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NO369:昭和の名水百選「三井水・楊柳水」

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三井水最後の「楊柳水」(Yoryusui)を探すのだが、清浄水(Syoujousui)の近辺に見当たらない(?_?)で、お寺の関係者らしき方に聞くと細谷を行くと在るといわれ
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歩いて行くと、セルフケーブルカーの下をくぐり抜けて先に行きます。紀三井寺の本堂にお参りするには全国でも珍しい近代的な設備が備えられていました。駐車場からはエレベーター(コチラは駐車料金に含まれているのか無料)、正面からお参りする人のために石段62段目からセルフケーブルカー(お一人様200円らしい)、足の悪い人や高齢者の方にはお参りしやすい施設であります。
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くぐって約30m程歩きます
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と、突き当たりに
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楊柳水が出てきます。ここは水溜を除くことが出来ました。
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当然中は暗くて見えませんが井戸のようです。その前に水を汲めるように蛇口が設置されていました。
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蛇口の所には煮沸してから飲用して下さいとの但し書きが書いてありましたが、2本組んでやったぞと喜んでいたら、よ~くペットボトルを見たら色がどす黒い、どうも汲む人が少ないのか鉄管のサビのようなものが入っているではないか、これでは飲めねえ・・・・・と捨てて再度水が綺麗になるのを待って汲み終え、すかしてみるとまぁ綺麗だったので帰途に付きました。これで三ヶ所ゲット(^_^)v無事予定どおり汲めました。

楊柳水の独断と偏見の水の評価は、
帰って、さて飲もうかとペットボトルを見ると色が悪く飲む気が失せてしまったが、評価が出来ないと思い一度だけ煮沸してコーヒーを作りました。コーヒーは色が黒いので飲むに当たっては別段どうもなかったので、結果少々コクを感じた程度であとペットボトルの水は捨てました。
(^_^)v (^_^)v (?_?)でした
詳しい場所は


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NO101:成相さんの「観音水」

   成相寺・観音水 081-b
101回目なので、我が郷土の名刹{願う事必ず成り合う寺・成相寺}の「観音水」をお贈りします。

上記の写真はおいおい書きます。まずは(入山料を払うと頂ける成相寺参拝ガイド)から
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   成相寺由来
 一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の往来もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となった。
 死を予感した僧は、「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈った。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた猪(鹿)が倒れているのに気付いた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して猪(鹿)の左右の腿をそいで鍋に入れて煮て食べた。
やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の左右の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居た。それを知らされた僧は観音様が身代わりとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになった。此れよりこの寺を成合(相)と名付けた。
成相寺・観音水 012-B
というお寺です。このお寺に参拝するには、
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車で、このような急カーブの坂道を登って来るか
   成相寺・観音水 040-B
笠松公園までケーブルカーで登って来るか、天気の良い日は
   成相寺・観音水 037-B
リフトも動くので、好きな方で登ってきます。やはりリフトでしょう!
で、笠松公園のマスコットのお出迎え
   成相寺・観音水 036-B
笠松公園と言えば
  成相寺・観音水 035-B
そう股のぞき
   成相寺・観音水 034-B
どうでしょう、天に掛かる架け橋に見えるでしょうか(?_?)  

この他、最近できたであろうと思われる
   成相寺・観音水 049-B
冠島を正面に見据えての神社で、由緒板には「両島は、籠神社の奥宮です。主祭神彦火明命と后神市杵嶋姫命降臨しました彦火明命は豊受大神を祀り丹後丹波から開拓し、后神は航海安全を祈り両神とも国の発展に貢献しました。」

