NO354:天吹山の霊泉

・・・と言うわけで伊賀上野の忍者屋敷に行ってまいりました。
と言ってもやはり名水も探しながらの探訪です。調べた結果伊賀上野の近くには、「清水の弘法の井戸」と「天吹山の霊泉」の二つが見つかりました。この二つは、南山城村方面から行った方が行きやすいようなので、京都縦貫道を木津市まで行き、そこから国道163号で三重県伊賀市に入るルートを取った。
初めに「清水の弘法の井戸」へ行ってから、伊賀忍者の屋敷へと行くことにした。
三重県の伊賀市に入ったまもなく、国道からそれて木津川沿いにアル「岩倉峡公園」のキャンプ場近くにあるというので、取りあえずその公園に行くことにした。
ソコは岩倉峡と名前が付いているとおり、伊賀上野の平地を流れていた木津川が山の中へ入っていった場所であった。

山から山へ吊り橋が架けられ、散策して渓谷の美を味わえる公園のようです。

駐車場の横に公園管理事務所があり「井戸」の場所を尋ねに行ってみると、
「ソコの井戸は今は涸れてでていませんヨ」との返事が返ってきた。ガク(T_T)
本来なら現場に行って確認するのですが、今回は行きたいところが多くあり、言葉を素直に聞いて引き返す事にした。
次なる目的地は忍者の館が在る、伊賀上野城に向かった。
伊賀上野城の周囲は上野公園と言う名が付いているとおり市民の憩いの場であった。その中には、伊賀忍者博物館・芭蕉記念館・だんじり会館等の観光施設が配置されています。
取りあえず、当日は駐車場が満杯でどうにか少し離れた公園外の駐車場に止めることができました。
ソコに置いてあった公園観光案内図を見ながら行き先を検索、先ずはだんじり会館へ足を向けた。

駐車場から旧上野市庁舎の横の通りを上っていき左へ行けば上野城方面、右に行けば「だんじり会館」方面へ、前方には

「だんじり会館」が見えます。近づくといわれが書いた意味深な池が見えてきた。

観光客は素通りしそうな池でしたが、この池のいわれが書いた看板が立っていましたので、撮してきました。

蛇谷堀(蛇池)の由来 昔この処に薬師の放生池とよぶ大きな沼地があった。
近世のはじめ、伊勢・伊賀二十二万石余の領主となった藤堂和泉守高虎が城郭普請をするとき、この沼を利用して東の内堀をつくることになり、工事にとりかかったところ、眼はほおずきの如く赤く輝き、長さ二丈におよぶ大蛇があらわれました。
里人たちの間で「山酸醤」とよばれ、この蛇を見た者は魅入られて生命を失うと言われていたので、夫役達が集まって殺してしまった。
それよりこの沼を「蛇谷」とよんだ。伊賀上野崇廣堂の「講官服部竹う」はこの近くに住んでいたので「蛇谷迂史」と号したのは有名である。
で、だんじり会館へ、このだんじり会館では忍者変身処となっていて、ここでみんな変身して出てくるるのである。
中では

この様な山車が9基在るそうですが、館内には3基ずつを半年ごとに交代させて展示されている様ですので、来館して下さい。

コチラは祭で行われる鬼行列の仮装姿が展示してあります。最近は余り聞かないが、我が地元では運動会のアトラクションに仮装行列が行われていたのが、ここの行列が原型かもと思いながら見学。
そのほか12分ほどの映像も放映されて祭の雰囲気を味わうことができます。余り詳しく写真を提供すると「だんじり会館」の営業妨害になるのでコレまで、関心がある方は来館して下さい。
そのほか子供達が次から次に忍者に変身して会館を後に、伊賀上野公園方面へ消えていきます。
我が輩も後について公園方面へ

