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NO300:白山平泉寺御手洗池の源流「平清水」

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越前大仏を見学?して、今日勝山に来た本命の白山平泉寺(ひらいずみでら)の白山神社に移動して行った。
大仏からは車で10分もかからない所にあり、苔の境内が名勝となっている苔寺ならず苔神社と呼ばれている。
奈良時代の717年「泰澄」(たいちょう)が白山に登ろうとして開いた一大宗教都市(施設)その開山の元となった池、「平清水・平泉」現「御手洗池」の湧水が取水出来たら・・・・・と考え予定を組んだのであった。
で、駐車場へ着きました。
白山神社2019,5,4 129-3z
吾輩が止めた駐車場P1でしたが、もう少し上にもありました。
白山神社2019,5,4 131-3x
駐車場の脇に「白山神社の由緒」が書かれた案内板
白山神社2019,5,4 125-3b
      平泉寺・白山神社
 福井・石川・岐阜の三県にまたがる白山(標高2702m)は、富士山や立山とともに古くから信仰の山とされてきました。「越の大徳」といわれた泰澄大師は、養老元年(717)この地の「林泉」(御手洗池)で神託を得て白山を開き、平泉寺を創設されました平泉寺は中宮平泉寺とも呼ばれて白山信仰の中心地となり、越前馬場として栄えるようになりました。中世には、白山神社境内を中心に48社36堂6千坊が立ち並び、また、多くの荘園を持って強大な勢力を誇っていました。源義経・弁慶らの一行も、この平泉寺へ立ち寄ったと伝えられています。ところが一乗谷の朝倉義景が滅んだ翌天正二年(1574)一向宗徒の一向一揆勢が乱入して、一山ことごとく焼失してしまいました。11年後顕海僧正が平泉寺を再興され、江戸時代には平泉寺から白山にいたる広い地域を、平泉寺の白山社領として支配しました。明治五年(1872)には白山は石川県になり、平泉寺の支配から離れることになりました。これより先の神仏分離令により、明治三年(1870)平泉寺の寺号を廃して白山神社になりました。
参道の石畳、菩提林の老杉、白山の神が現れたとされる御手洗池、大拝殿の礎石、本社前の大石垣は、全盛時代の平泉寺の面影を残しております。また、六百数十年前に建てられた楠木正成の供養塔、永平寺奉納の石灯篭、拝殿の奉納額などが歴史の古さを物語ります。社務所の「旧玄成院庭園」は室町時代末期に細川高国により造園されたといわれ、国の名勝にしていされています。
 白山国立公園の一角をなす白山神社の境内一帯は、国史跡「白山平泉寺旧境内」となっています。杉木立に囲まれ、青苔におおわれた静寂な神域は、白山信仰の聖地として、今なお多くの崇敬を集めています。
白山神社2019,5,4 130-3c
上側の駐車場に近い所に、「白山平泉寺歴史探遊館」まほろばという、資料館および綜合案内所の様なものが在ったので、簡単に見学「おもに白山信仰の説明や平泉寺近辺で発掘されたものの展示等々でした。撮影は控えたので写真は有りません。
で、案内所で湧水が出ていると聞いてきたのですが、どの辺でしょう・・・と尋ねてみると、事務所の方々そんなものは聞いた事ありませんとの返事・・・アチャ~((+_+))
まぁ、今日は有る程度水も汲めているし汲めなかってもいいか・・・と思いながら境内の方に足を進めた。
白山神社2019,5,4 133-3v
右上に見えるお寺は「顕海寺」
白山神社2019,5,4 136-4q
白山神社社務所『玄成院』の代々の位牌所
白山神社2019,5,4 138-4w
ココが白山神社の社務所で国の名勝「枯山水の庭」があるというので入って見る事に、総て白山神社は拝観料は取っていなかった。
入ると、正面に受付があり、奥さまらしき老婆が受付をされて「御朱印やらその他の販売をされていました。チョイト無いと言われていた湧水の出ているところが境内に在るのか尋ねてみたら、な!なんと有るという!!、いわく、社務所の少し上に池が有るので、そこに注いでいる水が湧水なので行ってもらえば分ります。との事、奥さま曰く「先代の親から聞いた話ですが、近くの赤十字病院に入院されていた方が、そこの水を汲みに来て病気が治った。というのを聞いていた、良い水ですよ」との事
まずは、お庭を拝見と
白山神社2019,5,4 141-4r
     旧玄成院庭園
昭和5年10月に国の名勝に指定された本庭園は、享禄年間(約460年前)に室町幕府の菅領・細川武蔵守高国により作庭されたと伝えられ、現存する庭園としては北陸で一番古い庭である。様式は枯山水。築山の正面小高い所に一際高く立っている石が本尊石で、この石を中心に渦巻状に石が配置されている。池の左手奥は滝を模した石組で、池の右に鶴島、左に亀島を配し、亀島の近くには石橋も架けられ、池の前には宝舟に形どった一位の木があり蓬莱の趣を示している。なお庭の左隅の五重の石塔には永享6年(1434)の銘があり、沙羅双樹とともに好古の客の喜ぶところである
白山神社2019,5,4 140-4e
これカモ、
白山神社2019,5,4 143-4t
なんせ、説明書きは写真を撮るだけとって、帰って来てからじっくり読むため、写した写真とずれてしまう事が往々にしてあるのである。
で、そこを出てて池の方に
白山神社2019,5,4 145-4y
この細長い参道が拝殿まで続くのである。振り返れば
白山神社2019,5,4 147-4f
という参道を歩いて到着。ここを入るのかな
白山神社2019,5,4 148-4u
御手洗池(平泉)と表示してある。ここ、ここ・・・と入ってみる。
白山神社2019,5,4 156-4p
御手洗池であるが、光が差し込んでよく見えない(~o~)
で、正面から
白山神社2019,5,4 151-4i
鳥居が在るので正面だと思うのだが、こちらの写真もよ~くわからない。まぁ、沼の様なありふれた池でした。
白山神社2019,5,4 150-4o
御手洗池(みたらしいけ)
泰澄大師は養老元年(717)白山登拝の途中この林泉を発見され、大師の祈念に応じて泉の中の影向石(ようごういわ)に白山の大神が出現され、「神明遊止の地なり」とのお告げがあったため、当地に社を建てて白山の神を奉斎されたと伝える。当社発祥の地であり、「平泉寺」や「平清水」(平安時代の呼称の一つ)の名の由来はここにある。神泉は今もって絶えることなく湧き出ている。
池の東(御本社寄り)に聳(そびえる)三又杉はこの時大師が植えられたものと伝え、一千二百数十年を経て健在であり、幹は途中から三本に分れ白山三社をかたどる形となっている。当社のご神木であり注連縄が張られている。
白山神社2019,5,4 152-4d
残念ながら、注連縄を撮るため上部の三又は写っていなかった((+_+))
で、肝心な御手洗池の源流はその横の方にありました。
白山神社2019,5,4 153-4s
立派な御影石の石柱で囲ってアリ、その中は
白山神社2019,5,4 155-4a
綺麗な水が溜まっており、写真の上側の角の辺りから湧き出ているもようでした。水もソコから汲んできました。
尚、源流の呼び方は「林泉」「平泉」「平清水」と呼び方があるみたいで、タイトルには「平清水」を使いました。
汲んだ後、参道に戻らず、そこから獣道みたいな裏道を行く事に
白山神社2019,5,4 159-4g
階段を上ると
白山神社2019,5,4 161-4h
杉木立の中、一面に苔の大地。深閑とする幽玄の世界。パワースポットにうってつけの世界。
遠くには。青い屋根の拝殿が見え隠れ、そんな中を散策気分で拝殿方向へ
白山神社2019,5,4 167-4z
午後の陽光と杉木立の静寂なひと時、何物にも代えがたい時空をゆっくりと拝殿に向かって
参道へと
白山神社2019,5,4 168-4l
欲を言えば、もう少しカメラが高価であれば・・・と、吾輩の技術の無さをカメラのせいに・・・
何はともあれ、拝殿の右の境内
白山神社2019,5,4 169-4x
境内の左側
白山神社2019,5,4 170-4c
後ろを向いて
白山神社2019,5,4 171-4v
拝殿の前方、境内の雰囲気を分って頂きましたでしょうか(^o^)/
白山神社2019,5,4 173-4n
   拝殿  安政6年(1859)の造営
天正2年(1574)兵火にかかって焼失する以前は、正面45間という我国最大の拝殿であった。今も左右に残る巨大な礎石が規模の雄大さを物語っている。その中央部に再建された現在の拝殿は江戸時代の寄棟造り榑葺(くれぶき)の簡素な建物であるが、天平時代の風情をよく残していると言われる。
正面入り口にかかっている「中宮平泉寺」の額は一品天眞親王の筆。拝殿内の絵馬は越前藩主松平家以下の奉納にかかり、桃山以降の逸品である。
『どれもこれも撮影せず』(~_~;)
紹介される拝殿のポイントで、相方さんの記念撮影・・・・・小さめに・・・
白山神社2019,5,4 198-4m
そして、拝殿の後ろにはご本殿
白山神社2019,5,4 174-5q
石段を登り本殿で参拝
白山神社2019,5,4 175-5w
お賽銭を入れて、ふと上を見ると、なんと立派な龍の彫り物
白山神社2019,5,4 183-5t
左にも
白山神社2019,5,4 184-5y
対の龍、何か意味があるのかも
白山神社2019,5,4 176-5e
  御本社  寛政7年(1795)の造営
御祭神 イザナミノミコト。現社殿は越前藩主松平重富公による再建で総欅の入母屋造り榑葺。昇り龍・降り龍の丸彫、壁面の浮彫などの彫刻も秀逸で、奥越には珍しい華麗な建築である。
御本社を中心に右に別山社、左に越南知社を配するのは、白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからであり、このように白山三社の神々を勧進することは当社創建以来の姿と思われる。今は失われているが、中世から近世には、さらに金劔社と加宝社が加えられ、五社が整然と立ち並ぶさまは壮観であったと思われる。
と本殿から見た拝殿の後ろ
白山神社2019,5,4 182-5r
チョイト違いすぎると思うのは吾輩だけだろうか(?_?)
御本社の右端から今で言う奥の院への鳥居をくぐり
白山神社2019,5,4 195-5t
参道を上って行くと
白山神社2019,5,4 185-5r
楠木正成のお墓
白山神社2019,5,4 193-5i
説明書には
白山神社2019,5,4 194-5o
三之宮 明治22年の改築
安産の守護神として信仰が厚く、そのために当社は昔から安産の御守りと岩田帯を領布している。
楠木正成公募塔  延元年間(約650年前)の建立
当社は後醍醐天皇の建武の中興に際して、北条氏の一族を大野郡牛ヶ原に攻め滅ぼすなど、官軍との関係が密接であった。古い縁起によると楠木正成公甥恵秀律師は平泉寺の衆徒の一人で、延元元年(1336)当社三之宮に参籠していると夢に大楠公が騎馬姿でで現れ、不思議に思っていたが、やがて大楠公湊川戦死を聞き知るにおよんでそれがまさに夢見の日とわかり、その場所に五重の石塔を建てて菩提を弔った。と伝える。周囲の石柵と参道は寛文8年(1668)越前藩主松平光道公の奉納によるものです。
こちらが「三之宮」です
白山神社2019,5,4 192-5y
という事で、平泉寺白山神社の参拝は一通り終わりましたが、平泉寺が中世の一大宗教都市だった遺跡が残っているという場所を尋ねながら帰る事にした。
尚、この道を白山詣でに使用した「越前、禅定道」はここから始る。
下に向かって左に入って行き、境内の林が途切れた所からが、平成元年から発掘が始まって見つかったもの
まずは出て来たところ
白山神社2019,5,4 200-5p
誰かの怪しげな影も映っている道を登り、遺跡として発掘された「中世石畳道」
白山神社2019,5,4 205-5d
なだらかな斜面を階段状に造成した坊院跡(僧侶の住居跡)
白山神社2019,5,4 206-5f
横道も石畳道が配置され、坊院が多いい時で6千、僧兵8千もの数が生活していたとの事
白山神社2019,5,4 202-5a
当時の面影を再現した土塀、以前紹介した、近くに在る朝倉遺跡の土塀に似ている。
そしてどんどんと降りて行くと
白山神社2019,5,4 209-5g
若宮神社の大杉。岩屋観音の大杉を見た後であったので、感動も今一つというところ、しかし、こちらは一本ものの大杉「見る事一見の価値アリ」・・・で駐車場に帰ってきた写真が
白山神社2019,5,4 218-5h
マンホールの蓋であった(?_?)
昔は「平泉寺・ひらいずみでら」→いつの間にか「平泉寺・へいせんじ」となったらしい。
その他の逸話
自殺の名所で有名な東尋坊、平泉寺に平安時代いた僧の名前で、東尋坊から突き落とされたことに由来する。

「平清水」の独断と変形の水評価は
勝山出栗田多くは「軟水」であったが、ココの水は「弱い硬水」でありコーヒーもまぁまぁ美味しく飲めました
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は





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NO299:勝山市伊知地の「上清水・下清水」

白山神社2019,5,4 116-2p
「旧木下家住宅」を後に、岩屋川の下流の集落へ、そこに昔から生活用水に使われている湧水があるという。
小さな集落なのですぐ見つかると思いきや、道路が張りめぐらされているような街並みであったが為、村中を2~3回徘徊して見つかった清水でした。
白山神社2019,5,4 061-2a
道が狭く水を汲むのに車が置けないので、この「クボ」理髪店の駐車場に快く置かして下さった店主に甘えての水汲み。理髪店より手前10mの所に「下清水」があります。
白山神社2019,5,4 065-2s
集落の中に湧き出ている水の場合、飲み水に利用するより生活用水として利用しやすいようにこの様にコンクリートで貯水池を作り、この水が利用しやすいように作ってあります。この方法は全国で多く用いられているようです。
白山神社2019,5,4 063-2d
水は地蔵さんが安置してある右の奥から湧き出している模様で、石を伝って傍まで行き水を汲めるようにもしてあるようでした。そのせいか、汲んだ水はキレイな水が汲めました。
水を汲んでいると、近所から老婆がやってきて話す中で、「上清水」がこの道の理髪店から100~150m程先にある事を聞き出したのだが、理髪店の主人と老婆が言うには、この水を集落の人は飲み水には使っていない(~_~;)それよりも飲み水には、この集落より下手にある永平寺町の境に水が出ており、そこで汲まれているとの事、時間があればそちらにも回ってみますと、丁寧にお礼を言って「上清水」へと向かった。
白山神社2019,5,4 068-2h
下浄水から来た道で、その先の道の様子
白山神社2019,5,4 069-2j
集落の外れに在りました。
白山神社2019,5,4 067-2k
こちらの「上清水」の方が設備は整っていましたが
白山神社2019,5,4 066-2l
こちらも地蔵さんが安置してある右奥の門の変から出て来ていましたが、そのもとには行けず、湧き水が溜まった貯水池の水を汲まざるえなかった。そのせいか、帰ってからペットボトルを確認すると、わずかではあったが不純物(吾輩はオラオラと呼ぶ)が入っていた。でも水量は
白山神社2019,5,4 070-2z
すごい量で、右の側溝が集落を流れていた水で、左の側溝が貯水池から流れ出ている水であるが、同じぐらいの勢いで流れていた。それぐらい湧き出しているのである。
ペットボトルに含まれて入たオラオラを見ると、近くに流れている九頭竜川の伏流水ではないかと、『勝手に想像したのである』で、上清水と下清水との水源は別々かも知れません。なお、清水は「じょうすい」と呼び「かみじょうすい」「しもじょうすい」と言います。
教えてもらった湧水は、後程紹介するという事で、第三の湧水の目的地へと向かったのですが
途中、山の空遠く雪が少なかった今年でも、五月になっているのにコン盛と雪を被った山が見えていましたが、
白山神社2019,5,4 080-2x
調べてみると白山連峰との事、勝山のすぐ奥に在ると思っていた白山だったが、結構遠い所にあるのだと再認識しました。
それで、第三の目的地「白山神社」へ行く途中見えて来た物は
白山神社2019,5,4 081-2c
「越前大仏」であった。噂では、破産状態にあると言われていたので、どうなっているのか寄ってみる事にした。
駐車場は広いが、駐車している車はまばらでどこでもOK、でもって無料!(^^)!
到着した時には、勝山の観光地を周遊しているバスも来ていた。
で、いざ出発
白山神社2019,5,4 082-2v
ここから入って行くと商店街が軒を連ねていますが、シャッター通り((+_+))
巨大な山門前で、拝観券を500円で買います
白山神社2019,5,4 084-2n
「越前大仏」作られた当初は入館料3000円もしたそうな!当初は観光寺院として宗教法人に登録せず、多大な税金を勝山市に納めていたが、観光客も思うように伸びず、税金が納めきれず破産、現在は、臨済宗・妙心寺派:大師山「清大寺」というお寺が管理している様である。拝観料も3000円→2500円→1000円→500円と遍歴して現在に至っているとの事。
白山神社2019,5,4 083-2b
境内の図面であるが、どこまで廻れ切れるかと思いながら参拝、まずは大門、料金所の後方に見える建物
白山神社2019,5,4 085-2m
大門仁王像と回廊
大門の左右に勇猛なお顔の仁王様が安置されているこの仁王像は 
中国福建省に於いて3年6ヶ月の日時を費して、漸く完成された
天津の奥地の良質な樟(くすのき)で  極めて入念に制作されたものであって見るからに頑強な  仁王様であり身の丈は26尺あります
この仁王像を遠く中国から  福井県勝山の現地まで運んできたのは  中国天津港から海路船積にして  福井県三国港に陸揚げして大型貨車ににより  漸く大門に仁王様二体を  無事安置が出来ました
回廊は、大門を通るとすぐ、越前大仏が参拝できる様に大きな回廊が二すじあって、参拝者が雪や雨の場合でも安易に大仏を参拝できるように工夫してある
 回廊に使用された木材は樹齢1500年以上の台湾桧の大木が惜しみなく使用してあり、回廊の柱は152本立っており、また柱には節一つ無く、その太さは廻り4尺以上の桧が使用されている
                 昭和62年5月
と書いてあります。その左側:仁王像・阿形(あぎょう)
白山神社2019,5,4 086-3w
右側:仁王像・吽行(うぎょう)
白山神社2019,5,4 087-3e
です。回廊は
白山神社2019,5,4 088-3q
左右に見える廊下の事。中門
白山神社2019,5,4 089-2m
からの回廊で大仏殿へ
白山神社2019,5,4 092-3r
そして、大仏殿へと
白山神社2019,5,4 090-3t
間口58m、奥行き48m、高さ52mの鉄筋コンクリート造りの重層寄棟(外観は四階建)で、東大寺大仏殿を上回る建造物です。銅版で葺いた屋根やその勾配など、随所に豪雪を考慮した設計がなされているほか、窓を多くし殿内に自然光が入るように工夫されています。木造建築の美と風格を模しつつも、現代建築の英知を極めた建物といえるでしょう。
 屋根には、巨大な一対の鴟尾が大師山を背景に金色に輝いています。(パンフから)
そして中に入ると正面に
白山神社2019,5,4 095-3t
どか~ん、と大仏さんが迫ってきます。
「大仏本尊のモデルは、仏教伝来のルーツ中国河南省洛陽市の郊外の龍門石窟の中にある昆廬遮那仏坐像で、身の丈17m。奈良大仏(文検16,2m、実測14,98m)を上回る大きさとなります。さらに光背は23mで2mの石台に3mの蓮台が重り、総高は28mにおよびます。この清大寺、越前大仏は顔や首が端正で穏やかなのが特徴。切れ長の美しい目をやや下に向け、脚下に集まる衆生に慈愛と救済の光を降り注ごうとしておられます。大仏ー昆廬遮那仏は如来や菩薩のつながりを体系づける中心仏、宇宙間の思想に基づく至高の仏ですが、越前大仏はまさにその思想の最大の表現といえるでしょう。使用された銅の量は220トン。鋳造物としても世界最大(創建当時)のものとの折り紙がつけられているほどですから、この最大・最高の越前大仏は久遠の宇宙の生命を具現して、今私達の前に姿をあらわされたのです。
 大仏左右には菩薩像(11,2m)羅漢像(10,3m)各二体が脇侍仏として配置され、大仏殿三方の壁には龕と呼ばれる棚が11段あり、あり、そこには高さ1m余りの小仏群千二百八十一体安置されており。(パンフより)
横の棚がコレ
白山神社2019,5,4 097-3y
実物を見ればこちらも圧巻である。越前大仏を横から見れば
白山神社2019,5,4 098-3u
一通り見て大仏殿から出た相方さんは、「ありがたいとチ~トモ感じとれん」・・・の一言
そして、五重塔へ行く途中九龍殿があり、中には「九龍壁」ちゅうもんがアリ
白山神社2019,5,4 106-3i
九龍壁は中国・北京市の北海公園の湖畔にあり、中国の国宝第一号に指定された由緒ある装飾壁ですが、それを中国政府の許可の元に再現したものですが、この境内の九龍壁です。七色の瑠璃瓦で造られ、両面には古代より帝王の象徴とされてきた九頭の龍が、宝玉に戯れています。この九龍壁は越前の地を流れる九頭竜川にちなんでここに設置されたのです。
白山神社2019,5,4 107-3o
現在でこそ技術の粋を集めて作れるのでしょうが、230年前、こんな鮮やかな壁を作った技術も立派なものです。
この九龍殿を通り抜け5重の塔へ
白山神社2019,5,4 108-3p
大きすぎて近くから総て入るかな~と、写真を撮りましたが、何とか全景が撮れました。それでは中に入ります
白山神社2019,5,4 110-3a
エレベーターが付いていて、五階までエレベーターで昇り、展望へ
白山神社2019,5,4 118-3d
大仏殿の前庭全景、次に勝山市街の遠望
白山神社2019,5,4 115-3s
近くには、勝山城博物館
白山神社2019,5,4 117-3f
このお城も一般人が建てたというものらしいが、実際には勝山にはこんな立派なお城は無く、架空の勝山城らしいです。
共(越前大仏・勝山城)に、勝山市に関係のある人が造ったというもの。
で、五重塔は、高さが76mで、京都市の東寺の五重塔55mを抜いて日本一の高さだそうです。一回ごとに金仏や石仏が安置されていましたが、暗くてきれいに写せませんでしたがアップしておきます。
五階仏像群
白山神社2019,5,4 114
階段で下りて四階仏像群
白山神社2019,5,4 119-3h
三階仏像群
白山神社2019,5,4 120-3j
二階仏像群
白山神社2019,5,4 121-3k
一階仏像群
白山神社2019,5,4 122-3l
でした。
我らは此の後越前大仏を後にしましたが、越前大仏「清大寺」のいきさつを書いておきます。
『昭和62年5月28日奥越・勝山の地に落慶した大師山清大寺は、大実業家故多田清翁が、当時成功立身出世できた恩に報いるため、財を投げうって父母祖先の眠るこの出生の地に建立されたものであります。
22ヘクタールに及ぶ境内には大仏さまをはじめとして、日本一の高さ規模を誇る五重塔や大仏殿など諸伽藍が配置され、さらに中国の国宝を再現した九龍壁や日本庭園など見どころが尽きません。
そして今、さまざまな願いをもった人たちに祈りの授けどころとして参拝されています。(パンフより)
ちなみに勝山浄博物館も多田清氏です。

伊知地の「上清水・下清水」の独断と偏見の水評価は
一本の道の上と下に湧き出ている水なのだが、下清水は綺麗な水であったが、上清水の方は帰ってからよく見ると少々浮遊物が入っていた。上清水は湧き出ているところで汲む事ができず、貯水池の中で汲んだ事が原因かも知れないが、吾輩が想像するに、下清水は山からの湧水で、上清水は近くを流れている九頭竜川の伏流水かも?と思うものである。・・・で評価は普通の軟水で系
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ。

詳しい場所は




NO289:岩屋観音堂の「御神水・観音水」

白山神社2019,5,4 033-1q
前回「白龍の瀧の霊水」で終わった勝山市に再び行ってきました。大型連休の後半5月4日の良い天気(^o^)/
御じぇじぇの無い我が家は、今回も日帰り旅行、予定として3ヶ所の名水を汲んでくる予定で出発。まずは天然記念物の「子持ち杉」樹齢・伝承1200年が鎮座する岩屋観音堂に美味しい「御神水」があるという。
大樹好きな吾輩は、まずは皮切りに岩屋観音堂から回る事にした。
我が家から勝山市までは約3時間、高速下りて岩屋観音堂へ続く道
白山神社2019,5,4 002-1w
勝山市は白山連峰に近い山の中ですが、結構広い田園地帯が広がる町である。その中岩屋堂へ続く道を走り集落に入ったころ
白山神社2019,5,4 044-1t
旧木下住宅の幟がパタパタとなびいていたので聞いてみると、江戸時代の庄屋の家屋を手入れをして後悔しているとの事、帰りに寄ってみようとそのまま岩屋観音へ
白山神社2019,5,4 004-1r
この地域は芝桜の産地なのか至るとこできれいな絨毯を見る事ができた。さらに山の奥へ
白山神社2019,5,4 003-1e
岩屋観音堂に併設されているのかキャンプ場の標識、その方向へ
白山神社2019,5,4 005-1y
道は広くなったり狭くなったりの山道、キャンプ場へ到着
白山神社2019,5,4 007-1s
駐車場にキャンプ場の見取り図が
白山神社2019,5,4 006-1u
大型連休の関係か、家族連れが数組は来ておられた。渓流も流れ魚釣りも7出来るようです。
我々は、キャンプが目的ではないので神社がある方へ移動
白山神社2019,5,4 008-1i
参道を上がって行き、鳥居の近くに境内の案内図が
白山神社2019,5,4 012-1p
大岩巡りの案内である、とりあえずめぐってからに水は探すことにして山道へ
白山神社2019,5,4 014-1a
そろそろ、おヘビ様も出る頃、あまりこのような場所には入りたくないが、遠くわざわざ来たのだから、意を決して登る事に
少し登ると、大岩の洞窟が見えてきた。
白山神社2019,5,4 015-1d
近づいて覗いて見ると
白山神社2019,5,4 016-1f
洞窟の中に朽ちかけた小さな祠が置いて有り、この中を潜り抜けて反対側に出て行く『胎内くぐり』という神事らしい。
どの様な御利益があるのか解りませんが、大岩の反対側の出口は
白山神社2019,5,4 020-1g
小さな穴から出て来るようです。吾輩は気持ちが悪いので「パス」その前に、胎内をくぐるのは1度でいいかな~
で、先を急ぎ、こんな所を通り
白山神社2019,5,4 022-1h
大岩を回り切ったところで整備された道へ
白山神社2019,5,4 023-1j
そこを歩いて行くと
白山神社2019,5,4 025-1k
岩屋稲荷神社と飯盛杉に着きます。境内で二番目に大きい杉だそうです。・・・が、ビックリするほどの杉では無かったので感動もせず、先へ進みます。
後は下りの様で、こちらはコンクリートの階段
白山神社2019,5,4 030-1l
どうも我らは反対から回った様子、岩屋観音堂が見える所まで下りてくると
白山神社2019,5,4 032-1z
天然記念物の「子持杉」が目の前に、しかし、一本の大きな杉ではなく、昔一本の杉の根元から枝分かれした幹が大きくなり全体として胴回りが大きくなった大樹で、幹周り17,0m・樹高39mあるそうです。
根元には
白山神社2019,5,4 033-1x
大杉を祠とみたして、小さな石地蔵がこちらを眺めていました。・・・で目的の名水は?
白山神社2019,5,4 036-1c
御神水心
観音堂裏に湧き出る観音水
咽うるほす時無の世界なり
色有りて色無し
形有りて形無し
味有りて味無し
心清め身も清め
観音堂の御前で双手を合せ
南無観世音菩薩と伏し拝む
蕪蓏渕(かぶらぶち)に映れし我が身の姿
水清く意の如く輪の如し
如意輪行なり
観音堂の拝殿がこちら
白山神社2019,5,4 035-1b
お堂の後ろから「観音水」が出ているという観音堂
白山神社2019,5,4 034-1v
吾輩が確認した限り、草が覆い繁った側溝から水は出て来ていたが、汲める水はこちらにのパイプから
白山神社2019,5,4 039-1n
それに、手水の蛇口
白山神社2019,5,4 038-1m
なぜか、観音堂に上がって来た時はパイプも蛇口からも水は出ていなかったので、大岩巡りをしてから湧水を探さなければと思っていたのだが、帰って来ると、ナゼか両方から水は出て来ていた。神の思し召しか、それとも近代的なセンサーが大岩巡りのどこかに設置されていたのか・・
それはともかく、名水「観音水」も無事頂けましたし、観音堂を後に下山して行き、例の「旧木下家住宅」へと寄り道
白山神社2019,5,4 049-2q
「旧木下家住宅」の概要をパンフから書き出します。
 旧木下家は九頭竜川とその支流の岩屋川の氾濫をさけた台地上の上野区にあります。
 上野区内からは、縄文時代や平安時代、室町時代の遺物も見つかっており、古くから人々の生活する空間であったようです。
 木下家は代々甚右衛門を名乗り、上野においては草分け百姓5軒の内の1軒と伝えられています。
 指定建物の主屋は、約700坪の敷地の北西側に建ち、東側には庭、南に土蔵跡と前庭が広がります。
 間取りは、玄関を入ると4間(7,2m)四方の広い空間(ニワ・オイエ)があり、
白山神社2019,5,4 053-2w
{ニワから囲炉裏のあるオイエを見た様子。その時は老人が囲炉裏で黙々と焚き火をされ、江戸時代の雰囲気を演出されていた。おそらく木下家の現当主であろう}
玄関を入るとニワの左手にはウマヤがあり
白山神社2019,5,4 050-2t
オイエはニワの右手になります。ニワの奥に8畳の和室が4部屋、さらにその奥にブツダンノマと横にボウズベヤが配置されています。
白山神社2019,5,4 055-2r
暗くて手振れした((+_+))
 こういった間取りは、福井市から勝山市や大野市にかけて分布したものです。木下家の場合は、そのウマヤとナガシが左右に突出した「両袖造」になっており発展したものです。
180年ぶりの本格的な半解体修理について
 旧木下家住宅は、建築後約180年が経過していることから、建物全体が反時計回りにゆがみ、各所で沈下や雨漏りが発生していました。そこで、勝山市では文化庁や福井県の補助を受けて、平成27年度から30年度までの4か年計画で、骨組みだけを残して建物を分解して根本的な修理を行う工事を実施しました。
 まず、修理工事に関しては、修理中の建物を雨や雪から守るため、最初に覆屋を設置しました。
 その後、骨組みだけを残して、建物を上から順に丁寧に分解して行きます。取り外した部材には整理番号をつけ、破損状況や加工技術などを調べます。使える部材は極力使い、腐った部材は継木や埋木で補修しました。そして、修理の完了した部材を分解とは逆の順番で組み立てました。
 今回の講じにあわせて、耐震診断を行い、耐震補強工事も実施しました。
修理工事でわかったこと
天保10年(1839)頃に完成して以後、2回(第1期10~20年後、第2期戦中から戦後)の大きな変遷が明らかになり、第1期の頃の間取りに復元しています。
重要文化財指定  平成22年6月29日
福井県勝山市の北西部、北郷町伊知地(上野)地区にある。江戸時代後期の庄屋の屋敷です。
この建物は建てられてから大きな増改築がなく、現地にそのまま残り創建当時の外観や間取りをよく留めていることや、建築年代のわからない古民家が多いい中にあって、建築年代や経費を記録した史料、さらには永平寺大工の関わったことを示す史料などが残ることから指定を受けました。
特に見所は、茅葺屋根で
白山神社2019,5,4 058-2u
黒い模様は特別らしいもの
白山神社2019,5,4 059-2i
三層に作られているとの事でした。
庭にはスプリンクラーも設置されていました。
白山神社2019,5,4 060-2o
しかし火災になれば、この程度の放水銃で役に立つのだろうか(?_?)

○岩屋観音堂の「御神水・観音水」の独断と偏見の評価は
エスロンパイプで導かれてきている水は、実際何処から来ているのか確認できませんでした。水道水カモ?とは思いたくない
珈琲を飲んでみると軟水の爽やかな水であった。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は







NO285:たらたら山の「白龍の滝の霊水」

2019,3,3、勝山 089-2a
「杤谷の水」を汲み終えて、もう一ヶ所「白竜の滝の霊水」に向かう事にした。
この場所は、情報元では近くに在る浄土寺川ダムへ行く途中に在るという。カーナビにダムを入力するとスキージャム勝山へ行くルートを出してきた。
スキージャム勝山に行くには有料道路を通らなくてはならない。今回は雪も見たい気持ちもあったのでいい塩梅であった。
2019,3,3、勝山 122-2s
この信号を曲がると
2019,3,3、勝山 123-2d
スリップ注意    料金所アリ   この先スキー場
の掲示板、一応有料道路を電光掲示板で促している。
2019,3,3、勝山 124-2d
スグ料金所が出て来るものだと思っていたら、報恩寺山有料道路  料金所まで3、0km  福井道路公社
との事で、どんどん上がって行くと
2019,3,3、勝山 125-2f
路肩に雪景色が見えてきた・・・・・が、チョイト少ない
そうこうしてる間に料金所
2019,3,3、勝山 064-2g
820エンなりーと、吾輩にとってはチト高いな~と
そして
2019,3,3、勝山 127-2h
スキー場に到着。それにしてもスキー場も雪が無い((+_+))
駐車場から先の道路には、通行禁止のパイロンが置いて有りそれ以上進めず、駐車場へ
ソコからのスキー場の眺め
2019,3,3、勝山 126-2k
すべっている所だけ雪が残っていますが、人工雪なのかも(?_?)
こちらには
2019,3,3、勝山 129-2l
今年の冬は活躍する日が少なかったのではと思われる、働く車
結局、無理して通行止めを突破しても遭難するとシャレにもならないので、再びUターンして料金上へ、そこで浄土寺川ダムへ行く道を尋ねてみると、「国道まで下りて、下って行くと水芭蕉の看板が立っているので、そこを左折して行けば分りますよ」との事、帰りは料金ナシとの事で、お礼を言って国道まで、そこを左に折れて進んで行くと
2019,3,3、勝山 121-2z
天然温泉の勝山温泉センターの「水芭蕉」の看板が目に入った。そこを左に入って行くと100mも進むか進まないぐらいに三叉路に突き当り
2019,3,3、勝山 117-2x
立派な看板が立っていた。矢印の方向へ
2019,3,3、勝山 116-2c
思いのほか良い道だな~と、情報元では、川に赤い橋が架かっているのが見えるので、その橋を渡って数百mもしない所に有るという・・・・・で、川の縁を(いうても30m前後ぐらいは近づいたり離れたりの道を上って行くと、ナントダムの下まで来てしまった。
あれ~・・・どこに橋があったのだろうと思いながら、とりあえずダムの見学に行ってから、ゆっくり考える事にして、引き返して川から離れ山道の方へ上って行きダム湖へ
2019,3,3、勝山 068-2v
先程着いたダム下
2019,3,3、勝山 067-2b
も見えます。
ダムの概要説明版には
2019,3,3、勝山 066-2n
浄土寺川ダムは、一級河川九頭竜川水系浄土寺川の福井県勝山市村岡町浄土寺地先に位置する多目的ダムです。浄土寺川では、従来から治水事業が行われてきましたが、これまで台風による出水から、たびたび被害が発生しました。また、地域の農業用水としても利用されています。夏季にはしばしば深刻な水不足に見舞われました。さらに近年の生活水準の報恩時山リゾート開発などによる観光客の増加に伴う水道用水需要増が予想されるため、安定した水源の確保が強く望まれました。このような事から、洪水調整、流水の正常な維持、水道用水の確保を目的とした浄土寺川ダムが建設されました。
以下省略
2019,3,3、勝山 069-2v
上流部の貯砂ダム周辺の様子。再び戻る時ダムの駐車場に一台の軽トラが止まっていたので、地元の方だと思い窓ガラスをノックして開けておらい、「この辺に白竜の滝」というところが有ると聞いてきたのだが知りませんか」と、その方は年恰好は20前後の方で、車の中で本を読んでおられた。その方いわく「僕は地元ではなく、金沢の方から来たので、わかりません」との事、なんでわざわざこんなとこまで来て本を読んでるか意味不明であったが、そんなことは尋ねるすべもないので心の中に閉じておいた。
という訳で、再度来た道をノロノロ運転で橋を探しながら下って行った。・・・と、
2019,3,3、勝山 073-2b
情報元に乗っていたような欄干と、赤い橋があった。これだ!と思い車を止めて
2019,3,3、勝山 112-3q
リュックにペッTPボトルを突っ込み橋を渡って行ったのでありました。
スグ山に突き当り、右の方は
2019,3,3、勝山 114-3e
荒れた農道、左の方は
2019,3,3、勝山 113-3w
山の中に向かっている道であった。こちらは側溝に水がたくさん流れていた。吾輩としては当然左の道を検索する事にして歩いて行くと
2019,3,3、勝山 105-3r
宗教施設だったような工作物に出くわし、さらに確信を深めた
2019,3,3、勝山 106-3t
其の奥には大岩が鎮座しており
2019,3,3、勝山 107-3y
その岩の根元から水が湧いて出て来ている様子
2019,3,3、勝山 108-3u
しかしよく見てみると、その大岩の後ろの方から出て来ているようなのでさらに進んでみると
2019,3,3、勝山 110-3i
祠があったのか、コンクリートの基礎みたいなものが有り、その前にパイプから水が流れ出ていた。これがいわゆる白龍の滝と称するものなのかな(?_?)しかし、この水は本当に地下水なのか(?_?)
元を探ってみようと山に入って行ってみたが
2019,3,3、勝山 077-3o
