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NO358:聖宝寺の長命水

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水源地の湧水をくんで、取りあえず国道に戻り「トンボの公園」へ行ってみることにした。
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「立田公園」と名前が付いたここは、広いグランドや桜の花見とか広い芝生とかの一角に「トンボの公園」もありました。
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この道は、頂上に六角堂があり、展望台にもなっているとのことでしたが、今回はパス、「トンボの公園」エリアは、駐車場の裏手にあり、広い芝生の
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奥まったところにひっそりと
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トンボはまだ飛びかっていなかったので、そのまま引き返してきたのだが途中でこんな写真が撮れました
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意味がチョイと分からないのだが「縁結びのパワースポット:恋れ松跡」六角堂の手前と書いてある。
で、聖宝寺へ車を向けた。
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狛猿の鳴谷神社と紅葉の聖宝寺口(裏)登山道入り口
から駐車場に着きました。この(裏)の意味が解らず取りあえず駐車場に入れてしまえとばかり入って行った。これが苦行の始まりだとは、その時は思いもよらなかった。
先ずは鳴谷神社へ参拝・・・と言うより神社を通らなければ聖宝寺に行けないのであった。
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神社の境内の入り口に大きな「茅(ち)の輪」がつくってありました。
「夏越の祓(なごしのはらえ)」の儀式に使うためのものであり、6月末に半年分のけがれを祓い、後半もよい日々になるよう「茅の輪くぐり」をして祈願するので、この時期多くの神社でつくってあります。
で、ソコの神社の狛犬さんが、なんと狛猿さんであった。見出しの狛猿さんの片方がコチラです
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方や子猿を抱いているので、左が雄で右が雌のようである。
猿のいわれは、

と言うことで、お参りをして・・・それにしても今回は「お猿さん」に縁がありすぎである。
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聖宝寺へと
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ここから、鈴鹿山系の藤原岳の登山口にもなっているようですが、獣除けのフェンスを開けて入って行くと
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先の見えない石段が目の前に立ちはだかったのであった。
アチャ~。この時点で昼が大分過ぎていて腹はペコペコであった。横には聖宝寺のイワレを書いた看板
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鳴谷山聖宝寺 伊勢西国観音札所
平安時代大同二年伝教大師の開創された天台宗の寺と伝えられている。戦国時代織田信長に攻められて焼失、江戸時代になって遇堂国師によっ再興され、本尊に十一面千手観音菩薩を安置する臨済宗妙心寺派の禅宗となった。伊勢巡礼第二十九番の札所として僧兵700の願力を持ったと言う大寺である。中でも藤原時代の築園といわれる。庭園は素晴らしい静けさを誇っている。
庭園の下には鳴滝もあり、憩いの場となっている。  藤原もみじの会
と書いてありますが、この頂上の見えない石段をのぼりはじめたのであります。
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僅かに上っても見上げれば石段は天にまで続いているような・・・
IMG_2504.jpg言うは易く 行うは難し  あと185段です  ひやぁ~   さらに上り
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お!もうすぐか(^^♪・・・と喜ぶも束の間
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良きことは 身をもって行う  あと95段です (-_-;)
と、なんとか登って
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やっと視界が開け着いたと思ったら・・・なんじゃコリャ
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お寺からは想像絶する、なんと釣り堀が出迎えてくれた。
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この看板を読めばケチくさい内容である。しかし釣り師は男女併せてまあまあの人数(写真には写ってないようなのだが)、
ここで思ったのだが、みんなあの石段を上がって釣りに来たのだろうか・・・と、
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看板の境内案内図を見ると、どうも別の道があるようである。どおりで登る前に呼んだ看板に(裏)と書いてあったのだ。そんなの意味判んないじないの・・・と不親切な・・・と思ったのである。
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湖面を覗いてみると、結構大きな鱒がたくさん泳いでいるじゃないですか。これでは入れ食いかもと思いながら、我が輩は素通りして聖宝寺の本堂方面へ、
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またもや階段を・・・上ったところに、このお寺の名勝ともいえる藤原時代の庭園が
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コチラは少し手入れが悪いが
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このあたりは水が豊富なのか、池とモミジのコラボレーションの庭のようで、秋に来れば、また格別な趣があるのだろうと、
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こんな粋な計らいもしてありました。こちらは何百年の苔むした岩・・・と想われる・・・
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今の時期でも心が穏やかになる緑の庭園。
住職の話だと、この庭園をさらに奥に進んでいくと「鳴谷の滝」があるという、コチラも「聖宝寺の名勝」楽しみに行ってみると
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各地で滝を見てきた我が輩には、名勝・・・?と思える滝、高さは5~6m位だろうか
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鳴谷の滝
 藤原岳の山肌をなでるように流れる鳴谷の滝は、伏流から滝状になってほとばしる清らかな水です。
 顔を洗えば、心も身体もリフレッシュすることまちがいなし!
夏には、天然のクーラーといわれるくらい涼しく、子供達の格好の遊び場と共に、市民の憩いの場となっています。
・・・と言うことは、このの水は湧き水ということで増すの養殖にも適しているのであろう、そしてこのの水を引いてきて
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この上には
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コンクリー枡が設置してあり、このおこぼれがこちらに伝って流れ
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自然の道具を利用したトユで「長命水」はワガレ落ちてきていました。量は少なかったですが、もとよりリュックにペットボトル3本しか入れてこなかったので良しとしました。
無事命水を汲むことができたのでヤレヤレと引き返したのであるが、本堂を撮してくるのを忘れたので
「聖宝寺本堂」
こちらから
で、又長~い階段を降りていきました
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最後の〆は、コチラの町にも古い機関車があるという駅に寄って帰ることにした。
ソコは西藤原駅で、三岐鉄道三岐線の終着駅のようで1928年(昭和3年)に当地のセメント輸送を主な内容とした鉄道の会社です。
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どんな古い機関車があるのか楽しみに行ってみました。
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イロイロとネットで探した結果、蒸気機関車はE1092形102号 電気気動車ED22ー2号らしい。間違っているかも(*^_^*)
と言うわけで、今回の水汲み紀行は、機関車で始まり機関車で終わることとなりました。

