NO101:成相さんの「観音水」

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101回目なので、我が郷土の名刹{願う事必ず成り合う寺・成相寺}の「観音水」をお贈りします。

上記の写真はおいおい書きます。まずは(入山料を払うと頂ける成相寺参拝ガイド)から
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   成相寺由来
 一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の往来もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となった。
 死を予感した僧は、「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈った。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた猪(鹿)が倒れているのに気付いた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して猪(鹿)の左右の腿をそいで鍋に入れて煮て食べた。
やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の左右の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居た。それを知らされた僧は観音様が身代わりとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになった。此れよりこの寺を成合(相)と名付けた。
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というお寺です。このお寺に参拝するには、
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車で、このような急カーブの坂道を登って来るか
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笠松公園までケーブルカーで登って来るか、天気の良い日は
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リフトも動くので、好きな方で登ってきます。やはりリフトでしょう!
で、笠松公園のマスコットのお出迎え
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笠松公園と言えば
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そう股のぞき
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どうでしょう、天に掛かる架け橋に見えるでしょうか(?_?)  

この他、最近できたであろうと思われる
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冠島を正面に見据えての神社で、由緒板には「両島は、籠神社の奥宮です。主祭神彦火明命と后神市杵嶋姫命降臨しました彦火明命は豊受大神を祀り丹後丹波から開拓し、后神は航海安全を祈り両神とも国の発展に貢献しました。」

この笠松公園から登山バスで成相寺に行きます。
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タマニは
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歩いて登られる方もいらっしゃるようです。
山門で降りて左に行けば、展望台がありますが、たしか創建1200年祭の時に創建当時あった五重塔を復元した
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どれが一番かっこイイかな(?_?)
そして、横には底なしの池と言われている庭園があります。
 「その昔、この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を次々と呑み込んでいたため、和尚が藁人形で作った小僧に火薬を詰め、それを呑ませて退治したという、この池にまつわる奇怪な話が残っています。」(天橋立府中観光HPより)
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山門から正面に向かって登って行くと、最初に目につくのが撞かずの鐘
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我々幼少の頃は、成相寺といえば左甚五郎の龍より「撞かずの鐘」の方が有名でした。
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撞かずの鐘の由来
慶長14年(1609)山主賢長は、古い梵鐘に変え新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。
 やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れきに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。
幼少のころは、この話が怖くて、この鐘楼は近寄りがたい存在でした。
それから、石段を登って行くと巡礼堂と一願一言地蔵が安置してあります
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奥のお堂には西国三十三番霊場の各御本尊が祀ってあり、御参りすることで三十三番霊場を巡回したのと同様の功徳がえられるそうです。なお、成相寺は二十八番札所です。一願一言地蔵は
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 この地蔵さんは唯一願(ひとつねがい)を一言でお願いすれば、どんな事でも必ず叶えて下さると伝えられる、大変あらたかな地蔵さんです。
 安楽ポックリの往生も叶えられると伝承されえいmす。  約620年前に創られた大変古いお地蔵さんです。
登山バスでのガイドの折、この地蔵さんはお詣りしときなはれとの事でした。

そして、最上段には本堂が有りますが、その中に
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飛騨の匠(左)甚五郎
江戸時代に雨乞いのため、龍の彫刻を成相寺に奉納することになり、宮津に滞在中の左甚五郎に彫刻を依頼。
甚五郎は快諾したものの、見たこともない龍の彫刻に思い悩む。そんな中、夢で龍が住む場所を教えられた。
早速夢で教えられた道をたどり滝壺に降り立ち、祈る事三日間。渦を巻き白く沸き返る滝壺から龍が姿を現し、見る間に空へと立ち昇り雲の中に消えて行った。
こうして完成したのが『真向いの龍』だといわれています。
その滝壺伝説を以前、NO68:御宮の谷浸透水に書いています。

そして堂内の雰囲気
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これ以上は撮影禁止^_^;

肝心な湧水は、本堂に向かって左横に手水場として重要文化財の鉄湯船の中に龍の口から流れ出ていました。
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この鉄湯船は
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鉄湯船:重要文化財(工芸品)、鎌倉時代正応三年(1290)、鋳物師山河貞清
当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るものではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。  成相寺
この水は聞くところによると、本堂の裏山の浸透水で「観音水」と名がつけられています。・・・しかし、重要文化財を今なお水溜めに使っているとは・・・肝っ玉の大きい貫主だこと・・・。
だいたい成相寺の主な見どころはこのぐらいでです。
水も頂いたので、本堂を後にして日本一のパノラマと銘打っている展望所に行く事に・・・

