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NO345:(昭和)日本の名水百選「穴の谷の霊泉」

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「東福寺野自然公園」から下りてきた山麓の中程に思っていた以上の立派な駐車場に着いた。
まぁ宗教施設内にある湧水であるから当然であるのだろうが、我が輩は何処でもあるような宗教施設内の一角に細々と出ているものだろうと思っていたのだが・・・
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駐車場には十二~三台の車が駐車していた。参道らしき入口に受付があり、
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行って聞いてみるとこの先参道を400m程いったところで水が汲めるらしい。400mも水を汲んで持って帰ってくる事は我々老体にはハナッから無理な話である。・・・と、受付のおっちゃん「水を汲みに来たのなら、台車を貸し出している」とのこと、
それなら汲みに行けるとのことで台車を借れる事に、300円だったので払うと、駐車料も200円くれと催促・・・おとっと・・・高い水くみとなった(まぁ、何時も浄財を入れているのでまぁいいか・・・と)それ以外にも20Lポリ容器も販売していた。
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車に戻りペットボトルを台車に乗せて行こうとすると、一人が遠いので車で待っとる言いだし、二人で行くことになった。
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参道入り口には車が入れないようにバリゲートが、
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台車は元気なお供のご老体が押して行ってくれたので吾輩は手ぶらで歩くだけとなった。奥からは台車を押して水を汲んできた人たちに出会いながらの行程であった。
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参道も整備されていて、お友達もスイスイと台車を押して進んでいっています。天気も良かったですが林の中の道は気分爽快(*^_^*)
参道のあちこちには御地蔵さんがお出迎え、本堂が近づいてくると
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御覧の通り御地蔵さんの祠の行列!、ふと崖の下を見ると
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宿坊らしき建物が見えたが・・・・お地蔵さんの前には長~い石段が下に向かって
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えっ!!!ここを降りろってか(T_T) 身一つならたいしたことはないが、なんせ水の容器もアル。ペットボトルに水を入れてコンテナに入れると結構な重さになる。・・・と思案していると、石段の奥の方から台車を押して出てくる人がいた。チョイと見に行って見ると
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下からリフトが延びているではないか。はぁ~ん、これで水を上げてくれているのだなっと、これで水を汲みに下りること決定!!
石段の途中にはお堂が
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石段を下りて境内で写真を写した記憶はアルノだが残っていない・・・ので、薬師如来堂へ
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    霊場「穴の谷霊水」の由来
 その由来は、そして霊水とは・・・・・・
 昔、この洞窟に嘉永四年美濃国の白心法師がこの穴にて3年3ヶ月修行せられており、諸国からその法を聞き参詣人も多くなったと伝えられる。
 爾後、この穴での修行僧は数多く、近年では明治30年、能登の雲外悟道禅師が三年修行して、真の解脱を得た。このころから『行者穴』ともいう。また、昭和32年には広島の岡本弘真という女行者が訪れ、六ヶ年修行して「この穴の水は入巧徳水だ、病に苦しむ人に飲ませて欲しいとのお告げがあった」遺言して去った。
上市駅からスーパー農道を走り15分、ここ黒川集落から穴の谷までの参道には、33の観音像が並び、各行者をしのぶ碑などが多いことからも、古来からの霊場であることがわかる。
 穴の谷は砂岩と粘板岩でできた三つの洞窟からなり、第一の洞窟の正面に薬師如来のの石仏をまつり、その奥の洞窟から清水が年中つきることなく湧き出ている。
 このの水こそ、即ち『穴の谷の霊泉』なのである。
 霊水に群がる善男善女は、『薬師如来に病気平癒を一心に祈願して霊水を口に運ぶ』
 日々参詣者の絶えることない「穴の谷の霊場」の由来である。(しおりヨリ)
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この石仏の後ろに洞窟があり
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中は暗くて確認できませんでしたが、我々も美女の横で鼻の下を長くして水を汲むことにしました。水は冷たく美味しそうであった。
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それにしても、あの洞窟から湧き出る水量にしては多すぎる。なんせ4ヶ所の蛇口から出てくるのである。どうなっているんであろうか?
まぁそれはさておき、水を入れ終わりリフトで上げてもらおうとすると使用料がいるとのこと、何でもかんでもお金の掛かる処だと内心思いながらも、もって上がるにはチョイと我が老人2人にはチト荷が重すぎる(T_T)・・・・でなにがしかのお金を払い載せて上げてもらうことにした。
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できたら我が輩も乗せて上げてもらいたいところだが、それはダメだと
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で、我々は元来た石段をヒイこらと上り詰めて
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当たり前だが小屋まで行ってみると水は到着していた。もう1人の元気な老体が下ろして台車に詰め込みすたこらさっさ・・・と引き返していったのであった。
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帰り道は、水の入ったコンテナを載せていたが、下り坂になっていたため案外楽に押すことが出来た。途中
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緩やかな坂であったので、台車に乗ったりして童心に返り駐車場に到着。留守番をしていたもう1人のご老体は熱中症にはならなかったが車のドアを全部開けてのダウン状態。
昼飯もここで食べる予定をしていたのだが食堂も無く、下界に下りて探すことに出発。