「長命水」の独断と偏見の評価は
コーヒーの色が普段より濃いい色となり、コクとマロヤカな飲み口でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v

詳しい場所は






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NO357:藤原町水源地の湧水

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今回は、鈴鹿山脈を滋賀県から三重県に抜ける国道、四路線の最後に残っていた道となったR306号にトライしてきました。
新名神も入れると5路線となりますが、南から国道1号線、滋賀県日野町から菰野町へ抜ける鈴鹿スカイラインの名所になっている国道477号線、三つ目は東近江市から永源寺を通りいなべ市へ抜ける国道421号で、今回の国道306号であります。
走り抜いた感想としましては、国道1号線以外は山岳道路の様相を呈しており、特に三重県側の眺望は一見の価値があるものでありました。オートバイでのツーリングはメッチャ楽しいのではないかと思いました。また、鈴鹿山脈の山並みは、滋賀県側からは普通の山並みに見えますが、三重県側から見る鈴鹿山脈の山並みは山々の主峰が見応えのある趣があるものでした。
今回の名水の採取は三重県いなべ市ですが、峠越えを目的に計画した都合上、滋賀県側の名所も紹介しながら進めていきたいと思っております。
で、国道306号は彦根の国道8号からの分岐で多賀町を走り抜けます。
多賀町から出発と言うことで、先ずは、朽ち果てた機関車が展示?されているという場所を探すところからの紀行文でございます。
単純に考え、近江鉄道多賀大社線の終点「多賀大社前」に有るのではないかと行ってみました。
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無人駅のようで駅舎の入り口には「多賀大社前 コミュニティ」と書いた看板が上がっています。
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自由に出入りしてもイイ雰囲気でしたので、駅構内に機関車が展示してある物と思い入ってプラットホームまで出てみた
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構内を見渡したのだがそれらしき物は見えず、何処かに探しにイクベエ・・・と車まで戻ってくると、民家の前で青年が洗車をされていたの尋ねて見ると、駅を出て高速道路に突き当たれば、ソレと並行して走っている道を左折して高速道路に沿って行くと国道307号に突き当たるので、ソコを左折してしばらく行くと置いてありますとのこと。しかしボロいよ・・・と一言。お礼を言って出発。
言われた通り走って行くと
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丁度、高速多賀SA横あたりを通過していると、お猿さんが茂みの中に入っていくのが見えたので、写真を撮らなくてはと車から降りて探していると、多賀SAの石垣を集団で下りてくるお猿の一行に出くわした。
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早速カメラを向けてパチリと、
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どうも多賀SAに餌をあさりに出張していた様子。猿も人間と共存共栄の道を選んで出没しているのかも?見出しのお猿さんは三重県側で出会った別の猿です。
バッチリ猿の姿も収めることができて、ブログの当てができたと内心喜んで次へと出発、R307号に出てきたので聞いた通り進んでいくと・・・あ~りました。
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話がそれますが、
2022年7月8日、奈良県で元首相の安倍晋三氏が銃弾により倒れられました。それも選挙演説のさなか、私は思想信条は違いますが、この様な形で亡くなられたことには非情に残念で悲しいことです。私は常日頃人間で一番大切な事は命だと思っております。それが、この様な形で、それも武器により殺傷されたことに憤りを感じております。このたびの安倍晋三氏のご冥福と哀悼の意をお送り致します。
再び我が国でこの様なことが起こらないことを願いながら!