そして元の分かれ道まで戻り、そこからお城の方向へ、途中

石段を上がって行くと、伊賀上野が松尾芭蕉の生誕の地だそうで

資料記念館が在りましたが、博学がないものでスルーと・・・

さらに進んでいくと

「でみせ」とか土産物店とかあるなか、

伊賀流忍者博物館公園に到着。ここで入場料800円を払い

忍者実演ショウも有るとの事なので、それもの出費となると合計1300円となるが、やはりショウが見たいので入場料も払わなければ入れない・・・との事
で忍者屋敷がコチラ

玄関には「くノ一の」人形のお出迎え

屋敷内に入ると

甲賀忍者屋敷と大体同じ内容ですので、雰囲気を簡単に紹介しておきます

コレは抜け穴ですね

忍者兄弟が思案中・・・何がカラクリなのかと

この様に忍者服部君がわんさかと・・・

コチラは忍者独特の武器:手裏剣
と、この位にして次なる処は

看板にも書いてある通り「ninja show] 入場前の行列

この日はコロナ過の最中であったが、久々の満席となったようでした。

開演前客席はまだまばらですが

開演時には大入り満員(ただし、一応詰めないように・・・とのこと)
では忍者ショウの始まり始まり・・・と紹介していきたいところですが、写真撮影禁止とのことで紹介はできず(T_T)
壁に貼ってあった新聞の記事でお勘弁を

最後に希望者有料で、手裏剣体験会もやってくれます。子供が挑戦です

その会場の横には伊賀忍者資料館が有ります。その中のジオラマを

関心のある方は、忍者ショウ同様現地に来て観光して下さいネ
その後、伊賀上野城方面に移動、歩いていると風流な門が見えたので

門をくぐっていくと、遠くに「俳聖殿」という建物が見えてきた

松尾芭蕉の生誕の地と言うことで建てられた重要文化財です

国指定重要文化財(建造物)
俳聖殿
松尾芭蕉生誕300年を記念して昭和17年(1942)建てられたもので、下層八角形平面、上層円形平面の木造重層で、屋根は上下層とも檜皮葺きである。
外観は、芭蕉の旅姿を建築に表そうとした建律の発意者川崎克氏の着想を、伊藤忠太博士の指導により極めてまれににみる和風建築としてまとめたものです。
上下層の屋根は、芭蕉の笠、その下部が顔を、下層の屋根は蓑と衣を着た姿で、堂は脚部に、回廊の柱は杖と脚を表現する。
堂内には、、芭蕉の等身大伊賀焼の座像が安置されている。これは長谷川栄作氏の原像をもって川崎克氏が制作したものである。
(平成22年12月24日指定) 伊賀市教育委員会
現在でも重要文化財二指定されていますが、句会に使用されているようです。指定されていても、現実に活用されている様ですので良いことだと思います。早々に切り上げお城の広場へ進む事に、途中見出しに出した「忍者服部君とくノ一忍者」の兄弟に出逢い、付き添いのお母さんに写真を撮っても良いですかとお願いすると、快くOK!それも子供達に向かって「ハイポーズ」のかけ声をかけてくださり

コレラのイイ写真が撮れたのでございます。後ろの「くノ一」の手元を注目して下さい(^_^)/
そしてお城へ

遠方から伊賀上野城へと近づき、お城の下まで来たところ

なかなかかっこいいお城であります。お城に入場するのはお金がいりますのでパス

ここから入って行くのですが、我が輩は引き返し広場を散策
紅梅の花が綺麗に

他にも「くノ一」嬢

チョイと派手げな服装であるが、コレはコレでカワユイのでござる。他にもこんな看板が目立ったので

ほんまかいな・・・と石垣を見に行ったが

何か他所のお城でも見たような看板、実際

ともあれ、お城の周りを一巡したので次なる目的地へと
ソレは市街から約十数キロの時点にある「地震の神さま」と慕われている珍しい「大村神社」です。
30分ほどして到着。ここの鳥居をくぐって上ります。