展望所には、駐車場からさらに1kmほど登りますが、登山バスも登って行く便もあるようです。私は車で登って行きました。
しばらく登って行くと室町時代まであったといわれる本堂跡地の看板が目に付いたので、写真を撮っていると
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下の方で、杉に向かって柏手か偲手かは定かではないが、合掌を大杉に向かってされている姿がカメラに映り込んでいた。
本堂跡地の看板の裏に
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逆杉の説明書きが立てられていた。
       逆スギ(市指定文化財)
 逆スギの有るところは字成相寺小字白山後である。寺伝によると、かっての成相寺はこのあたり「せんだい」と通称する地にあった。「せんだい」は白山台の謂で白山権現のあった所というのが「丹哥府志(たんか)」の説である。寺伝は、応永7年(1400)山崩れの難ののち、中郡三重の成吉越中守り一族沙弥円庵(しみ)が、同29年までかかって成相寺を現在地に移転したと伝える。逆スギの地は成相寺の故地ということになる。
 山崩れで同宇廃〇の時、杭を打って崩れを防いだ、その杭より芽を出し、逆さに枝を出したのが大樹になったというのが近世地誌類の通説であるが、「逆スギ」伝説の起源はもっとほかのところにあるかもしれない。
 樹高は約25m、地上1,5メートルの幹回りは7,1メートルの巨大な杉である。地上1,5メートルの極めて低い樹幹の部分から三本に株分かれして巨大な主幹となるが、その主幹から生じた枝もまた別の主軸となって、叢條する分枝の下部の大部分は下方に伸びているので甚だ奇観である。
 市内のスギ科の属では最大で風格・神韻性ともに抜群である。
                      宮津市教育委員会
  成相寺・観音水 079-b
で、合掌されていた方に話を聞いてみると、時間が有れば、下から展望所までジョギングに来ているとの事、その途中にこの「逆スギ」に寄って樹霊を頂いていると、・・・で、トップの写真がそれであります。
その写真はポーズを再度お願いして撮らせて頂いたもので貴重な写真ですよ~。(*^。^*)
与謝野町では、毎年秋口に大江山登山マラソンを開催していますが、それにも毎回出場しているとの事でした。

今回の大木で、京都府の大木がどうなっているのか調べてみると、な!なんとわが町与謝野町にも、自然200選に選定されている樹があった。いい機会なので、写真を撮ってきました。
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   縦貫道入口付近の集落「石田地区」に在ります。
元に戻して、登山マラソンランナー氏とお別れしてさらに進むと、
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その横に、イワレが書かれた石碑が立っていました。
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その石碑の内容が学術的?に重要な思いがしましたので、書き出しておきます。(読みにくい字はパスします)
          記
平成九年五月旧本堂下の東谷道路入口の山林道路より一段高い山裾が、少し平らに見えた。表土には雑木並びに熊笹がびっしり生い茂っており、一番かかりを掘った所、地下40、50センチの所より五輪塔、及び石仏が出土した。次々に掘り進んだ所、一段目、二段目より次々に五輪塔石仏、その下より壷(遺骨入り)が六ケ出土した。
 壷の中まで雑木の根及び熊笹の根が入り込み、すえての壷の完品はなかった。
 その他に、写経筒は完品、最上段二段目より青磁の小皿二枚出土した一枚は完品であった。
 五輪塔は、五十塔、石仏は六十体出土。永い年月土中に有った為に新造の如く見えた。おそらく、四、五百年間は土中にうづまっていたものと思われる。
 壷は古瀬戸が多く、丹波、越前、はりま地方の壷で須恵器もあった。青磁の小皿は中国北宋十一世紀から十二世紀越州窒で作られた青磁である。日本歴では、平安時代後期頃、五輪塔にはほとんど無名で〇〇坊、及び寒善坊、明徳四年十二月二十八日とだけ記入あり、納経筒には観鷹二年〇〇五月十八日と記入あり(六百六十年前)本堂が現在の所に移ってからは、旧墓地は手入れされなかったものと思われる。
 成相寺開山が、奈良時代前期、慶雲元年(千三百年前)とわ言われているので、平安時代後期までの間の三百年間は空白である。
 青磁小皿が平安後期なれば開山以来ほとんどの歴代の墓地と思われる。
 現在の墓地に移し、此の碑を立てた。
          平成九年十一月吉祥日  成相寺十五世 昭眞

で間もなく、日本一のパノラマ所に着きます。
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右の小屋は、カワラゲを売っているもので当日は置いて在りませんでした。
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     土器盃(かわらけ)投げの伝承と妙味
全国の高山霊域では古くから行われている祈願行事です。
此の十七日間祈願した新鮮無垢のかわらけに自分の思いを込めて投げるとあたかも飛鳥か蝶々が舞う如く飛びます。
ノイローゼ、病気、災難、不幸、心の病、不和、悪い思い出、悪い因縁等、常々捨て去りたいと思っているものを捨てて、心機一転
新しい精神生活に踏み出すことができると伝えられています。
「自分の願いをこめて、かわらけを輪の内を通すよう投げてください。輪の中を通れば願いがかなうと、昔より云われています」
成相寺・観音水 086-b

・・・との事ですので、思い当る方はこちらに来て投げてみて下さい。信じる者は・・・   保証はしかねますが・・・
尚、日本一のパノラマは天気が良すぎて霞がかかり、写真が薄くて値打ちがありませんのでぜひ一度来て自分の目で見て下されm(__)m
帰りがけ
   成相寺・観音水 093-b
こんなものも上がって来たYO~。

