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NO321:南山城村の「野殿線の清水」(仮)

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暖冬といわれている2月の初め、珍しく雪が舞う中、京都府の南端「南山城村」へ山中に湧き水が出ているという情報を頼りに初めて南山城村へ足を入れてきました。
高速道路、京奈自動車道の終着地木津ICで降りて木津川沿いに南山城村へと・・・・笠置町の笠置大橋の河川敷近くに来ると
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河原の中に大群の自動車らしき姿、大橋まで近づき眺めてみると、どうも昨日からキャンプをしていた、無料のオートキャンプ場らしい。しかし、2月の初め、それも昨日から寒気がが降りて寒くなっており、家から出てくるときも雪が舞っていた。こちらは春の陽気になっているのかと思いきや、そんなことはない。後ほど出てくるが京都府の南の端にも雪が舞う比であった。
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感心しながら先に進んでいくと、道ばたで
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またまた、猿のご一行様と遭遇、国道163号木津市から伊賀上野へと続く幹線道路での話。車を止めるまでは、堂々とお猿さんも車を見物していたが、写真を撮ろうと車を止めると、何かされると思い一目散で逃げる・・・・・その姿しか撮れませんでした。(。-_-。)
そのうち南山城村との道路標識、先ずは南山城村内ではないですが、近くに有名な月ヶ瀬梅林が、奈良市内だが梅の花も暖冬の今年なら見頃だろうとよってからいくことにした。国道162号線から旧道を「大河原」方面に入り「高山ダム」を目指して府道82号線を走って行くと、レンガ造りの昔の発電所らしき建物が見えてきた。
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説明の看板には
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大河原発電所
大正のレンガ造りとして建築学的にも珍重されている大河原発電所は、大正八年12月に京都電灯株式会社により建造されました。
それ以降、関西配電株式会社に引き継がれ、昭和26年には電力再編成のため関西電力株式会社に引き継がれました。
現在も山城、奈良方面へ電気をおくり続けています。
また、発電所本館は昭和57年に
社団法人「日本建築学会」より、全国の建物約二千棟のなかに選ばれています。
                    南山城村商工会
という値打ちのある建物で、今でも活躍しているところがスゴイ!!
上流に向けて車を走らせていくと、道縁に小さな滝が
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上の方はなぜか人工のコンクリートになっていますが、下の方は大岩を水が伝って流れ落ちています。実物では、チョイトいい感じでしたヨォ(*^_^*)
そこから少し上流の河原には
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カヌーで下れば楽しそうな瀬がありましたが、昔の人は「明神の滝」と言っていたらしい。
 老松ややサツキの生えた巨岩が木津川の河原にあり、地元の人は白滝明神という。この地域、滝と言っても川幅が狭くなり急流をなしているところで、雄滝・雌滝と古くからいわれている所である。
 古く奈良朝より木材供給の水運上重要な木津川の中でも、ここから笠置浜までは筏流しの最大の難所であり、南部高層が何回も笠置寺にこもって水運を開いたとの古文書も残っている。また、和州神野寺の僧も何回となくこの地を訪れ、河川の祈祷をしたと言い伝えもある。この付近の河原は薪炭のの集荷地でもあり、江戸時代には「滝の鮎」と称された鮎の群集地であった。
        南山城村教育委員会
と書いてありました。今は上流に高山ダムが造られて水量は調節さえているので少ないが、当時はもっと多かったのかも
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上流から見た様子。以前カヤックを楽しんでいた我が輩は、こんな瀬を見るとアドレナリンが最高潮に\(^o^)/
さらに上流にも
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昔話が残っていることが書いてありましたので、紹介しておきます。
夢絃峡
伊賀川と名張川が静かに合流する木津川のみなもと。
平安のむかし、大和の国司絃之丞名張郡司の姫・夢姫が熱烈な恋愛に落ちましたが、親に反対され許されない恋と知った二人は永遠の愛を誓ってこの谷に身を投げたという美しくも悲しい言い伝えがあります。
二人の名前にちなんで名付けられた「夢絃峡」は静寂な景勝のこの地の地名になっています。
      南山城村商工会
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そして、高山ダムに到着。
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高山ダム
総貯水量:5680万㎡
堤高:67m
総事業費:115億6千万円
 全国的にも珍しいアーチ重力式コンクリートダム。
 昭和37年の基本計画決定から様々な困難を克服し、昭和44年3月に・・・おける最初のダムとして完成しました。
 洪水の防止・かんがい用水・都市用水の補給・供給、発電など多目的事業が図られています。
 周辺には桜、ツツジが咲き乱れ、ハイキング、釣りも楽しめます。
                      南山城村商工会
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で、このダム湖が月ヶ瀬湖になり、ここから辺から木津川が名張川へと名前が変わっていくようである。もうすぐ月ヶ瀬梅林があると注視しながら走っていると
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道ばたに梅の花が咲いている通りに入ってきた。もうすぐあるぞ~・・・と思いながら走っていると、三叉路に突き当たった。
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梅まつりと書かれたのぼり旗が立ててあり、道路標識に右に行けば「柳生・奈良公園」左に行けば「名阪国道」との字、深く考えないで、公園と名がついた方へ右折していったのであった。これが間違いの源で、すぐ公園があると思いきや
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梅の畑ではなくお茶の畑であった。もう少し上っていくと、やはり
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茶畑である。それも結構大々的にお茶の生産をされている様子。この辺は奈良県の月ヶ瀬、跡で分かったのですが、奈良市の範囲で、奈良公園というのは鹿のいる公園のことであった。そんなことは知らず、そのうち出てくるだろうと、どんどんと置く絵入っていったが、やっぱり
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そのうち、高山ダムではないダムの所に出たりして、現在地が分からず、時間も過ぎていき、月ヶ瀬梅林は断念。(T_T)
これも家に帰ってから写真を調べると、高山ダムの案内地図に
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地図を見ると、標識を右に曲がらずに、左の方へ月ヶ瀬湖沿いにいけばあったようである。我が輩の癖で、だろう運転で進むためおおにして間違えることがあるのである。お詫びに観光協会の写真を
月ヶ瀬梅林
引き返して、南山城村の道の駅へ
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道の駅で露天商のイチゴ大福をかって、食堂「おしはら」を訪ねで、駐車場で腹ごしらえ
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この近辺も茶畑だらけ。そして教えられた食堂へと、道を引き返し
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木津市の方向からではわかりにくい建て方であった、今はやっていない「食堂おしはら」の横道を、この細い山道を登っていけばあるらしい。
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山道を登り始めてふと見ると
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山の上の方まで道が延びているガードレールが白く見えています。(見えるかな~?)とりあえず上っていきます。
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東海自然歩道の看板を横目で見ながら上がって行くと
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九十九折の踊り場に来ると正面に情報元の写真に出ていたものが・・・やった!!と、実際確かめるまでは確信が持てない内容だったことからホッ・・・とした。
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何時から設置してあるのか、朽ちかけた竹を半分に割ったトユの先から水が流れ落ちている。刺してあるしてある元を見ると
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流れてきた水を受け止めて竹のトユにながしているので山水(沢水)かな?と思って
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上の方をみてみても、谷間にはなっているものの上の方から流れてきている様子はなかった。
おそらく伏流水ではないかと思いながら、ここまで来たのだから汲んで帰らないわけにはいけないと・・・、車からコンテナを下ろして汲み終わること15分、帰ろうとふと杉木立の中を見ると
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コンクリートで水溜のようなものの中から水が出ているのを発見(^-^)/
やはり、こちらの水も持ち帰りたいと行ける道を探してみたが、車を止めていた広場から2mほどの深さの沢に、三本ほどの丸太が束ねて橋の代わりに架けられていた・・・・が、よ~く見ると丸太は永らく誰も通っていないのか朽ち果てかけており、そこを渡っていくべきかどうか・・・思案すること30秒ほど・・・・・渡っているときに丸太が折れて2m下の谷底へ・・・・落ちて足の骨でも折れて動けなくなれば、我が輩一人・・・・・誰も助けてくれる人もいなく・・・・・人も何時通るやら・・・・といろいろと走馬灯のように頭の中を駆け巡り・・・・で、結局無茶はやめようと決断!!
