
101回目なので、我が郷土の名刹{願う事必ず成り合う寺・成相寺}の「観音水」をお贈りします。
上記の写真はおいおい書きます。まずは(入山料を払うと頂ける成相寺参拝ガイド)から
成相寺由来 一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の往来もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となった。
死を予感した僧は、「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈った。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた猪(鹿)が倒れているのに気付いた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して猪(鹿)の左右の腿をそいで鍋に入れて煮て食べた。
やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の左右の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居た。それを知らされた僧は観音様が身代わりとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになった。此れよりこの寺を成合(相)と名付けた。

というお寺です。このお寺に参拝するには、

車で、このような急カーブの坂道を登って来るか

笠松公園までケーブルカーで登って来るか、天気の良い日は

リフトも動くので、好きな方で登ってきます。やはりリフトでしょう!
で、笠松公園のマスコットのお出迎え

笠松公園と言えば

そう股のぞき

どうでしょう、天に掛かる架け橋に見えるでしょうか(?_?)
この他、最近できたであろうと思われる

冠島を正面に見据えての神社で、由緒板には「両島は、籠神社の奥宮です。主祭神彦火明命と后神市杵嶋姫命降臨しました彦火明命は豊受大神を祀り丹後丹波から開拓し、后神は航海安全を祈り両神とも国の発展に貢献しました。」
この笠松公園から登山バスで成相寺に行きます。

タマニは

歩いて登られる方もいらっしゃるようです。
山門で降りて左に行けば、展望台がありますが、たしか創建1200年祭の時に創建当時あった五重塔を復元した

どれが一番かっこイイかな(?_?)
そして、横には底なしの池と言われている庭園があります。
「その昔、この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を次々と呑み込んでいたため、和尚が藁人形で作った小僧に火薬を詰め、それを呑ませて退治したという、この池にまつわる奇怪な話が残っています。」(天橋立府中観光HPより)

山門から正面に向かって登って行くと、最初に目につくのが撞かずの鐘

我々幼少の頃は、成相寺といえば左甚五郎の龍より「撞かずの鐘」の方が有名でした。
撞かずの鐘の由来慶長14年(1609)山主賢長は、古い梵鐘に変え新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。
やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れきに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。
幼少のころは、この話が怖くて、この鐘楼は近寄りがたい存在でした。
それから、石段を登って行くと巡礼堂と一願一言地蔵が安置してあります

奥のお堂には西国三十三番霊場の各御本尊が祀ってあり、御参りすることで三十三番霊場を巡回したのと同様の功徳がえられるそうです。なお、成相寺は二十八番札所です。一願一言地蔵は

この地蔵さんは唯一願(ひとつねがい)を一言でお願いすれば、どんな事でも必ず叶えて下さると伝えられる、大変あらたかな地蔵さんです。
安楽ポックリの往生も叶えられると伝承されえいmす。 約620年前に創られた大変古いお地蔵さんです。
登山バスでのガイドの折、この地蔵さんはお詣りしときなはれとの事でした。
そして、最上段には本堂が有りますが、その中に

飛騨の匠
(左)甚五郎江戸時代に雨乞いのため、龍の彫刻を成相寺に奉納することになり、宮津に滞在中の左甚五郎に彫刻を依頼。
甚五郎は快諾したものの、見たこともない龍の彫刻に思い悩む。そんな中、夢で龍が住む場所を教えられた。
早速夢で教えられた道をたどり滝壺に降り立ち、祈る事三日間。渦を巻き白く沸き返る滝壺から龍が姿を現し、見る間に空へと立ち昇り雲の中に消えて行った。
こうして完成したのが『真向いの龍』だといわれています。
その滝壺伝説を以前、
NO68:御宮の谷浸透水に書いています。
そして堂内の雰囲気

これ以上は撮影禁止^_^;
肝心な湧水は、本堂に向かって左横に手水場として重要文化財の鉄湯船の中に龍の口から流れ出ていました。

この鉄湯船は

鉄湯船:重要文化財(工芸品)、鎌倉時代正応三年(1290)、鋳物師山河貞清
当山の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るものではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。 成相寺
この水は聞くところによると、本堂の裏山の浸透水で「観音水」と名がつけられています。・・・しかし、重要文化財を今なお水溜めに使っているとは・・・肝っ玉の大きい貫主だこと・・・。
だいたい成相寺の主な見どころはこのぐらいでです。
水も頂いたので、本堂を後にして日本一のパノラマと銘打っている展望所に行く事に・・・
展望所には、駐車場からさらに1kmほど登りますが、登山バスも登って行く便もあるようです。私は車で登って行きました。
しばらく登って行くと室町時代まであったといわれる本堂跡地の看板が目に付いたので、写真を撮っていると