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下界の交差点には大きな目印が・・・本来はこちらの道から行くのが正解のようであった。
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昼飯にはソバが食べたいと言うモノで、ソバなら山の方向だろうと剱岳の方向へ行くことにした。
あまり土地勘がないものでどこを走っているか判らずに進んでいると、川にぶつかった。
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アルプスの山々から流れ出して来ている水は透明度抜群
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どうも剱岳を源流とする早月川のようである。
ここに来るまでに食堂らしきお店が無く、さらに上流目指して探すことに、スマホの地図で見るとその先に「剱いおりの里」というレストランマークもあったので期待して行く事に・・・・・が、コロナの関係かお店らしい小屋は全て閉まっており・・・ガク(-_-;)
脇道があったので、そちらなら有るかも・・・・?と入って行ったが・・・あったのは
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なぜか「幸せの鐘」と書いたもの。その下には「せせらぎの小径」と・・・ここで「はりきり親父」の出番
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チョイと調べてくると、しばらくして帰ってきたが小径がづ~と続いてるだけだと・・
元の道に引き返しさらに山奥へ、次に出てきたものは
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お~きな砂防ダム、珍しく説明の看板が立っていたのでハイ、パチリと
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    早月川の砂防事業
 早月川は立山連峰剱岳(標高2999m)にその源を発し富山湾にそそぐ、全長45,2km、流域面積134㎢の2級河川です。
 本河川は平均仮称勾配1/11という超急流河川であることに加え、県内でも屈指の荒廃河川であり、昭和44年には最大時間雨量90mmを観測し橋梁流出や堤防決壊などの甚大な被害が発生するなど、過去、幾多の土砂災害を繰り返してきました。
 早月川の砂防事業は・・・・以下先を急ごう・・・と
しばらく走ると発電所が出てきた。
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写真を撮っておこうと車を降りると、「ゾロメキ神社という意味ありげな何か祀ってある祠が岩の上にある。チョイと興味が湧いてきたので
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そちらの方へ登って行くと、祠が設置された由来を書いた看板が
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    「ゾロメキ神社の建立由来」
昭和33年6月北陸電力(株)早月川水系関係者有志の発起により早月川水系水神殿を建立を計画し同年7月18日御神体を剱岳山頂より奉迎した。
これと相前後して治山治水事業に早月川奥部へ入山していた富山営林署早月川治山事務所の計画により、山神殿を現在地の上流に建立し9月9日雄山神社宮司により鎮座祭が行われた。
同地区に神殿二棟建立することの矛盾および山神殿の冬季管理と治山治水事業終了後の維持管理等を考え富山営林署長に訴え雷神を加えて山神 水神の三体を同一神殿に合祀する事になりゾロメキ神社と命名した。営林署造営の神殿を移設、鳥居の建立付近整地等を行い11月6日鎮座祭を挙行した。昭和59年5月社殿を改築し5月21日遷座祭を行い現在に至っている。
毎年春秋の二回北陸電力(株)と地元民が地域の繁栄と無災害を祈願して祭礼をとり行っています。
      祀ってある御神体
  須佐之男神(スサノオノカミ)
  大山祇神(オオヤマヅミノカミ)
  水波能売神((ミズハノメカミ)
  八雷神(ヤイカズノカミ)
なぜここに雷のカミが出てくるのか・・・ソレは電力の神なのかも?
と言うことらしい。そのとき元気印の親父さんが川を淹れて写真を撮ってくれと要望
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前の親父さんはさておいて、後ろの流れは清らかな流れであった。
気分は爽快であっても肝心な「お腹」は今だグーグーと泣いており、こんな山奥に食べるとこがあるんカイナ~・・・と3人
取りあえず行けるところまで行ってみようと、道端の標識には「馬場島」と、・・・元気印の親父ではない、もう一人の親父さんが「そういえば行った事があるところかも」とポツリト一言。話を聞いてみると、元気だった頃、剱岳に登りに行ったときに車を置いたところだったのではないか・・・との事、その親父さんも今では頭のポリープ摘出手術をし、立て続けに足腰が立たなくなる難病を発病し、なんとか努力をして歩けるようになった今であるのです。
と言うわけで山奥へ走って行くと
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駐車場に「剱岳」の立派な石碑が建っていた。本来はこの奥に剱岳が見えるノかもと思いながら一枚パチリと、そこから少し上ったところに
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ロッジのような建物が有り、剱岳登山の基地となっている「馬場島荘」であった。
レストランもあり、なんとか昼のオーダーストップにスレスレ間に合い、ソバと天ぷらセットを注文、腹が減りすぎてソバは2人前注文
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もう一人
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と言うわけで、腹も満足してくれて今日の予定は完了と相なりました。
帰る前に、チョイと馬場島荘周辺の紹介を
剱岳近辺のジオラマ
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テント設営地にある大岩
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碑文が埋め込んである神聖な岩であった。
その一
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昭和32年3月18日剱岳小窓尾根下山中遭難した甲南大学山岳部員福永隆一の冥福を祈り併せて岳人諸兄のご多幸を念願するため高岡市山本曇寿先生に託しこの像を刻む
昭和33年3月  父:福永貞治  甲南大学山岳部  有志一同
その二
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遭難碑:昭和34年12月29日小窓尾根にて遭難せる大阪工業大学山岳部蔵貞三君の冥福を祈り併せて全岳人の御多幸を祈る
昭和35年7月  大阪工業大学山岳会  大阪工業大学学生会  父:蔵 米吉
その三
追悼碑
故:牧 友久君(昭和35年5月2日)小窓尾根にて永眠
故:中山 常人君(昭和37年3月26日)池の谷にて永眠
昭和38年6月16日  魚津高校OB山岳会