で、話を元に戻し、元SL公園だけあって国道を走っていてもここにSLが展示されているとは思えない雰囲気でした。そういう我が輩も「多賀大社前駅」に行くときにこの道を通って行ったのですが全然SLが置いてあるとは気づかず通り過ぎていました。
置いてあるSL(機関車)は
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「D51 1149号 ハト」 と言う動輪が四つある蒸気機関車で、東京ー大阪の特急機関車としてツバメ・ハトの名前で走っていたとのこと、その後、多賀SLパークに来てからの顛末がウィキペディアに乗っていますので関心のある方は見て下さい。
我が輩が幼い頃当地では、SLが主流で走っていました。でもC型と言って動輪が三つの蒸気機関車でしたが、あるとき同じプラットホームでD51を見たときには大きな機関車だったという印象が残っています。また、煙を吐いて走りますので、トンネルに入るたびに窓を閉めて、煙が入ってくるのを防がなければなりませんでした。懐かしい想い出がよみがえり感無量のひとときでした。
SLパークを後に、昔大蛇が居たという伝説が残っている大瀧神社に行ってみることにしてR307号からR306号へと
途中「ダイニックアストロパーク 天究館」
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なる全国でも珍しい民間の天文台を横目で見ながら県道にそれて大瀧神社へ
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鳥居の場所から道をはさんで山側に小さな小屋がありました
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謂われを書いた立て札が見えましたので
IMG_2415.jpgイヌドウ末
犬胴松の由緒
 その昔、犬上式部二族の祖先といわれます稲依別王命(いなよりわけのおうのみこと)は、日頃より猟を好まれ猟犬の小石丸を引き連れ山を歩き回っていました。
その時に、この渓谷の淵に人々を襲う大蛇がいることを聞き、退治しようと猟犬小石丸を伴い、渓谷を探し続けました。七日七夜を過ぎ、仮眠していましたところ小石丸が吠えたてるので、稲依別王命は怒り腰の剣で一刀のもとに愛犬の首をはねました。首は岩陰より稲依別王命を襲いかかろうとする大蛇の喉に噛みつき、大蛇は淵に落ちて死にました。
 稲依別王命は大いに驚き、この愛犬忠死に深く感銘し、祠をたて、犬上明神として祭りました。こうして、 稲依別王命を救った忠犬の霊を葬り犬胴塚とし、そこに松を植えたのが犬胴松です。今は枯れ果て面影を残すのみですが、お堂を建てその霊をお祭りしています。
 境内三社のうち犬上神社には稲依別王命が祭られています。
                 平成29年(2017)10月  大瀧神社
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枯れた枯れた「犬胴松」です。
で、鳥居をくぐり境内に入って行き「大瀧神社」の本殿へ
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正面には立派な御神木が
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チョイと話が変わりますが、安倍晋三氏の暗殺事件で「旧統一教会」との関係が報じられていますが、日本の今後に関わってくる内容の.youtubeがありましたので、関心のある方は見て下さい。この内容が真実かどうかは御自身で判断して下さい。
で、大蛇が生息していたという淵がコチラです。
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こちらの案内版がありましたので
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   大蛇ヶ淵
 大瀧神社の御神木杉あたりより見下ろす岩瀬は「大蛇ヶ淵」と呼ばれています。上流に犬上ダムが建設されるまでは「大瀧」の名に恥じない堂々たる瀑布でした。
 ここには、神代の昔に大蛇が棲んでいたといわれる龍淵がありました。大蛇は、近辺住民に仇なす崇リ神でしたが稲依別王命と忠犬小石丸に鎮められました。
この場所より眼を対岸へ向けると小さな祠が見えます。この祠が犬上神社に祭られている稲依別王命が小石丸の首を鎮めたといわれるところです。眼下の大蛇ヶ淵、時に大奔流と化す川面を見守り鎮めているがのようです。
  平成29年(2017年)10月 大瀧神社
小さな祠を撮ろうと
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探したのですが、樹木に遮られ判らず、上流からも
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判らず、下流からも
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頑張って撮してみたのですが・・・

