NO350:菰野町の「金谷不動尊の水」
2022年元旦
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます(*^_^*)

水を汲んで帰り道、気付かなかった石碑が目に付いた

地元菰野町出身の医師:漢詩人「伊藤冠峰」の碑であります。地元の名士のようです

冠峰の詩碑
伊藤冠峰先生は享保二年(1717)伊勢国菰野城下東町の絹物商清水笹右衛門の次男に産まれました。稼業の商売より学問を好み29歳のとき名古屋へ出て儒学を中西淡淵に学びました。同門の学友に有名な細井平洲・南宮大湫らがありました。医術を伊藤玄沢に修め、その妹と結婚して伊藤姓を名乗りました。名古屋において多くの学者、詩人と交わり、また諸国をめぐり優れた漢詩を作りました。
そして40歳の時、美濃国笠松に移り住み医業のかたわら子弟の教育と詩作に専念しました。天明二年(1782)多年の稿を「緑竹園詩集」にまとめ発刊しました。冠峰は生まれ故郷の菰野が忘れがたく、たびたび帰郷して御在所岳、鎌ヶ岳へ登り、その自然美を詩に詠みうたっています。その号の冠峰は鎌ヶ岳の別称に因むものです。冠峰は天明7年(1787)71歳で死没、笠松の法伝寺へ葬られまし。この冠峰歌は、ここより南にそびえる鎌ヶ岳の鋭峰を詠んだ詩であります。
この漢詩の訓読は
吾が州ノ山悉ク(ことことく)奇観一峰斜メニ聳(そび)エテ危冠ノ如シ奇ナル哉(かな)冠峰客盍(かくなん)ゾ遊バザル勝具(しょうぐ)ハ恐ラクハ少壮ノ秋(とき)二違ハン
秋(あき)去り春来リテ人代謝美(たいしゃび)ナル哉(かな)冠峰長ク悠悠(ゆうゆう)
よう分かりませんが(^_^;)
でコチラの山かと・・・鎌ヶ岳

で遊歩道を歩いてロープウェイ駅の入り口へ到着

で、お腹も空いたコロナので駅の食堂で

天空の牛丼をたいらげました

そろそろ下界が恋しくなってきたので下りていくことに

思いがけなく、「命水?」もゲットできたので満足で天空を後にした。
そして、ロープウェイコースの最高の眺めも観を修めて

地上へと無事に辿り着きました

ここから観れば気が遠くなる眺めでアル
と言うことで、天空の御在所岳巡りは終了、「金谷不動尊の水」探しに出発。
近鉄湯の山温泉駅の手前の踏切を越えた県道752号を走れば行けるらしい事は情報で分かっていたので、カーナビを観ながら走り県道というか山道らしき県道に入る

車がすれ違うことがやっかいな道だが、観光地が在るのか結構対向車も来るのである。後ろからは軽自動車が付いてきていたのですれ違いも結構シビアで進んでいった。
左に映る建物がリサイクルセンターのようで、ここを少し走ればあるとのことであったのでるんるん気分で進んでいくと

道が二手に分かれてしまっている。情報ではここまでは書いていなかったので、ちょうど後ろの系がすれ違いで四苦八苦して離れていたので、地元の方が乗っておられると思い、車から降りて待っているとしばらくして到着、観ればギャル2人組、ソレも名古屋ナンバー、たしかここは三重県、まぁいいか、と尋ねて見ると、やはり名古屋から来ているとのこと。ところが、こうこうしかじかと尋ねて観ると、二人そろってスマホを取り出し検索を掛けて下さいまして、左の道をもう少し行けば神社らしきものがあるので底ではないですかと親切に教えて下さいました。ありがたや、ありがたや今の若い人も捨てたモンデワナイな(^o^)とお礼を言ってお別れ。
我が輩はその後左へ進むと

お堂が見えてきた。車を止めて近づいて観ると

情報元の写真に写っていた石組みの水場が作ってありココであることが確証。しかし水が湧いている様子がなくパイプがお堂の後ろのほうに伸びていたので伝っていくと

お堂の後ろに意味深なコンコン様の石像が祀ってあり、パイプもここで地中に隠れて判らなくなっていた。
とのことで、水を汲み

無事二ヶ所目をゲット、後一ヶ所の鈴鹿山麓の湧水を探しに出発していきました。
金谷金谷不動尊の水」の独断と偏見の水評価は
軟水のようで、飲みやすい余り癖の無い水でした
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます(*^_^*)

