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NO316:昭和の名水:弘法池の清水(釜清水)

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いよいよ最後の佳境に入って行きます。
鳩谷八幡神社の横からの道に入って行けば白山白川郷ホワイトロード(有料)に入って行きます。
昔は確か「白山スーパー林道」と言っていたと思うのだが、ハイカラな呼び名に代わっていた。
料金所に向けて走っていると下界に大きなダムが見えたので止まって写真撮影
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数日前の台風による大雨でダム湖も満杯になっているそうで、放流も大量に出しているようで美しく見えます。
「鳩谷ダム(はとがや)」と言うらしいが、またの名を「大牧ダム」ともいうらしい。
ホワイトロードの料金所を片道1600円を払い通過。登るにつれて雲の中へ、白川郷展望台駐車場は
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小雨降る霧中の中、本来なら今の時期
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「飛騨美嚢紅葉33選の地」と石碑に刻んであるところ、こんな状況です。「熊」も白川郷を見物に来るようで・・・(+o+)
ここから30分コースで、樹齢300年のブナ林と展望台があるそうですがこんな模様、あきらめて再度出発。
走っていると時より雲の間から紅葉の綺麗な姿も
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これは、カメラのモードを「極彩色」で写したもの。普通オートで撮れば
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現実はふつうモードの景色です・・・が
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岐阜県側は、新緑・紅葉の山々を楽しみ、トンネルを抜けて石川県側のホワイトロードは
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絶壁と滝の山々へと下りの道へと変わって行く。このコースのまわり方としては、石川県側から滝や渓谷美を堪能しながら白山を登って来て、岐阜県の白川郷でゆっくりと家並みを堪能するコースがベストの様だが、吾輩は反対の順路を行ったのである。
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滝かと思えば、人工砂防ダム、これも滝と言えば滝なのだが・・・更に下って行き国見展望台へ
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極彩色で撮った写真
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こちらはオートでの撮影、白山の山々が美しく見える季節なのだが、水墨画に近い景色
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「ふくべの大滝」見出しで出した大滝ですが、こちらはオートで写した景色、見た目現実的
この滝は長く一回で取りきれなかったので、二回目
国見台の断崖より86メートル直下する豪壮な蛇谷唯一の大滝で、時にはその水しぶきが道路をおおうことがある。蛇谷金襴銀襴壁と云った人もある。その絶壁が見ものである。(自然を大切に)『石川県林業公社』
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と、展望台の下まで流落ちて来ていました。水量も多く雄大な滝でした。更に下って行くと、幅の広い優雅な滝「(姥(ウバ)ヶ滝」が見えてきましたが運転中写真に収めることができず「蛇谷園駐車場」へ
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公園の絵図
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「姥ヶ滝」へ行く遊歩道がここから入って行きます
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姥ヶ滝:姥ヶ滝は落差76m幅100mの滝で、山の中腹より岸壁を数百条の細かい流すべるように落ちる。
 この様子はまるで老婆が髪を振り乱したように見えることから名前がついたとされる。
滝の下まで遊歩道が整備され、「親谷の湯」があり足湯も浸かりながら滝を見ることができるそうです。
ただし、遊歩道にはクマ、マムシに注意との事
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とまぁ、渓谷美を楽しみながら石川県側の中宮料金所を超えて、一里野温泉スキー所に到着
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更に麓に降りて来て、勝山からくるR157号との合流近くの道の駅「瀬女」により「弘法池の清水」の場所を尋ねところ、まだ先に行ってA-CooPを曲がった辺りにあるとの事、行ってみると農村の田園地帯、さっぱり分からずウロウロしていると、そこに消防署が見えた。
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尋ねてみようと、駐車場へ寄って見ると偶然
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手取川渓谷の観光地であった。とりあえずそちらへ見物に
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橋の上から写した風景。この風景もすごいが、周りは先ほども書いた田園地帯、そこをえぐるように渓谷になっていたのである。
日も落ちようとしていたのでゆっくり見ている暇もなく、消防署へ、表からは入りにくいので裏口へ、ちよウド若い隊員がタバコたいむで外におられたので、『「弘法池」がこの辺にあると聞いてきたのだが分からないので教えてほしいと』聞いてみると、チョイト中で尋ねて来ると・・・チョイト不安な気持ちに・・・待っていると、帰ってきて「そこの取手渓谷の箸の先の信仰の手前の細い道を入って行くとあるとの事」
お礼を言ってそちらの方へ
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細い路地を車で入って行くと駐車場も完備されている水汲み場で、その横には、行った時は時間が遅かったので閉店マジカだったが野菜売り場もあるほどの人気の水汲み場の様であった。
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昭和の名水百選に選ばれている場所、全体の様子
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弘法大師立像が見守る中、木の枠で囲ってあるところが、岩が湧水で掘られ器のようになり、底から今なお連綿と水が湧き出しているのである。
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その中を覗いたが、夕方で黒くて分かりにくかった。その竪穴の右端にエスロンパイプが入れてありポンプで水を吸い上げ、右の端に見えている蛇口から湧水を頂くのであった。釜清水の横には賽銭箱も設置され、何が安置されているのか、これも珍しい岩の祠も設置されています
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そして
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弘法の水のイワレを説明したシオリもおいてありました。要約するその内容は
弘法池とその周辺一帯は地元住民から「しょうず」と呼ばれて親しまれてきました。ただ、弘法池は、どこにでもあるような、ありふれた「しょうzy」ではありません。岩盤をまるく、円筒状に深くえぐり取ったお釜の形に似た「しょうず」です。他に類を見ない特異な特徴ある「しょうず」です。そのため「村名由緒書上帳」「郷村名義妙」「三州明蹟誌」「吉野紀行」「小松近郷巡見道之記」などの古い文献には『釜清水』という清水、泉があることが紹介されています。ところが『弘法池』の名は、古い文献上、ほとんど見当たりません。「弘法大師」という諡号(しごう:おくり名。朝廷が空海におくった称号)を、関係者に無断で、清水、泉、湧き水の呼び名に使用するなどということはおそれおおいことだ、もってのほかのことだ。知識人を自負する人達は、お大師様の諡号「弘法」をはばかって、無難な『釜清水』と記載して、トラブルを避けたのでしよう。

このように、古い文献には『釜清水』と記載されていることが多いのですが、住民は「弘法池」「弘法様の水」などと言い伝えてきました。加賀藩家老・横川正和は「小松近郷巡見道之記」に「昔弘法大師杖にて突玉ひしより出る水也」とこの村の伝承を書き記しています。加賀藩の重臣などで、加賀藩十村役鈴木家に宿泊されました。そして、弘法池だけでなく、伝説ゆかりの「猿鏡」(老女が旅の僧のために水を汲みに行った手取川の淵)も見て回った旨、記しています。この紀行文を藩主・前田斉泰がご覧になっています。
  「弘法池の伝説」
 昔、ある夏の暑い日、旅の僧が、のどがかわいたので、立ち寄った家の老女に「おばあさん水を1杯くださらんか。」と飲み水を所望されました。老女は、嫌な顔もせずに「御坊様、しばらくお待ちください。お水を汲んでまいります。」と言って、どこかへ水を汲みに出て行きました。旅の僧が待ちくたびれた頃に、ようやく老女は、水を汲んで戻ってきました。そして、汗をぬぐいながら「御坊様、お待たせしました。お水を汲んでまいりました。どうぞ、おあがりくださいませ」と旅の僧に水を差し上げました。
 旅の僧は、水をおしいただいておいしそうに飲んでから「おばあさん、愚僧のために、ずいぶん遠くまで水を汲みに行ってもらったようだが、どこへ水を汲みに行ってこられたのかね。」と老女にたずねました。老女はにっこり笑って「大川へ下りて、白山川(昔、手取川は白山川と呼ばれていました。)の水をくんでまいりました。それが、どうかしましたか。」と答えました。老女は険しいがけ道をおりて、白山川(手取川)から、水を汲んできたのです。旅の僧は、水汲みが難儀な苦労であることを知って、大変にありがたいと思われました。そして、老女の親切な対応ともてなしに強く心を打たれたらしく、旅の僧は「ありがたや、ありがたや」と言って、老女にお礼を言って、手を合わせました。そして、しばらく、そのあたりを鋭い目で見回わしていました。そして、何か念じていましたが、「エイッ」とひと声発して、持っていた錫杖(しゃくじょう)を地面に突き立てました。そして、錫杖を円を描くように動かし、グリグリと地面をえぐり取りました。すると不思議や不思議、まるいまるいお釜のような形の池があらわれました。そして、そのお釜の形に似た池から、冷たく、清らかな水がこんこんと湧き出してきたではありませんか。旅の僧は、老女に「子の清水は、おばあさんが親切にもてなしてくれた閼伽(水のことを仏教用語では閼伽と言う。)へのお礼でがざる。ありがとう。」と言い残して名前も告げずに、どこかへ立ち去ってしまいました。老女は、キツネに化かされたように、ポカーンとして見送るしかありませんでした。
 これを聞いた人達は、岩盤をまるく円筒状に深くえぐり取った、お釜の形に似た清水を目の前にして、ただごとではない。このおうな不思議な奇跡を起こした御坊様は、何者か。名乗らず立ち去った御坊様はいったいどこの誰か、真っ先に思い浮かんだ名前は、お大師様(弘法大師・空海)でした。詮索するまでもなく、誰もが納得しました。お大師様の巡錫のこと、そして、讃岐(香川県)の満濃池の水利事業の功績などは何度も聞いていたからです。子の清水は、お大師様の法力によるものに違いない。ありがたいことだ。人々は「何無大師遍照金剛」と御宝号を唱えて感謝の気持ちを込めて、子の清水を「弘法池」と呼ぶようになりました。
 しかし、なかには、弘法大師・空海の諡号(しごう・おくり名のこと。延喜2年【912年】朝廷が生前の功績をたたえて、空海におくった称号)を軽々しく、みだりに使うことは、おそれおおいことであるとして、「弘法」をはばかり、別の呼び名を考えた人々もありました。例えば「釜清水」と「釜池」などが、それです。釜の形に似た清水であるから、「釜清水」。釜の形に似た池だから「釜池」。「釜清水」でも「釜池」でも、どちらでもよいことのように思われるかもしれませんが、「釜池」については、熱湯がグラグラと煮えたぎっている池なんだろうなと誤解されかねません。泉や清水ならば、湧き水であることが明確だが、池の場合には、水が湧き出ない池もあれば、単なる水たまりのようなありふれた池もあり、ちょっと素人が考えただけでも、欠点が多い呼び名です。現地を知らない人には「釜池」と聞いて清水であることがわからない。そこで、泉や湧水であることを強調した呼び名の方がよい。「釜清水」と「釜池」とに、あえて優劣をつければ、「釜清水」のほうが優れています。池よりも清水の方が優れています。そこで、賢者の結論として、集落名も『釜清水』におちつきました。
   水質
水温:11,9度 PH6,0 硬度:47ppm 有機物:0,1以下 塩化物イオン:7,8ppm 鉄分:0,01 
(備考)
今回の「釜清水」の伝説と、宇治田原町NO313の「弘法大師の霊泉」の内容が、細かいところは違いがあっての大まかな内容が同じ内容の伝説でした、北陸の片田舎と京都の山奥の距離が離れている場所で、偶然にしては出来すぎな感があります。弘法大師は一説では全国に鉱物を探して回っていたという事を聞いたことがあり、湧水の出るところで「名前」を残すためにその土地に「言い残して」来たのではないでしょうか。・・・中世の七不思議かも・・・湧水も、大昔と現代を結びつける一つの「古文書」なのかも
と言う訳で、蛇口から清水を頂き、帰り際に地元産野菜売り場で『大根2本・白菜1個を買って帰りました。いつもながらの帰りの光景
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「弘法池の清水」の独断と偏見の水評価は
吾輩的には中硬度より軟水に近い微妙な水で、コーヒーももう少し硬い方が美味しいかな?と言うところでした。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は


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