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遊歩道を歩いてみましたが
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先が何処までも続いているようで
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御神木にお別れをいって次の場所へ
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目指すは鞍掛峠へ
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峠の麓の佐目集落に「さめのでつぼ」という湧き水があるという、取りあえずソコへ行く事にした。
国道を上っていくと佐目集落の中程に余り目立たない看板を発見
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十二相神社、十兵衛屋敷跡とかいたもの、関心が湧き寄ってみることにした。車一台が通れる入って行くと
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十二相神社に着いたが、下の参道を見ると
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明智光秀  佐目十兵衛屋敷 と書いた登りが立っていたのでそちらへ行ってみることに
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どうも屋敷跡らしい、鳥居というか門をくぐって十兵衛茶屋を覗いて見るもダァ~レも居ない、屋敷跡には
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淡海温故録(おうみおんころく)一番古い光秀公出自の文献の中の一節
左目(左目)このところに、明智左左衛門が住んでいたという。明智は本国美濃の者で、土岐成頼に属していたが、、後に成頼に背いて浪人し、近江国に来て、六角高頼を頼って寄住したところだ。
屋形(六角高頼)が言うには、「明智は土岐氏の庶流で旧家だ」といって扶助米を与え、2~3代もの間、佐目に居住したという。息子である明智十兵衛光秀に至って、器量勝れた者なので越前国へ立ち越し、朝倉氏へ仕えることを望んだ。その時(光秀は)往来の道中で「川流の大黒天」を拾い人にも語らずに秘密にしておいたが、好身(よしみ)の者どもの取り持ちで朝倉殿へのお目見えが調って、朝倉義景から二十貫を賜って屋敷も拝領した後に、近所の諸士や朝倉家への取り持ちをした人々等を祝儀に呼んで、参会の上で、かの拾った大黒天のことを(初めて他人に)語ったところ、衆人はみな「めでたいことです」といわった。明智光秀はそれを聞いて、「川流の大黒を拾って、どれくらいの幸せがあるとお聞き及びですか」と。人々に尋ねた。人々が尋ねて言うには「大黒を拾えば千人の頭になれると、古今言い習わしていますよ。ですから、あなたは、追ってお御取りたてされ者((頭)大將になられるだろう」と言った。衆人がみな退散したあと、十兵衛光秀が独り言していうには「私は千人の頭など全く望みにない。信仰して頼むといっても、わずかに千人に限られるのであれば詮のないことよ」と。そこで、大黒天を川へ流して、朝倉家へは、本国から尋ね求められたので帰りたい由を言い、暇を乞うて直に尾張国へ行った。尾張国では織田信長に属し、だんだんと立身して名乗りも惟任日向守と改め、丹波一国に加えて近江国志賀(滋賀)郡を添え賜って、大身の大名となった。兼ねてはさらに逆意はなかったけれども、不慮の思いが立ち出て、甲斐国武田家を語らって陰謀を図っているうちに武田勝頼が滅亡してしまったため、存念が相違してしまったのだと『甲陽軍艦』にもかいてある。そいしたところ、その年(天正十年)五月、徳川家康公が穴山梅設同道して上洛された時、信長公は光秀に仰せつけになった。その馳走の支度がよろしくないといって、信長がうずくまっていた光秀を足でお踏みになったという、光秀は、さては私の逆意を知って、このようになったのだろうと覚悟を決め、早速逆心したのだという。そうはいいながら、大恩を受けながら天の理に背いたことであるから、一人も与力・加勢する大名がなかったので、昔の古い好実(よしみ)を尋ねて近江国の先方たちを頼んだけれども、他には一人も同心せず、ただ多賀新左衛門、久徳六左衛、阿閉淡路守、小川土佐守、後藤喜三郎、池田伊予守の六人は運が尽きて同心し、山崎の合戦に敗れて没落し、皆零落してしまった。この中で小川土佐守池田伊予両人は理由があって秀吉に降参して当面は相続したけれども、最終的には両家共に断絶した。
とかいてあります。
この明智光秀は出自が定かではないと言われており、ここの説も一つの説と捉えるのが正しいのではないかと思います。