結構長道で

息を切らせてやっとこさ・・・と境内に到着

思っていたより大きな神社で、境内も広い

何はともあれ本殿に参拝してから境内を物色しようと

お賽銭を入れて、毎度同じみな「お祈り」をお願い下が、今回はそれに付け足すこと「震災免除」もお願いしておいた。
その本殿の後ろに配置されている宝殿は、国指定重要文化財の古い社
その右側には、地下深くいる「大なまず」を押さえている「要石(かなめいし)」が祀られている要社が有りますが、そこにいますのが

「願掛け水掛なまず」が見ることができます。
ゆるぐとも よもやぬけまじ 要石
大村神の あらんかぎりは
昔からこの呪文を唱えながら水を掛ける・・・とか?
大村の神
大村の神は、第十一代垂仁天皇の皇子で、今から凡そ二〇〇〇年程前にこの阿保の里にみえられました。伊勢の神宮を奉鎮せられた倭姫命の弟君にあたられ、 日本武尊の叔父君にあたられます。県下には倭姫命・日本武尊のゆかりの地や伝承が多く残っています。町内には、大村の神(息速別命)いこはやわけのみことの陵墓が阿保の西方にありヽ 俗に「親王さん」と呼ばれています。羽根には倭姫命の巡行の伝承があります。 又、当社の鎮座する地は、大村の神(息速別命)の宮室が築かれていたと言われています。 大村の神は、この地域一帯を開発・開拓された土地り守り神様として、また土地の鎮め・地震除災の守り神様として、 古今御神威を発揮され、遠き近きから多くの信仰を集めてきました。
先を急ごう
境内を見渡すと、神社に不似合いな鐘楼が鎮座している、

神社が古いので昔の名残の神仏習合かな?と思い近づいて見ると、何か曰くありげな立て札

虫食い釣り鐘
宮坊禅定寺の梵鐘
鐘の中に鋳込められた古鏡一面は大和国葛城の豪家の娘の愛用であった。
或る夜、鐘を守る若い寺僧の枕辺にその娘の女霊が現われその時から鐘乳がぽろぽろと虫が食ったように落ちだしたといわれる。
日本三大奇鐘の一つ諸願成就の響きは人々の心の底まで染みとおる思いがする。
どんな音色なのか・・・と中に入ってみた

変哲のない梵鐘であったが、願いが叶うのは多いほど良いと、本殿でも願いを掛けてきたがここでも一発ごぉ~~~んと打ってきました。もちろんコロナ過、下に見える消毒液は手のひらに万遍なく使わしてもらいました。お賽銭は忘れた(?_?)
で、最後の肝心な「天吹山の霊泉」を汲み行かなければ今日中に帰れなくなる・・・・?かも、との思いから切り上げそちらに向かった。
ソコは狸の焼き物で有名な信楽に通じる「伊賀コリドーロロール」という名前が付いた広域農道であるらしい。
近づくにつれて確か朝に「清水の弘法の井戸」の水を汲みにきた道を走り出していた。そのうちこの広域農道は山道に入っていった。
大きくカーブを曲がるとそうで出てきました。

案外簡単に見つかりラッキー、ここにも何かイワレノ或る看板が立っている

天吹山の霊泉
当地の水源は天吹山(あまぶき山)に発し、そこに竜神を祀る碑があります。
平成18年8月天吹の下流鷹ノ洞(たかんばら)より水を寄せて水汲場としました。
水源になっている天吹山は伊賀より甲賀にぬける七折道のある険しい山で、これより1,5キロばかり奥です。
高倉補陀落景勝会

コレが水汲み場でホースが設置されて汲みやすいようにしてあります。汲んでいると誰かが水を汲みに来られた様で、くるまないで待機されている様子でしたので、こちらもノンビリ汲まず足早に汲み終え、証に一枚パチリと

最後に待機されている方に挨拶をして峠を越して信楽に抜けて新名神により帰宅の途に就きました。
「天吹山の霊泉」の独断と偏見の水評価は
あまり特徴のない水でした。したがって
(^_^)/ (^_^)/ (^_^)/ (^_^)/でした
詳しい場所は
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