水を汲んで帰り道、気付かなかった石碑が目に付いた

地元菰野町出身の医師:漢詩人「伊藤冠峰」の碑であります。地元の名士のようです

冠峰の詩碑
伊藤冠峰先生は享保二年(1717)伊勢国菰野城下東町の絹物商清水笹右衛門の次男に産まれました。稼業の商売より学問を好み29歳のとき名古屋へ出て儒学を中西淡淵に学びました。同門の学友に有名な細井平洲・南宮大湫らがありました。医術を伊藤玄沢に修め、その妹と結婚して伊藤姓を名乗りました。名古屋において多くの学者、詩人と交わり、また諸国をめぐり優れた漢詩を作りました。
そして40歳の時、美濃国笠松に移り住み医業のかたわら子弟の教育と詩作に専念しました。天明二年(1782)多年の稿を「緑竹園詩集」にまとめ発刊しました。冠峰は生まれ故郷の菰野が忘れがたく、たびたび帰郷して御在所岳、鎌ヶ岳へ登り、その自然美を詩に詠みうたっています。その号の冠峰は鎌ヶ岳の別称に因むものです。冠峰は天明7年(1787)71歳で死没、笠松の法伝寺へ葬られまし。この冠峰歌は、ここより南にそびえる鎌ヶ岳の鋭峰を詠んだ詩であります。
この漢詩の訓読は
吾が州ノ山悉ク(ことことく)奇観一峰斜メニ聳(そび)エテ危冠ノ如シ奇ナル哉(かな)冠峰客盍(かくなん)ゾ遊バザル勝具(しょうぐ)ハ恐ラクハ少壮ノ秋(とき)二違ハン
秋(あき)去り春来リテ人代謝美(たいしゃび)ナル哉(かな)冠峰長ク悠悠(ゆうゆう)
よう分かりませんが(^_^;)
でコチラの山かと・・・鎌ヶ岳

で遊歩道を歩いてロープウェイ駅の入り口へ到着

で、お腹も空いたコロナので駅の食堂で

天空の牛丼をたいらげました

そろそろ下界が恋しくなってきたので下りていくことに

思いがけなく、「命水?」もゲットできたので満足で天空を後にした。
そして、ロープウェイコースの最高の眺めも観を修めて

地上へと無事に辿り着きました

ここから観れば気が遠くなる眺めでアル
と言うことで、天空の御在所岳巡りは終了、「金谷不動尊の水」探しに出発。
近鉄湯の山温泉駅の手前の踏切を越えた県道752号を走れば行けるらしい事は情報で分かっていたので、カーナビを観ながら走り県道というか山道らしき県道に入る

車がすれ違うことがやっかいな道だが、観光地が在るのか結構対向車も来るのである。後ろからは軽自動車が付いてきていたのですれ違いも結構シビアで進んでいった。
左に映る建物がリサイクルセンターのようで、ここを少し走ればあるとのことであったのでるんるん気分で進んでいくと

道が二手に分かれてしまっている。情報ではここまでは書いていなかったので、ちょうど後ろの系がすれ違いで四苦八苦して離れていたので、地元の方が乗っておられると思い、車から降りて待っているとしばらくして到着、観ればギャル2人組、ソレも名古屋ナンバー、たしかここは三重県、まぁいいか、と尋ねて見ると、やはり名古屋から来ているとのこと。ところが、こうこうしかじかと尋ねて観ると、二人そろってスマホを取り出し検索を掛けて下さいまして、左の道をもう少し行けば神社らしきものがあるので底ではないですかと親切に教えて下さいました。ありがたや、ありがたや今の若い人も捨てたモンデワナイな(^o^)とお礼を言ってお別れ。
我が輩はその後左へ進むと

お堂が見えてきた。車を止めて近づいて観ると

情報元の写真に写っていた石組みの水場が作ってありココであることが確証。しかし水が湧いている様子がなくパイプがお堂の後ろのほうに伸びていたので伝っていくと

お堂の後ろに意味深なコンコン様の石像が祀ってあり、パイプもここで地中に隠れて判らなくなっていた。
とのことで、水を汲み

無事二ヶ所目をゲット、後一ヶ所の鈴鹿山麓の湧水を探しに出発していきました。
金谷金谷不動尊の水」の独断と偏見の水評価は
軟水のようで、飲みやすい余り癖の無い水でした
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした
詳しい場所は
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