佐目の人達は、このことで村おこしをガンバッテやっておられる光景の一つです。我が近くの町福知山も明智光秀にあやかって町おこしをしておられます。
で、肝心な「佐目の出壷」が何処なのか地元の方に聞くと、トンネルの手前旧道を入っていったところにあるとのことでしたので峠を登っていくと、
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旧道は通行止めの鎖が張ってあったので、それならトンネル過ぎた後ろから探してみようと
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トンネルを出たところから右に引き返す道が付いていたので入ってみると
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滋賀鉱山・多賀鉱山所の私有地立ち入り禁止の大きな文字が、これで佐目の出壺を探すことは諦めて鈴鹿峠を越えて三重県側の名水を探すことに変更、しかし、滋賀県の代表的な水には載っているのですがサイトを探すも出てこず、佐目の風穴は書いてあるのですが・・・しかし、地元の方が言っておられたのである事はたしかのようです。
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鈴鹿峠「の雰囲気
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どんどんと登って行き、三重県側に入りました。
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三重県側の景色です
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滋賀県から鈴鹿山脈越えの3ルートはバイクツーリングには最高の場所でした。
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国道365号を左に曲がり黄金大橋を超えて少し行ったところに名水「水源地の湧水」があるそうだとのこと、そちらに向けて出発
立田公園トンボの池のあたりから細道に入っていく地図をたよりに、公園の先の脇道に入っていくと
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前のほうで何かざわついている、よ~く見ると
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またもや野ザルの集団、近くによってもガードレールに座って車の中を見るではないか、これはシャッターチャンスとばかりパチリと見出しの写真はここで捉えたモノです。しかし、少しは知ると地図では人家がないところなのに集落に入って行ったので、これはおかしいと「おじいさん」に尋ねると、この少し手前の脇道に入っていけば在るとのこと・・・で引き返し再度細道を探し入って行くと
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情報に出ていた写真の姿に到着、先着の方が水を汲んでおられたので間違いないとコンテナを下ろした。
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案内版が立てられており、地中300mの湧き水と書いてある、チョイと意味が分からないが、300mの地中から地下水をポンプアップしているのだろうと、余り気にせず汲むことにした。
「藤原町全戸の上水道水」と「水になう(担う)祖父は幻 暑き日を 水道工事の 鎚打つ音す」
そして、手前の方のカンバンには
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北勢を水で結ぶ三重用水
簡単に言うと、前を流れている員弁川から水を堰止め、水の少ない三重県北勢地方の農業・工業用水として使うための取水設備がこの下に作ってあると書いてあります。
300m地下の美味しい水をお裾分けしている設備である。有り難く戴いて帰ることに
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遠くには、最盛期300人余の従業員が働いていたという白石石灰鉱山跡が見えています。
で、次の水汲み場「聖宝寺の長命水」を探しに出発した。

「水源地の湧水」の独断と偏見の味評価は
石灰岩が出る場所であるから美味しい水である。透明感の喉越しが良くコーヒー本来の味を引き立たせてくれた水であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (*^_^*)でした
詳しい場所は



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