共に冥福をお祈り致します。
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上の写真は難病を患っている彼が剱岳に登頂した際、剱岳山頂から立山の雄山を撮したものです。

独断と偏見の「穴の谷の霊泉」の水評価は
弘法大師の清水と比べると、ワンランク落ちるような水であったが美味しかった水である事は間違いなかった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。
詳しい場所は


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NO344:ぽつんといっけんや・近くの「弘法大師の清水」

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コロナ過に依りお休みしていた水汲みも、ワクチン2回接種を無事終えて、政府も緊急事態宣言の中オリンピックを開催するという意味不明の中で、それならば再会しても良かろう・・・と、NO330の時に行ったご老体3人連れで行く事となった。
その3人の中の一人が、テレビ番組の「ぽつんといっけんや・富山版」を見て、湧き水も出ているようで行かないか・・・とチョッカイを出してきたのが始まりであった。
春の緊急事態宣言下のなかの話で、今は行けない・・・と先延ばしにしていたのだが、書いたように様子も変わり計画を立てる段階になり、一ヶ所ではもったいないと、ネットで探して見ると近くにさらに有名な湧き水の出ているところが見つかり、予定としてその二ヶ所を回ってくると言う行程となったのでございます。
こちらをAM6:00時に出発して、滑川ICに着いたのが大体10:00過ぎであった。ルート検索では4時間半掛かるということででしたので、まあまあの時間。これから本来は上川町のキャチコピーが剱岳の町というもの。ホームページに剱岳ビューマップというものがアリ、
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マップで一ヶ所ぐらい寄ってから目的地へ行こうとしていたのだが、
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生憎剱岳方面は雲で覆われて見えず諦めてそのまま目的地の「ぽつんといっけんや・八十八」行く事にした。
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ICを下りてすぐぐらいに「八十八」の大きな看板にであい、この信号を左に曲がり山手へと入って行った。地図で見る限りでは麓から現地まではそう遠くないようだが「ぽつんといっけんや」おそらく道が細くて難儀をするのではないかとワイワイと言いながら走って行った。
現地に着くまでに、「東福寺野自然公園」という名の有名な場所の近くを通って行くようなので、先ずはそこを目指して山道を登って行きました。
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丁度分かれ道に到着。我々は左に入り進むとすぐに
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怖い看板にであい「ぽつんといっけんや」の雰囲気を醸し出してきた。
テレビに出てくるような山の中の細い道とはチト違うが
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こんな道を上っていくと、今回は天気が良すぎて富山湾までは見えなかったが見晴らしが良くなってきた。
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景色に見とれて谷底に落ちないように運転してさらに上っていくと、神社らしい建物が見えてきた。
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この辺か・・・と思っていると、立派な家が一軒有りました。
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「弘法の霊泉:八十八荘」と書いてあるように、ここのオーナーは、弘法大師の清水に惚れ込んでこんな山奥に料理旅館(民宿)を建てたとか・・・
若い頃、高野山でも料理の修業をしたということもアリ四国八十八ヶ所巡りの語句から戴いたというもの、一時はニュージーランド日本大使館でコックを勤めたり、ニュージーランドの国営レストランでもシェフの経験も持ってらっしゃるお方です。詳しくは「八十八のシェフ」の企業・店舗ガイド八番目を見て下さい。