谷水の流れで、さらに上って行くと
2019,3,3、勝山 078-3p
大きな石ころの間から水が流れ出していたが、その上の谷間から流れ込んでいる水が出て来ている様で、湧水と言うには・・・今一つ納得できない流れであった。
「白龍滝の水」てこんなものかい・・な・・と思いながら、水を入れるのは諦めて引き返してきた。
しかし、情報元では、洞窟の中にしたたり落ちる湧水と写真入りでアップされていたので、ダメもとで右の農道の方にも検索してみる事にした。
2019,3,3、勝山 103-3a
こちらは橋の入口に一輪車が置いて有ったが、それを押して通れるぐらいの道が続いていた。
100mぐらい続いた道
2019,3,3、勝山 101-3s
やはりこのままで何もないのかも(?_?)・・・と疑心暗鬼な気持ちがよぎったりする中、とりあえず行けるとこまで行ってみようと進んでいたら、急に
2019,3,3、勝山 100-3d
山の斜面が岩肌に変わってきた。それもそそり立っている。さらに進むと岩の窪みに
2019,3,3、勝山 098-3f
小さな石の塔が入れてある。拡大すると
2019,3,3、勝山 097-3g
宗教施設の何かかと「天之御中主神」と掘ってある。意味はワカリマシェ~ン。
さらに進むと
2019,3,3、勝山 096-3h
今度は岩穴に、お札が入れてあり、その横には賽銭箱も、チョイト気色が悪い雰囲気
「○手観音菩薩」と書いてある・・・もしやその裏に観音様が安置されているのかも(?_?)
そして岩のでっぱりを曲がると
2019,3,3、勝山 095-3j
机と長椅子が見えてきた。アッタ!と心おなかでバンザ~いしていた。
近寄ってみると
2019,3,3、勝山 086-3k
見てビックリ玉手箱・・・洞窟と言っても小さい。それも周りからして不気味
2019,3,3、勝山 087-3l
周りに石仏の配置が多いいこと、多いい事(~_~;)
しかし、白龍の滝と云われているのだが、どこに滝が有るのか(?_?)
とりあえず覗いて見る事に
2019,3,3、勝山 079-3z
洞窟の奥の岩の隙間から水が噴き出してきている。よ~く見ると
2019,3,3、勝山 080-3x
小さいながらも滝のように上から流れている。今は春先だからよいが、岩場、湿気とそろえばマムシが好む場所、だ・か・ら、白龍と命名されたのかも?入口も龍の口に似ているし。まぁ、水を汲む事が肝心とリュックに入れてきた3本のペットボトルに入れて完了
2019,3,3、勝山 082-3x
しかし、今まで多くの湧水を汲んできたが、こんな湧水の出方の場所は初めてだ。まさに近頃巷で流行っている「パワースポット」になる場所ではないかな~と思える。まさに「霊水」である。
水も汲んだので、少し周りを視察してみる事に・・・と、神木「天狗松」護法魔王尊と書いた札が立っていた。
2019,3,3、勝山 090-3c
sonouewo
見上げると
2019,3,3、勝山 091-3v
杉の木立の間に、岩場から一本、松らしきものがそそり立っているのが見えます。拡大してみると
2019,3,3、勝山 092-3b
天狗の鼻のように、岩場からそそり立っているためか(?_?)それにしても、周りに生えている杉やヒノキの幹が、岩場の上に生えている凄さ!、それも、真直ぐ天に向けて伸びているさまは圧巻であった。
後はこれと言ったものは無かったので帰る事にした。
車の場所に帰って来て、
2019,3,3、勝山 115-3n
この一輪車の目的が「ポリ容器を積んで水汲みに使うために置いて在るように思えてきた」と、勝手に解釈
今回の水汲みの目標はクリアー、少々時間が余ったので、ローカル線でたまにテレビに出て来る越前鉄道の終着駅、勝山駅に寄ってみる事にした。
2019,3,3、勝山 001-3m
駅舎の端の方に古めかしい軌道車が置いて有ったので近くまで行ってみた。
2019,3,3、勝山 002-3m
なんでも、動態保存では日本最古の電気機関車との事
2019,3,3、勝山 003-3m
ー「はたや」のまち 勝山をささえたー
    電気機関車『テキ6』
 大正三年(1914)、京都電灯株式会社は、北陸初の電気鉄道として、「越前電気鉄道」を開業しました。しかし、開業期に導入した機関車や電動客車は、どれも小さく、力もなかったため、輸送力が不足するようになってきました。
 そこで同社は、大正九年(1920)に自社設計の電気機関車テキ6・7・8・9の四台を、同じ仕様で大正十二年(1923)「テキ10・11」の二台を製造し、貨物輸送車としてー福井ー勝山ー大野間の織物製品や、木材などを運び続けてきました。
 そして「テキ6」は、昭和55年(1980年)に60才で現役を引退し、福井口車庫で車両の入れ替え作業用として残されてきました。
 この「テキ6」が、旅客会社で所有する動態可能な電気機関車では日本最古のものであることを紹介したのは、東京交通博物館に勤めておられた故 岸由一朗学芸員で、その後多くの鉄道フアンに注目され愛されてきました。
 平成23年(2011)、「テキ6」は、越前鉄道株式会社から勝山市に寄贈され、勝山市の発展に寄与した貴重な産業遺産として、また現在でも動かすことのできる日本最古級の電気機関車として、ココ勝山駅に動態可能な状態で保存・展示することになりました。
そうこうしているうちに電車が入って来た
2019,3,3、勝山 010-4q
そして、駅舎に止まっていた電車が出発して行きました。
2019,3,3、勝山 011-4w
我が街にも「丹後ちりめん」を支えた加悦鉄道がありましたが、今は「SL広場」として保存されていますが、存亡の危機にある様です。

