NO353:御場泉

「南井泉」をブログに書くにあたりネットで捜し物をしていると、なんと近くに湧き水を利用して発電しているところがある事を発見(^o^)
「南井泉」を書き込んでソコを書かないと片手オチになるではないかと、再度時期を見計らって行ってきました。
ロシアのウクライナに対する軍事侵略に
反対します!!!
今、独裁者の行動を許せば世界の平和・民主主義が壊されていく!!!
今だ侵略が続いているが、人間の鎖でプーチンを包囲していこう( ^o^)ノ
甲賀といえば、伊賀と並ぶ戦国時代の忍者の国で知られています。前回時間があれば回ってみたいと思っていた「忍術村」に初めに行く事にした。
着いた所は山の中、もう少し近代的かと思っていたテーマパークが

やはり戦国時代なのか(^_^;)駐車場から靴の下に泥がつく状況の中受付へ

そこで入村料1100円

チーと高いと思ったが入ってみなければ判らないと思い入村。受付を終えて入って行くと

ひと山を切り開いて活用したようなテーマパークである。
ここで、「忍術村」の詳細を

忍術修行が行える
甲賀の里 忍術村
甲賀の里忍術村は甲賀町隠岐の山中にあり、自然の山野を利用した広大な敷地に、忍術博物館やからくり屋敷、手裏剣道場、水ぐも池などが点在し、忍者が潜む隠れ里の雰囲気を再現しています。
村内では、忍者衣装に身を包みながら石垣登りや手裏剣投げ、水ぐもなどの忍術体験ができます。
杉木立に囲まれた「甲賀忍術博物館」は、甲賀町隠岐にあった岡田家住宅を移築したもので、昔ながらの茅葺き民家を復現しており、館内には忍術三大秘伝書のひとつ「萬川集海」に載る、縄ばしごや水ぐもをはじめ、火矢や手裏剣などの忍具の数々が展示されています。その隣の民家は甲賀忍者であった「望月家」の建物で、甲南町柑子から移築したものです。柑子望月家は代々医者を生業としており、この家屋には中二階や隠し階段、上下に開く戸などが設えられています。また、どんでん返しや足払い、隠し部屋などの仕掛けが体験できる「からくり屋敷」甲賀町大原市場にあった藤林家を移築したもので、藤林家は忍術書「萬川集海」の作成に関わった一族として知られ、これらの三棟の民家は忍者の歴史を伝える建物として貴重であり、「甲賀忍術博物館建物群」として日本遺産の構成文化財に認定されています。
コチラの看板は

貸衣装:子供700円 大人1000円

この様な服装です。
少し山を登っていくと茅葺きの古民家風売店がでてきた。

お買い物の予定はなかったが覗いてみることに

やはり子供が喜びそうな忍者道具、しかし、コチラは

現代風土産物もありました。
そこから、斜め上に上がっていくと

次に向かったのは「からくり屋敷」

入り口に

旧藤林家 建築様式:木造カカヤ葺き造 建築年代:天保13年(1842年)
この家屋は約150年前に甲賀郡古場村(現甲賀町大宇大原市場)に藤林氏が上棟した民家で解体して移築しました
藤林氏は戦国時代に甲賀と伊賀の国境に本拠居を持ち忍術衆の巻として最も有名な「萬川集海」の編者でその序文に「甲賀郡隠士 藤林保蔑」と署名されています。
市場村藤林家は江戸時代の初期から総社油日神社の笛吹請員の筆頭であり子孫は甲賀に住まいして現在に至っている。
この建物は江戸時代の甲賀の民家の様式をそのまま伝えるものです
解体のとき床に天保13年の墨書があり建築年代の明らかな数少ない木造刈屋葦(甲賀ではススキを刈屋葦といいます)○○内部は三層となっています。屋根葦は秋刈のススキで五年目部分葺替をして30年目に総葦替をします。
では「からくり屋敷へ」

玄関を入ると「落とし穴」が掘ってあり普段は上に判らないように被せてある。その上に

天井から敵を待ち伏せして攻撃

土間の戸が回転する「カラクリ戸」写真のお兄さんは説明担当。このときは我が輩一人の説明であったので、無理をお願いして開いた状態を持って待っていました。

囲炉裏の下から抜け道が作ってあります。こちらの抜け道は掛け軸の後ろです

この時も後ろの壁穴が見えるよ・・・・・(^_^;)
そしてコチラから出てきたり

家の外に逃げたり

する「からくり井戸」であるが、梯子は別だそうです・・・・当時は縄ばしごだったかも?
という説明を聞き終えて、次なるは「甲賀忍術博物館」

たくさん展示がしてあったので簡単に

見れば判る、忍者が使っていた梯子の数々

水蜘蛛の当時の図、コレに乗って堀を渡っていく、コチラが実物


火打ち筒

連絡を取合う為の花火の筒らしい?

