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NO331:石清水八幡宮の「霊泉・石清水」

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大山崎町に「離宮八幡宮」という神社に水が出ているという情報を見つけ、この近辺には「サントリー」や、隣町島本町にある「離宮の清水」という名水が出ており、このお宮の水もさぞかし美味しいに違いないと水を汲みに行くことにした。
阪急大山崎駅の近くということでカーナビに設定するのが簡単で、近くまで苦労せずにこれました。
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駐車場も駅が近いということもありコインパーキング見つかり駐車。そこから歩いて移動
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大山崎町歴史資料館の前を通り阪急大山崎駅で~す。電車は高架で乗り降りは二回へ
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その通りにこんな看板を発見
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エゴマ油で繁栄した大山崎(鎌倉~室町時代)
エゴマ油はシソ科の植物です。完熟した実を乾燥させて絞り、油を採ります。平安時代(9世紀後半)に、離宮八幡宮宮司が「長木」という道具を考案してエゴマ油作りを始めたといわれます。・・・という看板を横目で見ながら進んでいくと
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離宮八幡宮へ着いた。境内に入って行くと
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河陽 祇園しだれ桜 との立て札、時期は過ぎているので美しさは無いが有名な桜カモ?そして
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本殿を見渡す横に
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先ほどの看板の主、「油祖像」が設置してありその横に説明図と共に解説が
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社伝によると平安時代、神勅により当宮の神官が「長木」という油しぼり道具を作ったといわれます。長さ約6メートルの八角形の柱を3本組み合わせ、油を絞るための部品を挟み込み、縄で締め上げてエゴマの実を押しつぶして油を作りました。
中世になると当宮の油神人は「エゴマ油」の製造・販売の独占権を認められます。山崎の油売りたちは日本中に材料のエゴマの買い付けに出向き、京の都に油を売りに行きました。
離宮八幡宮は「本邦製油発祥の地」として日本中の油商から崇敬され、今に至っています。
                 平成29年3月吉日
右のごま製造機の写真です。
復元模型は、「製油濫○」を初めとする資料を参考に、伝統建築に携わる技師、職人さんの協力と指導で完成した。
 手前の長木は実験的な搾油を重ねるなかで改良を加え、年々、搾油率が上がっている。奥の立木は直立する2本の縦木と横木の間にクサビを差し込み、両側から槌で打つことで横木を押し下げて圧力を加えていく。こちらは近代まで各地でで使われていた。
 長木、立木と共に縦の木は本来、全体の3分の1程が地上に出ている固定式である。模型は移動が可能なように地中部分を割愛して作成した。
というモノでありましたとの説明でした。
鳥居をくぐり本殿に参拝してから
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境内を散策したのだが、
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それらしき水が出ているところが無く本殿の左端に井戸があったが
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覗いてみたが、水はよどんでおり飲めたモノでは無い(T_T)で、社務所におられた巫女にしては年増な、おそらく神主の奥様に尋ねることにした。
ご丁寧に社務所から出てきて案内されたのが、こちら
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石清水と小さな名札が張ってありますが、先ほど見た井戸でした。曰く「JRの線路が神社の裏手を走り大山崎の駅舎が作られて河は湧き水も少なくなり涸れていたのを最近井戸を修繕して作り直した」とのことであった。その裏手の天王山には名神高速道路のトンネルも数本掘られ、我が輩が考えても湧き水は涸れる条件がそろっていたのである。奥様はそれより、八幡市にある石清水八幡宮は、元はこの地にありここから現在の地に行かれたのであると説明をして下さいました。
9月15日の祭礼は、この地から石清水八幡宮へ行列が出るとのことでした。(後ほど石清水八幡宮を検索掛けたところ9月15日が石清水祭となっており、この例祭は、葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられている。というものでした)
この離宮八幡宮の水を汲むことは断念、このままではブログを書くことができずに終わってしまうとの思いから、それでは八幡市の石清水八幡宮の水を汲みに行こうと決断!!!
というわけで、そちらの方に車を向けた。
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石清水八幡宮は、本来ならケーブルカーで上れば良いのだろうが、カーナビで検索すると案内してくれそうなので行ったところ、男山の麓は宅地開発で住宅街に変貌、細い道が縦横に走っており、カーナビ無しに一見さんが行くには道に迷うようなところを上手く案内して駐車場へ連れて行ってくれた。
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駐車場へ車を止めて参拝しようと歩き出すと、下から上ってきた車が駐車場に止まらずに素通りしていく、歩いて行くと
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階段をまたいで上の駐車場へ行けたのであった。初めてのモノは何も解らない(´∀`*)
というわけで、最初に目についたのがエジソンの記念碑であった。(見出しの写真)
そこには二匹の見張り猫が、サボって
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ぐうたらをしています。で、エジソンの関わりの説明板