「白龍の滝の水」の水評価は
軟水系の透明感のある綺麗な水で、美味しく飲めました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v
詳しい場所は



NO284:勝山市の「神谷の水」

2019,3,3、勝山 019-1q
○ ダイノベンチ恐竜博士(博物館のキャラクター恐竜博士が座るベンチの事らしい)

「恐竜」という名前は、DINOSAURIAダイノサウリアという動物のグループ名からきています。1841年までにイギリスでは、イグアノドン、ヒラエオサウルス、メガロサウルスと3種類の絶滅した大型爬虫類はちゅうるいが発見されていました。イギリスの有名な解剖学者でもあり古生物学者でもあるリチャード・オーエンは、1842年にその3種の化石動物がこれまで知られている動物とはまったく異なったものであることから、新しい生物のグループ「DINOSAURIA」を作りました。これはギリシャ語の「deinos sauros」に由来しています。つまり、「恐ろしいほどに大きい」という意味の「deinos」と、「トカゲ」という意味の「sauros」を合わせた言葉です。「deinos」は確かに「恐ろしい」という意味もあり、日本では「恐ろしい竜」、つまり「恐竜」と訳したのですが、そもそもは「恐ろしいほどに大きいトカゲ」の意味だったようです。今年の冬は当地方では雪が積もらず、3月に入り雪恋しくなり北陸に行けば積雪が見れるとの思いから、白山の麓にある「勝山市」に行って見る事にした。