この笠松公園から登山バスで成相寺に行きます。
   成相寺・観音水 025-B
タマニは
   成相寺・観音水 054-b
歩いて登られる方もいらっしゃるようです。
山門で降りて左に行けば、展望台がありますが、たしか創建1200年祭の時に創建当時あった五重塔を復元した
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      成相寺・観音水 074-b
      成相寺・観音水 064-b
どれが一番かっこイイかな(?_?)
そして、横には底なしの池と言われている庭園があります。
 「その昔、この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を次々と呑み込んでいたため、和尚が藁人形で作った小僧に火薬を詰め、それを呑ませて退治したという、この池にまつわる奇怪な話が残っています。」(天橋立府中観光HPより)
  成相寺・観音水 056-b
山門から正面に向かって登って行くと、最初に目につくのが撞かずの鐘
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我々幼少の頃は、成相寺といえば左甚五郎の龍より「撞かずの鐘」の方が有名でした。
  成相寺・観音水 021-b
撞かずの鐘の由来
慶長14年(1609)山主賢長は、古い梵鐘に変え新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。
 やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れきに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。
幼少のころは、この話が怖くて、この鐘楼は近寄りがたい存在でした。
それから、石段を登って行くと巡礼堂と一願一言地蔵が安置してあります
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奥のお堂には西国三十三番霊場の各御本尊が祀ってあり、御参りすることで三十三番霊場を巡回したのと同様の功徳がえられるそうです。なお、成相寺は二十八番札所です。一願一言地蔵は
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 この地蔵さんは唯一願(ひとつねがい)を一言でお願いすれば、どんな事でも必ず叶えて下さると伝えられる、大変あらたかな地蔵さんです。
 安楽ポックリの往生も叶えられると伝承されえいmす。  約620年前に創られた大変古いお地蔵さんです。
登山バスでのガイドの折、この地蔵さんはお詣りしときなはれとの事でした。

そして、最上段には本堂が有りますが、その中に
   成相寺・観音水 001-b
   成相寺・観音水 002-b
飛騨の匠(左)甚五郎
江戸時代に雨乞いのため、龍の彫刻を成相寺に奉納することになり、宮津に滞在中の左甚五郎に彫刻を依頼。
甚五郎は快諾したものの、見たこともない龍の彫刻に思い悩む。そんな中、夢で龍が住む場所を教えられた。
早速夢で教えられた道をたどり滝壺に降り立ち、祈る事三日間。渦を巻き白く沸き返る滝壺から龍が姿を現し、見る間に空へと立ち昇り雲の中に消えて行った。
こうして完成したのが『真向いの龍』だといわれています。
その滝壺伝説を以前、NO68:御宮の谷浸透水に書いています。

そして堂内の雰囲気
   成相寺・観音水 007-b
これ以上は撮影禁止^_^;

肝心な湧水は、本堂に向かって左横に手水場として重要文化財の鉄湯船の中に龍の口から流れ出ていました。
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この鉄湯船は
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鉄湯船:重要文化財(工芸品)、鎌倉時代正応三年(1290)、鋳物師山河貞清
当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るものではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。  成相寺
この水は聞くところによると、本堂の裏山の浸透水で「観音水」と名がつけられています。・・・しかし、重要文化財を今なお水溜めに使っているとは・・・肝っ玉の大きい貫主だこと・・・。
だいたい成相寺の主な見どころはこのぐらいでです。
水も頂いたので、本堂を後にして日本一のパノラマと銘打っている展望所に行く事に・・・

展望所には、駐車場からさらに1kmほど登りますが、登山バスも登って行く便もあるようです。私は車で登って行きました。
しばらく登って行くと室町時代まであったといわれる本堂跡地の看板が目に付いたので、写真を撮っていると
   成相寺・観音水 077-b
下の方で、杉に向かって柏手か偲手かは定かではないが、合掌を大杉に向かってされている姿がカメラに映り込んでいた。
本堂跡地の看板の裏に
   成相寺・観音水 078-b
逆杉の説明書きが立てられていた。
       逆スギ(市指定文化財)
 逆スギの有るところは字成相寺小字白山後である。寺伝によると、かっての成相寺はこのあたり「せんだい」と通称する地にあった。「せんだい」は白山台の謂で白山権現のあった所というのが「丹哥府志(たんか)」の説である。寺伝は、応永7年(1400)山崩れの難ののち、中郡三重の成吉越中守り一族沙弥円庵(しみ)が、同29年までかかって成相寺を現在地に移転したと伝える。逆スギの地は成相寺の故地ということになる。
 山崩れで同宇廃〇の時、杭を打って崩れを防いだ、その杭より芽を出し、逆さに枝を出したのが大樹になったというのが近世地誌類の通説であるが、「逆スギ」伝説の起源はもっとほかのところにあるかもしれない。
 樹高は約25m、地上1,5メートルの幹回りは7,1メートルの巨大な杉である。地上1,5メートルの極めて低い樹幹の部分から三本に株分かれして巨大な主幹となるが、その主幹から生じた枝もまた別の主軸となって、叢條する分枝の下部の大部分は下方に伸びているので甚だ奇観である。
 市内のスギ科の属では最大で風格・神韻性ともに抜群である。
                      宮津市教育委員会
  成相寺・観音水 079-b
で、合掌されていた方に話を聞いてみると、時間が有れば、下から展望所までジョギングに来ているとの事、その途中にこの「逆スギ」に寄って樹霊を頂いていると、・・・で、トップの写真がそれであります。
その写真はポーズを再度お願いして撮らせて頂いたもので貴重な写真ですよ~。(*^。^*)
与謝野町では、毎年秋口に大江山登山マラソンを開催していますが、それにも毎回出場しているとの事でした。

