NO313:宇治田原町高尾の「弘法大師の霊泉」

湯屋谷で思いがけない「名水」を組むことができて、ルンルン気分で本来の目的地「高尾(こうの)」へ向けて再度来た道を引き返して国道307号線から宇治市の瀬田川へ出る道府道62号へ入り、すぐさま信号から第二名神の工事をしている山側へ入って行った。
都図で見るとここからは狭い道を九十九折れの坂道を登って行くそうで、まずは、入口が分からず二回ほど引き返してやっとのことで見つけてハイって言った道でした。

車がすれ違うのが厳しい道を登って行くと

見晴らしの良い山腹に出てきた。そこから眺める眺望は

直下に、天ケ瀬ダムの工事現場が見え、遠くには宇治市内がかすんで見えます。つまり、ここは瀬田川~宇治川の渓谷の左岸側の山の中腹に居るわけです。そこのカーブを曲がると

弘法大師の霊泉らしき場所が見えてきました。そこには水汲みに来られている方の姿も。

到着して順番を待っている間に、奥様といろいろと話をするなかで、宇治市内から週一ぐらいで水汲みに来られているようで、美味しい水だとの事、期待が膨らみ、吾輩の順番が来るまで水汲み場を撮影
まず湧水槽

神聖な場所なのか、いたずらされない為なのかネットが一面に張ってありました。

いかに住民の方達が大事にされていることがうかがえます。
そして、第二水槽、第三水槽と

集落の方たちは、洗物を水槽を区別して水を大切に扱っているのだと思います。
そして、水を汲みに来た人は
こちらの蛇口から汲むようにと書いてありましたので吾輩もここで汲みました。
小屋には、「弘法大師の霊泉」のいわれが書いてありました

それには、「弘法大師の霊泉(井戸)の由来と
その昔、旅の僧がこの地に立ち寄られた際、出会われた老婆に水を所望されたところ老婆は「少々お待ちを」と水を汲みに出かけたまま一向に帰ってこない。
かなりの時間が経って水を汲んで帰り、旅の僧へ差し上げたという。。僧に「どこまで水を汲みに行ったのですか?」と問われた老婆は「下の宇治川まで行きました」と答えたそうです。僧はそれはそれは気の毒に」と言ってこの場所に丸を書き、真ん中に錫杖を立て「ここを掘れば必ず水が湧き出るであろう」と言い残して立ち去られた。土地の人は僧の言われた場所を掘ったところ清水が湧き出した。との伝説が今日まで言い伝えられている。
この旅の僧が実は弘法大師であったとの事である。以来、どの様な日照りでも井戸は枯れることなく湧き続けている大変ありがたい命の水として、先祖代々地元の人々により大切に守り続けられている。
祠には地元の人々が「おだいっさん」と親しく呼ぶ弘法大師が祭られています。おだいっさんを偲んでお参り下さい
高尾区
この様な「弘法の水」は全国?かは分からないが、吾輩が水を汲みに行った各地にも何度かであったことがあります。なぜ、そのような話が広まったのか判りませんが、次回お届けする予定の白山近辺でも汲みに行ってきました。

上記の看板がありますので、上の水槽にも柄杓はありましたが、言われている通り

こちらの方が汲みやすく親切な設備が設置してあります。で弘法大師が祀ってある前の柱に賽銭箱が設置してあり、なにがしかの賽銭をチァリンと入れて、水のコンテナを車に積み込もうと車を移動させようとすると前方から車が来たためすれ違いをするために前進で坂の上の方へ移動、そこまで行くとUターンできなくなり、引き返す場所を見つけに登って行くと

3キロ先近畿スポーツランドの看板、そういえば、高尾に登る手前に大きなサーキットの看板があったことを思い出し、ネタにするため写真を撮りに行ってこうと、さらに上を目指して登って行った。

こんな道が続く中、頂上近くなった頃

忽然とそれらしき場所に、それも、たくさんの車が来ている

どうも本格的なサーキットらしく、爆音が響いていた。正面から入って行くのは部外者なので行きにくい。もう少し上に登ってみようと行くと土方で観戦している人が数人、吾輩も車を降りて「応援?」することに

上から見ると車のレースにはチョイト小さいレース場、今まさにレース中「初めて見る光景」爆音はいっちょまえに鳴り響いているが、じっくり見ると50CCのバイクの様である、選手の体の方が大きく、バイクが見えにくい。

複数のバイクを写真に収めようと必死のパッチで撮れたのがこれです。
で、引き返そうかな・・と思ったのですが、道がまだ奥に続いている。いつもの癖が顔を出してきて、さらに先に進むことになった。

右:大峰山・高尾 下る:荒木・天皇谷の標識のとこまで来たがそのまま下っていく事にした。
やがて、猿丸神社という面白い名前の神社に出てきた。

どうも、宇治田原から滋賀県の瀬田川へ出て行く府道783号線に出たようで、尾根伝いに宇治田原の町を縦断してきた格好になったようであった。

どんな神社かお参りすることにして石段を登って行った。境内に上がってみると

思いのほか大きな神社で、社務所でお守り等を販売、神職さんに猿丸の意味を尋ねてみると、和歌がドウノコウノと言われて覚えていないので、ネットで調べてみましたらHPがありました。その中に
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」の歌で 有名な猿丸大夫(さるまるだゆう)は古来、歌道の神として崇められ、その徳を慕う多くの文人墨客がこの地を訪ねています。また、近世に入ってからは、瘤・出来物や身体の腫物の病気を癒す霊験が あるとして、"こぶ取りの神"更には"癌封じの神"と篤く信仰されるようになりました。 今日では、南山城地方を中心に遠方よりも広く篤く信仰を集め、 家内安全・無病息災・病気平癒、交通安全、厄除け、また学業・ 受験の守護神として、親しみを込めて"猿丸さん"の呼称で信仰されて、毎月13日の月次祭には多くの人々の参詣で賑わいます。
と書かれていましたので紹介をしておきます。
猿丸神社の本殿

ココの本殿入口の像は、一般には「狛犬」ですが、御祭神が「猿丸太夫」なので猿が一対で本殿を守っていました。
吾輩は記念に「猿みくじ」を

買って「おみやげ」に持って帰りました。時間も夕方近くになっていたので府道783から、京滋バイパス笠取りICに入り帰宅したのである。
そこまでは良かったのですが、さて、大切な水を下ろそうとバックの観音扉を開けると二つ持って行ったはずのコンテナが一つしかない・・・・・?・・・まてよ、もしや・・・高尾で汲んだ水を載せずに帰ってきたのか
((+_+))
結局、連休の月曜日、相方さんに運転をしてもらい(二日も長距離を運転すると、次の日から疲れて仕事ができないのだ)再度高尾の水汲み場迄行ってきました。コンテナがどうなっているのか不安でしたが、

今日も水汲みに来られていましたが、その後ろに青色のコンテナが

『忘れ物』と書いた紙札が貼って置いたりました。おそらく地元の方が、盗難防止のために親切にして戴いたのでしょう。ほんとうに「ありがたい」ことでしたので、再度、賽銭箱にチャリンと御布施をして高尾の「弘法大師の霊泉」を後にしました。
今まで、水汲む道具は数回忘れたことはありましたが、肝心要な「もの」を忘れてきたのは初めてデスタ(~o~)
「弘法大師の霊泉」の独断と偏見の水評価は
「大滝の水」ほどではなかったが、軟水でのど越しの良い水でした。本来五つ星です地元の方の親切に心を打たれ
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_-)-☆にしました。
詳しい場所は
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