログで「イボ水」だと早合点をしていたのだが、チラシの裏に書いてくれた地図に「イボ池の水」と書いて頂き、その時に正式な名前を知ったと思ったのですが、後でブログを見たらチャンと「イボ池」の水と書いてあり私のそそっかしさを再認識した次第であります^_^;
・・・が、最近このような事がヨク起こるのです。
で、地図に従い言ってみると、お巡りさんが言っておられた「道が狭いので邪魔にならないところにおいて汲んでくれ」との事がホント狭い道であった。
  P2240002-5a.jpg  P2240004-5b.jpg
この路地を入って行けば有りました。これではよそ者には分からないわな!
 P2240005-5a.jpg  P2240007-5e.jpg
このように水汲み小屋が設置されており、地元の方たちが大切に管理されている様子を感じました。
P2240015-5d.jpg
水槽が大・小とあり水をうまく使うように工夫されています。さしずめ、小さい方では何かを洗ったりするのでしょうが、夏になればスイカを丸ごと冷やすのにもってこいの大きさだな~と、想いを馳せていました。
鍋で作った柄杓は、一杯を掬ってペットボトルに入れると少し残る程度で具合の良い大きさでした。

水も汲み終え、浦嶋神社以外の地元の見どころを紹介するために移動して行きました。

一つは、この場所から数百メートル行ったところに見える「布引の滝」です。
この滝は、幻の滝とも称され、大雨が降った後とか、大雪の雪解けの時ぐらいしか水らしい水が流れておらず、その時期に出逢うのが難しいと言われています。当日も写真のように布引ならぬ糸引き程度ぐらいしか水は流れていませんでした。
P2240018-6g.jpg
ところが、下の写真は昨年大雪だったので「野村の清水」を汲みに行った時に写しておいた写真です。
P3250056.jpg
おそらく、一段落差の長さでは京都府内最長ではないかと思います。

この布引の滝は、国道から見る事が出来ます。
丹後半島一周道路(176号)を走っていると下の写真の公園が見えてきます。
P2240019-7.jpg
ここから見るのが一番ですが、この公園がないと素通りしてしまいます。
チョいくら伊根町の宣伝も
P2240020-7a.jpg
写真が小さく字が読みにくいようです。別窓で写真を大きくできるようなのですが、やり方が今一分からないのでゴメンナサイネ^_^;

もう一ヶ所は、蒲入展望台です。
ココは、公園から3kmほど行った地図でいう甲崎の半島の付け根にあります。
P2240025-7b.jpg

この向こうは「かまや海岸」でその先に経ヶ岬が有ります。
この「かまや海岸」には、地域消防団に入ってた頃、貨物船が座礁して真っ二つに折れた船から油が流れだし、重油の回収にこの崖っぷちを降りて行った思い出があります。
P2240023-7c.jpg

写真の下が蒲入漁港でその先に冠島と沓島がぼんやりと見えます。
P2240027-7b.jpg
経ヶ岬も今は観光化して行きやすくなっています。

2013,03,14 今日のニュースで、昨年の「布引の滝」と同じ日に写した風力発電機6基のうち一基が折れたというニュースを見てびっくり。
P4010012-c.jpg

湧き水の味は、お茶屋さんが汲んできて使っているだけの事はあり
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした

汲みに行かれる場合、家の近くに在りますので迷惑の掛からないようにお願いいたします。m(__)m

詳しい場所は


NO26:野村の湧水

前回「一杯水」を汲みに行ったときに、本来は汲みに行く計画を持っていたのですが、伊根町方面が風雨が強いとの事で福知山方面なら雨は降っていないだろうという思いで予定を変更して行けなかった伊根町の「野村の湧水」をもらいに行ってきました。今回もこの季節にしては少し冬に戻ったかな・・・といったミゾレとアラレ交じりの天候でしたが、パソコンで雨雲の流れを見るとちょうど着くころには雨も止む様子なので、意を決して行くことにしました。
パソコンで調べる限り名前が伊根町野村という地域の名称だけでしたが、街道の横にある様子ですぐ分かりそうでしたので現地に着けばわかるだろ~との軽い気持ちで出発して行きました。
奥方の用事を済ましながら行きましたが、1時間もたたずにそれらしき所まで来ましたき。しかし、道端を確認しながら進んできたのですが・・・ナイ
結局伊根町の中でも山奥である寺領まで進んでいき、それ以上は丹後半島の碇(いかり)高原牧場に進んでいくとこまで行ってしまい、これはおかしいと思い引き返すことになりました。
今回は軽く考えて、手持ちの地図やカーナビにも情報を入れずに行きましたので、裏覚え程度の知識では野村がどのあたりか分からなかったという事もあり、ほんとに在るのか不安になりながら引き返していきました。
来るときは通らなかった集落の旧道に入ってみようと通って行くと旧道とバイパスのぶつかる少し手前ぐらいのところにそれらしき祠が在るのを見つけ、車を止めて観ることにしました。
近寄って行くと、祠の中に水がたまっており「これだ!」との感激の思いまでにはいきませんでしたが、あった、あった・・との思いでペットボトルに水を入れに掛かりました。
    P3250038-a.jpg   P3250033-b.jpg
ココの湧水は写真でも分かるとおり、小屋の中に貯水槽が作ってありそこに溜まった水を柄杓で汲んで頂くというもので、漏斗は何時も持ってくるようにしていたのでよかったのですが、柄杓は持ってこなかったものですから、小屋の横に設置してある籠の中から柄杓を借れて入れました。深さ1mほど、縦横も1mほどの貯水槽の中には満々と奥の水路から湧水が出てきており、たまった湧き水はあくまでも美しく(こんな表現が最適なほど)心も洗われるような水でした。たまった水はあまり大きくない側溝から流れ出ていました。この水量を見ているとそう多くない量のようでしたが、小屋の周りの雰囲気から地元の方たちが大事に日常生活で使用されているように感じ取れました。それは、小屋の横に設置してあるバケツとか漏斗、柄杓からもうかがえました。
     P3250035-a.jpg   P3250034-b.jpg

何時ものことながら、スケベ心を出して湧水が出ているところがどうなっているのか小屋の後ろを覗きました。写真のようになっていました。また、汲みに行かれる時は、集落の入口のトコロに集団でお地蔵さんが祀ってあるところを目印に行くと判り易いです。
 P3250040-c.jpg  P3250042-g.jpg
「野村の湧水」を汲み終えて、以前から一度行ってみたかった丹後大仏が来る道中に在りましたので、帰りに寄ることに、丹後大仏と言っても東大寺や鎌倉の大仏さんのような大きなものではありませんが、看板に大仏建立の成り立ちが書いて在り当時のことが偲ばれます。
P3250045-33.jpg

   P3250049-55.jpg   P3250046-77.jpg
私はお参りして、野村の湧水に浄財を入れるものがなかったのでここの賽銭箱にお供えをして後にしました。
ココから少し離れたところには、伊根町の桜ヶ丘運動公園があり、いっちゃ悪いですが場違いな立派なテニスコートも整備されていました。
 P3250052-aaa.jpg P3250051-22.jpg
これ以外にも、前半で書いた碇高原牧場には冬季を除いて開店している碇高原ステーキハウスもあります。
また、野村に着く手前ぐらいに街道を走って左山並みを気を付けてみていると丹後半島最高峰「太鼓山」に立っている風力発電のプロペラを見る事が出来ます。
  P4010002-b.jpg   P4010003-a.jpg


P4010012-c.jpg

という訳で野村の湧水をもらい無事帰宅しました。

でぇ~水の味はと言うと・・・独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。

尚、ネタが尽きましたので数週間お休みです。(#^.^#)
3月25日~5月31日まで開催されています伏見名水スタンプラリー・・・名水11ヶ所めぐりに挑戦してきま~す(^^)/

詳しい場所は


津波の防災グッズにライフジャケットを!









プロフィール

水汲みマン

Author:水汲みマン
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
湧き水のおすそ分け
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR