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NO336:滝の水

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福井県の小浜市内に行ってなかった名水があるという事を発見。早速行ってみることにした。
と言うのも、以前からお友達にお寿司の美味しいところがあるので、一度案内をするとの約束をしていたのです。
で、連休ということもあり、お友達と行く事になりました。
お寿司の美味いところは、以前も書いたことがありますが、小浜の観光スポット「蘇洞門(そとも)巡り観光遊覧」の発着する「若狭フィッシャーマンズワーフ」の中にある「とれとれ寿司」であります。
当日、ここでお寿司を食べて、観光船が蘇洞門周りをしていたら乗って観光してくる、その後湧き水を探しに行く計画を立てた。
昼前後に着いたらということで、AM10時過ぎにこちらを出発、約1時間ぐらいで市内へ入り11時半ぐらいにフィッシャーマンズワーフ
に到着。
お友達を車に待たして我が輩は様子を見に、と、予想はしていたが、それ以上の観光客でごった返している。とりあえず観光船が蘇洞門周りをするのかどうか確認(今まで三回ほど蘇洞門回りに挑戦したのだが、海が荒れているということで行けず)、今回は幸運にも出ているようであった。それ幸いと
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切符売り場に並んで買うことにした。並んでいるのだが一向に前に進まない、コロナの関係でみんな密になることを嫌いイライラ、切符を12時30分用を売り出すと言うので、期待して待っていると、コロナの関係で定員の50%のみの販売という。まぁ船の定員は多いので買えるだろうと待っていると、我が輩の三組前までで、お・わ・り・・・ガク。次は1時出発用の切符であるが、すぐに売ってくれない(^o^)頭にきたので事務員に詰め寄ったら、前回の切符の集計と金額の集計が合ったら、次の切符を売り出すとの事、なんちゅう販売方法だと、決まりだと言われシクシク次回の売り出しまで辛抱強く待つことに、余り広くない待合室もごった返しており、こりゃコロナも感染するわ~~~と思いながら無事切符を2枚入手。時刻は12時半になっていた。
お友達と寿司を食べに行くと、こちらも混雑、コレは食べていたら乗船できへん・・・と、結局竹輪をかじって待つことに。
時間が来たので船の方へ
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みんな船に乗っており、我々が一番最後、まだその時点では5分前ぐらいであったが・・・
さて、出航
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しばらくしてからの岸壁方面
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うねりは無く快適に外海目指してまっしぐら。
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前に見える小浜湾を造る半島、向かって右の半島は内外海(うちとみ)半島、左の半島は大飯町内の大島半島と言うらしい。
その大島半島の尖端近くには「大飯原発」が立地している。
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遠くに見ながら観光船は進んでいき外海へと
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少しずつうねりの関係か船が揺れだした。そうこうしていると半島の岩肌も粗々しくなってきた
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この岩には名前がついていたのだが忘れた。蘇洞門に着いたら当日の船長の判断で接岸してくれるらしい。
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ここにも大きな岩の窓のような穴が開いているが、ここはまだ蘇洞門の穴ではないのです。
完全に外海へ出てしまうと、うねりも大きくなり、船首もはねて
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時たま、波が船の窓枠にかかってくる。
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こちらの岩は、「あみかけ岩」と言うらしく、岩に網目のように亀裂が入り、まるで網を掛けたように見えることからきた名前
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こちらの滝は、一年中水量が変わらないと言われる「白糸の滝」案外源流は湧き水だったりして・・・と思いながら
そのほかの奇岩もいろいろと説明を受けたが・・・今はもう・・・
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そのうち蘇洞門巡りの最大の観光スポット大門・小門
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ここを覗くと奥に滝が見えます。こちらは
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今日は波の関係で接岸できない事から近くまで寄ってゆっくりと見学させてくれた。門の奥には階段が見えます。
と、言う事で、ここで引き返し。帰りはハイスピードで
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波しぶきも凄い。次のお客が待っている・・・と言いたいように
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もうすぐ到着デス。お客さんも下船
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最後に我々も下船して、さて「とれとれ寿司」へ、お客はものの見事減っていたが、寿司のほうも減っていて食べることのできる寿司は、出来立ての一種類の寿司だけ。持って出てこられたのは、パックにアナゴのような魚が載った寿司だったが、あまり食欲をそそるような寿司ではなかったが、腹のほうが鳴っていたので食べるハメに、
本来は、スーパーで売っているようなパックづめしたニギリが沢山出してあり、食べたい物をを買って横のテーブルで食べるのである。そこには自由に魚のガラを入れた味噌汁が無料で飲めるサービス付きであったが、これも「コロナ」の関係か中止であった。
お友達を連れてきた甲斐がなかったのでした。
それから、名水探しと市中に移動して行ったのでした。
「滝の水」と命名されているので、さぞ立派な滝なのかと思うのだが、情報元の写真ではそうでもない。場所は地図が出ていたので分かりやすく、国道27号線のトンネルの場所の市街地側。そのあたりに行ってみると、車がすれ違うのがぎりぎりの道幅で回りは住宅街で家以外それらしき様子も見当たらな。ちょうど、畳屋のオヤジがしているのが見えたためお尋ねした。
近くに鳥居が立っていてその路地を入っていけば分かると教えてくださった。
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この写真の奥のほうに鳥居が見えるのが分かると思いますが、そちらが住宅街で、こちらが路地の奥のほうです。で
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路地の突き当りの方向の風景。JRの線路の下を入っていくと
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それらしき雰囲気の場所が出てきた。
石垣の上の建物は「金毘羅神社か瀧不動尊」の御参り処で、滝の水は
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裏山から湧き出ている水を、うまくエスロンパイプで受けて水槽へ送っている。水槽には2つのカランが付けてある。これだけの設備を造られているという事は地元民から大切にされていることの表れである。しかし、滝がナイ、水が湧いている場所は
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どう見ても元は滝があったという様には見れない。なぜ滝という名前になったのか?・・・と思ったら、小屋の壁に云われの書いた額が掛けてあった。
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名水滝の水の由来
この滝の水源はどこにあるのかだれも知らない。
この水の質は清くて酒を造ったり、お茶に使ったりしているが以前は近くの町家数百軒の飲料水になっていた。
むかし京都天竜寺の僧策彦が唐(今の中国)へ行くとき、日本のみやげ品をたずさえて行き歳を経て味のかわらぬ酒をこの清水で造った酒であった。
策彦はこれをとっても喜び「竜瀑酒の記」を書いたと云う。これより名が高まり、女の子の手まり歌に「筆は三対、すずりは二対、水は若狭の滝の水」とうたわれた。
これから滝の名前の由来が分かり納得して帰宅の途についた。
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「滝の水」の独断と偏見の水評価
程よい香水でコーヒーがおいしく飲めました。小浜市周辺の湧き水は相対的においしくコーヒーが飲める良い水です。先般行った喫茶店も「豆も水も」よかったからか(水は水道水らしいが)おいしく飲めた。
詳しい場所は



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NO252:小浜海岸の「津島名水」

2018,1,22小浜方面 155-4l
耳川から小浜市内へ戻ってきて四車線の道を走っていたら、右のドラックストアーから一台の軽自動車が吾輩が走っている二車線の方に斜めに合流してきたので、吾輩は二車線の左側を、その車は木々側の車線へ入り吾輩と同じ進行方向へ行くものだとその車を運転しながら見ていると、右側の車線に入らず左にあるスーパーの駐車場へ一直線、吾輩は急ブレーキとハンドルを左に切り歩道へ乗り上げる始末、すっての所でぶつかるところでしたが、ナントか難を逃れ無事、相手の車も駐車場内で止まったものの動転しているのか動こうとしない、吾輩も気を落ち着かせ、何事もなかったのでそのまま道へ向きを変え出発した。しかし衝突していたらどうして帰るのだろうと思いを巡らしながら走っていると、前にも記事にした海岸べりの湧水「平成の名・水雲城水」の所に着いた
2018,1,22小浜方面 150-4z
海岸が横に在りながら「真水」が出て来る湧水か地下水でしたが「津島名水」もこの近くに在る情報。同じ水脈かも知らないが、こちらは脇道にある事から、車で汲みに来る時は便利が良い。
2018,1,22小浜方面 158-4z
直Drン距離にして300m在るかな鹿の場所でした。
行くと30代前後の女性が、小さなペットボトルをたくさん持ってきて汲んどられた。聞くと、ちょうどこの手のペットボトルガ扱いやすいとの事でした。写真を撮るのに顔を向こうに向けておいてくださいと、撮影の許可をいただきハイ パチリと。二つ吸水口は有るものの、せまくて終え在るのを待って吾輩も汲む事に、水量も豊富に出ていました。
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「ふくいのおいしい水」認定書」が貼ってあり、平成25年9月5日認定されているようでした。
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水質検査表も貼ってあり安全である。
さて、最後に美味しい昼ご飯を食べに出発。
そこは
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小浜の観光名所「蘇洞門巡り」の発着場「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」
店内は
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玄関を入って物産館の右手奥に
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寿司・鮮魚のコーナーがありますが、一回目の時には、二階がレストランになっており昼飯はそこで食べようと・・・・その前に少し中を覗いて見ようと入ってみたのが運のつき、美味しい握り鮨やら新鮮な刺身が陳列
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小浜特産「鯖寿司・焼鯖」である。少なくなっていた。
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こちら並の盛り合わせ
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こちらの方は上にぎり・・・・と、
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カウンターの方へ目が行くと、「寿司・刺身等を、お買い上げのお客様の限り『お茶・味噌汁はご自由に召し上がり下さい』とかいてあるのが目に留まり、すぐさまここで食べる事に決定。それから好きな握りの盛り合わせを買い、その時はカニの足が入ったカニ汁であった。汁もさることながら、握りが新鮮で美味いこと美味い事、一回目の時は連れ合いは刺身も買ってきて食べていた。
で、二回目もここにきて食べたという事
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腹が減っていたので食べるのに真剣\(^o^)/写真を撮るのを忘れていたが為残り一切れでハイパチリと、その時は一人であったので、マグロのトロの握りを食べた・・・・・・と言う事は「相方」さんには な・い・しょ にしておこう(*^。^*)

こちらは、我が地元の大江山の新雪  こんなのは撮れるのが珍しいのでみて下さい
大江山連邦
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鍋塚
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左が最高峰千丈、右は赤石岳
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「津島名水」の独断と偏見の水評価は、雲城水の時は美味しいと思いましたが、それからあちこちと名水を飲みまくったおかげか、マアマアの味ぐらいしか思えなかった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v

詳しい場所




NO250:若狭姫神社の霊水「桂の井」

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で、前回の続きで水の流れを追って行きます。
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更に集落から流れて
2018,1,22小浜方面 048-2x
はずれに到着
2018,1,22小浜方面 049-2c
ここから地下水路へと。
その前に、ココの集落には
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鐘楼が集落の入口にあったのです。見ていると、お婆さんが散歩にやってきて「どうであるのか知らないけど、除夜の鐘をお寺ではなくここに着きに来ている」と説明してくれました。
銅造梵鐘と書いてあり、
小浜しの文化財
 遠敷の若狭彦神社上社の手前、約200mのところ、道端の鐘楼に梵鐘がある。竜前区が管理しており、集会の時に撞く位のものである。
 江戸時代初期、音無川の岸にあった。


上廻り 160cm
下廻り 220cm
高さ 105cm
直径 外 71cm 内 57cm
竜頭高さ 20cm
竜頭幅 20cm
竜頭から下まで 125cm
撞坐廻り 225㎝

の大きさの銅鐘である。
 銘は「若狭国鎮守一宮 暦應亖年辛巳九月廿三日丁酉大願主法眼和和尚位圓海」と刻まれている。若狭一の宮(若狭彦神社)に奉納されてあったものを、明治の神仏分離の際、神域から運び出し、以来竜前区が管理するところとなって現在に至ったものである。
 なお年号は「暦應亖年」と刻まれている。辛巳は暦應4年(1341-南北朝時代)に当る。亖年と書いて4年と読ませることは外にもあり、その一例としてまことにおもしろい。
2018,1,22小浜方面 103-2m
さて引き続き「御神水」の流れを追手行く事に、水門の様な所からは地下水路となり
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県立若狭東校、辺りでまた顔を出し
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一部が若狭姫神社周辺へ
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集落の水と若狭彦神社の「御尽瘁」が合流
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して、若狭姫神社の前を流れてきたのでした。
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若狭姫神社の
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参道、彦神社より短いと思ったら
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本来は、家並みの中に埋もれている鳥居が100m程先に、近代化により、おそらく境内の一部を道の拡張に提供された事の様である・・・・・・と吾輩は解釈したのでありました。
境内に入る前に若狭姫神社のイワレを
2018,1,22小浜方面 061-3e
由緒記
名称:若狭国一宮
    若狭彦神社下社
又は、若狭姫神社、遠敷神社とも称し上社を併せて若狭彦神社とも上下宮ともたたえる。
   延喜式名大社
祭神:若狭姫大神
    竜宮伝説で名高い豊玉姫命を若狭姫大神とたたえて奉祀する
所在地:福井県若狭国遠敷郡遠敷村遠敷
     昭和26年町村合併より小浜市遠敷となる
創建:奈良時代養老5年○酉2月10日
    昭和58年より1262年前
祭日:下社 3月十日
    上社10月十日
その下にいい言葉が
        安全運転の誓い
:自動車は、車体やタイヤの原材料である鉱物、植物、加えてガソリンという天地自然の恩恵、人間の尊い勤労とにより生みだされた「神霊の宿る生きもの」なのです
車を買ったら、浄めのお祓いを受けて、若狭路を走りましょう
との事、私事で申し訳ありませんが、先日車を購入「天橋立・籠神社」でお祓いを受けてきました。
吾輩は神は信じていませんが、「自分の中に宿」と思っていまして、自分の心に言い聞かせているのでございます。
交通安全で運転するようにと・・・・・違反もして、今までに結構納税もしていますが・・・・(~_~;)
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日本全国パワースポット
若狭の旅 入口はこちら
①二宮、下社姫社(当社)
②一宮、上社彦社(南1,5km)
を横に見ながら石橋を渡り境内に
左に、手水舎
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右にも、手水や
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右のは現在使われておらず、左の方が今の手水屋です。
前回手水舎に近づいていくと、若狭姫神社の神職さんらしき方が、今ではこの水が霊水「桂の井」とされているが、以前の井戸は境内の奥に在るとの事、水が絶えたのか、ココの水は近」12mボーリングをして汲み上げているという、その方が言われるのに、その12mほど地下には河の様な水脈が流れているとの事。水は帰りに頂く事にして、まずは神殿へ
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神門ですが、その手前の左には
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誰かが奉納した千石船の模型が展示してありました。
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弁才型模型(海幸丸) 江戸時代  若狭彦神社(小浜市)
 若狭の奉納船の中では、最も古い江戸時代後期の製作と思われ、船全体の反りの少ない優美な船形です。
装飾は、菱垣廻船を思わせますが、押回し垣立を造ることから奉納のための舟と考えられます。縮尺は、十分の一と思われ、寸法から、1,000石積級の舟と推定できます。同社は海幸山幸伝説で名高く、奉納の目的も海上安全祈願と考えられます。
そして、神門の入口には
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北陸道七か国(若狭→佐渡)の
第一番 若狭の国の総鎮守
若狭彦・若狭姫の夫婦神が開かれた
海山清き若狭湾  何時(しか)世界一の原発銀座十五基(二基増設中)
  四海平安

 安全運手
官人(つかさひと) 事業関係者 御神前へ
   と、意味深な書き物
神門を潜ると右の壁に
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上の額:遠敷神社(姫神社の一般的な呼び方)
若狭彦神社は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)の二社に分かれていますが当神社は下社にして上社より六年の後奈良時代の養老五年(721)年鎮座であります。
 海幸山幸の神話で有名な豊玉姫命を若狭姫神とたたえておまつりしてありますので若狭姫神社とも又遠敷の地に鎮座ましますので遠敷神社とも申します。
奈良東大寺二月堂のお水取りで名高い遠敷明神は即ち当神社の事であります。
 ここより南方1500mの龍前の里にある上社と共に上下宮とも若狭一宮とも総称しますが平安時代の延喜式にも明神大社として記載され赫々(かくかく)たる御神威は遍く(あまねく)光被じて厚く尊崇された若狭の国第一の大社であります。
 なお両社では従来一般の御祈祷(家内安全、厄除け生業繁栄、初詣交通安全その他諸諸の祈願)や神符守礼の授与その他社務一切をこの下社において執行しておりますのでご用のあります方はお申し出て下さい。

当世では、街中にある下社の方が繁栄している様で、こちらに神主さんが住まわれ上社も見ておられるようです。
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本殿の全景、その左にそびえる杉の木は
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御神木・千年杉
 瑞垣内の大樹は、若狭の国に若い息吹をこめる神、若狭一宮の神と称えられ、千古厳然と聳えるれいぼくである。
 水配りの御神徳をいただき、年々豊かに新緑の加わる様は実に神木の名にふさわしく、古来、不老長寿の象徴として篤く信仰される所似である。
   朝廷より 神馬献上の社
 絵馬の歴史を振り返るとき、古代において馬は、神の走りものとして神聖視され、とって神霊を和らげまつり、祈願のために神馬の献上が行われた。
 「続日本記によれば、宝亀元年(今より一千二百年十余年前)八月庚寅朔日、蝕ありし時、勅使を使わされて、伊勢大神宮(伊勢神宮)に赤毛馬を、若狭彦神(若狭一宮)鹿毛馬を奉るとあり。
 日蝕に対する呪術的儀礼として、太陽の衰弱を回復させるための献上であり、鹿毛の馬は赤毛(赤毛が火の色と関連する)に準じたものといわれ、世に名高い記事である。
こちらが千年杉です。
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本殿の敷地内の塀で根元が見れないのが残念ですが、立派な杉です。
まずは参拝を済まし、境内を一巡してみると
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立札に御神水と書かれてある。御神水は手水舎の水と神職さんらしき方が言われていたのだが(?_?)
近寄って観ると
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水は出ておらず、立札には
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    名水とは風土なり
 鎮守の森が、神霊の籠る場所に相応しい水源地に多く祭られているのは、生命の源の水を神々が司られ、人々がその水を農耕、飲用物として恵んでいただくという姿を示すものといわれている。
 当神社の境内には、今でも絶え間なく大気を浄化し地中深く伏流水を蓄えて、地上を潤し続けている。
 この井戸は夏のひと時を除いて、水量豊かなるが故、深さ三メートル余の浅井戸である。ポンプのバルブをひねると、一分間に18リットル、つまり一升瓶にして十本、一時間当たり六百本、一日では一万四千四百本の水を汲みだせますが、実際はその十数倍が可能であり、その折、井戸の下部の側壁の穴より清冽な水が激しく流入する様は、正に神井と呼ぶのに相応しいものである。
 神社の祭典には、この水を神饌に用いて神前にたてまつっていることは勿論、神聖な力を備えた霊水として崇拝され、病気平癒、茶道、書道上達などの神徳を人々に授けている。
 又、若水とは元旦の早朝に奉献せし御神水にして この井の水は古来若狭の若返りの水としてその名高く、これを拝載すれば邪気を払いて清朗快活延命長寿を保つと伝えられている。
と書いてあるが、この立札と井戸を見つけたのは二回目で、水か初めて来たときに汲んでいたので汲まずに終わってしまった。
でも、これだけの水量が出るのであれば、手水舎の水を掘らなくても済むのに・・・・・・と、(?_?)を思ったものである。
井戸の側には
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水の国 若狭総鎮守
  遠敷(おにゅう)大明神 霊水(桂の井)
二月堂記に出て来る当神社は、東大寺修二会の中のお水取り(若狭井)を約し、それ故、堂の右裏手には古来、遠敷社が奉祀してある
との事、確認せず
で、「桂の井」の出所は
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桂 カツラ科の落葉高木
 海幸彦に借りた釣り針を海中に失い途方にくれていた山幸彦の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)(上社祭神)が、塩椎神(しほづちのかみ)の教えにより海の宮殿に行き、門の所の井戸の傍の桂の木に登っていました。井戸には影が映っていました。海神(わたづかみ)の姫、龍宮の乙姫さまの豊玉姫命(当下社祭神)との出会いの始めと海幸山幸神話は伝えている。
 この木は、当神社に相応しい霊木であります。
とこの様に、神社の由緒が立札に書いてあり、他にも多くの札が立っています。関心のある方は「若狭姫神社」まで参拝してください。吾輩の案内はこれまでといたします。
本殿から神門(楼門)を
2018,1,22小浜方面 094-3n
そして、一回目に来た時はお水を手水舎で頂き帰り際鳥居の所には
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見返り鳥居:この鳥居の下で、後方の楼門の屋根高く聳えています  
   千年杉を
今一度、仰ぎ見られますとと共に、若狭の国鎮守下社
若狭姫の神とたたえます
竜宮の乙姫さま  豊玉姫命に、お別れいただきます。

独断と偏見の「桂の井」の評価は
場所が違っていた(吾輩の気持ちの中ではパイプで繋がれている)ため、真の見定めはアヤフヤですが(元々あやふやかも)
硬質よりの美味しい水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は(地図上の若狭彦は誤りで、若狭姫です)


NO249:若狭彦神社の御神水(伏水の幸)

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正月明けの初めての水汲みに行ったのが、奈良県二月堂・お水取りで有名な当地「若狭の国・遠敷」ここにある若狭彦・若狭姫神社へ相方さんと初詣がてら水汲みへ、以前、それこそお水取りの舞台となる若狭の神宮寺へ行った際この神社の前を通りがかった時に「鯖街道の御神水」の看板を見て気になっていた場所であった。

当日、地元与謝野町から高速に乗ったのは良かったが、大江山のトンネルを抜けた辺りでカメラを持って来て無い事に気づき、引き返す事もままならず、思い立ったのがガラケイで写真を撮りまくるという方法であった。しかし、これもパソコンへ写真をアップする時点で分かった事なのだが、写真が携帯に保存されていない(?_?)イロイロと思い返してみると、どうも写真を撮って保存処理しようとした時に誤って保存されない方にチックを入れたようで、慣れていないもので、写しては消し、写しては消しの連続であったようである。
結局今回の写真はその後写真を撮りに再び行った時のものです。あ し か ら ず (^o^)/
1回目行った時は日曜日だというのに休館日で行けなかった「杜の水PR館」
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本館はこちら、若狭彦神社の近くにあります。
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中に入ると、地方の物産館
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奥は喫茶店になっていました。地元の名水で「竹炭で焙煎したコーヒー」が自慢の逸品だそうで、休憩に飲んでまいりました。
館内には、大木のテーブルを展示
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樹齢400年の福井県大野市に在る高於(たかお)磐倉(いわくら)神社の御神木
正面は木像 十一面観音菩薩立像 作者は 小浜在住の 村岡如伸氏(滋賀県長浜市の渡岸寺にある国宝の写しだそうです)
その奥には見出しに出した、3月2日近くに在る神宮寺から二月堂へお水送りの儀式を『若狭和紙人形作家 笠原輝子氏』が作り展示されていたものです。一見の価値ある作品でした。
珈琲を飲みながら店員さんと談笑して、まずは「若狭彦神社」から攻める事に、(若狭姫神社の方が国道に近いのですが)
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入口の横に数台止めれる駐車場があり。まずは神社の能書きから
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   由緒記
名称  若狭国一宮
        若狭彦神社上社
    (又、下社を併せて若狭彦神社とも上下宮としたたえまつる
     延喜式明神大社
祭神 若狭彦大神
    海幸山幸の神話で名高い彦火火見尊 若狭彦大神とたたえて     奉紀する

それでは参拝に行きましょう
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鳥居をくぐって行くと、鎮守の森にふさわしい林の中に参道が伸び、石灯籠が配置されています。
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本殿向かって右の灯篭
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灯籠の土台部分に彫ってある消えかけた文字を説明されています。
金殿燈彌明:りっぱな御殿をてらしいよいよおごそかであるようあがめたっとうこと
左の石灯籠の土台部分の文字
2018,1,22小浜方面 010-1f
神明仰厳徳:かみをうやまい心が正しく行い善であるようつつしむこと
その灯籠の後ろにそびえる二本の杉の大木
2018,1,22小浜方面 008-1d
神社の大木は、そんこの神社の歴史を伝えてくれます。
その根元に
2018,1,22小浜方面 012-1g
参道を挟み厳然と聳え立つこの二本の大杉は
「若狭彦神社の二の鳥居」と
考えられ、又、このような近くに相並び立つ杉を夫婦杉とたたえている神社もある
参道を進んで行くと、太鼓橋ならず石橋が出て来た
2018,1,22小浜方面 014-1v
その手前には、またも石灯籠、昼間でも薄暗い森の中に灯明を付けて参拝者を導いてくれる気遣い(*^_^*)
橋を渡ると神域・・・その正面に神門
2018,1,22小浜方面 015-1b
その門の手前には正真正銘の夫婦杉
2018,1,22小浜方面 039-1n
この杉も年代物であるようである。立派であった。
尋問の柱の横に、以前いたが貼って在ったのか、今は代わりに紙が貼り
遠敷(おにゅう)の上下宮さん (若狭彦神社は) かみのみや   と
2018,1,22小浜方面 017-2q
神門の壁に
2018,1,22小浜方面 038-2w
 若狭彦神社は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)の二社に分れていますが当神社は上社にじて奈良時代の霊亀元年(715)の鎮座であります  海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を若狭彦神とたたえておまつりしてあります
 ここより北方1500M遠敷(おにゅう)の里に下社があります 当神社より6年の後養老5年の鎮座にして豊玉姫命を若狭姫神とたたえおまつりしてあります
 両社を併せて上下宮とも若狭一宮とも総称しますが平安時代の延喜式にも明神大社として記載された若狭の国きっての格式の高い古社であります
 なお当神社では従来一般の御祈祷(家内安全、厄除け、生業繁栄、初詣、交通安全、その他諸々の祈願)や神符守礼の授与その他社務一切を下社において執行しておりますのでご用のあります方は下社の若彦姫神社までお越しください

神門から境内を見渡すと左の縁に池が見え、そこには長い竹筒から水が出ているのが見えた
2018,1,22小浜方面 018-2e
情報元では、若狭彦神社の「御神水」は伏流水との事、さては竹筒から出ている水がそれかもと近寄って見ると、
2018,1,22小浜方面 020-2r
手水を兼ねた天然水の様で、参拝をしてから頂く事にしてまずは手を浄め、口も浄めて本殿へ
2018,1,22小浜方面 024-2u
神主のイナイ神社にしては、なかなか立派な構えである(^o^)/後ろに回って
2018,1,22小浜方面 033-2p
屋根を見渡せば、大社造りである。その右横に摂社が置かれ
2018,1,22小浜方面 029-2o
そのの立札に
              末社:若宮神社
 祭神:鵜が草葺不合尊(うがやふきあえすのみこと)
 祭礼:十月十日
「神名由来」
 当 上宮御祭神の大后、豊玉姫命(下宮御祭神)が安産を祈り、霊鳥といわれる鵜の羽を草(かや)として特別に産屋を建てたが、まだ屋根の葺きおえないうちに御子神をお生みになったので、御子神を「ウガヤフキアエズノミコト」と尊称したのである。
相談の神:蟻通神   大山祇神
と、面白い由来である。(*^。^*)
再び池に戻り、御神水を汲みながら立っていた支柱には
2018,1,22小浜方面 021-2y
小浜市龍前字宮山の森に降り注いだ雨水が、丁寧に地中に滲み込み、さらに浄化と味付けの時を経て、どんな日照りにも涸れることなく、今もここに湧き出ています。
伏水の幸  「甘泉」
うまいこと書いてあるもので、読むだけで「ほっぺたおちる」おもいである。もう一辺の方は
2018,1,22小浜方面 022-2t
古来、山麓に名水多しと言われ、閑雅幽スイのこの神境の霊水は崇敬礼拝の大正でもあるのです。
その上に繋っているお玉、底に書いてあるのは『銭洗い』と、小銭を持って行きこの水で清めれば何倍にもなるのかも(?_?)
水を汲み終えて、フト竹筒の根元が気になり行かねば良いものを行ってしまったのであった。
2018,1,22小浜方面 036-2a
池の奥側、竹筒の根元にたどり着くとバルブの蓋が二つ設置してあるじゃないですか・・・・・と言う事は、地下水を汲み上げての人工的に流しているのかも(?_?)あくまでもカモ?ですが(~o~)・・・・・まあ天然水には違いないと思いますが・・・
という訳で、今度は水の行方を探る事に
2018,1,22小浜方面 034-2s
水が流れ出す場所で
2018,1,22小浜方面 035-2d
細い水路から
2018,1,22小浜方面 040-2f
神門の手前の石橋を潜り
2018,1,22小浜方面 041-2g
境内の外に続く様子
2018,1,22小浜方面 043-2h
境内から流れ出てきた場所~集落方面へ
2018,1,22小浜方面 045-2j
前回正月明けに来た時に、若狭姫神社の前を清らかな水が流れていたのを思い出し、さては、若狭彦神社の御神水が流れて行っている可能性があると判断した結果なのである。

オリンピック中継を見ていたため、記事を書くのが遅れてしまいました。m(__)m
ピョンチャン冬のオリンピック、メダル取った人も取れなかった人もみんな感動「ありがとう」
平和の祭典 末永く続く事を ね が い な が ら (*^。^*)

独断と偏見の「若狭彦神社の御神水」の評価は、伏流水?と言われていることからも軟水の水質の様でマア、マアの水でした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は