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西暦1879年にトーマス・アルバ・エジソンが灯火のの革命ともいえる炭素白熱電球を発明しこの石清水八幡宮に生えている竹が電球の命ともいえるフィラメントの材料として最も適していることを知り電球発明の翌年から十数年もの永い間この竹を使ってたくさんの炭素電球を造り世界の人々に電灯のありがたさを知らされました。つまり、この八幡の竹が炭素発熱電球の実用化に大きな役目をつとめたのです。
そこで1929年に電灯発明50年を記念して世界各国で電灯黄金祭が催された時、日本もこれに加わり記念事業の一つとして電球の発明と切っても切れない関係のあるこの土地に記念碑を建てエジソンの功績を永久に讃え伝えることになったのです。
 最初に建てられたのはこの境内北側に続く場所でしたがエジソン少彰徳会の手で昭和33年ここに移され更に昭和59年10月に現在の姿にな再建されました。
こちらは石清水八幡宮の全体図です
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本堂へ行くところの横の方には
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何かの祭りをした後のような所を過ぎて、本堂の参道へ出てきました。
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その正面が
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本堂を正面に大きな「茅の輪」が設置されており、「水無月の夏越(なごし)しの大祓茅(おおはらいち)の輪くぐり」一年の折り返し、半年間の穢れをはらい後半の無病息災を願う儀式だそうです。
それを、我が輩も無病息災を念じてくぐり本殿へ
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平成28年2月9日に本殿初め10棟が認定されています。
楼門
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平成27年10月16日の文化審議会において、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い神社建築として、高い価値を有していることが、評価され国宝へと指定されました。
現在の社殿は徳川三代将軍家光の造替によるもので、日本三大八幡宮の一社であり、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟。現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模です。(石清水八幡宮HPより)
神社に行くと、回れる所はなぜか一周したくなるので、今回も行ってみることに、
本殿の周りを
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織田信長が寄進したといわれる土塀:塼(せん・瓦)と土を幾重に重ねているため耐火性・耐久性に優れており本殿を取り囲むように築かれています。
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御神木「楠」
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楠木正成公が建武元年(1334)必勝を祈願し奉納した楠と伝えられている。樹齢は約700年、京都府の天然記念物に指定されているそうです。
西門
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この近辺を歩いていると、丁度西総門からお美しい巫女さんが通られたので、石清水が何処にあるのか尋ねて見ると、 「頓宮」へ行く表参道に「石清水社」があるが、今は水を採ることができないし飲むこともできないとのこと、内心ガックし・・・ときたが、とりあえず行ってみることにすると返事をして先に進んだ。
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本堂の後ろで、この先の端が
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鬼門封じ:牛の角を持ち虎の毛皮を身にまとった鬼が 来ると言われる丑寅(東北)の方角
「鬼門」を封じるために、御本殿の石垣を斜めに切り取った造りになっているというモノ。
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一円硬貨の表の図案になっている木:おがたまの木
「招霊の木」とも書かれ、古くから霊力の宿る御神木として多くの神社に植えられています。
その実の形から「神楽鈴」が作られたとの説もあります。との事らしい
その横に東門
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こちらは一般信者の入り口のようです。西門は神職の出入り口かも
これで本殿を一周し、他にも紹介するところはありますが観たい方はご参拝して下さいネ。
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こちらの参道から展望台やケーブル駅へ、石清水社もこちらから行けるので行くことにした。
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分かれ道に来たが、展望台へ行ってみたくなったので左に入っていった。しばらく坂道を上がると
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展望台と言われる広場へ。今の時期桜も紅葉も何~もナイ。で展望は
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今一天候が良くなく近場は見えるのだがスッキリとした展望では無かった。京都市方向です。又元に引き返し
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石清水社へと降りていった。
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思っていたより立派な社であった。そこにあった案内板によれば
 石清水八幡宮は、もと男山山中から湧き出る清泉を神として祀ったのが起こりと伝え、平安時代の貞観年間(859~876)に奈良大安寺の僧行教が神託により宇佐八幡神を勧請し、石清水八幡宮と称したことに始まります。
 石清水社は、石清水八幡宮の摂社の一つで、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祀っています。現在も岩間から清水が湧き出ており、社殿の鳥居は寛永12年(1636)京都所司代板倉重宗が寄進したもの。とのことです。