勝山市の湧水の情報を調べてみると、多くの汲む場所がある。前回の教訓から今回は2ヶ所に絞って行く事にした。
勝山市の観光情報を調べてみると、行ってみたいところが数ヶ所見つかった。
まずは日本規模で有名な「福井県立恐竜博物館」に立ち寄りながらその近くに在った「神谷の水」を目指す事にした。
まずは高速北陸道の北福井JCT(ジャンクション)から、中部縦貫自動車道(無料区間)に入り勝山ICで降りる事約2時間半途中地道を使わず勝山市まで来れました。
やはり最初に行くのは「福井県立恐竜館」があるかつやま恐竜の森(勝山市長尾山総合公園)です。
勝山ICを下りると遠くの山に
2019,3,3、勝山 130-1w
白い大きなドームの様なものが見える所が勝山恐竜の森の様で、そちらの方に移動。期待していた積雪はこちらも同じで、平地には全く見当たらない(*_*;遠く山の色は雪景色であるが
2019,3,3、勝山 013-1e
変わった形の山で白山かも(?_?)と思いながら進んで行くと、田圃の中に突如
2019,3,3、勝山 014-1r
ホワイト恐竜(と言うそうな)が出迎えてくれた。
ソコから5分も経つか経たないかで「恐竜の森」の小高い丘に到着。こんな季節なので見物客も少ないだろうと思いながら駐車場へ入ると、車を止めるスペースを探さなくてはならないほど多くの車が来場していた。
2019,3,3、勝山 054-1r
入口へと進んで行くと大きな恐竜モニュメントが
2019,3,3、勝山 015-1y
入口近くの
2019,3,3、勝山 057-1t
中央から右が入口専用、左が出口専用
2019,3,3、勝山 018-1u
受付で写真を写しても良いかと尋ねると、「写真はOK、ただしフラッシュは禁止、ビデオも禁止」との事であった。
多くの場合写真撮影禁止の展示場が多いい中「おー太っ腹」と、これでブログが書けるとルンルン気分で館内へ
2019,3,3、勝山 020-1i
エスカレーターで地下約三階まで降りて行きます
2019,3,3、勝山 021-1o
エスカレーターを下りて展示会場までの通路には、石の展示物と
2019,3,3、勝山 022-1o
ウミユリの化石の標本
2019,3,3、勝山 024-2a
魚竜
2019,3,3、勝山 025-1s
と続くが、もっと多くの標本が展示してあります。
通路の突き当りに
2019,3,3、勝山 026-1d
2019,3,3、勝山 033-1h
発掘される恐竜の骨、上からも観れるのは別の骨
2019,3,3、勝山 027-1f
ホールに入って行くと
2019,3,3、勝山 028-1s
恐竜のお出迎え、後ろからも
2019,3,3、勝山 034-1g
こちらは恐竜の骨格
2019,3,3、勝山 035-1j
骨格の中には実物の物とレプリカの物がある様ですが見た目には分かりません
2019,3,3、勝山 037-1k
黒っぽい恐竜が実物の様です。草食でティタノサウルス系
1階の地球の科学ゾーンから二階へ上って行くスロープには、中国四川省の恐竜たちのジオラマのコーナーでは
2019,3,3、勝山 039-1c
すごい迫力で展示され
2019,3,3、勝山 040-1v
圧倒されながら上って行く途中に1階を見渡すと
2019,3,3、勝山 042-1b
見学者が少ない所を狙ってパチリと
二階では生命の歴史ゾーンとなっております。
2019,3,3、勝山 046-1n
恐竜も現代に近づいて哺乳類時代のマンモスや大鹿の骨格
海中での
アンモナイト
2019,3,3、勝山 049-1m
マンモスの牙
2019,3,3、勝山 051-2q
こちらもたくさん展示してあり、写し切れないのでこのぐらいにして、水汲みの時間も気になりだしたので出館してきた
2019,3,3、勝山 052-2w
三階まであり、ミュウジアムショップやレストランとなっています。ゆっくり見学するには、2~3時間ぐらいの余裕をもって行く事が望ましい場所でした。
で、吾輩は「神谷の水」を探しに恐竜の森を後にした。
情報元では、ここの恐竜の森を取り囲むように、山の左からと山の右から進んでくる道が合流する辺りに在るはず。吾輩は、恐竜の森から右側の道に出て合流地点へ進んで行くと
2019,3,3、勝山 059-2e
それらしき水車が見えてきた。近づくにつれて幟も立って賑やかにしてある。こんな水汲み場も珍しい。
丁度道の交差する三叉路が広く、水汲み場の近くに駐車しても交通に迷惑にならない様なので、水汲み場の正面に止めて
2019,3,3、勝山 058-r
中に入ると
2019,3,3、勝山 060-2t
正面から水が噴き出している。この地で湧いている水ではないのではと周りを見てみると
まずは
2019,3,3、勝山 063-2y
「ふくいのおいしい水」の認定書が掛けてある。
平成30年9月5日に認定  平成35年9月4日までとの事。
そして
2019,3,3、勝山 061-2u
    水質検査結果書
採取年月日:平成30年7月12日 14時00分
採水地点:勝山市村岡町 神谷の水
採水者:高間 幸範
検体の種別:湧水
________________________
検査項目  検査結果  基準値   定量下限値
一般細菌: 2個/ml  100個/ml    0
大腸菌 :  陰性   検出されない事  ー
ヒ素及びその化合物:0,001mg/L以下:0,01以下:0,001
硝酸態窒素及び亜硝酸態窒素:0,17mg/L:10mg/L:0.02
塩化物イオン:4,1mg/L:200mg/L:0,2
カルシュウム マグネッシュウム(硬度):16,6mg/L:300mg/L:0,5
蒸発残留物:69mg/L:500mg/L以下:1
有機物(全有機炭素TOC):0,3未満mg/L:3mg/L以下:0,3
PH値:6,5(20℃):5,8以上8,6以下:--
臭気:   異常なし  異常でない事  ---
色度:0,5未満 度: 5度以下  0,5
濁度:0,2未満 度: 2度以下  0,2
遊離炭酸:6,3mgCO2/L:20mg/L以下:0,3
上記検査項目について、水質基準に合格
平成30年7月12日~平成30年7月23日
等々です。
そして、「神谷の水」の歴史
2019,3,3、勝山 062-2u
概要
この水は、十数年前まで栃神谷区の簡易水道として、利用されていた。
この水の水源は、ここから約700m離れた山の中腹にある岩の間から湧出ており、ここまで地中配管で密閉的に導かれている。
夏は冷たく冬は暖かく、とても美味しい水なので、区民に愛され簡易水道として40年余利用されていた。
経過
簡易水道として利用して30年を過ぎた頃から配管の老朽化が見られ、多額の修理費がかさむようになった。それゆえに将来の事を考えても、この簡易水道を廃止し、市の上水道に切り替えた。
ところが、この美味しい水に未練を持つ区民も多く、「市の上水道とは別にこの水を残してほしい」と云うことで、村の一番上に新たな水汲み場を設置した。
進展、改善
平成18年3月18日に「ふくいのおいしい水」の指定を受け、さらに22年には、福井型カーボン・オフセット環境ふくいCO2削減貢献事業の補助金を受けて、次の改善を行った。
改善1、配管を現在の水汲み場である国道157号線の近くまで延長して、利用者の利便性を図った。
改善2、老朽化した配管を新品に交換し、さらに途中にあった貯水槽を切り離して直結し、水の滞留をなくした。
改善3、水汲み場を目立たさせる目的で、近くに水車を併設した。その結果、多くの人達に知れ渡り、現在では毎日多くの人達が利用している。
水源地の現在の様子
水源地の今の様子を図1、および2に示す。
周囲をコンクリートでしっかりと固めて、うわ水が混入しない構造になっている。
よって、雨が降っても水が濁ることなく、年中透明度もきわめて良好である。
水質検査について
水質検査は、毎年春、夏、秋と年3回実施している。
検査項目は、右表試験成績表のとおりである。
   平成26年6月吉日   神谷の水管理者

と、村民あげてのこの水を大切に守って来られているという事が、我々部外者にもこの「神谷の水」を飲ませて頂ける機会を与えてくれている事に感謝をしたいと思います。(^o^)/
云うことで有り難く水を汲んでいると、新たに軽自動車が止まり、老夫婦が下りて来られた。
水を汲みに来られたものかと、水汲みを譲ろうと小屋から出て行くと、あにはからんや、車の音がおかしいので見てもらえないか・・・との事
何時も、他人さんに親切にしてもらい水汲みが出来ている事に感謝して、今回は返さなくてはと「車を乗って確かめてみましょう」と吾輩のスマートキーを奥さんに預け、試運転に行ったのでありました。
走れども変な音はせず異常なかったので、水汲み場まで戻り、旦那さんに乗ってもらい再度試運転に出発、その中で「年寄なもので、車屋が進めてくれるものはすべて付けてある」と、最近の車は安全装備が多く付いているので、警告音が鳴ってもどの音か判らないとの事、助手席のシートベルトも確実にしてもらい走ってみるのだが、それらしき音はしないと旦那さん、結局判らずじまいで別れ際に、シートベルトと、ドアは確実にと言ってお別れした。さて、再び水を汲もうかと小屋に入ると、ペットボトルに水が入り終えていた。奥さんが入れとってくれたのだと感謝!ペットボトルを入れたコンテナBOXを車に詰め込み、さて車に乗ろうとした時に、車のキースマートキーが無い(?_?)・・・・といえば、車の試運転に行くときに奥さんに渡しておいたのだが、返してもらっていない・・・ガァ~ン・・・さては、返すのを忘れて持って行かれたのでは、ガァ~ン((+_+))
さてさてどうするべえか(・・?  待っていれば戻って来てくれるかな~・・・・戻って来なければ連絡先も知らないので、相方さんに呼びのキーをはるばる持ってきてもらうか・・・・・どうするべえか・・・・・と、イロイロと頭をよぎり・・・・・そうだ、水を汲んでくれていたので、その辺に置いてくれているかも・・・・・と、再度小屋の中へ・・・・と、杭の上に置いて有るのが見えた。
2019,3,3、勝山 060-2t-q
ホッ、と胸を撫で下したのでありました。

独断と偏見の「神谷の水」評価は
「神谷の水」の歴史にも書いてあるとおり、村民の自慢する水で大切にされて来ただけあり、軟水系ですが、コーヒーも美味しく飲めました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デシタ
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