今回の大木で、京都府の大木がどうなっているのか調べてみると、な!なんとわが町与謝野町にも、自然200選に選定されている樹があった。いい機会なので、写真を撮ってきました。
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   縦貫道入口付近の集落「石田地区」に在ります。
元に戻して、登山マラソンランナー氏とお別れしてさらに進むと、
   成相寺・観音水 099-b
その横に、イワレが書かれた石碑が立っていました。
   成相寺・観音水 097-b
その石碑の内容が学術的?に重要な思いがしましたので、書き出しておきます。(読みにくい字はパスします)
          記
平成九年五月旧本堂下の東谷道路入口の山林道路より一段高い山裾が、少し平らに見えた。表土には雑木並びに熊笹がびっしり生い茂っており、一番かかりを掘った所、地下40、50センチの所より五輪塔、及び石仏が出土した。次々に掘り進んだ所、一段目、二段目より次々に五輪塔石仏、その下より壷(遺骨入り)が六ケ出土した。
 壷の中まで雑木の根及び熊笹の根が入り込み、すえての壷の完品はなかった。
 その他に、写経筒は完品、最上段二段目より青磁の小皿二枚出土した一枚は完品であった。
 五輪塔は、五十塔、石仏は六十体出土。永い年月土中に有った為に新造の如く見えた。おそらく、四、五百年間は土中にうづまっていたものと思われる。
 壷は古瀬戸が多く、丹波、越前、はりま地方の壷で須恵器もあった。青磁の小皿は中国北宋十一世紀から十二世紀越州窒で作られた青磁である。日本歴では、平安時代後期頃、五輪塔にはほとんど無名で〇〇坊、及び寒善坊、明徳四年十二月二十八日とだけ記入あり、納経筒には観鷹二年〇〇五月十八日と記入あり(六百六十年前)本堂が現在の所に移ってからは、旧墓地は手入れされなかったものと思われる。
 成相寺開山が、奈良時代前期、慶雲元年(千三百年前)とわ言われているので、平安時代後期までの間の三百年間は空白である。
 青磁小皿が平安後期なれば開山以来ほとんどの歴代の墓地と思われる。
 現在の墓地に移し、此の碑を立てた。
          平成九年十一月吉祥日  成相寺十五世 昭眞

で間もなく、日本一のパノラマ所に着きます。
成相寺・観音水 094-a 成相寺・観音水 084-b
右の小屋は、カワラゲを売っているもので当日は置いて在りませんでした。
  成相寺・観音水 085-b
     土器盃(かわらけ)投げの伝承と妙味
全国の高山霊域では古くから行われている祈願行事です。
此の十七日間祈願した新鮮無垢のかわらけに自分の思いを込めて投げるとあたかも飛鳥か蝶々が舞う如く飛びます。
ノイローゼ、病気、災難、不幸、心の病、不和、悪い思い出、悪い因縁等、常々捨て去りたいと思っているものを捨てて、心機一転
新しい精神生活に踏み出すことができると伝えられています。
「自分の願いをこめて、かわらけを輪の内を通すよう投げてください。輪の中を通れば願いがかなうと、昔より云われています」
成相寺・観音水 086-b

・・・との事ですので、思い当る方はこちらに来て投げてみて下さい。信じる者は・・・   保証はしかねますが・・・
尚、日本一のパノラマは天気が良すぎて霞がかかり、写真が薄くて値打ちがありませんのでぜひ一度来て自分の目で見て下されm(__)m
帰りがけ
   成相寺・観音水 093-b
こんなものも上がって来たYO~。

で、肝心な「観音水」の味の方は・・・期待していたにしてはもう一つという所でしたので
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ  おしまい 