で、肝心な「観音水」の味の方は・・・期待していたにしてはもう一つという所でしたので
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ  おしまい 

詳しい場所は
    
大きな地図で見る 
 
   
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NO68:畑集落にある「御宮の谷浸透水」

「観音名水」におられたオバサンに聞いて宮津市日置地区畑に戻り、ソノ湧水を引いて来ているという家を探しに!
いくら畑地区の件数が少ないと言っても見るからに20件前後は有りそうな集落である。
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畑地区の中心部の雰囲気です。  聞くが早いと一軒の家で聞いてみると、何のことはない其の家から脇道を入って行けばよいとの事、
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この写真は湧水を入れている時に撮ったものですが、その家の湧き水があるとこの雰囲気です。

で、とりあえずそのお宅に行き湧水を頂きに来た旨をお願いに行き、快く承諾いただきました。
水を頂いていると、奥さんと旦那さんが出て来られて、イロイロと話をして下さった。
まず、自分たちは宮津市内に住んでいて、定年になったので暇に任せてちょいちょい実家に帰ってきている。
この湧水も、裏の山から湧き出している水をコノ祠まで引いてきた。その湧水は、大雨が降っても1週間ぐらいせな水量が増えて来ないだとか、この祠も自分が作ったとか、この祠もけっこう凝ったつくりで
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其の家の家紋が入れてあったり、湧水の名前も命名してあったりして、さらに凄いのは
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時計と思いきや水温計まで設置してあります。
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水温計の線が水の中に入っているのが見えますかね~
中の作りもうまくまとめられていました。
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横には誰かのポリ容器が、親戚の方が京都市内に持って帰るとか、さらに行ってきた観音名水のあの立派な看板も作られたとか、案内板も作って設置したとの事。手の器用さだけでなく、出身地を大切に思う気持ちが伝わってきます。前に出会ったオバサンにしろ、この人にしろ畑地区がよほど良いのだろうと思えてくる出会いであった。

水も頂けれたのでお礼を言って車へ、何か地元を宣伝するような物がないかと、旧学校跡らしきところへ行って見る事に。そこでもこの畑地区がいかに地元民から愛されているのかが判るもを見る事が出来た。
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集落の高台に在るそれは、元宮津市立日置小学校畑分校の跡地で
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建て替えられた建物の中には紙すきを体験する施設が有りました。
その施設の名前が、
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な!なんとユニーク会館名「婆爺ニアセンター」おそらく爺さん、婆さんたちが集う会館も兼ねているのでしょう。

・・・まぁ紹介できる所もこのぐらいだと、勝手に決めつけ、帰る事に、帰りに畑地区とは少し離れていますが、近場の名所を案内しようと、畑地区に来るときに曲がった金剛心院のお寺の角を上側へ進んで行くと、下世屋の集落に着きます。バイパスに入らず集落の中の旧道を走って行くと地元では有名な谷に架かる橋にたどり着きます。
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龍渓橋と呼ばれ
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横に説明書きが、「世屋川の清流は、深い渓谷を作り、ここに架かっている「龍渓橋」の下は特に険しく、絶壁30m、下には流れが号号と地響きを立てて、岩を噛んでいる。
橋から下を眺めると、寒気がして、身震いして、たじろう程の山峡である。
春は新緑、岸壁には一面の人字草の花、夏は河鹿や蝉の鳴き声、
かわせみが水面すれすれに上流に飛んでいく
秋はもみじの紅葉
冬は樹氷と一年を通して楽しましてくれる。
初代の橋は昭和3年(1928年)架橋。
老朽化し、また自動車も大型化して昭和53年(1978年)現在の橋に架け替えられたものです。
平成20年(2008年)バイパスが開通して、この橋も無用のものとなった。
これが橋の上から覗いた、その渓谷です
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又、龍渓峡の由来はこの橋よりもう少し上がって行くと、この様な立札が
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例により書いておきます
龍ヶ壺  「江戸時代に雨乞いのため、龍の彫刻を成相寺に奉納することになり、宮津に滞在中の左甚五郎に彫刻を依頼。  左甚五郎は快諾したものの、見たこともない龍の彫刻に思い悩む。 そんな中、夢で龍が住む場所を教えられた。 早速、夢で教えられた道をたどり世屋まで来て、滝つぼに降り立ち、上世屋の観音堂に向かい祈ること3日。  渦を巻き白く泡沫が沸き返る滝壺から龍が姿を現し、見る間に空へと立ち昇り雲の中に消えていった。 こうして完成したのが、成相寺本堂にある『真向きの龍』だと言われています。 この出来事を聞いた村人が、龍がいた滝壺を『龍が壺』と呼ぶようになりました。」
今では、写真のように雑草で覆われて滝壺を見る事が困難ですが、橋から見る渓谷の先が滝になっていて、その下に滝壺が有りますが、私の推測では、渓谷が龍の背中のように見えて、滝が空に上がって行く姿に見えるところから作られた話ではないかと思っています。

話がそれましたが、「御宮の谷の浸透水」は観音名水より少し美味しく頂けましたので、
独断と偏見の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした

詳しい場所は


NO67:宮津市・畑の「観音名水」

今回はある地域に在る「観音名水」を検索していたら、偶然新聞記事がヒットして湧水を頂きに行った、宮津市の今までに行った事のなかった山奥の日置地区畑という所にある「観音名水」をお送りいたします。

当日は、TANTANロングライド開催日で、畑地区に行くのにコースを通らなければなりません。
選手の迷惑にならないようにの思いで出発、途中知らない人を応援したりで目的地に向かいました。
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思い思いのスタイルで参加しているようでした。
写真を撮っていた場所から少し走ったところに、以前NO23で書いた妙円寺が有りますが、その先から国道を離れ世屋方面に入って行き写真のお寺「金剛心院」の少し判り辛い門前の道を左に入って行きます。
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お寺の角の石垣の上に、写真では見えにくいですが「カゴノキ」と書いた立て看が立ててありました。
いかにも珍しいモノのようでしたので、検索をしてみましたら、「木の幹に当たる部分の表皮が鹿の子を連想させるマダラ模様で、名前が御加護に通じるところから、社寺に植えてある木」との事でした。宮津市指定天然記念物になっているので、さぞかし珍しいのであろう。
その道を入って行くと、人里から遠ざかって行くような雰囲気の道を2kmほど走って行くと斜面に家屋が立ち並ぶ集落にたどり着きました。
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この集落の中に在るのだろうと、キョロキョロ見ながら村の中を走っていると、こんな案内板が村中に数か所設置されていて誘導してくれました。
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集落を抜けきってもまだ見つからず進んで行くと、さらに奥へ進めとこんな看板が
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その方向へ進んで行くとますます山の中に、
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とりあえず行けるとこまで進もうと山腹を上がって行くと峠に着き下って行ってみると、道に獣除けのフェンスが、その奥には立派な「観音名水」と書いた看板が我々を迎えるかのように立っていました。
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そこは、江戸時代でいうと隠し田の感じで、住いらしき家は見当たらず山奥にしては結構広い田園であった。
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上手く撮れていませんが、遠くには宮津湾が見えます。
ところが、看板の所にはそれらしき汲む場所がないのである。ちょうど看板の傍にある田んぼの端の方で農作業をされている二人連れのご婦人に道から大きな声で「観音名水」は何処ですか~ と尋ねると、ご婦人の足元の方を指して「ここですよ~」との返事
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この写真は、水を汲んでから撮ったので少々雰囲気が違います。 と言うのでそちらの方へ
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有りました!パソコンで検索した時に写っていたものが、新聞に村おこしのために湧水を利用したいと書いてあった割には、山水を田圃に引く側溝と見間違うような作りです。
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覗いてみると水が溜まっていない、「湧水がどこに出ているのですか」と尋ねると「今年は水の出ようが少ないので貯まりにくいようです」との事、本来は石積みがしてある奥に湧水が出てきており、たまった水が上のパイプから出てくるようになっていると、一人のオバサンガ親切にやってきて説明をしてくれました。
それなら、その下に在るパイプのコックをひねれば溜まり水が出てくるだろうと、コックをひねると出てきました・・・真っ黒な泥水が・・・すぐさま止めましたが、溜まっていた水も汚れて飲み水として持って帰るにはチョイト抵抗が・・・
それを見ていたオバサンガ、その石垣の間から出てきているのが湧き水だよと教えてくれました。
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水が出てきているのが分かりますかね~  結局この湧き出てきている水を貰うほかないと、どのようにして汲むか思案の結果、湧き出ている所が水面よりわずか上なので、水面と湧き出ている所の中間に、水を汲むために持参してきた片手鍋をコンクリートに押し付けて汲む事に、しかし、水が溜まるのに時間が掛かりペットボトル二本汲むのがやっとこさ!とりあえず水はゲットできた !(^^)!

何時もそうなのだが、奥方は、とりあえず私に毒味(見)のように先に行かせて露払いをした後に、その様子を見てやってくるのである。その時もそうで、水汲み場にやってきてオバサンと顔を合わせるなり、お互い「まぁ!」との絶叫(チョイト大袈裟だが)
話によると
奥方の与謝野町加悦に在る職場のお客さんで、加悦に住んでいる方。その人がなぜこんな山奥の田んぼで仕事をしているのか?・・・なんでも畑地区に実家が有り、たびたび母親の様子見がてらに母親を麓から遠いいこの田んぼに車で連れてきて、一緒に農作業をしているとの事、今日も山菜取りに来ていた所と言う、そのオバサンが畑地区の中に、湧水を引いておられる方がいるとの事、こちらでペットボトル二本しか汲む事が出来なかったので、そちらの方にも行って頂けたらもらう事にして、ここの観音名水を後にしました。
田んぼの土手には
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可憐なタンポポの綿帽子
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アザミにアゲハチョウだろうと思う戯れ
野の草の平穏な一時、思わず撮っていました(^_^)/

で、独断と偏見の「観音名水」の評価は、この場所で採水した思いの割には美味しく飲めました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デスタ