下の方で、杉に向かって柏手か偲手かは定かではないが、合掌を大杉に向かってされている姿がカメラに映り込んでいた。
本堂跡地の看板の裏に

逆杉の説明書きが立てられていた。
逆スギ(市指定文化財) 逆スギの有るところは字成相寺小字白山後である。寺伝によると、かっての成相寺はこのあたり「せんだい」と通称する地にあった。「せんだい」は白山台の謂で白山権現のあった所というのが「丹哥府志(たんか)」の説である。寺伝は、応永7年(1400)山崩れの難ののち、中郡三重の成吉越中守り一族沙弥円庵(しみ)が、同29年までかかって成相寺を現在地に移転したと伝える。逆スギの地は成相寺の故地ということになる。
山崩れで同宇廃〇の時、杭を打って崩れを防いだ、その杭より芽を出し、逆さに枝を出したのが大樹になったというのが近世地誌類の通説であるが、「逆スギ」伝説の起源はもっとほかのところにあるかもしれない。
樹高は約25m、地上1,5メートルの幹回りは7,1メートルの巨大な杉である。地上1,5メートルの極めて低い樹幹の部分から三本に株分かれして巨大な主幹となるが、その主幹から生じた枝もまた別の主軸となって、叢條する分枝の下部の大部分は下方に伸びているので甚だ奇観である。
市内のスギ科の属では最大で風格・神韻性ともに抜群である。
宮津市教育委員会

で、合掌されていた方に話を聞いてみると、時間が有れば、下から展望所までジョギングに来ているとの事、その途中にこの「逆スギ」に寄って樹霊を頂いていると、・・・で、トップの写真がそれであります。
その写真はポーズを再度お願いして撮らせて頂いたもので貴重な写真ですよ~。(*^。^*)
与謝野町では、毎年秋口に大江山登山マラソンを開催していますが、それにも毎回出場しているとの事でした。
今回の大木で、京都府の大木がどうなっているのか調べてみると、な!なんとわが町与謝野町にも、自然200選に選定されている樹があった。いい機会なので、写真を撮ってきました。


縦貫道入口付近の集落「石田地区」に在ります。
元に戻して、登山マラソンランナー氏とお別れしてさらに進むと、

その横に、イワレが書かれた石碑が立っていました。

その石碑の内容が学術的?に重要な思いがしましたので、書き出しておきます。(読みにくい字はパスします)
記
平成九年五月旧本堂下の東谷道路入口の山林道路より一段高い山裾が、少し平らに見えた。表土には雑木並びに熊笹がびっしり生い茂っており、一番かかりを掘った所、地下40、50センチの所より五輪塔、及び石仏が出土した。次々に掘り進んだ所、一段目、二段目より次々に五輪塔石仏、その下より壷(遺骨入り)が六ケ出土した。
壷の中まで雑木の根及び熊笹の根が入り込み、すえての壷の完品はなかった。
その他に、写経筒は完品、最上段二段目より青磁の小皿二枚出土した一枚は完品であった。
五輪塔は、五十塔、石仏は六十体出土。永い年月土中に有った為に新造の如く見えた。おそらく、四、五百年間は土中にうづまっていたものと思われる。
壷は古瀬戸が多く、丹波、越前、はりま地方の壷で須恵器もあった。青磁の小皿は中国北宋十一世紀から十二世紀越州窒で作られた青磁である。日本歴では、平安時代後期頃、五輪塔にはほとんど無名で〇〇坊、及び寒善坊、明徳四年十二月二十八日とだけ記入あり、納経筒には観鷹二年〇〇五月十八日と記入あり(六百六十年前)本堂が現在の所に移ってからは、旧墓地は手入れされなかったものと思われる。
成相寺開山が、奈良時代前期、慶雲元年(千三百年前)とわ言われているので、平安時代後期までの間の三百年間は空白である。
青磁小皿が平安後期なれば開山以来ほとんどの歴代の墓地と思われる。
現在の墓地に移し、此の碑を立てた。
平成九年十一月吉祥日 成相寺十五世 昭眞
で間もなく、日本一のパノラマ所に着きます。

右の小屋は、カワラゲを売っているもので当日は置いて在りませんでした。

土器盃(かわらけ)投げの伝承と妙味
全国の高山霊域では古くから行われている祈願行事です。
此の十七日間祈願した新鮮無垢のかわらけに自分の思いを込めて投げるとあたかも飛鳥か蝶々が舞う如く飛びます。
ノイローゼ、病気、災難、不幸、心の病、不和、悪い思い出、悪い因縁等、常々捨て去りたいと思っているものを捨てて、心機一転
新しい精神生活に踏み出すことができると伝えられています。
「自分の願いをこめて、かわらけを輪の内を通すよう投げてください。輪の中を通れば願いがかなうと、昔より云われています」

・・・との事ですので、思い当る方はこちらに来て投げてみて下さい。信じる者は・・・ 保証はしかねますが・・・
尚、日本一のパノラマは天気が良すぎて霞がかかり、写真が薄くて値打ちがありませんのでぜひ一度来て自分の目で見て下されm(__)m
帰りがけ

こんなものも上がって来たYO~。
で、肝心な「観音水」の味の方は・・・期待していたにしてはもう一つという所でしたので
独断と偏見の水評価は
(^_^)v (^_^)v (^_^)v (^_^)vデスタ おしまい 詳しい場所は
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