詳しい場所は
    
大きな地図で見る 
 
   

NO68:畑集落にある「御宮の谷浸透水」

「観音名水」におられたオバサンに聞いて宮津市日置地区畑に戻り、ソノ湧水を引いて来ているという家を探しに!
いくら畑地区の件数が少ないと言っても見るからに20件前後は有りそうな集落である。
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畑地区の中心部の雰囲気です。  聞くが早いと一軒の家で聞いてみると、何のことはない其の家から脇道を入って行けばよいとの事、
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この写真は湧水を入れている時に撮ったものですが、その家の湧き水があるとこの雰囲気です。

で、とりあえずそのお宅に行き湧水を頂きに来た旨をお願いに行き、快く承諾いただきました。
水を頂いていると、奥さんと旦那さんが出て来られて、イロイロと話をして下さった。
まず、自分たちは宮津市内に住んでいて、定年になったので暇に任せてちょいちょい実家に帰ってきている。
この湧水も、裏の山から湧き出している水をコノ祠まで引いてきた。その湧水は、大雨が降っても1週間ぐらいせな水量が増えて来ないだとか、この祠も自分が作ったとか、この祠もけっこう凝ったつくりで
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其の家の家紋が入れてあったり、湧水の名前も命名してあったりして、さらに凄いのは
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時計と思いきや水温計まで設置してあります。
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水温計の線が水の中に入っているのが見えますかね~
中の作りもうまくまとめられていました。
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横には誰かのポリ容器が、親戚の方が京都市内に持って帰るとか、さらに行ってきた観音名水のあの立派な看板も作られたとか、案内板も作って設置したとの事。手の器用さだけでなく、出身地を大切に思う気持ちが伝わってきます。前に出会ったオバサンにしろ、この人にしろ畑地区がよほど良いのだろうと思えてくる出会いであった。

水も頂けれたのでお礼を言って車へ、何か地元を宣伝するような物がないかと、旧学校跡らしきところへ行って見る事に。そこでもこの畑地区がいかに地元民から愛されているのかが判るもを見る事が出来た。
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集落の高台に在るそれは、元宮津市立日置小学校畑分校の跡地で
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建て替えられた建物の中には紙すきを体験する施設が有りました。
その施設の名前が、
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な!なんとユニーク会館名「婆爺ニアセンター」おそらく爺さん、婆さんたちが集う会館も兼ねているのでしょう。

・・・まぁ紹介できる所もこのぐらいだと、勝手に決めつけ、帰る事に、帰りに畑地区とは少し離れていますが、近場の名所を案内しようと、畑地区に来るときに曲がった金剛心院のお寺の角を上側へ進んで行くと、下世屋の集落に着きます。バイパスに入らず集落の中の旧道を走って行くと地元では有名な谷に架かる橋にたどり着きます。
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龍渓橋と呼ばれ
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横に説明書きが、「世屋川の清流は、深い渓谷を作り、ここに架かっている「龍渓橋」の下は特に険しく、絶壁30m、下には流れが号号と地響きを立てて、岩を噛んでいる。
橋から下を眺めると、寒気がして、身震いして、たじろう程の山峡である。
春は新緑、岸壁には一面の人字草の花、夏は河鹿や蝉の鳴き声、
かわせみが水面すれすれに上流に飛んでいく
秋はもみじの紅葉
冬は樹氷と一年を通して楽しましてくれる。
初代の橋は昭和3年(1928年)架橋。
老朽化し、また自動車も大型化して昭和53年(1978年)現在の橋に架け替えられたものです。
平成20年(2008年)バイパスが開通して、この橋も無用のものとなった。
これが橋の上から覗いた、その渓谷です
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又、龍渓峡の由来はこの橋よりもう少し上がって行くと、この様な立札が
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例により書いておきます
龍ヶ壺  「江戸時代に雨乞いのため、龍の彫刻を成相寺に奉納することになり、宮津に滞在中の左甚五郎に彫刻を依頼。  左甚五郎は快諾したものの、見たこともない龍の彫刻に思い悩む。 そんな中、夢で龍が住む場所を教えられた。 早速、夢で教えられた道をたどり世屋まで来て、滝つぼに降り立ち、上世屋の観音堂に向かい祈ること3日。  渦を巻き白く泡沫が沸き返る滝壺から龍が姿を現し、見る間に空へと立ち昇り雲の中に消えていった。 こうして完成したのが、成相寺本堂にある『真向きの龍』だと言われています。 この出来事を聞いた村人が、龍がいた滝壺を『龍が壺』と呼ぶようになりました。」
今では、写真のように雑草で覆われて滝壺を見る事が困難ですが、橋から見る渓谷の先が滝になっていて、その下に滝壺が有りますが、私の推測では、渓谷が龍の背中のように見えて、滝が空に上がって行く姿に見えるところから作られた話ではないかと思っています。