で、我々一行は取りあえず水を汲む前に、お昼の予約をしておこうと「八十八」へ
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尋ねると、うちは予約しか扱っていないとの事・・・ガク(-_-
話をしていると、数日前には京都からや兵庫県の丹波市から泊まりに来て居られたとの事
昼飯は何処かを事に事にと変更し、「弘法大師の清水」は八十八から100m程先に見えていましたのでそちらの方へと。
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お昼を食べれなくなった、落ち込んだ気持ちを取り直し水汲みに。
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        「弘法さまと護摩堂」
 護摩堂部落は、今から1300年余年前から人が住んでいたと言われていて、その当時、付近の山野は猛獣毒蛇の巣にて人々が被害を被り困り果てていたのであるが、たまたま弘法さまがこの地に来て、住民の苦しみを憐れみ、住民の安寧を企画し、胡麻をたいて野獣の放逐を神にお祈りになった。以来、この地を護摩堂と、称えるようになった。
 弘法さまはこの地に来て、ある老婆に水を乞われると、老婆はいそいそと数町も隔てた峡谷を下って水を求めて来た。弘法大師はその遅かったわけを問いただされた。老婆は求水の困難なことを語ったところ、大師は深くこれを憐れみ、すぐ穴を穿ったが、不思議にも湧き水が流れ出た。
 今の弘法堂背後の湧き水がこれである。以来、1200年の間、今日に至るまで住民の飲料水となっている。
 こうして弘法さまは住民の福祉を祈って立ち去られた。まもなく村人たちによって弘法堂がつくられ、住民の崇敬のまととなった。
 今から50余年前さらに造営したのが、今の弘法堂である。今尚堂下に胡麻を焚いた痕跡を止めた大石がある。
 弘法様の遺書、遺品があったと伝えられているが、数百年前部落が全焼して詳細はわからないのが残念である。ただ由緒深い”粉ひき臼”一つ残っているのは幸いといわなければならない。
 昭和59年10月、富山県の名水20選に選ばれている。
こちらがその護摩堂です
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そして、「弘法大師の清水」の水汲み場ですが、
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その一段下にも水が汲めるようになっていました。
各自容器を持ってきていたので、それに水を汲んでいると、どこからともなく一人の男性が水を汲みに来ていましたが、簡単に写真を撮って水をたくさん持って帰るでもなく何処かに行ってしまいました。チョイと邪魔をしたかな~と気になってしまったが・・・
そして、こちらが護摩堂の後ろにある湧き水の出ている所でした
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・・・が、井戸になって厳重にフタがして管理されていました。
こちらは、同行お友達であります。
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といっても我が輩より7歳先輩でございま~す。水も汲み、一通りの写真も撮ったので、次の予定していた水汲み場「穴の谷霊泉」へと移動することにして、初めに見えた神社の前を通ってこの場から下っていった。
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途中「東福寺野自然公園」内を
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通って行くと近道になることから、入って行くと結構車が止まっており
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多くの人たちがレクレーションに来ている様子。なんでも、ここからの富山湾展望は一見の価値があるとか・・ないとか?
我々は、目的が違うので素通りして先を急いだ。
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思っていたより走りやすい林道を走っていくと・・・

護摩堂の「弘法大師の清水」の独断と変形の水評価
何時もの通りコーヒーを淹れての評価ですが、軟水の用ですが、まろやかでコーヒーが冷めても「甘み」が楽しめて美味しい水でした。
やはり、一流のシェフが見立てただけのある水だと納得いたしました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (*^_^*)でした。
弘法大師の着いた水汲み場所に書いてある説明文は、少しの違いはあっても内容は同じような意味である。遠く離れた地でも同じということは、その昔「弘法大師」を神格化する何か力が働いていたと考えたくなる歴史的な事ではないかと思えてきます。
詳しい場所は


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