忍者の甲冑や服装
で、もっともっとたくさん展示されているのですが紙面の都合上コレまで。

忍者村の全体図デス、野外を回ることに

山の中を歩くのに迷子になってはイカンと家族連れの後ろに付いていくことにした

最初に出てきたのが「一本渡りの術」

子供達は身軽に渡って行くが、我が輩は老体のため骨でも折れたら帰れなくなるかも・・・と、頭をよぎったためパスすることに
次に出てきたのは、「綱渡りの術」

・・・と・・・何のことはないアスレチックのターザンロープウェイ今はやりの言葉で言えばジップライン、子供達が面白そうに何回も挑戦していたので邪魔するも大人げない・・・と、パス次に進むことに

コチラは手裏剣道場、今日は休店日なのか、入場者が少ないのか誰もしていないのでここもパス、そうこうしている間に出口に近づいていた

ということで忍術村の体験会はおわり
で、湧き水発電所へ
今回は住所が判っていたのでカーナビに入れて何処まで連れて行ってくれるか確かめることに

前回走った茶畑の中の道に連れてきた。この道をまっすぐ走れと指示している。そうで、目的地周辺とのアナウンスがあり周りを見渡すと

どこかの会社の作業工場の敷地のようで、前方は行き止まり、車を降りて付近を探してみると

それらしき案内板がでているではないか、しかし湧き水らしき設備が見当たらない。「御場泉」の説明を読もうと近づいていくと

左の方へ下りる道がある事が判った。とりあえず説明を読むことに

御場泉
倭姫命が、天照大神の御神霊を甲賀日雲宮に奉還され、土地に住む甲可翁が先ず大神の護神霊に供え倭姫命の飲用に献上された水がこの御場泉の湧水であると伝えられている。御場泉は、その後神泉と崇められ、神の水として尊ばれた。
倭姫命に従った官人供人の殿舎も、数千の人馬を養ってなお余りある名泉によりこの近くに建てられたという。後世斎王群行のおりも、この神の水は幾度と献ぜられた。
大正の頃、開発された明治川工事に依り水源を切られ、さすが名泉も水量五十分の一となり今は湧水は昔日の比ではないが、神泉の念は変わらない。
平成7年3月 土山町教育委員会
との事でありますが、読みにくい漢字のため苦労いたします(^_^;)
で、早速そちらの方へ向かって行きました。

坂道を下りていくと見出しに出した看板が目に付きその先の景色が目に入ってきました。

里山の原風景といった趣である。坂道を下りきった所に湧き水のため池が作ってありましたが

湧水の吐出どころは柵で仕切ってあり元で汲むことができず、結局ため池の貯まっている水を汲むしか方法はなく、雑菌の入った水を汲んで帰ることとなった。例の自然エネルギー活用事業の水力発電装置は探してみるのだが見当たらず、

どうも竹が敷き詰めてある下の方でキュウルキュウルと何かが回っているような音が聞こえる。おそらくこのところを水が通り水尾社を廻して発電しているのだろうと(^_^)vその電力で点灯しているLED灯がコチラに設置されていた

光っているのが判るかな~・・・判んねえだろうな~・・・現地は藪の中ゆえ薄暗く光もバッチリ光っていたのでありました。
次は、伊賀の忍者屋敷へ行ってみるのも面白いかも・・・と思いながら帰宅の途に就いた。
御場泉の飲んでみた水評価は
南井泉ニヨクニタ味わいであり硬水系かなと思われる水ですが、やはり原水に超したことがないので作画してあることは水汲み人としては残念でありました。ゆえに
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v にしておきます。
詳しい場所は
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