話がそれましたが、「御宮の谷の浸透水」は観音名水より少し美味しく頂けましたので、
独断と偏見の味評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした

詳しい場所は


NO67:宮津市・畑の「観音名水」

今回はある地域に在る「観音名水」を検索していたら、偶然新聞記事がヒットして湧水を頂きに行った、宮津市の今までに行った事のなかった山奥の日置地区畑という所にある「観音名水」をお送りいたします。

当日は、TANTANロングライド開催日で、畑地区に行くのにコースを通らなければなりません。
選手の迷惑にならないようにの思いで出発、途中知らない人を応援したりで目的地に向かいました。
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思い思いのスタイルで参加しているようでした。
写真を撮っていた場所から少し走ったところに、以前NO23で書いた妙円寺が有りますが、その先から国道を離れ世屋方面に入って行き写真のお寺「金剛心院」の少し判り辛い門前の道を左に入って行きます。
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お寺の角の石垣の上に、写真では見えにくいですが「カゴノキ」と書いた立て看が立ててありました。
いかにも珍しいモノのようでしたので、検索をしてみましたら、「木の幹に当たる部分の表皮が鹿の子を連想させるマダラ模様で、名前が御加護に通じるところから、社寺に植えてある木」との事でした。宮津市指定天然記念物になっているので、さぞかし珍しいのであろう。
その道を入って行くと、人里から遠ざかって行くような雰囲気の道を2kmほど走って行くと斜面に家屋が立ち並ぶ集落にたどり着きました。
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この集落の中に在るのだろうと、キョロキョロ見ながら村の中を走っていると、こんな案内板が村中に数か所設置されていて誘導してくれました。
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集落を抜けきってもまだ見つからず進んで行くと、さらに奥へ進めとこんな看板が
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その方向へ進んで行くとますます山の中に、
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とりあえず行けるとこまで進もうと山腹を上がって行くと峠に着き下って行ってみると、道に獣除けのフェンスが、その奥には立派な「観音名水」と書いた看板が我々を迎えるかのように立っていました。
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そこは、江戸時代でいうと隠し田の感じで、住いらしき家は見当たらず山奥にしては結構広い田園であった。
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上手く撮れていませんが、遠くには宮津湾が見えます。
ところが、看板の所にはそれらしき汲む場所がないのである。ちょうど看板の傍にある田んぼの端の方で農作業をされている二人連れのご婦人に道から大きな声で「観音名水」は何処ですか~ と尋ねると、ご婦人の足元の方を指して「ここですよ~」との返事
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この写真は、水を汲んでから撮ったので少々雰囲気が違います。 と言うのでそちらの方へ
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有りました!パソコンで検索した時に写っていたものが、新聞に村おこしのために湧水を利用したいと書いてあった割には、山水を田圃に引く側溝と見間違うような作りです。
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覗いてみると水が溜まっていない、「湧水がどこに出ているのですか」と尋ねると「今年は水の出ようが少ないので貯まりにくいようです」との事、本来は石積みがしてある奥に湧水が出てきており、たまった水が上のパイプから出てくるようになっていると、一人のオバサンガ親切にやってきて説明をしてくれました。
それなら、その下に在るパイプのコックをひねれば溜まり水が出てくるだろうと、コックをひねると出てきました・・・真っ黒な泥水が・・・すぐさま止めましたが、溜まっていた水も汚れて飲み水として持って帰るにはチョイト抵抗が・・・
それを見ていたオバサンガ、その石垣の間から出てきているのが湧き水だよと教えてくれました。
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水が出てきているのが分かりますかね~  結局この湧き出てきている水を貰うほかないと、どのようにして汲むか思案の結果、湧き出ている所が水面よりわずか上なので、水面と湧き出ている所の中間に、水を汲むために持参してきた片手鍋をコンクリートに押し付けて汲む事に、しかし、水が溜まるのに時間が掛かりペットボトル二本汲むのがやっとこさ!とりあえず水はゲットできた !(^^)!