観音名水の場所です。




 

NO63:縦貫道大江山隧道の「鬼の命水」(仮)

今回は、宮津市上宮津にある京都縦貫道大江山トンネルから湧き出している、「鬼の命水」吾輩が勝手に付けた名前ですが・・・
この湧水を知ったのは、この記事がキッカケでした。
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我が自称湧水評論家?としましては、早速トンネル内から出てきている湧水を試飲したくなるのは当然である!
すぐさま、この新聞社の支局にメールで場所を知りたいと送ったのですが、返事がいつまでたっても帰ってこない、ちょうど我が家に配達しているなじみの販売店主にそのことを話す機会が有り、対応の悪さを訴えると即こちらから連絡を取ってみますとの実に良い反応を示してくれた。数日後新聞社の支局長なる人物から、メールが入ってきた。さすが販売店と思い読んでみると、現地は放水されている処が高く危険なため行くのはよしてくださいというような内容のメールでした。
・・・これではラチが空かないと思い、とりあえず自分で思い当るところを探してみる事にした。
宮津市内から福知山市大江町に出る街道の普甲峠(大江山スキー場)の登り口付近に白羽の矢を当て、その付近を探してみる事に、
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写真のトンネルの上が京都縦貫道なのでとりあえずこのトンネルをくぐって行ってみた
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そしてトンネルをくぐって少し行くと道が分かれ標識が立っていた
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元普甲道 茶屋が成まで2km と書かれている  さらに古い標識も立っていた
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ここまで上がってくると、水の気配がしなくなったのでこの先車で行くのも不安になり引き返すことに、麓の家に立ち寄り聞いてみる事に 「新聞記事に出ていたトンネル内から出てきている湧水の場所教えてくれませんか」と尋ねたところ、この上の方で水は汲めないのでは」との返事、「この近くにも宮福線大江山トンネルから湧き出ている水が出てきているが、村おこしのために・・と思って水を調べてもらったら大腸菌が検出されたので断念した」
と教えてくれた、大腸菌ぐらいならコーヒーを飲むには水を沸騰させるのだから大丈夫と思いその場所に、
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これがトンネル内から出てきている水で、
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その上に在る宮福線大江山トンネル入り口ですが、中を覗くと鉄粉やら油の混ざったようなすすがトンネルの壁にへばりついていた。そして、列車のトイレは今はどうか知らないが以前は垂れ流しだったとか・・・そんなことを思っていると、水ももらって帰るのがいやになり、それは断念^_^; その日はそこで中断することに

・・・で、半分あきらめかけていたのですが、下見に行った数日後縦貫道を走る機会が有り、トンネルに入る手前を注意しながら走っていると、ちらっと新聞に出ていた放水らしき水が見えたので再度気分が盛り上がり湧水を探しに行く事にしました。
当日ダメもとで、コンテナ一個も持参して行く事でやる気満々での出発、前回分岐点であきらめていた所からさらに車一台通れるぐらいの道を登って行く事にしました。
心細い気持ちを押さえながら進んで行くと、新聞の記事の写真の場所に出て行きました。
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見た時に、新聞社が教えてくれた通り川が有りこりゃダメだわ・・と一瞬思ってしまったが、じっくり見渡すと上流の方に橋が架かっているではないか!これならいける!とルンルン気分
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橋を渡って行くと土手に人が歩いた足跡がついている、誰か水を汲みに来ているのかな~と
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結構この土手を歩いていくのも大変だったのです。
写真では足跡は判らねえダ(?_?)

放水口の全景で、
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コンテナの横に片手鍋が有りますが、これで水を掬いました。
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湧き水の出口、思っていたより自然的?かな  一度水ために入ってから放流されます
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で谷川へ
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で、コンクリート壁が150cmぐらいの高さが有り、上から水を掬う事が出来ず、放流口から覗きこんで片手鍋でスクイ漏斗でペットボトルへ入れました。放流口の土管の横に生えている草や水垢が気になりますがそこは目をつぶって大江山の腹の中を流れていたであろう地下水を無事頂きました。

帰りに車で行けるところまで登ってみました。
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右の地道は元普甲道でここを登って行くとスキー場へ行くのでしょう
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次に、上宮津の名所の見物に、知る人ぞ知る(アタリマエ)今福の滝に行ってきました。
上宮津のバイパスを走っていると地元の有志が書いたと思われる案内板が立ててありました。
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この案内板から宮福線の上の山を見ると
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僅かに滝が見えます。北近畿の有名な天滝にも勝るとも劣らない・・・滝デス
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宮福線のトンネルをくぐって今福の集落を過ぎて登って行くと川が合流したところに行きます。
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右が今福川で左が滝川です。近くでお仕事されていた方に今福の滝に行く道を尋ねた際に、昔今福川の水を酒造りに使うために汲みに来て、よく地元に酒の粕をくれた話をしてくださいました。なぜか滝川の水はダメだったらしいとの事、お礼を言って車一台が通る道をさらに登って行くと右手に八部落ちした葉桜になる前の綺麗な桜の木が見えました。後から地元の人に聞いたら水源地の跡らしかった。
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そこから少し行ったところに道を遮断する鉄の扉が設置してあった。
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ここ2~3年前から獣対策にこの地方ではこのような鉄柵が張り巡らされています。以前は電気柵でしたが役に立たないのか、最近はこのような背の高い柵になりました。しかし、猿には通用しないようです^_^;

それから林道に入りしばらく進むと車2~4台ぐらい止めれる駐車場が有り、そこに車を置き「今福の滝」標識に沿って進みます。
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車は、真直ぐ行くと川の土手に止めれる場所もあります。とりあえずこの橋を渡って登り始めました。
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途中「私たちの約束事  ごみのポイ捨て 落書き禁止  きれいにしよう みんなの街とあなたの心  ペットのふん放置禁止  歩行喫煙はやめよう」の標語の書いた板が・・・
次に滝神社と今福の滝150mの標識が設置してあります。
右に行くと滝神社に着きます
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その後ろを進んで行くと、滝つぼにログハウスが建っていました。
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滝つぼ付近から見た今福の滝デス
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そこから、滝の展望台へ上がっていく途中に咲いていた桜
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展望台から見た「今福の滝」
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この展望台まで来るのに老体に鞭を打って上がってきたのだが、さらに150m上に一の滝があるという。上がって行く事に
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そして、今福の滝のてっぺんです
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思いもよらずハードな山登りであったが、滝も思いのほか良い滝であり満足で爽やかな気持ちで下山することが出来ました。
帰りには親子ずれに出会い挨拶を交わしての旅の終りとなりました。

で、「鬼の命水」の評価は、飲みだして一週間ほどして腹痛が起こり「鬼の命水」が原因か、滝登りで疲れて風邪の菌が腹に入ったのかどちらかわからないが、医者に行く羽目になり大変でした。
自然水で、昔から地元の人たちに愛されて現在まで守られている名水は安心して飲めますが、今回のように未知な水の場合「気を付けて飲まなければいけません」・・・まぁ勉強したと思って諦めます。

という訳で、「鬼の命水」の評価は、ミネラルを含んでいるようなコーヒーの味でした。が五つ星までは?独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。

詳しい場所は

つづく 

NO42:ハクレイ酒造の「不動山水」

京都伏見の名水スタンプラリーを回る中で、我が地元とのかかわりが深い、宮津市由良に在る酒蔵「ハクレイ酒造」の水を飲んでみたいものだと思うようになったのが、きっかけでした。
北近畿タンゴ鉄道の由良川鉄橋の麓に駐車場が整備されているので、遠方から来られる方はよくわかります。
しかし、その横に蔵元があるかと言えば・・・そこから約10分ほど歩いて行かなければならないのである。
私も、適っきりそこに在るもんだと思い車を降りると、車でも行ける道順が書いて有り、少し狭いような道ですが水を持って歩くのは大変なので車で行く事にしました。現地の駐車場といっても4~5台止めれば一杯になるぐらいのスペースです。
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この路地を酒呑童子の旗を目印に向かっていくと蔵元の玄関があります。玄関と言っても直売所のお店ですが・・この旗の向かいにあります。
チョイト話は変わりますが、このハクレイの仕込み水がもらえることを知ったのは最近の事でした。この蔵元は以前から身近に感じていましたので、名水「不動山水」を紹介がてらその辺の事も書き込みたい思いが、伏見の名水ラリーを書く中で湧いてきたのであります。
この蔵元ハクレイ酒造は、村おこしの手助けにその土地の酒米を使って、村おこし集団とコラボする形でそこの村のお酒造りをされています。
我が地元与謝野町石川にも村おこし集団「石川塾」が有ります。そこの塾生の発案で、石川で採れた酒米で酒を造り販売するという取り組みをかれこれ十年ほど前から行っております。それが下の写真で「京石川 かたり酒」です。
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このかたり酒のラベルの文字は、塾生の縁で歌手「加藤登紀子」さんに書いて頂いたものだそうです。
このお酒は、毎年12月ごろ出来上がり下の名詞のお酒屋さんで限定700本販売されます。今年は残り50本ほどだそうです。とてもフルーティーなお酒だと思います(私の感想)
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さらにハクレイと石川とのかかわりは深められていきますがそれは後程。
で、元に戻して・・・・お店に入り名水をお願いしたところ快く案内してくださいました。その折沸かして飲んで下さいとの事でした。早速車から容器を取ってきて名水「不動山水」を頂く事に、写真を見てもらえばわかりますが普通の水道の蛇口なので今一名水の気分はしませんでしたが、味には影響しません。
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とりあえず名水「不動山水」をペットボトルに入れてから、少しハクレイ酒造の周りを散策してみると、地酒の生い立ちの説明書きが立てて在りました。
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この中に由良ヶ岳の山麓にある「不動の」の地下水から仕込み水を取っているとの事、それを「不動山水」と呼んでおられるようで、後日地図で探したのですが書いて無く、由良の知人の方に聞いてどこに在るのか教えてもらいました。それがこの滝で、写真で見るより実物は良い滝でした。昔の人はこのようなところに神が宿る自然物崇拝の思想によりお不動さんが立てられており、おそらくそのところから滝の名前も来ているのではないかと思います。
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左の写真が由良ヶ岳で、右の写真のお不動さんの館の右の谷を上がって行くと「不動の滝」が有ります。
その横にハクレイの貯水槽が設置してありました。
左の写真は沢です。右がハクレイの貯水槽の館と思われます。沢でつい水を飲んでしまいました。それほど魅力のある沢です。
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そして不動の滝です。私が取材した知人は夏場になると水はチョロチョロとしか出ていないと言われていましたが、何が何が結構な水量で流れていました。滝百選に出るような滝ではありませんが、それはそれで立派な滝でした。
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ハクレイの土蔵を活かして「土蔵スィーツ」なる喫茶アンドスィーツの販売もしておられ、インターネットでも売っているという白嶺舎なるお店もあり、ついつい入ってしまった。ほんとはコーヒーでも飲んで一服しようかなと思っていたのですが、テーブルは少なく、カップルらしき若者が休憩されていたので遠慮して、ロールケーキを買って出ました。
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このロールケーキは家に帰り私の口には入りませんでした。
で、蔵元のお店の方にも寄ってみようと入ってみました。お酒や、お土産品やイロイロと処狭しと置いて在り今は少なくなった雑貨屋の雰囲気を醸し出すような店内でした。
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お水を頂くと、浄財を入れておくのですが、こういう場合はお礼の気持ちに何か買うのです、店内を見渡していると「香田(こうでん)」なるお酒が目に付いたので1313円の720mlを買い求めました。

この「香田」ANAの機内酒に選ばれているという立派なお酒で、私が買ったのは一番安いもので高いものになると一升瓶の箱入りで1万円もするらしい。まァ私が飲んでも違いは分かりませんので買ったりはしません。
1313円の「香田」でも十分満足しました。
で、この「香田」という銘柄は私の近所の地名です。「かたり酒」の所でハクレイと石川とのかかわりが深いといったのはこのことからです。私が知る限りでは、「かたり酒」を石川塾が取り組んでから「香田」のお酒に発展していったものだと記憶しています。そういう面では「石川塾」という集団は村おこしに貢献しているのではないかと思います。
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で下の写真が、香田川とその付近の田んぼです。さらに、度重なる石川地域内の洪水のために、石川を通る香河川が改修されて香田の真ん中を通る大川となり、その為今は移されましたが以前に香田川のたもとに置かれていたイボ地蔵さんが右です、香田川の水を供えてイボに付けると治ると言われていました。地元の人たちが信仰心厚く地域の公民館の傍に祠と一緒に大切に祀られています。
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ところで買ってきた「香田」を飲もうと紐をときキャップの上にかぶせてあったレッテルを外すと、そのレッテルには「香田」のいわれが書いて在りました。
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このようにお酒に説明書きがついて回るという事は。「香田」が広まれば広回るだけ「香田」の土地名も有名になって行きます。だからこそ、地元の人間として「香田」のいわれを確かめてみました。
「ハクレイ」さまが書いておられる「香田」は内容的に一般的に字文字から考察された内容ではないかと思います。
今回、この件を書くにつきまして「石川村誌」と「石川昭和誌」をひも解いてみました。
「イボ地蔵」は書いては在るのですが・・・
ただ、「石川村誌」には香河川(かこがわ)と香田の項があり、説明書きがありました。そのことを抜粋しておきます。(大正15年に発行のため字が読めないこともありますので、その辺はご勘弁を)
7、香河、香田
奥地部落より出でし本村を貫流し堂谷にて野田川に入るを香河川と呼べること(前項に説明し)、この香河に就ては如意尼に絡まる一條の伝説あり。第一章石川村及び香河村の條丹〇〇志を引きたるも尚ほ丹後〇事記には

石川香河村
むかし京師の沙門倉橋川の邊を徘徊せるに川水時ならず匂ひければ怪みて流れを伝ひ一村にいたるに香気ますますなれば里民に問ふ、郷の者曰此村の分大屋に子無き者あり天に祈りて一人の女子を得る此子産れ落ちると此邊薫渡る事三里四方也、誠に世に類ひなき美小児なり、今年七歳に及ぶという、沙門則其家に尋入り見るに小児のかんばせ白玉の如く香気は少女の身より出づる事梅花の匂へるに異らず、父母に乞受けて都にともない朝廷に奉りければ御自愛浅からず(?)、終に天長の頃淳和天皇四妃に召上られ与謝の宇屋居子と申せしとかや、元亨托?書に如意尼は天長帝の次妃丹後国与謝郡の人也とあり、茄髪の後奮里へ帰り一宇の精舎を建立して善法寺と名づけられる。今其寺跡田地の字を成りて世に伝ふ手づから彫刻の本尊観世音菩薩は善法寺破壊の後に萩の草堂に安置せしも名を残りて、石川村西禅寺というにあり、此尼は浦島兒の同血脈なり浦島が玉手箱を似て空海大士に奉り給ひ此箱を以て空海雨を降せ給ふ事驛書にくわし。