NO127-B:平成の名水「雲城水」

NO127の項に動画を多く入れ過ぎて文章の入力が遅くなりすぎましたので、NO127-Bとして続けます。
   小浜、 042-b
        雲城水(うんじょう)の水
 その昔より一番町は清水湧き出る
豊水の地として知られ、
各戸の掘り抜き井戸から夏は冷たく、
冬は暖かい恵みの水が
絶え間なく流れ出ていました。
この地を育んできた母なる水は
いつしか雲城水と呼ばれ、
若狭の自然が溶け込んだ
清らかで豊潤な天然水として、
広く皆さんに愛飲されています。
 反面、水禍に襲われたことも多く、
そのためこの地に水天宮をお祀りし、
毎年7月23日、
水に対する報恩感謝と、水難除けの
祭典を行ってきました。
 現在の雲城水と水天宮は、
区内在住であった、故池野小作・光治氏
親子二代にわたる、篤志によって建立、
整備されたものです。
平成16年7月23日  一番町振興組合 
               一 番  町 区
と言う歴史のある湧水です。その地は
小浜、 045-b
図面で見る通り海岸の横にある塩分を含まない湧水です。
   小浜、 046-b
着いたところ、地元のお婆・・・モトイ「シルバーレディー」さんが水汲みの最中
   小浜、 039-b
ホントは裏姿から、「雲城水」の全体を撮影しようとシャッターを押したところに裏をむかれて顔がバッチリ・・ゴメンナサイ
・・・お婆さんが言う事には、「ここの水は美味しいけど、瓜破の水と言うのがあって美味しいらしい」と「雲城水」をほめているのか、けなしているのか、複雑な思いで聞いていると何処からともなく家族連れが水汲みに
   小浜、 044-b
なんと!大阪から来られたとか(@_@;) かく言う吾輩も京都の山奥から来たのだが・・・
整備されている水汲み場の全体像です。
   小浜、 043-b
よぉ~く見ると、カメラで撮影している人の姿が、この人もブログを書いているのかな~と思いつつ、次の目的地へ
    小浜、 017-b
この山のてっぺん(頂上)、小浜湾の右の半島「内外海半島(うちとみ)」にあるエンゼルラインへ
    小浜、 104-b
エンゼルライン、以前数十年前は有料のドライブウェイだったが今は無料になっている(^_^)v
ドライブウェイを登って行くと、しめ縄が巻いてある大岩に出くわす
   小浜、 127-b
その山肌側を見ると
   小浜、 128-b
   小浜、 126-b
大神岩(おおかみいし)
 この岩は久須夜神社の祭神・大巳貴命(おほなむち)が遊行されたと伝えられる遺跡です。
 大巳貴命は大国主命と申し上げ縁結びの神としで広く知られています。
 霊峰久須夜ヶ岳の象徴としてここに大神岩を祭祀し、参拝の皆様に良縁と福徳円満家内安全がもたらされますようにねがいっています。
【この岩が狼に似ているところから、別名大神岩とも云われています】
注:大巳貴命は大国主の別名  久須夜神社:宇久湾に臨む堅海集落の東方に鎮座
大岩から見た小浜湾
    小浜、 130-b
大巳貴命がこの岩に腰を掛けて一帯に不幸が無いように見守っているのでしょう。
そして久須夜ヶ岳の頂上へ
   小浜、 110-b
ここにも好き者が(@_@;)    
   小浜、 112-b
そしてママチャリで登って来る強者も!(^^)! 
    小浜、 120-b
外海の風景で~す。
   小浜、 116-b
   小浜、 131-b
沖の石の由来
現在地の正面向こうに見える半島(常神)の手前の黒点のような岩礁が沖の石です。
治承3年(1179)この地に流された二条天皇の女官源三位頼政の娘 二条院讃岐(さぬき)姫が、この波間に見えかくれする”沖の石”をながめ
わが袖は 潮干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかわく間もなし    と、
悲しい恋歌をうたっています。なお、この歌は小倉百人一首にでています。
   小浜、 142-b
奥の島がある半島が常神半島ですが、さてどれでしょう(?_?)
そして、真下の海岸線
   小浜、 147-b
エンゼルラインの観光が終わり帰宅するのに、同じ道からでは面白みが無いので回り道をして帰る事に、例のイベント告知板に
    小浜、 153-b
その棚田がコレです
   小浜、 152-b
そして、棚田を囲んでいる獣用柵を開けての棚田の風景
   小浜、 165-b
     小浜、 166-b
小浜、 167-b
この一角に、二条院讃岐姫が幽閉されたという屋敷跡が
    小浜、 176-b
石柱の後ろには、現地は通称「御所平」と呼び、古くから禁足地とされていたが、土地改良工事でその跡を保存する   秦家用地跡
と書いてありました。・・・・・という事で今回の小浜水汲み紀行は終了ですが、蘇洞門のビデオが見つかりましたので、これでご勘弁を
  

やっとのことで「雲城水」の報告が出来ます。やはり「平成の名水」に指定されているだけあって美味しい水です。塩分も感じられず、「瓜破の名水」に通じる味に思えたのは吾輩だけであろうか(?_?)
独断と偏見の水ランクは
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vでした 

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