何時もそうなのだが、奥方は、とりあえず私に毒味(見)のように先に行かせて露払いをした後に、その様子を見てやってくるのである。その時もそうで、水汲み場にやってきてオバサンと顔を合わせるなり、お互い「まぁ!」との絶叫(チョイト大袈裟だが)
話によると
奥方の与謝野町加悦に在る職場のお客さんで、加悦に住んでいる方。その人がなぜこんな山奥の田んぼで仕事をしているのか?・・・なんでも畑地区に実家が有り、たびたび母親の様子見がてらに母親を麓から遠いいこの田んぼに車で連れてきて、一緒に農作業をしているとの事、今日も山菜取りに来ていた所と言う、そのオバサンが畑地区の中に、湧水を引いておられる方がいるとの事、こちらでペットボトル二本しか汲む事が出来なかったので、そちらの方にも行って頂けたらもらう事にして、ここの観音名水を後にしました。
田んぼの土手には
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可憐なタンポポの綿帽子
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アザミにアゲハチョウだろうと思う戯れ
野の草の平穏な一時、思わず撮っていました(^_^)/

で、独断と偏見の「観音名水」の評価は、この場所で採水した思いの割には美味しく飲めました。
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v デスタ

観音名水の場所です。




 

NO63:縦貫道大江山隧道の「鬼の命水」(仮)

今回は、宮津市上宮津にある京都縦貫道大江山トンネルから湧き出している、「鬼の命水」吾輩が勝手に付けた名前ですが・・・
この湧水を知ったのは、この記事がキッカケでした。
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我が自称湧水評論家?としましては、早速トンネル内から出てきている湧水を試飲したくなるのは当然である!
すぐさま、この新聞社の支局にメールで場所を知りたいと送ったのですが、返事がいつまでたっても帰ってこない、ちょうど我が家に配達しているなじみの販売店主にそのことを話す機会が有り、対応の悪さを訴えると即こちらから連絡を取ってみますとの実に良い反応を示してくれた。数日後新聞社の支局長なる人物から、メールが入ってきた。さすが販売店と思い読んでみると、現地は放水されている処が高く危険なため行くのはよしてくださいというような内容のメールでした。
・・・これではラチが空かないと思い、とりあえず自分で思い当るところを探してみる事にした。
宮津市内から福知山市大江町に出る街道の普甲峠(大江山スキー場)の登り口付近に白羽の矢を当て、その付近を探してみる事に、
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写真のトンネルの上が京都縦貫道なのでとりあえずこのトンネルをくぐって行ってみた
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そしてトンネルをくぐって少し行くと道が分かれ標識が立っていた
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元普甲道 茶屋が成まで2km と書かれている  さらに古い標識も立っていた
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ここまで上がってくると、水の気配がしなくなったのでこの先車で行くのも不安になり引き返すことに、麓の家に立ち寄り聞いてみる事に 「新聞記事に出ていたトンネル内から出てきている湧水の場所教えてくれませんか」と尋ねたところ、この上の方で水は汲めないのでは」との返事、「この近くにも宮福線大江山トンネルから湧き出ている水が出てきているが、村おこしのために・・と思って水を調べてもらったら大腸菌が検出されたので断念した」
と教えてくれた、大腸菌ぐらいならコーヒーを飲むには水を沸騰させるのだから大丈夫と思いその場所に、
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これがトンネル内から出てきている水で、
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その上に在る宮福線大江山トンネル入り口ですが、中を覗くと鉄粉やら油の混ざったようなすすがトンネルの壁にへばりついていた。そして、列車のトイレは今はどうか知らないが以前は垂れ流しだったとか・・・そんなことを思っていると、水ももらって帰るのがいやになり、それは断念^_^; その日はそこで中断することに

・・・で、半分あきらめかけていたのですが、下見に行った数日後縦貫道を走る機会が有り、トンネルに入る手前を注意しながら走っていると、ちらっと新聞に出ていた放水らしき水が見えたので再度気分が盛り上がり湧水を探しに行く事にしました。
当日ダメもとで、コンテナ一個も持参して行く事でやる気満々での出発、前回分岐点であきらめていた所からさらに車一台通れるぐらいの道を登って行く事にしました。
心細い気持ちを押さえながら進んで行くと、新聞の記事の写真の場所に出て行きました。
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見た時に、新聞社が教えてくれた通り川が有りこりゃダメだわ・・と一瞬思ってしまったが、じっくり見渡すと上流の方に橋が架かっているではないか!これならいける!とルンルン気分
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橋を渡って行くと土手に人が歩いた足跡がついている、誰か水を汲みに来ているのかな~と
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結構この土手を歩いていくのも大変だったのです。
写真では足跡は判らねえダ(?_?)