ここで大山崎町の「離宮八幡宮」との関係を考えてみると、どうも祖師は同じ人物である「大安寺の行僧」であり、このあたりがどちらが正しいのか摩訶不思議な事である。我が輩はこれ以上立ち入らないことにする。

離宮八幡宮の歴史​[編集](ウィキペディアから)
貞観元年(859年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後に天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立された。

その後、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったので社名を離宮八幡宮とした。また、貞観年間に神官が神示を受けて「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされる。その後「大山崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して、多くの兵火に焼かれながらも江戸時代まで栄えた。

しかし、幕末「禁門の変」時に長州藩屯所が山崎にあったため、攻撃を受けて多くの商家とともに焼失。廃藩置県により社殿のすぐ西から大阪府に割譲し、さらに1871年(明治4年)に境内北側を国策による鉄道事業にささげ、境内はさらに縮小した。
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正面から見た石清水社で、その右側に天御中主命を祀っている摂社
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石清水は正面の社の中にありました
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本殿で出会った巫女さんはコロナ過で水は汲まれません、飲めません。との返事をもらっていたのでどうかイナ・・・と
しかし竹すだれの蓋の上には柄杓が置いてある。これは汲んでも良いという事なのだ!と勝手に理解をしすだれの蓋を開けてみると
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水の色を見て、これは飲めたモノではないな~と一瞬思ったが、ここで汲んで帰らなくてはブログが書けない、又ここまで来た甲斐も無になると考え、とりあず汲んで帰って飲んでみて飲めたモノでは無ければ捨てるということでペットボトル3本戴くことにした。
目的も達成できたし、後は駐車場へ帰るのみと同じ道は面白くないと、「表参道」で帰ることに
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こんな階段を上り、ペットボトル3本背負って上る老体には厳しく、やっとの思いで「三の鳥居」へ到着
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正面には朱塗りの門が見えてきて内心「ばんざ~い」と本殿には立ち寄らず駐車場へと・・・途中
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おみやげ「走り餅」のお店が、最近近所の方から野菜を沢山戴いた事を思い出し、買って帰ることに
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ここでもコロナ対応で、ナイロンのシールドにお金の受け渡し・・・(T_T)・・・何か味気ないと思うのは我が輩だけなのか?
で、帰って食べた所
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何時ものごとく食べて写真を撮るのを忘れかけ、ハイパチリ・・・チョイと分かり難いかも
薄皮餅であんをくるんだモノでした。有名らしいが・・・それなりでした。

霊泉・石清水の独断と偏見の水評価は
書いての通り、恐る恐る飲んでみると飲めない水ではなく、沸騰させて飲むから雑菌は大丈夫だし、古来から飲まれてきた水なので毒も入っていないだろうということで飲んでいたら、知らぬ間にペットボトル3本飲み干してしまった。ただ、普通常温で置いておくところを、今回は冷蔵庫に入れて保管、それを沸騰させて飲んでいた。というところで、本来は五つ星を上げたいところだが
(^-^)/ (^-^)/ (^-^)/にしておきました。
詳しい場所は


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