此の淳和帝の妃小萩姫の生家は香河村にて左右の渓より水の合する宅地にて地先に香気を流したる洗濯石ありとて現今同村小字トトヲ第七百七十四番地宅地五十七坪は即ち其の跡なりといふ、爾来此の川の流域を香河谷と云ひ石川村を貫流して野田川に入る、(香河川)此途中本村地内に香田(こうでん)と稠する字名稲田に残れり。

とこのように書いてあります。古い字が分かり辛く正確でない部分もあります。
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石川昭和誌に香河川の云われが書いてあり、上記石川村誌で書かれている内容を今風に書いたもののようです。
香河川
加悦町香河を源とし日晩寺、奥地(今の大宮地区)地区を流れ、奥山川と合流し上・中・下地区を貫流し出会で野田川と合流する清流である。その名の由来についてのべる。まず丹後旧事記に、昔京都の雲水が今の野田川辺りに来た時、大変川の水が芳香を放っているので不思議に思って川を伝って行くと一つの村落があり、香りがますます強くなった。村人に聞くと、神に祈って生まれた女の子が世にもまれな美少女で今年七才。良い匂が匂い渡ること三里四方であるという。家に入って会ってみると、顔は白玉のようで香気はその身から梅の花の匂うようであった。父母から乞い受けて都に連れて行き、朝廷に奉ったところ大変可愛がられて後、淳和天皇の四妃になった。という話が記されている。また別の記述では如意尼は天長帝の次妃で丹後国与謝郡の人で仏門に入ってから旧里へ帰り一宇の寺を建て善法寺と名づけたというのがあり、香気を放つ少女と如意尼は同一人物であるとした解釈から、香気を放って流れた河、すなわち香河川の名が生まれたようである。如意尼の名は石川ではいろいろと関係の深い名前であることは、善法寺・慈観寺・神宮寺・上田の小萩観音等の所で述べた通りである。香河には今も小萩の洗濯石、その下の流れをドンドの滝、シヤミのドンドと呼んだり、流れに新設した橋を才見橋と呼ぶなど、小萩と雲水との関係を思わせる名が残っている。

上記から、香田のいわれは香河川のいわれから来ているものと思われます。
私の推測では、香田川の水利は香河川と谷田(たんだ)から流れてくる沢水で賄われています。沢水は少なく香河川の水が主に活用されていますが、谷田の沢水は玉の木石という立派な花崗岩(墓石等)が出る山で有名です。今は石も出なくなりましたが、花崗岩の山の沢水は美味しくきれいな水です。
(一度沢水を汲んで飲んでみたいと思います。その時は書き込みますので乞うご期待を)

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上の写真左側、遠くに見えるこんもり山が大江山連邦の鍋塚でその下の谷合左になる隠れた部分に香河地区があります。右の写真は香田をぶち抜いて作られた香河川です。遠くに見える橋のあたりにイボ地蔵さんが祀られていました。

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写真ひだりは、上記言い伝えの中に出てくる如意尼が作ったとされるお寺に安置されていた小萩観音と云われている仏像(正式には聖観音菩薩坐像・室町時代)恥ずかしいのか顔が隠れています。右はその安置されている上田の観音さんを毎年旧暦7月9日に祭りを行う前の掃除をしている様子。石川昭和誌には「祭りは必ず陰暦でおこなわれ、陽暦で行うと大洪水が起こるとの言い伝えがある。・・・ところが今年から陽暦の8月1日に変更されました。その結果どうなるのか見つめて行きたいと思っています。

という訳で、我が村に残る「いわれ」を整理してみました。

話を元に戻して、由良と言えば安寿と厨子王で有名な山椒大夫の物語の地でもあります。山椒大夫の屋敷跡もほんとかウソかわかりませんが残され遺跡といて観光案内が出ています。由良川のほとりにはもみじ公園が整備され、安寿と厨子王の銅像もたっています。以前ウインドサーフィンがはやったころはこの公園を基地にして多くのサファー達が練習に来ておられました。
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長くなりすぎましたのでこの辺で終わりますが、次回の湧水探しは、由良の近所にあります安寿塚の清水に行ってきましたのでお送りしたいと思っています。

尚、 ハクレイ酒造HPでハクレイの事は見てください。

で肝心な「不動山水」の味ランクは独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v  でした

酒造りの水とコーヒーを飲む水は違うのですかね~(?_?)

ハクレイの詳しい場所は下記のとおりですが、もらいに行かれる方はお仕事の邪魔をしないよう、また商売の一助になる行動もしてくださいね。


追伸
記事の中で、不動の滝が地図になく由良の知人に尋ねたと書きましたが、その方がその数時間後不慮の事故で他界されました。
その方の、ご冥福をお祈りするとともにこの場を借りて哀悼の意をささげたいと思います。
最後の言葉ですが「由良の事ならわしに聞け、なんでも知っているから何時でも教えたる」との暖かいお言葉でした。 合掌
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