放水口の全景で、
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コンテナの横に片手鍋が有りますが、これで水を掬いました。
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湧き水の出口、思っていたより自然的?かな  一度水ために入ってから放流されます
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で谷川へ
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で、コンクリート壁が150cmぐらいの高さが有り、上から水を掬う事が出来ず、放流口から覗きこんで片手鍋でスクイ漏斗でペットボトルへ入れました。放流口の土管の横に生えている草や水垢が気になりますがそこは目をつぶって大江山の腹の中を流れていたであろう地下水を無事頂きました。

帰りに車で行けるところまで登ってみました。
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右の地道は元普甲道でここを登って行くとスキー場へ行くのでしょう
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次に、上宮津の名所の見物に、知る人ぞ知る(アタリマエ)今福の滝に行ってきました。
上宮津のバイパスを走っていると地元の有志が書いたと思われる案内板が立ててありました。
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この案内板から宮福線の上の山を見ると
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僅かに滝が見えます。北近畿の有名な天滝にも勝るとも劣らない・・・滝デス
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宮福線のトンネルをくぐって今福の集落を過ぎて登って行くと川が合流したところに行きます。
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右が今福川で左が滝川です。近くでお仕事されていた方に今福の滝に行く道を尋ねた際に、昔今福川の水を酒造りに使うために汲みに来て、よく地元に酒の粕をくれた話をしてくださいました。なぜか滝川の水はダメだったらしいとの事、お礼を言って車一台が通る道をさらに登って行くと右手に八部落ちした葉桜になる前の綺麗な桜の木が見えました。後から地元の人に聞いたら水源地の跡らしかった。
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そこから少し行ったところに道を遮断する鉄の扉が設置してあった。
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ここ2~3年前から獣対策にこの地方ではこのような鉄柵が張り巡らされています。以前は電気柵でしたが役に立たないのか、最近はこのような背の高い柵になりました。しかし、猿には通用しないようです^_^;

それから林道に入りしばらく進むと車2~4台ぐらい止めれる駐車場が有り、そこに車を置き「今福の滝」標識に沿って進みます。
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車は、真直ぐ行くと川の土手に止めれる場所もあります。とりあえずこの橋を渡って登り始めました。
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途中「私たちの約束事  ごみのポイ捨て 落書き禁止  きれいにしよう みんなの街とあなたの心  ペットのふん放置禁止  歩行喫煙はやめよう」の標語の書いた板が・・・
次に滝神社と今福の滝150mの標識が設置してあります。
右に行くと滝神社に着きます
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その後ろを進んで行くと、滝つぼにログハウスが建っていました。
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滝つぼ付近から見た今福の滝デス
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そこから、滝の展望台へ上がっていく途中に咲いていた桜
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展望台から見た「今福の滝」
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この展望台まで来るのに老体に鞭を打って上がってきたのだが、さらに150m上に一の滝があるという。上がって行く事に
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そして、今福の滝のてっぺんです
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思いもよらずハードな山登りであったが、滝も思いのほか良い滝であり満足で爽やかな気持ちで下山することが出来ました。
帰りには親子ずれに出会い挨拶を交わしての旅の終りとなりました。

で、「鬼の命水」の評価は、飲みだして一週間ほどして腹痛が起こり「鬼の命水」が原因か、滝登りで疲れて風邪の菌が腹に入ったのかどちらかわからないが、医者に行く羽目になり大変でした。
自然水で、昔から地元の人たちに愛されて現在まで守られている名水は安心して飲めますが、今回のように未知な水の場合「気を付けて飲まなければいけません」・・・まぁ勉強したと思って諦めます。

という訳で、「鬼の命水」の評価は、ミネラルを含んでいるようなコーヒーの味でした。が五つ星までは?独断と偏見の
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)v でした。

詳しい場所は

つづく 
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