それ以外どこか上って行くところはないかと探したが、どこも高く無理して上ると、服やズボンが汚れること請け合いであろう。
ということで、泣く泣く新たに見つけた水は諦めることにした。
目的は達成したが、道はまだ上に向かって延びている。標高4~500mの山の現在地は中腹ぐらい、何時ものことだが行けるところまで行ってみようと
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右側の道へ入っていった。九十九折の道を上っていくと
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大分上の方まで上ってきたのか、遠くの山々が霞んで見える。標高も高そうだ、さらに上っていくと
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雪が道ばたにうっすらと積もっている。こんな所まで来て積もった雪を見るとは・・・と思いながら行くと峠にさしかかった雰囲気
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ところが、峠を越えた辺りから急に道が良くなり広くなった
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これは何じゃ?・・・と、さらに先へ行くことにした。
しかし、下界では降ってなかった雪が山を上って来ると降ってると言うことは、結構高いところまで来たのだろうと思いながら進んでいくと
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急に田んぼと民家が見えてきた。こんな高い山の上に・・・と思いながら進んでいくと
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集落の入り口に道路標識が出ていた。
直進:信楽・童仙房 右:島ヶ原(南山城村中心街) 左:和束町  童仙房は後ほど知ったのですが、茶畑で日本遺産第一号に認定されているそうです。で、集落を抜けるとまたもや
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雪道状態、そこに案内板
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それを見ると、この天空の集落は「南山城村:野殿」と書いてある。その横には現地の地図
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その脇に、高麗寺と韓国風の寺院の写真、で、こんな看板
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ハングル文字とともに高麗寺、ここに来る前に南山城村の観光情報を見た中にそれはあった。が、その時点まで忘れていた。
これは行かなければと
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林の中を進んでいくと三叉路に
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高麗寺のコンクリートの案内、左に曲がり進んでいくとまたもや小さな集落が現れた。
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高麗ハイツ下には、ハングル文字・・・・ということはこの辺一帯は朝鮮半島の出身者の集落なのか?なぜ、こんな辺境地に集落を作られているのかなと疑問を持ちながら、高麗寺の案内の細い路地へ入っていった。
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すると、遠くに異様な風景が見えてきた。階段の下に駐車場がありそこに車を入れて
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石段をああって行くと
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周り一面に装飾された「高麗寺」が現れてきた。横から見れば
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アップをすれば、軒下の宝飾が極彩色で日本では珍しいお寺です。
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ちょっと分かりずらかったようです。説明では
「宗教法人曹渓宗高麗寺は韓国伝統仏教の教団です。在日同胞に対して精神的、宗教的な文化の向上をはかり、世界平和と韓日両国の文化交流の広場にするために、1974年11月15日、に日本国の宗教法人の認可を得て、宗教活動をしています。」
最近日韓の関係は思わしくありませんが、太古の昔から繋がりは深く友好的な繋がりにもどってほしいものです。
境内には鐘楼もあります。日本と同じですね
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ちょいと見えにくいが、ぶら下がっている鐘はバカでっかいです。詳しくは「高麗寺」で
で、また来た山道を下界まで降りて帰宅と相成りました。

独断と偏見の「野殿線の清水」(仮)の水評価は
湧き水か、沢水かはっきりしないが、おいしく飲めました。で
(*^^)v (*^^)v (*^^)v (*^^)v (*^^)vデス
詳しい場所は






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